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2009/01/28

奇しくも二つの小説を

 偶然、二つの小説を相次いで読むことになった。
 最近は啓蒙書的な本を読むことが多かったから、小説を、それも歴史ものを二冊続けてというのは、小生としてはちょっと珍しい現象かも。

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→ 珍しく我が家の内庭でヒヨドリの撮影に成功。十メートルほどの至近距離にある庭木の枝に一分ほど止まっていてくれたので、裏庭での五十メートル以上離れての撮影に比べ、幾分、姿がはっきり写っている。

 一冊は、和田竜著の『のぼうの城』(小学館)であり、もう一冊は、フリオ・リャマサーレス/著『狼たちの月』(木村栄一/訳 ヴィレッジブックス)である。

 一冊は、(日本の)時代小説であり、もう一冊はスペインのつい数十年前の内乱に取材した物語。
 むむ。「時代小説 - Wikipedia」の説明によると、「過去の時代背景を借りて物語を展開するのが時代小説であり、歴史小説は歴史上の人物や事件をあつかい、その核心にせまる小説である」ということだから、和田竜著の『のぼうの城』のほうは歴史小説と呼称すべきか(← よく分からない)。

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← フリオ・リャマサーレス/著『狼たちの月』(木村栄一/訳 ヴィレッジブックス)

 著者のフリオ・リャマサーレスは、「セブンアンドワイ - 本 - 狼たちの月」によると、「1955年、スペイン北部、レオン地方の田舎町ベガミアンに生まれる。マドリッド大法学部卒業後、弁護士となるも、ほどなくジャーナリストに転身。早くから詩人として知られ、『のろい雄牛』『雪の思い出』(ホルヘ・ギリェン賞)などを発表、次第に散文作品に移行する。1985年、初の長編小説として『狼たちの月』を発表、大きな注目を集める。ついで1988年には『黄色い雨』を刊行、海外でも高い評価を集め、わが国でも2005年に翻訳されるや多大な反響を呼び起こした。紀行文、エッセイ集などもある」とか。
 本書もやや詩人らしい、独特は風景や心理描写が印象的だったり、時に鼻に付いたり。
 
 小生が本書を図書館で予約してまで読もうと思ったのは、過日の読売新聞日曜版の読書面・書評を読んで、ついその気になったからである。
 同じ書評かどうか分からないが、例えば、「狼たちの月 書評 本よみうり堂 YOMIURI ONLINE(読売新聞)」によると、下記のように上手く褒められている:

「内戦」とは、同じ土地で暮らしていた隣人同士が敵と味方に分かれて殺し合うおぞましく異常な事態である。そこに巻き込まれ、極限状態に追い詰められた「普通の人間」の深い絶望を、作者リャマサーレスは、我々人間を取り巻く月、太陽、雨、霧、雪、風といった自然現象のきわめて詩的な描写によって読者に伝える。感じさせる。故に、この小説は、スペインのみならず、世界中の「内戦」という悲劇の本質に触れる普遍的な物語となっている。評・小野正嗣(作家)

 が、今、思い出したのだが、小生は、「ほら、月が出ているだろう。あれは死者たちの太陽なんだよ」(太字は小生の手になる)の一言に参ってしまったのだった。

「極限状態に追い詰められた「普通の人間」の深い絶望を、作者リャマサーレスは、我々人間を取り巻く月、太陽、雨、霧、雪、風といった自然現象のきわめて詩的な描写によって読者に伝える。感じさせる」というが、確かにそういう面は否定できないとしても、時に現実感を喪失してしまうようでもある。

 が、その悲惨な状況にあるにもかかわらず、時に現実感を喪失してしまう、それこそ、物語りの語り手と同様に読み手までもがそんなエアポケットに嵌まってしまう不思議な感覚を含めて描きたかったのかもしれない。
 こんな状況に自分が陥っていることが自分でも信じられない、というような…。

 ただ、肝心の描写で詩人らしい独特な表現で違和感を覚えたのも事実。原書にはどのような表現なのか分からないので、訳文に対する齟齬の感のようなものかもしれず、本書の最後に至るまで、なかなか世界に入れなかった。
 末尾に至ってようやくスピード感も出てきて、乗れた…のだが、と思ったら本書のエンドなのだった。

 それにしても、本書の解説で訳者の木村栄一がスペイン内戦のこと、さらにはアフリカなど奴隷ビジネスに狂奔した苦い過去など、スペインのみならずヨーロッパの先進国が過去にアフリカ(やアジアなどなど)に対して為した蛮行に纏わるエピソードを書いてくれている。
 天に唾した云々というわけではなかろうが、ヨーロッパの中においても、矛盾・内乱として跳ね返っているのでもあろう。
(スペイン内戦の酸鼻を極めた歴史については他のサイトで。アストゥリアスの反乱とかピカソの「ゲルニカ」とか。)

