« フランケンシュタインショック! | トップページ | 福岡の菅笠、国の重要無形民族文化財へ答申 »

2009/01/19

アンドリュー・ワイエス氏が死去

 今朝(18日)の新聞の片隅に小さく、「米画家、アンドリュー・ワイエス氏が死去 91歳」という記事が載っていた(以下、例によって畏敬の念を篭め、敬称は略させてもらう)。
 なので、急遽、昨夜、この記事を書きおろした。
 いつも以上に取り留めのない日記だが、哀悼の意を篭め、訃報の記事を載せさせてもらう。

20081205_598668

← 「アンドリュー・ワイエス展」(1995/4/15~6/4) 小生が初めて、アンドリュー・ワイエスの画に対面したのはこの展覧会。あまり好きではない渋谷へのこのこ出向いたものだった。複製画など買ったりして(今も所蔵)。(画像は、「弐代目・青い日記帳  「アンドリュー・ワイエス」展」より。)

 また一つ、天の星が消えてしまった。
 世界が寂しくなる時でもある。

 A・ワイエスの訃報に小生は驚いた。
 恥ずかしながら、同氏は既に歴史上の人物と勝手に思い込んでいたのである。

 同じ思い込みでの間違いは、つい先だってもあった。
正月を迎える準備は万端 ? !」(2008/12/31)で、恥を忍んで「小生が一番、驚いたのは、クロード・レヴィ=ストロースが未だ存命だということ。『悲しき熱帯』(中央公論社)を読んだのは30年以上も昔のことで、とっくに歴史上の人物だと思っていた。不明を恥じるばかりである」と書いている。

Christinasworld

→ アンドリュー・ワイエス画「Christina's World」 (1948) 「画家アンドリュー・ワイエスの世界 - FIFTH EDITION」参照。

 昨秋も「Bunkamura」にて「アンドリュー・ワイエス 創造への道程(みち)」展があったようだが、小生が初めてアンドリュー・ワイエスの作品に対面したのも、十数年前、同じ「Bunkamura」でのことだったように記憶する。
 生の作品を間近で眺めることが出来て感激だった。

 …ただ、A・ワイエスの世界に初めて接した(知った)のはいつなのか、ハッキリしない。

 さて、冒頭の記事から一部、転記させてもらう:

(CNN) 日本でも人気の高い、米国を代表する画家アンドリュー・ワイエス氏が16日夜、ペンシルベニア州フィラデルフィア郊外の自宅で亡くなった。(中略)
水彩やテンペラを使って米国の田園風景などを描写しつづけた。代表作に、ニューヨーク近代美術館(MoMA)が所蔵する「クリスティーナの世界」や、「アルヴァロとクリスティーナ」(68年)などがあり、長年にわたって1人の女性を描き続けた「ヘルガ」シリーズなどがある。
(後略)

Image1681

← アンドリュー・ワイエス画「Christina Olson,Triton」 (画像は、「アンドリュー・ワイエス」(ホームページ:「★アートコレクター★ -外国人作家作品-」)より。)

 アンドリュー・ワイエスについては小生如きが紹介するまでもないだろう。
「アンドリュー・ワイエス - Wikipedia」には、「アンドリュー・ワイエス(Andrew Wyeth,1917年7月12日 - 2009年1月16日)は、20世紀のアメリカの画家。アメリカン・リアリズムの代表的画家であり、アメリカの国民的画家といえる」とある。

 経歴から一部、抜粋しておく:

1917年、ペンシルバニア州フィラデルフィア郊外のチャッズ・フォードに生まれる。心身ともに虚弱であったワイエスは、ほとんど学校教育を受けず、家庭教師から読み書きを習った。(中略)

代表作「クリスティーナの世界」に登場するクリスティーナは、ワイエスの別荘の近くに住んでいたオルソン家の女性である。生来病弱で孤独に育ったワイエスは、この、ポリオで足が不自由な女性が、何もかも自分の力でやってのける生命力に感動し、出会いの時からその死まで30年に亘ってこの女性を描き続けた。

近年、日本でも公開されて話題になった「ヘルガ」のシリーズは、自宅の近くの農場で働いていたドイツ系のヘルガという女性を、人知れず、240余点もの作品を15年に亘って描きつづけたものである。


