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2009/01/10

呉羽山の山頂へ傷心のドライブ ? ! (後篇)

[呉羽山(くれはやま)へ向かった日は、晴れていたので立山連峰や富山湾を遠望するに絶好かなと思っていたのだが、翌日はもっと晴れ渡っていて、山々の峰(嶺)や山並みがビックリするほど輪郭も鮮やかだった。用事があって行けなかったけど、惜しかった。…となると、またいつか行きたくなっちゃうね! (09/01/10 追記)]

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呉羽丘陵は、全長約22kmにわたる「呉羽山断層」の西側が持ち上がってできた丘陵である。そのため、丘陵の西側はゆるやかな斜面になっているのに対し、東側は急斜面となっている。呉羽山断層は活断層であり、将来はマグニチュード7を超える地震の発生が指摘されている」という。
 小生の居住する地域も、その呉羽山断層の近くではなかったか。
 いずれにしても、往時の川の氾濫で成った沖積地であって、地盤は弱いようである。
 眼下に流れる神通川もかつては暴れ川だったのである。

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呉羽丘陵によって富山平野は二分されており、かつては言葉や風俗の境界とされていた。呉羽丘陵よりも東側が呉東(ごとう)、西側が呉西(ごせい)と言われていた。富山県内の多くの箇所から見え、かつ、放送局のある富山市中心部から近いことから、頂上部には各放送局の送信塔が並ぶ」という。

 今でこそ、電車はもとより車の往来(人の往来)が激しくなって、言葉も何も溶け合いつつあるが、小生の父母の世代だと、地域ごとの言葉はもとより、文化の違いを、実感していたようだ。
 その世代の人たちが同世代同士でお喋りすると、若い人には理解不能だったりする(今ではそんなことは滅多にないだろう)。

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← しらとり広場の周辺をウロウロ。白鳥城跡といっても、芝生などがあるだけ。往時を偲ぶよすがは何もない。

 そうそう、林道をドライブしていて、ふと、道の脇に巨大な鉄塔設備があったりする。
 鉄柵に付された看板を見ると、富山市の市街地にある放送局の送信塔だと表示してあったりする。

呉羽丘陵 - Wikipedia」には載っていない情報が下記に:
北陸の森 呉羽山

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→ 小生が近辺の展望台で立山連峰などをデジカメしていると、ライダー服の男性が。入れ替わりのように小生、展望台を降りていくと、そこには小生の憧れのバイクがあった。ライダー生活30年で悔いの残ること。それは、このオートバイに乗れなかったこと! このバイク、垂涎の的なのだった…。

 特に、下記の記述が参考になる:

呉羽山が最初に歴史上に登場するのは「源平盛衰記」。一一八三(寿永2)年、呉羽山最高所の城山あたりに、木曽義仲の武将今井四郎兼平が陣を張ったとされる。富山平野と射水平野を東西に望める呉羽山は、軍事上の要衝として重要であった。

 この記事に拠ると、城山の近くには、古民家もあるとか。
 知らなかった! 気づかなかった! 見たかった!

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← 白鳥城跡を示す石碑が広場の真ん中にポツンと。

 それに…。近くには、「呉羽ハイツ」があることは、近くの案内板などで知っていたが、小生はマンションの類いだと思っていたが、富山湾・富山平野を一望の露天風呂のある観光ホテルなのだった(「富山で蟹富山県中央呉羽丘陵の城山山頂に建つとっても眺めの良い施設です 呉羽ハイツ - livedoor Blog(ブログ)」参照)。
 まあ、これは知っていても泊れなかったろうけど。

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 但し、この城山公園(近辺)には、「白鳥城」があることは知っていた。
 仕事で、呉羽山の中を切通しのようにして通っている県道があり、「白鳥城跡」という表示もあるので、いつかは見物に行きたい、調べてみたいと思っていたのである。

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← 場違いとは思いつつ、「荒城の月」の一節でも歌ってみたくなる。

 そう、石碑があるだけの城跡である。
 現場へ行けば何か分かるか、観ることができるかと周辺を歩き回ったが、収穫はなかった(富山平野を展望できる広場がある)。

 ここでは、下記を参照してもらう:
越中白鳥城 ザ・登城

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→ 画像(写真)のほぼ真ん中に白っぽい点が見える。染みじゃなく、月影である。

 豊臣秀吉の前に降伏し剃髪した佐々成政が秀吉の膝元に屈したのが、この白鳥城だとか。
 ちなみに、佐々成政の傍系の子孫は現在も健在(作家の佐々淳行)。
 また、「傍流の子孫として、徳川光圀に仕えた佐々介三郎(「水戸黄門」の助さんこと佐々木助三郎のモデルとされる人物)」がいるとか。

 佐々成政は、ドラマの主人公として描かれるに値する人物であろう。
越中白鳥城」もとても参考になる。
(拙稿「黒百合…悲劇の花」など参照願いたい。)

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← 最後に広場から我が家の方向を展望してみる。我が家が見える…はずもないが!

 最後に、「富山の夜景 ( 呉羽山 )」などを。
 そう、当然ながら呉羽山の展望広場(複数)は、地の利からして夜景の絶好のスポットでもある。

                                 (09/01/08作)

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