 翻って、和田竜著の『のぼうの城』(小学館)のこと。

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→ 和田竜著『のぼうの城』(小学館

 和田竜著の『のぼうの城』は、あくまで娯楽の本だ。
 内容情報によると、「時は乱世。天下統一を目指す秀吉の軍勢が唯一、落とせない城があった。武州・忍城。周囲を湖で囲まれ、「浮城」と呼ばれていた。城主・成田長親は、領民から「のぼう様」と呼ばれ、泰然としている男。智も仁も勇もないが、しかし、誰も及ばぬ「人気」があった―」とある。
 秀吉の軍勢とあるが、石田三成がのぼう様・成田長親を引き立たせる敵役になっている。
 秀吉の軍勢がやっているのは小田原攻め(北条氏)である。
 小田原城を囲む要害となる城が幾つもあるが、その大半は攻め落とされたが、その中で唯一のぼう様・成田長親の城だけが持ちこたえ、最後に石田三成との対面の上で城を明け渡したという歴史上の事実を元にしている。

 また、「e-hon 本/のぼうの城/和田竜/著」によると、著者の和田竜氏は、「69年12月、大阪府生まれ。早稲田大学政治経済学部卒。03年に、本作と同内容の「忍ぶの城」で、脚本界の大きな新人賞である「第29回城戸賞」を受賞。小説は、『のぼうの城』がデビュー作となる」とか。

 別に二冊を比べるつもりはない。
 全く、違う系統の本だし、描く意図も手法も発想も初めから違う。

 和田竜著の『のぼうの城』は、戦での悲惨さを描くことが目的ではないし、斬られ死んでいくものの惨めさも、せいぜいゲーム上のバグが消されていくだけのことで、悲しむ必要もない。

 戦において、武将らが実際のところ、どんな心理だったのか、小生にはずっと謎だった。
 これまで山岡荘一の『徳川家康』など、歴史小説・時代小説の類いは少しは読んできたが、武将や百姓や町民らの心理を納得の行くように描かれている作品に出会ったことがない。
 きっとあるんだろうが、見出せていない。

 あくまで、(当然ながら)現代に生きる人の心理を投影するか(大好きな藤沢周平とか平岩弓枝とか司馬遼太郎とか)、そうでなければ、何処まで行っても想像上の絵空事の心理を描いているに過ぎない。
 というか、現実離れした痛快さがあって現実を逃避させてくれるからこそ、娯楽小説なのだろう。

 この小説などは板東武者の勇猛果敢ぶりを描いている…のだろうが、本当に板東武者がかくの如くだったのかどうか、定かではない。
 そんな野暮なことより、痛快であり、昭和三十年代辺りの単純明快な時代劇をも思い出したりする。 

 遠い過去の人の心の動きは、手紙や手記やいろんな遺物で知ることができるのだろうが、でも、心理の実際のところは摑めない。

 もどかしくてならないが仕方のないことなのだろう(か)。

 この小説の良さは、語り口の上手さ、そしてテンポのよさにあるのだろう。
 実際、一気に読めたし。

 こうした小説の眼目は主人公の魅力に尽きる。
 主人公に読み手が惹き付けられるかどうか、その一点に掛かっている。
 その意味で、この「のぼう様・成田長親」は、最初から最後まで(小説を読み終えても!)つかみどころのない、よく言えば懐(ふところ)の広さが魅力であり、あるいは得体の知れなさでもある。

 連想するのは、赤穂の物語りの主人公である大石内蔵助である。
 彼をどう描けるかで、小説(ドラマ)の成功がほぼ百パーセント左右される。
 歴史の資料で分かっていることもあろうが、分からない部分も大いにある。
 だから、作家や脚本家らが腕を揮う余地があるわけである。

 本作で一番、感心したのは、歴史上の資料をさらに掘り起こして随所に生かされていることだ。資料を駆使することで、ともすれば絵空事になりがちな痛快時代劇にリアリティを与えている。
 有名無名の、あるいは未発見の歴史資料がまだまだあるのでは、と期待させてくれる。
 実際、日本の中世像や戦国像なども、最近の研究では様変わりしているとか(小生は不案内で具体的に示すことはできないが)。
 
 まあ、エンターテイメント小説なのだ。手放しで楽しめばいいのだろう。

                                 (09/01/28未明作)

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コメント

やいっちさん、今日は。
私は歴小説が好きですが、「のぼう様・成田長親」のことは一昨年読んだ『水の城』まで、知りませんでした。
当時日の出の勢いの三成を負かす無名の成田長親の痛快さが面白く、戦本なのに悲惨さも感じず、楽しめました。
まだまだ、歴史の中に埋もれている人はたくさん居るのでしょうね。
ブログにも感想を書きました。
http://www.doblog.com/weblog/myblog/34335/2610604#2610604

やいっちさんがお読みになるものは難しくて私にはちょっとですが・・・・たまには痛快時代物もいいでしょう?

投稿: さと | 2009/01/31 17:38

さとさん
コメント、ありがとう!

「のぼうの城」、昨年の春、帰郷して父にこの本を買って来いと言われるまで、全く知りませんでした。
無論、著者のことも。
むしろ、変わった本を父は読むんだなー、なんて。

でも、その後、世評の高いことや人気のある本と段々分かってきた。
それでも、他に読む本があって、なかなか手が出なかったのですが、今頃になって、読んでみたわけです。

歴史小説というのは、特に有名な人物だと書かれ尽くした感があるようですが、そんな中、新たな資料を発掘してうまく取り込んで、面白い話に仕立てているようで、なるほど、人気が出たのも無理はないと思いました。

城の水攻めのシーンなどスペクタクルにもなるし、映画にもうってつけかもしれないですね。

投稿: やいっち | 2009/01/31 21:06

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