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2008/10/18

フランケンシュタインと出産の神話(後篇)

[本稿は、「フランケンシュタインと出産の神話(前篇)」の続篇である。]

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← 16日(木)、夕陽をそして夕焼けを追って、自転車を駆って久しぶりに親水公園へ、さらに神通川へ。風のない一日だったので、空中には埃が漂っているようで、必ずしも綺麗な夕景には巡り合えなかったけれど、慌しい日常の中、目にだけは眼福を与えることができたと思う。

フランケンシュタイン』の読みについては、たとえば、「松岡正剛の千夜千冊『フランケンシュタイン』メアリー・シェリー」が参考になる(やはり、いかにも男性による解釈という限界性が垣間見える…といった批判がエレン・モアズならずともフェミニズムないし「ヒロイニズム」の立場からは加えられるやもしれない)。

 誕生したのが怪物で、その姿を見て驚く(主人公の科学者も我々も!)のだが、考えてみると、少なくとも外見が怪物なのは作る過程をつぶさに見ている以上は、最初から分かっていたはずである。
 なのに、完成してみたら、その精神がいびつでおぞましくてショックを受けたというのなら分かるが(出来てみないと心の在りようなど分からないわけだし)、その容貌の魁夷なるを見て今更驚くのも奇妙な話なのである。

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2008/10/17

フランケンシュタインと出産の神話(前篇)

 横山泰子著『江戸歌舞伎の怪談と化け物』(講談社選書メチエ)を歌舞伎の世界の奥深さを感じつつ読んでいたら、おやっという章に行き当たった:
第六章 フランケンシュタインとお岩、そしてその子どもたち

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→ 『フランケンシュタイン』(1931年出版)の内表紙 (画像は、「フランケンシュタイン - Wikipedia」より。)

 何ゆえ、江戸歌舞伎の話に「フランケンシュタイン」が?
 怪談物の代表作の一つ鶴屋南北作の『東海道四谷怪談』と併せ論じられているようなので、もしかして両者に何らかの相関関係でも? と読み進めていくと、同時代性はともかく、小生の全く予想しない話の展開だった。
「お岩の出産が『東海道四谷怪談』の重要なテーマになっていること、お岩がお母さんとして化けて出ることの意味を、ここで考え直してみたい。その際、考えるヒントとしてメアリー・シェリーの『フランケンシュタイン』を引き合いに出そうと思う」という。

 小生としては、「お岩の出産が『東海道四谷怪談』の重要なテーマになっていること」自体が、ヘエーというレベルなので、ひたすら読み進めていくばかりである。

 まして、メアリー・シェリー(Mary Wollstonecraft Godwin Shelley  1797 - 1851年)の書いた『フランケンシュタイン』が考えるヒントにどうしてなるのか、皆目見当が付かない。
 ただ、今から紹介するフェニミズムの立場からの解釈は、どうやら知っている人には常識に属する話のようである。

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2008/10/16

「宝泉寺蔵地獄極楽図から我が地獄の夢へ」アップ

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宝泉寺蔵地獄極楽図から我が地獄の夢へ」をアップしました。

 斎藤茂吉第一歌集『赤光』の中の短歌と「地獄極楽図」との関係や、小生の子供の頃の地獄の夢など。

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2008/10/15

夕焼け空を追いつつ…読書・音楽拾遺(後篇)

 14日の夕方、五時過ぎだったろうか、そろそろ食事の用意をしなくちゃと思いつつ、部屋で本を読んでいたら、目の片隅に真っ赤な光が。
 見遣ると、夕焼けの赤が障子越しにも鮮やか。

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→ 「猫じゃらし」という別称のある「エノコロ草」越しに夕焼け空を撮る。

 ああ、これは見逃しちゃ勿体無いと、デジカメをポケットに突っこみ慌てて自転車を駆って近くの公園へ。

 悲しいかな日の入りには間に合わなかったが、それでも夕焼け空を愛でることができた。
 十数枚も撮った頃だったろうか、海(北)の方角から旅客機が。

 富山では旅客機が海辺から神通川を遡上するようにして富山飛行場へ向う。
 サケの遡上ならぬ飛行機の遡上なんて、絶景!

 多分、パイロットや特に乗客は河原や川へ不時着するような感覚を味わいつつ、珍しい光景を楽しんでいるのではなかろうか。
 小生も、もう十年ほど昔となろうか、母の緊急入院の報を聞いて、一度だけ、飛行機(ANA国内線)で帰郷したことがある。

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← 「富山空港」は、「日本で唯一河川敷に作られた空港」である。「ボーディングブリッジが日本一長いといわれてい」るらしく(「富山空港 - Wikipedia」でも確認)、パイロットには高度な技術を求められるとか。立地条件が厳しいが、利便性は高い。「YouTube - 富山空港到着便」にて着陸の様子などを見ることができる。
 
 公園の脇の道から変なおっさんが撮影している、そんな光景を傍から見たら、不審者に見えてしまうかなと思いつつ、でも、心に食い入る光景は見逃したくはないし、その一端をでも記録に残したい。

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2008/10/14

サルビアの花にうもれて…読書・音楽拾遺(前篇)

