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2008/01/16

銀嶺日記

[本稿は1月15日の夜半過ぎに書いた呟き風な日記。「銀嶺」という言葉は雪国だと何処でも使われがちで、富山においてもしかり。立山など冠雪した北アルプスの山々の稜線が麓どころか富山市街地からでも見事に遠望できるので、富山の人間にとっても銀嶺という言葉が慕わしいのである。なので、富山には銀嶺という名の宿や、その名も「銀嶺立山」という立山酒造さんの吟醸酒もある。]

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← 市街地から遠望する立山連峰。15日の午後、携帯電話のカメラで撮影。本文参照。

月曜日の夕方に家に着いた。
夜、早速、食事の用意。
幸い、姉が食材を用意してきてくれたし(おでん!)、御飯もあったので、温めたり、食卓にあれこれ並べたり、あとは片付けやら洗濯モノの取り込みとか。

郷里で小生が過ごす部屋は冷え切っている。電気ストーブで暖めるけれど、寒い。
掃除はまるでやっていないので、とうとう夜中に掃除機を掛けた。

帰省している間小生が居住する部屋の机の上に、母の傘寿を祝う表彰状と副賞の立派な置物風時計が置いてあった。
剥き出しの表彰状……。表彰状を入れる額を買って来いってことかな。

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2008/01/15

一本の木を友にして帰郷せし

 関越トンネルの両側では天気がまるで違うことをまた体験した。
 91年の関越道あわや遭難事件に比べれば大したことはないが。
 なにしろ91年の時はオートバイである。天候の違いをモロに身体で受ける。

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→ 関越トンネルまでの風景は概ねこんなもの。

 その点、一昨年の秋からは帰省は冬はもとより春や夏だって秋だって列車などの公共機関を利用する。
 万が一、雪のために立ち往生したって、列車の中だ。雪に降り込められることはない。
 せいぜい、05年末のこと、寒波の中の帰郷の折に、パンタグラフか何かの不具合で列車が走行不能になり、バスでの振り替え輸送になるくらいのものだ。

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← 関越トンネルを抜けると雪国。越後湯沢駅にて。

 それでも、晴れていた東京を立ち、高崎もその先も(外に出たら寒いかもしれないけれど)穏やかな日よりのように見えたものが、関越トンネルを抜け出た途端、もう、まさに雪国だった。91年ほどの降雪量ではないが、一面の銀世界になっている。
 関越トンネルを抜け出た時点では、終点の越後湯沢駅近辺も含め、あるいは霙(みぞれ)混じりの雪がチラホラ降っている程度。夜になったらあるいは本格的に降り出すのかもしれないが。

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2008/01/13

コタツムリ今昔

 電気炬燵と富山の人間との意外な関わりをテレビで知り、富山県人としてその周辺を探るべく、「電気炬燵と歩めなかった半世紀?」なる雑文を綴った。
 するとそのさなか、久しぶりに「コタツムリ」という言葉に遭遇した。

9784289013579

→ 松澤絵理著『コタツムリ』(新風舎

コタツムリ」という言葉は、今やもう死語と化しているのだろうか。
 先に進む前に、ある年代より若い人には耳馴染みではない可能性があるので、まずは「コタツムリ」の意味を説明しておくべきか。

炬燵 - Wikipedia」によると、「炬燵」の「表現、呼称」なる項に以下のように説明されている:

現在の「こたつ」の漢字表記はもっぱら「炬燵」であるが室町時代には「火闥」、江戸時代には「火燵」と表記された。なお、燵は国字である。また略称として「こた」があるがあまり用いられない。しかし、丁寧語の「お」をつけた「おこた」という言い方は多く女性に用いられている。

また、炬燵と一体化して生活することを「かたつむり」をもじって俗に「こたつむり」と呼ぶことがある。

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