雪の話を非科学的に
雪の話といっても、科学の方面に渡る話ではない。
それだったら、デカルトやケプラー、中谷宇吉郎、あるいは鈴木牧之(の『北越雪譜』)などのことに言及しないといけないが、既にやったことだし、今は避けておく。
← 戴いた画像。この素晴らしい写真をどなたに戴いたのか、忘れてしまった。誰か、知らないかな。雪…。眺めている分には綺麗なのだが…。
まあ、三十数年ぶりに郷里の富山にて年越しをし、雪の正月とはならなかったが、それでも遅ればせながら薄っすら雪化粧のわが町の光景など見たので、雪が天からヒラヒラと舞い落ちてくるように、思いつくよしなしごとをチラチラと書き綴ってみようというわけである。
といっても、あまりに漠然としているので、話を古代における雪に限っておこう。
要するに小生らしく、古代における雪に付いて非科学的な想像をめぐらしてみようというわけである。
古代の人は雪を一体、どのようなものと思っていたのだろう。
天から降ってくる、その現象はあるいは雪の科学のメカニズムを(変に中途半端に)知っている我々以上に切なる想いを持って眺めていたに違いない。
そもそも天とは?
雪が降りてくるその雲とは?
そもそも、雲から舞い降りてくると思っていたのか。
その前に、雨にしても、雲から降ると思っていた?
それとも雨と違って、雪の源泉は違うと思っていた?
→ 08年1月某日、帰省の列車中から撮影。「一本の木を友にして帰郷せし」参照。
まあ、雲が出ると余程寒くない限り、(それがわれわれの言う雨雲であれば)雨が降るし、一定以上に寒ければ霙や霰や雪が降るという、その関連性は読み取っていただろう。
でも、何ゆえに雨や雪が降る。
天の采配や神か何かの思惑があっての、地に這う我々へのメッセージや窘めだと思っていた?
恐らくは、古代における気象、あるいは自然現象ということで、既に研究はされているのだろうが、小生は生憎と全く知らない。
どういう分野での研究になるのだろう。
古来より、「雪」には異称がいろいろとあったようである。
それらの言葉を、その使われ方を知れば、古代において雪がどのようなものと考えられていたかが分かる…のではないか。
← 08年1月某日、帰省の列車中から撮影。「一本の木を友にして帰郷せし」参照。
「雪 - Wikipedia」によると:
六花(りっか、ろっか)/六辺香/六出 - 六角形の雪の結晶の形から。
天花(てんか)- 雪の形容。「天華」とも書き、「てんげ、てんけ」で、天上界に咲く花を指す仏教用語。
風花(かざはな、かざばな)- 晴天時に風に乗って舞う雪の形容。
青女(せいじょ)- 古代中国における、霜や雪を降らすとされている女神のこと。そこから転じて、雪の形容。
白魔(はくま)- 主に、災害に相当する大雪を悪魔に見立てる時などに用いられる言葉。
「風花」はともかく、「天花」や「青女」「白魔」などの言葉や意味合いは、古代において雪がどのように看做されていたかを察する手掛りになりそう。
いずれにしても、雪(や雨)の降るメカニズムは分からない以上は、天や悪魔や女神の仕業(しわざ)と考えるより仕方がなかったのだろう。
そもそも、雪が水の凍った状態のものという認識はあったのだろうか。
雪が溶けると水になるのは、手の平に雪を置かずとも分かっただろうけど。
そこから逆に水が(雨が)気温の低い時は雪になるという推察は為されたのか(あるいは、その程度は当然の如く賢明なる古代の人は為していたのか)。
→ 高橋松亭「市野倉(いちのくら)」 (画像は、「Shôtei.com Shôtei Gallery 」より。) 小生が東京で17年暮らした土地の旧町名が「市野倉」である。 「高橋松亭…見逃せし美女の背中の愛おしき」参照。
ところで話を先に進める前に、「六花(りっか)」という呼称(名称)が気になる。
雪の結晶の形が六角形だと、古代の人も認識していたのだろうか。
なるほど、降り積もりつつある雪の原の上をそーと観察してみると、容易に雪の結晶の形が見て取れる。
でも、昔の人もそんな観察をしたのか。
さすがにデカルトや中谷のようには精細に観察はできなかったろうが、それでも、古代にあっても人は雪の形が基本的に六角形だと知っていた、と思っていいのか。
調べてみると、「雪」の名称はまだ他にもある。
「六花 -雪の呼び名|この地球を受け継ぐ者へ」によると:
「六辺香」(ろくへんこう)と呼ばれることがある。
香のない花の意味で、「不香(ふきょう)の花」。
また雪が舞い降る様子から、「鵝毛」(がもう)、「玉塵」(ぎょくじん) などもある。
穀物の豊作の兆しとして、「瑞花」(ずいか)とも。
(降る雪の状態(形状)を表現する「淡雪、薄雪、粉雪、細雪、 どか雪、べた雪、ぼたん雪、綿雪」などといった言葉、あるいは「天からの手紙」といった洒落た表現の類いなどはここでは略す。)