 13日(月)、図書館へ。
 先週は午前中は雨だし、午後も雨が降りそうだったが、今回は晴れ。自転車を駆る足も気分も軽快である。
 昨夜は夜半過ぎまでアルバイトで、帰宅してからも仮眠程度しか寝ていないのがウソのよう(尤も、夕方近くになってグターとしてしまったが)。

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→ 「サルビアの花」(相沢靖子 作詞/早川義夫 作曲) (「「サルビアの花」―もとまろ」など参照。)(唐突にこの曲を話題にした事情は下記する。)

 そういえば、先週、図書館の帰り、自転車の不具合に気がついたのだった。
 小生の自転車(というより、父が長年愛用してきた自転車を使わせてもらっている)は、昔ながらの漕ぎながら車輪のタイヤ(ゴム)を擦ることで発電し点灯する自家発電システムである。
 日中は当然、点灯しない(つまり、摩擦させないよう、タイヤに接触しないようになっているはずだが、タイヤに接触する部分が、最初は道路の段差で、仕舞いにはちょっとした軽い振動だけで、接触するようになってしまったのである。

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2008/10/13

「砂時計の情感」(『砂時計の書』より) 

 以前、「ユンガー「砂時計の書」をめぐって」という記事を書いたことがある。
 エルンスト・ユンガー著の『砂時計の書』(講談社学術文庫)をネタ元にしての雑文である。

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→ 『書斎のヒエロニムス』(1514  Engraving, 259 x 201 mm   Staatliche Kunsthalle, Karlsruhe)(画像は、「デューラー (北方ルネサンス)」より。)

 砂時計を巡っての瞑想は尽きないのだが、そもそも「砂時計の書」の周辺をモノローグ風に書こうと思ったのは、本書の特に冒頭の一文に魅せられたからだった。

 図書館の書棚から抜き出した本書の、何処かしら「バシュラール…物質的想像力の魔」を連想させなくもない冒頭の一文を読んで、改めて読んでみようと思ったのでもある。
[ちなみに、本稿の筆写をしたのは、10月5日なのだが、6日、図書館に寄ってみたら、9月(先月!)に刊行されたばかりのガストン・バシュラール著『水と夢 物質的想像力試論』(及川馥訳 叢書 ウニベルシタス 法政大学出版局)が新刊コーナーに鎮座していて、小生、慌てて手にしたのだった。確か、学生時代の終わりかフリーター時代に一読したことがあるはずだが、「約40年ぶりの新訳でよみがえ」ったのである。 (10/07 記)]

 本稿では、本書冒頭のその一部だけだが筆写(メモ)してみるので、(夜鍋して転記を試みたことだし)関心のある方には読んでもらいたいと思う。

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2008/10/12

ル・クレジオ…物質的恍惚!

 日本では物理学賞や化学賞の受賞の陰に掻き消されてなのか、どれほどの話題になったのか分からないが、下記のニュースに個人的にある種のショックを覚えていた。

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→ ル・クレジオ著『アフリカのひと 父の肖像』(訳:菅野 昭正 集英社

ノーベル賞:文学はル・クレジオ氏 仏の作家、人間性の裏側探究」(「毎日jp - 毎日新聞のニュース・情報サイト」より。←トップ頁を覗いたら、「米国務省は11日午前、北朝鮮のテロ支援国家指定解除を発表した」というニュースが! やっぱりね。日本や拉致問題(家族)は置き去りか。):

【ロンドン町田幸彦】スウェーデン・アカデミーは9日、08年のノーベル文学賞をフランスの作家、ル・クレジオ氏(68)=本名・ジャン・マリ・ギュスターブ・ル・クレジオ=に授与すると発表した。同アカデミーは授賞理由として「新しい出発と詩的冒険、官能的悦楽の書き手であり、支配文明を超えた人間性とその裏側を探究した」と述べた。(以下、略)

菅野昭正・東大名誉教授(フランス文学)の話」だと、「ノーベル賞では10年以上前から名前があがっていた。人間の魂を損なう現代文明への批判から出発し、原始文明の豊かさを描くようになった。最近は先祖が生きた旧植民地の歴史に関心を広げている。文明批判的な姿勢は文化人類学や、最近のポストコロニアル理論の研究者などからも共感を呼んでいる」とか。

 ル・クレジオについては、読み親しんでいる人には今更だろうが、「ジャン=マリ・ギュスターヴ・ル・クレジオ - Wikipedia」によると、「ジャン=マリ・ギュスターヴ・ル・クレジオ(Jean-Marie Gustave Le Clézio、1940年4月13日 - )はフランス出身の小説家。1963年『調書』でデビュー」で、「フランスのニースにイギリス籍の父とフランス籍の母との間に生まれる。18世紀にブルターニュからインド洋モーリシャス島に移った移民の家系であり、父母はいとこ同士。父は医師であり、ジャン=マリが8歳の時、イギリス軍に外科医として従軍した父に従い家族でナイジェリアに移住。ナイジェリアでは英語、フランス語の環境で育ち、この間に集中的に読書をし文学に目覚めた。作家デビュー前は英語で書くかフランス語で書くか迷ったすえ後者を選んだと言う」という方。

 この言葉の上でのルーツの複雑さは大概の日本人には想像も付かないものがあろう。

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