味噌汁だけは…
小生は料理が好きではない。
が、郷里にあって老いた父母と暮らす以上はやるしかない。
でも、苦手なものが得手になるとも思えない。
→ 17日の朝焼け。
それでもなんとかやっている… ? !
小生が一番、料理に挑戦したのは学生時代だった。炒飯だって作ったし、失敗に終わったけれどハンバーグだって作ったっけ。
まあ、借りたアパートの台所が広かったし、時間があったってこともある。
郷里に舞い戻って今月中には11ヶ月になる。
この間、朝・昼・晩の三食はほぼ全て小生が誂えたとは言える。
誂えた…。やや微妙な言い方だが、食卓に料理を並べたのは、多分、記憶する限りほぼ全て小生だったと思う。
並べた、というのもややっこしい、煮え切らない言い方だが、要は、かなりな頻度でスーパーなどで買ってきた惣菜などを食卓に並べたという場合が多いわけである。
パック(トレイ)からは出して、皿などの器に盛り付けて並べる。
ご飯は炊くのは電気釜だし、小生がやるのは、電気釜にセットしたり、後始末をしたり、精米したりなどが精々である。
時折、生麺のヤキソバを買ってきて、刻み野菜や豚肉をたっぷり加えて、ヤキソバを作ることもあるが、料理というほどのものではない。
パックに入った調理済みの具材に適当な野菜などを加えてフライパンで炒めたりして、なんてこともやるが、これも、料理というのはやや憚られる。
ギリギリ調理しているというほどのものか。
← 17日の午前、近所の柿の木にスズメなどの鳥たちが何羽も。餌をみんなで探しているみたい。
帰郷して十ヶ月以上経つというのに、覚えたのはナスやキュウリなどの漬物の作り方。
尤も、味付けは浅漬けの素を使うのだが、まあ、甕(かめ)に一晩とか漬け込んで、塩加減も経験で、ということだから、まあ、小生が作ったと言っても、嘘にはならないだろう。
が冬の間は小さなナスが店頭に並ばないので、作れない。
自分で作ったナスの漬物の味を覚えると、スーパーで売っているナスの漬物は、舌に合わない。
それに、春になれば自宅でナスがドンドン収穫できるのだから、成るナスにせっつかれるようにして作る、そんな日々までは、ナスの漬物は食卓には並ばないだろう。
で、結局、自分が最初から作るものというと、味噌汁しかないわけである。
→ 20日の午前、ゴミ出しの日。網が被っているのもかまわず、カラスやトンビ(タカ?)たちが集(たか)ってくる。カラスとトンビが競い合い、それぞれ飛び去っていった。
ただ、味噌汁の作り方は、郷里に出戻りしてから覚えたわけではない。
サラリーマン時代、港区に住んでいた部屋には小さな台所があったので、ご飯は炊く、オカズも作る(ほとんど肉野菜)、さらには味噌汁も作る、と、かなり本格的にやっていたのだ。
その後、大田区に転居してからは、即席ラーメンくらいしか作らなくなった。
というのも、そこには台所がなかったからである。
電気ヒーターはあったが、調理したものを仮置きする場がまるでなく、ホントの一品物しか作れなかったのである。
せいぜい、ラーメンでも具材をタップリにするくらいが関の山だった。
というわけで、味噌汁はサラリーマン時代の経験を生かす形でやっているわけである。
味噌はほんの一年前までは自家製だったが、もう、父母共に作らなくなった。
では、スーパーなどで買うのかというと、さにあらず。
梅干同様、親戚筋で作ってもらったもの。
自家製ではないが、まあ、準自家製であろうか。
← 近所の白猫。相当な年輩のようだ。あの、東京在住時の小生の守り神だった、真白い老い猫を思い出す…。
鍋に適当な量の水を注いで、そこに高級な昆布とカツオ出汁の素をパラパラと。
昨年の夏場までは、高級な昆布と煮干、さらにかつお削り節か、という豪華さだったが、煮干はやめてしまった。さらに、かつお削り節も止めてしまって、今はカツオ出汁の素に。
なので、出汁は、今は昆布とカツオ出汁の素だけである。無論、貰った味噌は必需品。
但し、具材が豊富なのである。
最低限、入れるのは菜っ葉(ホウレン草か小松菜など)とワカメ(乾燥)と豆腐、ナメコ、ネギ(時に乾燥ネギ)。
そこに、時によりジャガイモか竹の子かアサリか、トン汁用の煮た野菜パックのもの、あるいは豚の細切れ肉を加える。
さらに、白菜や刻み油揚げを最後に加える。
しかも、父は天ぷらカスが好きなので、茶碗に味噌汁を注いだ後に上からパラパラと天ぷらカスを足す。
これで味噌汁の完成である。
よって、味噌汁がほとんどトン汁に近い状態になっているので、ご飯と味噌汁だけでも、栄養面は足りそうな勢いである。
そうはいっても、メインのオカズは用意するのだが。
しかも、漬物は常時、用意してある。
スーパーで買ったタクアンの場合が多いが、時には親戚筋の方が漬けてくれたタクアンや浅漬けをちゃんと小皿に上品に盛って食卓に並べるのである。
味噌汁の塩加減も、味噌の量と水、具材の種類を鑑みて、我ながらいい具合である。
(出した味噌汁への父母の反応が一切なく、作り甲斐がないの寂しいが。)
それでも、何か物足りないときは、梅干もある(親戚筋からもらったもの)し、岩海苔もあれば昆布のフリカケも用意してある。
というわけで、小生が作っていると辛うじて言えるのは味噌汁だけなのである。
しかし、いくら具がリッチでも、味がワンパターンだろうから、日によっては(週に一度か二度)、お汁(つゆ)を出す。
→ 20日の五時前、買物帰りに夕景などを。真冬にしては暖かな一日だった。黄昏ちゃうねー。
お汁(つゆ)が出るのは大概、朝食である。
但し、お汁の素を鍋の水に溶き、そこに豆腐を適当な量、小さなサイコロ状に切って加えるといった簡単なもの。
味噌汁が具的に濃いので、お汁(つゆ)はアッサリを意図しているわけである。
さて、今年は料理の一つも覚えられるかどうか、先行きが楽しみなような怖いような。
参考:
「土を喰う…白菜の苗を植えた」
「ナスの漬物に挑戦 ? !」
「足が重い…」
「夕焼けの翌日は晴れ…じゃなかった!」
「町の灯り」
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