← 05年師走某日の雪景色。自宅の勝手口から撮影。「寒波の中の帰郷(続)」参照。
雪の不可思議を、特に古代における雪観を想うと、やはりそもそも雨も不思議だったろうし、雲も得体の知れないものだったのかなと思われて来る。
地にいる人には窺い知れない天の思惑が晴れや雨や雪や、さらには嵐や日照りや洪水を齎す。
地にあって人は天に祈りを捧げるしかない。
地を支配せんとするものは、天の意向を無視できない。
群雲が湧くのは凶事の前兆か。
それでも、季節が繰返される中で冬に雪が降るのは、一つの天然の現象として受け止め、受け入れていたのだろう。
雪の正体など分からずとも、所与のものとして、時に美しい眺めと思い、時に災いを齎す白い悪魔と恨み、生きるため生活の知恵を先人の言い伝えも含め積み重ねてきたのだろう。
ただ、雪の現象としての科学的メカニズムは多少は解明されても、雪というクオリアの不可思議は今も溶けずに舞っている…。
そう思っていいのだろう。
参考:
「思い出は淡き夢かと雪の降る」
「青木の実」
「真冬の明け初めの小さな旅」
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コメント
トラックバック、記事のご紹介、ありがとうございます。
新規ブログに移行中でして、新規ブログのほうからトラックバックさせていただきました。
雪ひとつにもいろいろな呼び名があることは、素敵なことですね。
日常的にも使うようであれば、また良いのですが。
投稿: 真 心 | 2009/01/12 23:40
真 心さん
トラバ返し、コメント、ありがとうございます。
とても参考になりました。
新しいブログに移行中とか。
こちらも改めてトラバさせてもらいたました。
雪の名称・呼称が多種多様なこと、今更ながら感動します。
それだけ、生活に密着していたし、これからもそうなのかなと思わせられます。
表現の多様性を守り続けるって、種の多様性の保存に何処か似ている気がしますね。
投稿: やいっち | 2009/01/13 10:36
新規の方にもTB,ありがとうございます。
雪の呼び名のこと、まったく同感です。
雪という厳しい現象にも、風情風流を取り込んで呼ぶ日本人の感性は大事にしたいものですね。
多岐に渡る記事があるようですので、今後拝見させていただきますね!
投稿: 左衛門佐 | 2009/01/13 11:02
左衛門佐さん
アメブロ仲間でしたね。
今後ともよろしくお願いします。
投稿: やいっち | 2009/01/13 13:42
やいっちさん、今年も宜しく御願いします。
雪の形は確かに六角形ですね。
水の化学式の酸素と水素間の水素結合であんな形になるなんて昔の人はどうして知ったのでしょう。
六花ってきれいな名前ですよね。
北海道のお菓子屋さんで「六花(ろっか)亭」ってとても美味しいのですが
雪の六花を意識した名前なのかと?
子供の頃は雪が降ると嬉しくて、夢中で雪遊びしてました。
それにしても雪の呼び方は色々あるのね。
那須にいると乾雪(積もらないけどはらはらと降る)が多いです。
水雪というのもあったかな?
投稿: さと | 2009/01/15 23:21
さとさん
こちらこそ今年もよろしくお願いします。
雪の形が六角形だってこと、昔の人は知っていたのでしょうか?
だとして、一体、いつ頃から?
あるいはそんなことはちょっと観察すれば分かることで、それこそ古代の昔からの常識だったのか?
以前、拙稿で「初めて雪の結晶が必ず六角形になることを発見し、これを科学的に論じたのは、天文学者で有名なケプラー」だってことは紹介したことがあります:
http://atky.cocolog-nifty.com/bushou/2006/12/post_81a0.html
http://www.hi-ho.ne.jp/yoshik-y/book/snowflake.html
その時代、天体望遠鏡や顕微鏡などが発達して、天文学が、そして化学なども発達したわけです。
(日本ではもっと後の時代になって六角形を認識したのかな。)
そうでないと、雪の形(結晶の形)が六角形だとは判別できなかったのかもしれない。
肉眼で観察できても、そういう形のものもあるかな、とう程度だったのか(この辺り、調べ切れていません)。
雪の結晶って、六角形という我々の<常識>があるから、そうなのだと見るけど、昔の人は必ずしもそうは思っていなかった可能性が大のようです。
北海道のお菓子屋さんの「六花(ろっか)亭」は、「六花」を意識しているのでしょうね。
まだ食べたことがないけど。美味しいんだろうなー。
那須、そんなに積もらなくとも寒そう!
ワンちゃんたちも、冬の間、大変だね。
投稿: やいっち | 2009/01/16 01:26