 アンドリュー・ワイエスは小生の好きな画家なので、既にブログでも採り上げたことがある、と思い込んでいたが、勘違いだった。
 あまりに好きな画家なので、とっくに扱っているはず…というのは思い込みに過ぎなかったのだ。

Wyeth

→ N.C.ワイエス画 (画像は、「N.C.ワイエス/連想美術館」所収のクーパー「モヒカン族の最後」より。)

 それでいて、A.ワイエスに深く強く影響を与えた彼の父のN.C.ワイエスは、簡単にだが採り上げたことがある:
壺中水明庵 トーマス・コール(後篇:新アルカディア幻想)

 この文中、『モヒカン族の最後』(J・フェニモア・クーパー作 /N・C・ワイエス画 /足立康訳  福音館書店)なる本の表紙の絵を掲げている。
 N.C.ワイエスは、「アメリカ本国では懐かしの挿絵画家として根強く愛されている」とか。

 他に、小生がA.ワイエスの名に触れている記事というと、「保田義孝個展へ」がある程度。
 しかも、これは、保田義孝の色鉛筆画を見ていて、案内者のアドバイスもあり、そうだ、何処かA.ワイエスの世界を思わせるものがある、A.ワイエスはドライな詩情なら、保田義孝はウエットな(けれど品のいい)詩情世界だと、引き合いに名前を出しているだけ。

Y4


← 保田義孝画「赤いドラム缶のある漁船」(色鉛筆 (平成10年) F10号) (「保田義孝個展へ」参照。)

参考:
Andrew Wyeth」(Andrew Wyeth's website)
N.C.ワイエス/連想美術館
ワイエス、語る  わたしの好きなアンドリュー・ワイエスの言葉から。
アンドリュー・ワイエス
弐代目・青い日記帳  「アンドリュー・ワイエス」展

愛知県美術館ブログ アンドリュー・ワイエス展 本日オープン!
アンドリュー・ワイエス追悼

|

« フランケンシュタインショック! | トップページ | 福岡の菅笠、国の重要無形民族文化財へ答申 »

思い出話」カテゴリの記事

文化・芸術」カテゴリの記事

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

美術エッセイ」カテゴリの記事

訃報」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/52847/43781388

この記事へのトラックバック一覧です: アンドリュー・ワイエス氏が死去:

» 「アンドリュー・ワイエス」展 [弐代目・青い日記帳 ]
Bunkamuraザ・ミュージアムで開催中の 「アンドリュー・ワイエスー創造の道程」展に行って来ました。 日本人に最も受けのいいアメリカ人画家アンドリュー・ワイエス. アメリカ人がこれほどまで寂寥感を覚える作品を描くことにまず驚かされ、そしてワイエスの生れ故郷ペンシルバニア州チャッズ・フォードと別荘のあるメイン州クッシングの風景やそこに暮らす人々を描いた作品に日本人でありながら目にした瞬間からシンクロ率200%を超え画面に没頭できてしまう自分にはっとさせられます。 観に行... [続きを読む]

受信: 2009/01/19 22:59

» 訃報 アンドリュー・ワイエス 91歳 死去 [下衆]
リアリズム絵画の巨匠と言われる米国の画家アンドリュー・ワイエスさんが16日、東部ペンシルベニア州チャズフォードの自宅で死去した。91歳。AP通信が伝えた。死因は不明。関係者によると、就寝中に家族にみとられたという。 ワイエスのシロhttp://blog.goo.ne.jp/tagomago1021/e/a87b9f36dde0c2d01e90d718c7b0b3a4 圧倒的人力「創造への道程」http://blog.goo.ne.jp/tagomago1021/e/f1417d9558573... [続きを読む]

受信: 2009/01/20 10:05

» アンドリュー・ワイエス展 -創造への道程- [インディペンデントで行ってみよう!『私は如何にして転職するのを止めて独立を志向するようになったか』]
 「火打ち石」 テンペラ 1975年 Bunkamura ザ・ミュージアムで開催中の 「アンドリュー・ワイエス展 」を見に行った。 先月「ヴィルヘルム・ハンマースホイ展 」を見にいったとき 同じく静謐な詩情をたたえたワイエスの絵を見たいと... [続きを読む]

受信: 2009/01/22 21:50

« フランケンシュタインショック! | トップページ | 福岡の菅笠、国の重要無形民族文化財へ答申 »