脇目もふらず腋毛のこと(前篇)
[本稿は多分、駄文です ? !]
何年か前、というより時折、思い出したようにぶり返す疑問がある。
それは体毛のこと。
何故に人は体毛(のほとんど)を失ったのか(以前、駄文の形で論じたことがある)。
← 20日の朝、いつもの柿の木にスズメより一回り体の大きな鳥が。
頭髪(髪の毛)や眉毛、睫毛、脛毛、腋毛、産毛(うぶげ)などを残してほとんど体毛は失われている。
一昔前は、(例えば加山雄三とか)胸毛などが持て囃された(?)こともあったが(少なくとも小生は彼がブレイクした頃は憧れていた)、今は、あまり一般的には好まれていないようである。
男性の脛(すね)毛だって濃いのは嫌われていて、若い男性など女性の目を意識してか、せっせと毛抜きに精を出しているとも仄聞する(剃っているところは見たことがない。…見たくない!)。
産毛さえ剃られてしまう。
体表は(一部を除いて)ツルツルピカピカなのが好まれるようである。
当分は安泰と思えるはずの頭髪でさえ、着色され脱色されパーマをかけられ、ドライヤーで炙られ、カールされたり引き伸ばされたり散々である。
まるで自分はこの世に(ヒトの頭に)虐められるために生まれてきたのかと、頭髪が歎く怨嗟の声が聞こえるようでもある(本当に聞こえたら怖いが)。
睫毛だって虐められている。大切にすると言葉巧みに乗せられているようだが、睫毛が立つように際立つようにと、ベッタリわけの分からない物を塗りたくられ、寝る前には洗い落とされる。
→ 20日の夕景。雪もスッカリ溶けて、雪融けの水たまりに夕焼けの赤がほんのり映りはじめ…。
眉毛もその余命は風前の灯であるようだ。
ほんの十数年前までは、女性アイドルたちの眉毛は、健康美というのか、太いヒト、濃いヒトはそのままだったように記憶する。
精々、形を整えるため、輪郭からの食み出しが目立つ毛が若干、刈られるくらいのものだった(ように思える)。
それが、今は、やたらと細いのが好まれている。
少なくとも、もって生まれたままの太い眉(毛)だと(少なくとも女性タレントなどは)それこそ、仲間からもファンからも眉をひそめられてしまう。
とうとう、更地にされて、その時の必要に応じて眉の形を描かれるようにさえなっているようだ。
もう、顔は天然のキャンパス状態である!
まあ、小生が別に息(いき)む必要もないのだが。
眉毛の前に早々と余命が断たれてしまったのが腋毛である。
← 21日の夜、食事や入浴を済ませて部屋に戻ったら、不意に救急車のサイレンの音。そして赤色灯が。と思ったら、小生の部屋の直下に止まった。一瞬、隣のご高齢のご夫人がもしや…と思った。
「腋毛 - Wikipedia」によると、「現代では、西洋社会を中心に、多くの女性が化粧同様定期的に腋毛を剃るのが習慣となっている。それまでは、女性が頭髪、眉毛、睫を除くほぼ全身の体毛を剃っていたローマ帝国時代を除き、長年にわたり腋毛を剃る習慣がなかったものの」、「女性向けファッション誌」の宣伝の御陰で「腋毛の剃毛が一般化していったとされている」とか。
背景には、肩などを露出するドレスを着る機会が増えて、それに応じて腋毛の処理の必要に迫られたという事情があるようだ。
肌を露出する服を纏う機会が増えたからとはいっても、必ずしも腋毛の処理の必要性が生じたという理屈に論理性(必然性)があるとは言えない。
思春期に勝手に(自然に)生えてくる腋毛がチャーミングだし自然だという価値観がしっかり保たれていれば、腋毛だって今頃は安泰だったはずなのである( ? ! )。
やはり、本当の背景には、エステ(美容)業界の陰謀(というと大袈裟かもしれないが)、まあ商売上の都合があったと憶測せざるを得ない。
肌の手入れ、髪の毛の手入れ、化粧品、エステ、ダイエットと、とにかく体を虐めるだけ虐めて、削れるだけ削って、太った体はダメ、痩せていないとダメということで、腋毛など、アッサリ、美容の対象にされちまったということなのではなかろうか。
→ 実際は道路を挟んだマンションの住人の方だったようだ。昨秋、母の容態があまりにひどくなった時期があり、救急車を呼ぶかどうかギリギリの決断を迫られたことがあった。明日は我が身でもある。
…そのうちに、エコ全盛の世の中である。排気量の大きな車が敬遠気味なように、図体の大きい人は大飯喰らいでダメ。
