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2008/03/01

久しぶりの雪の正月に思う

 帰郷して五日目になる。
 朝方には晴れていた空が、午後になると俄かに空模様が一転して掻き曇り雪になる…。あるいは、日中も夜も冷たいながらになんとか雨だったものが、夜半近くになって、あれ、雨音が聞こえなくなっている、さてはと、カーテンを開き窓の外の様子を窺ってみると、案の定、深々と雪が降っている、そんな経験を早くもこの数日の間に何度となく経験した。

2005

← 三年前の雪景色

 冬の富山にあっては珍しくもなんともないこと。
 当然のことだが、雪掻きも三度やった。
 まあ雪掻きというほど大して降り積もっているわけではなかった。スコップを使う必要もなく、スノーダンプを何度か往復させれば十分な程度のもの。
 それでもガキの頃にせっせと雪掻きした経験やスコップを握った感覚は蘇ってくる。

 六年ほど前の小文に、「久しぶりの雪の正月に思う」がある。近年の年始にしてはやや多めの雪が正月早々に降って雪掻きを余儀なくされた時の体験や感懐を綴ったものである。
 ちょっと懐かしいので旧稿を温める意味もあり、再掲する。

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2008/02/29

ちょっとだけ東奔西走:続篇?

 昨日の記事で書いたように、26日の午後、東京から富山へ移動。この場合、東から西への移動になるのだろうか?
 NTTやJRだと、東京は東だし富山は西の縄張りになっている。
 文化や経済、地域間交流ということになると、同じ富山県でも富山市内をも流れる神通川近辺で東西に分かれたりして、結構輻輳していてすっぱりとは色分けできないところがある。
 なかなか微妙なのである(ここではこの辺りの話題には深入りしない「天神様信仰と梅の花」など参照)。

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→ 市街地を流れる川に架かる橋の欄干に寄り、北アルプスの山々を望む。川の水は、降雪で水量も多く濁りがち。

 地理的というか気象などを鑑みると、あくまで対比の上での話だが、やや南から北への移動と感じる人もいるやもしれない。
「トンネルを過ぎるとそこは雪国…」と叙されたりする関越の国境のトンネル。

 小生は特に冬など、トンネルの手前は寒く乾いた風が吹いているものの晴れ渡っていたものが、列車の窓に車内の光景が突然のように車外からの光の洪水に呑み込まれたと思った瞬間、それは陽光の濁流などではなく、一面の銀世界の眩い照り返しだった…、そんな経験を幾度してきたことか。

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2008/02/28

テラ・アマータ

 昨日26日の午前、最終的に部屋を引き払って明け渡し、昼前には、東京駅へ向い、正午12分の列車で富山へ。
 身には、パソコンと貴重品とを会社への自転車通勤の際に背負っていたデイバッグに詰め込んで。
 帰宅した夕方からは早速、家事を始める。

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← J.M.G.ル・クレジオ著『愛する大地 ~ テラ・アマータ』(豊崎 光一訳 新潮社)

 今日27日の午前には転入の手続きを済ませ、午後には25日に発送していた引越し荷物が届いた。ほとんどの荷物は納屋に当面、仮置きし、前の部屋で使ってきた机と椅子、ロッキングチェアーなどはこれから住み暮らすことになる部屋へ運び入れた。
 自分のための箪笥も棚もないので、荷物を納屋から出して整理しようにも、置き場所がない。
 なので下着を含めた衣類でさえ当分、荷解き出来ないのである。

 午後の4時頃には最低限、暮らせる体制にすることが出来たし、それ以上に引越しのための荷造りなどを含めると、十日以上に渡る連日の作業や事務手続きなどの心労の疲れがドッと出たし、取りあえずは段取りに頭を悩ませつつも、引越しを終えたことでホッとしたこともあり、部屋のど真ん中に鎮座しているロッキングチェアーに腰を深く沈めて瞑目…する間もなく睡魔に襲われた。

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2008/02/26

その人の名はマタ・ハリ

 それは衝撃的な出会いだった。
 実際には、そして結局は擦れ違いに終わったのだとしても。
 サンバダンサーのダンスをこの数年見てきた。
 多くは打楽器の演奏とボォーカルとの饗宴だった。
 書くことでの自己表現を細々ながら続けてきた小生だが、自己の身体のみを使ってのパフォーマンスは嫌いではない。

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 今は体が鈍ってしまって自分で試みることがやや億劫になっているだけであって、自分であれこれ出来なくなると、逆に身体表現への憧れが増すようである。
 身体を使ってのパフォーマンスといってもいろいろあるが女性の身体美ということでサンバに始まりベリーに到ったというわけである。
 何かを思う、何かを言いたい、何かを伝えたい、何かを表現したい、自己表現を通じて人に喜んでもらいたい。
 肉体を使っての感覚的快感や満足感を追い求めるなら、それはそれでいいし、ある意味それだけでも充足するあり方に終わっても十分でありうる。

 しかしそれだけでは飽き足らないと思うような人も居る。

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2008/02/24

祈りでもなく

 無難ながら、それなりの歳月を生きて、若い頃とは違う意味で肉体を感じ、自然を感じ、世界を感じる。物質とは、究極の心なのだと今は考えている。別に根拠はない。直感的なものに過ぎない。
 心というものがあって、肉体にも物質にも経済にも制度にも世界の終わりにも関わらず永遠に存在する……。それは魂という呼び方しか出来ない何ものか……。

Unga

 そんな風に思った時期もある。そう思いたかったのだろう。
 この世への、あるいはあの世への憧れ。満たされない魂。叶えられない夢。果たされない願望。理解されない望み。誤解と曲解と無理解の泥沼。無慙にも奪われた命。生まれいずることもないままに闇から闇へ消え行った命。芽吹いたその日から岩の下で呻吟するだけの命。どうしてこの世はこうであって、このようではない風ではありえないのか。理不尽極まるじゃないか。

 だからこそ、心とか、魂とか、情念とか、怨念とか、幽霊とか、とにかくこの世ならぬ存在を希(こいねが)う。永遠の命。永遠の魂。穢れなき心。


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