よって、体重どころか身長だって低いほうがエコだということになって、身長を低くするダイエットなんてのも流行り出すのではなかろうか。
杞憂に終わってもらいたいものである。
戦後の日本でも、「ダンスホールで肩が露出する夜会服を着用する上流階級の女性を中心に腋毛の剃毛が普及した」というが、アメリカなど欧米の価値観・美意識に何ら疑うことなく抵抗感を抱くことなく、軍門に下っていった…、いや、むしろ積極的に投降していったわけである。
環境が大事、自然が大事と言いながら、体に関しては、少なくとも体毛の一部であるはずの産毛や腋毛や脛毛や胸毛や睫毛(実際には上述したように頭髪でさえ!)、もって生まれた体毛の環境を弄くられて、清潔で刈り込まれた、それこそ更地のような体表となっていってしまっていても、誰も疑問を抱かない状況になっている。
不思議と言えば不思議な気がする。
出来上がってしまった価値観や美意識というのは、動かざること岩の如しなのだろうか。
(なくもがなの後篇へ続く)
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コメント
こんにちは、初めてお邪魔いたします。あの柿の木に止まっていた鳥は、ヒヨドリではないでしょうか?我が家の庭にもよく白南天の実を食べにやってきていますよ。ところでお母様のお具合はその後いかがでしょうか?うちの母も去年の夏、殺虫剤を撒いていてアレルギーショックを起こして救急車のお世話になりました。私も同乗しましたが、結構揺れて乗り心地悪かったです。
投稿: puritan(腋毛の処理はやはりしましょう) | 2009/01/22 13:32
puritan(腋毛の処理はやはりしましょう)さん
柿の木に止まっている鳥、ヒヨドリなのですか。
http://www.yachoo.org/Book/Show/462/hiyodori/
こんな不鮮明な写真で分かるものなのですね。
そういえば、我が家の庭にはナンテンの木が数本あります。
多分、その木にも鳥たちが止まっていると思われますが、家(の窓)からは死角になっていて、撮影できたためしがない。
ご母堂様に付き添うため救急車に同乗されたことがあるとか。
そういう場合の胸中はいかばかりなのでしょう。
昨秋はそんな可能性が何度かありましたが、幸い、避けられました。
今年も父母が安泰であればと思います(自分も!)。
腋毛に限らず陰毛も頭髪も、清潔にしてます。
それ以上は、どうかな?
投稿: やいっち | 2009/01/22 19:34
>男性の脛(すね)毛だって濃いのは嫌われていて、若い男性など女性の目を意識してか、せっせと毛抜きに精を出しているとも仄聞する(剃っているところは見たことがない。…見たくない!)。
私も見たくない。
写真の鳥は確かにヒヨドリですね。
我が家の庭にも来ますよ。
投稿: 滝野 | 2009/01/22 23:09
ヒヨドリには毎年閉口させられます。冬は餌が少ないから可哀想に思って、大好きなジョウビタキやメジロや雀のためにエサを用意してあげたことがあります。ミカンやリンゴを食べ易いように、木に刺しておくと一番早くやってくるのがこいつなんです。もうギャァギャァうるさくて、小さい他の鳥を追い散らすし、それからは頭に来てもう止しました
投稿: ピッピ | 2009/01/23 00:22
追伸:やはり気を付けているのは眉毛かな?ボサボサしていると変だから。。
投稿: ピッピ | 2009/01/23 00:24
滝野さん
やはりこの不鮮明な画像でヒヨドリと分かるんですね。
昔は山の鳥だったのが、今じゃすっかり都会にも居着くようになったとか。
都会のほうが餌があるってことかな。
でも、競争も厳しいだろうに。
投稿: やいっち | 2009/01/23 00:51
ピッピさんも、画像を見てヒヨドリって分かるんですね。
みんな、凄いなー。
小鳥とか自然への愛情を感じる!
なるほど、お話によると、結構、うるさ型の鳥なんですね。
だから、ヒヨドリが来た時、スズメたちが隅っこで固まっているのかな。
一度、餌、置いて実験してみようかな。
眉毛、食み出したのをカットして形を整えるってのまでは理解できるけど、近年は、細い眉が流行りのようで、昔の太い眉は女性には見受けられなくなりましたね。
女性としては、やはり、恰好悪いのでしょうか。
投稿: やいっち | 2009/01/23 00:56