町の灯り
郷里での夜は始まりも早いし長い。
今が冬で暮れるのも早ければ、明けるのも未だ遅いから、ということだけではない。
父母が寝室から茶の間に出てきて、その部屋で過ごす時間が短いのである。
→ 町の灯り。
母は来客がない限り、朝食時、昼食時、夕食時のそれぞれにそれぞれ一時間余り、茶の間(居間)で過ごす。
まずは小生が用意した熱いお茶で一服、テレビを見るともなしに観つつ食事。その後、お茶を啜ってその日の体調次第で短く、あるいは長く、茶の間で過ごし、その内、椅子に座っているのが「疲れた」と言って寝室に引っ込む。
その部屋には特製のベッドなどがあり、あとは横になって過ごすのである。テレビはないと味気ないというので、ほぼ点けっ放し。
見ているというより、音がないと寂しいということのようだ。
父は、茶の間での用事があるときはやや長く過ごすが、やはり来客がない限り、寝室に引っ込む。
フローリングの床に布団を敷き、寝そべって本を読んだり、タバコを燻らせたりして過ごす。
母の傍に居て、見守ってやる必要があるからでもある。
小生にしても父母がいない茶の間では長くは過ごさない。
庭仕事などやアルバイト、買物などの外出の所用など、あるいは火の元のチェックなどの雑用がない限り、自分の部屋に引っ込んで、音楽を聴いたり、ネットしたり、読書したり、あるいは夜の仕事に備えて仮眠を取ったりする。
なので、茶の間は父母も含め誰も居ない時間が長い。
日によっては、茶の間(食事の間)に誰かしら人がいる時間が一日、合計しても4時間ほどだったりする。
茶の間は出窓で外と接している。
余程の快晴でないと、外の光は部屋の中へはあまり漏れこまない。
窓は北向きで、一日を通して直射日光が差し込むことは全くない。
要するに、終日、薄暗いのである。
よって誰か居る時は、蛍光灯を灯す。
そうでないと、薄暗くて、目のいい人でも新聞は読めないほどなのである。
それでも、人気がなくとも、日中は外の光に多少は恵まれる。
問題は夜である。
今は主に父母にとっての食事の間となっている茶の間なので、母が食事を終え、食後の一服も済ませて、疲れた~とばかりに部屋に引っ込むのが夜というか、まだ夕方と呼べそうな七時過ぎである。
父もテレビを見てやや長く茶の間で過ごすこともあるが、日中、何かの用事があって体を使ったりすると、疲れてしまい、母の面倒を見る必要もあって、母が引っ込むとほとんど相前後して寝室へ篭ってしまう。
となると、部屋には小生が一人、取り残される。
あるいは、場合によっては夜のアルバイトで小生のほうが早く茶の間を離れるし、アルバイトがなくても、昼間、外出の用事や、畑や庭仕事などの雑事で疲れてしまった時は、父母より小生のほうが、茶の間から自分の部屋へ移動してしまうこともあったりする。
後を追うように、ではないが、父母も寝室へ。
← 町の灯り…といっても、冒頭の画像は、かなり拡大したもの。茶の間の出窓からの眺望は実際はこうなのである。
夜の八時前、それどころか時に、七時過ぎには茶の間は誰も居なくなってしまうわけである。
父母の寝所や小生の部屋はそれぞれ離れた位置にあり、玄関からは灯りは(灯っていても)見えない。
家の門から我が家を窺うと、玄関に弱気な感じの灯りが申し訳程度に灯っているだけである。
その玄関の灯りも、夜の九時前後には消してしまう。
あとは、寝所と小生の部屋の灯りがそれぞれポツンとあるだけ。
夜のアルバイトがないと、小生は、夜の九時か十時に茶の間へ、そして茶の間と隣り合っている台所へ行く。
まあ、火の元の確認とか、茶の間のテーブルの上の湯呑み茶碗などを片付けたり、ゴミを始末したり、時に翌日のためにご飯を電気釜にセットしたり、味噌汁を作ったりもする。
(火の元などの最終チェックは夜半過ぎにする。)
朝、早めに起きて味噌汁を作るのは面倒なので、夜のうちに作っておくわけである。
冷蔵庫を覗いて、朝食のためのオカズが何かあるか、チェックしておく。
そんな雑事が夜にはある。
時にはお八つが食べたくて、夜の九時過ぎ十時過ぎに茶の間へのこのこ出て行くこともある。
すると、当然ながら、茶の間は真っ暗である。
茶の間の出窓からは昼間なら我が家の裏庭や、隣近所の畑や庭や田圃が見えるはずである。尤も、出窓の外の視界は、裏庭と隣家の畑との際(きわ)にある納屋で大半が遮られている。
…ということは、外は真っ暗だということである。
近隣の家の明かりは、さすがに夜半近くまでは灯っているのだろうが、厚いカーテンで外には余り光は漏れない、あるいは、茶の間の出窓からは隣家の明かりの灯る部屋は角度的に見えない。
納屋の向こう側には畑や田圃があり、造成中の公園があったりするが、その向こう側には隣の町の家々が通り沿いに並んでいるのだが、そんなに深更に及んでいるわけではないのに、田舎のこととて夜が早いからか、我が家のようにお年寄りの方だけの住まう家が多いからか、あまり明かりの灯っている家は見受けられない。
そんな中、僅かに煌々と…無神経なくらいに光を垂れ流している構造物がある。
何処かの宝飾店の大きな看板であり、もう一つはマンションの駐車場の隅っこ、道路沿いに鎮座している自動販売機である。
遠くには電信柱があるし、あるいは街灯もあるようなのだが、街灯が灯っているのかどうか、分からないほどのもの(冒頭の画像で左側のボンヤリした灯りが街灯である!)。
そんなこんなで、茶の間の出窓からの光景は、茶の間の中は勿論、真っ暗なら、カーテンを開けて伺ってみる外も、宝飾店のアクリルプレートを蛍光灯で内側から照らし出す立派な看板の灯りと、自動販売機の蛍光灯の灯りを覗いては、真っ暗。
その看板の賑やかな灯りも、土日は消されている。
となると、自動販売機の仰々しい、そして白々しい蛍光灯の灯りしか、夜の海に浮かんではいないことになる。
→ 茶の間にしても、真っ暗闇と言いつつ、ポットやテレビなどの表示灯(パイロットランプ?)などが闇の海を泳ぐ深海魚の眼のように光っている。
晴れた夜の空なら、お月さん次第だが、多少は真っ暗闇ではなく、藍色の世界が広がっていることもありえるが、冬の北陸富山は、夜は大概曇っている。
月や星が拝めるような夜は、少ないのである。
そんな曇天の日の夜となると、父母の居ない茶の間に足を踏み入れた瞬間から、真っ暗闇の海の黒い水が茶の間にまで浸透しているように思えたりする。
そうそう、小生の居住する部屋から茶の間へ向かうには、まずは隣の仏間へ、その隣の(昔は父母の寝所だった、今は物置や洗濯物を干す空間になっている)部屋へ、そしてその隣の茶の間へ、という間取りになっている。
小生の居住する部屋は(小生が居る限りはさすがに)灯りが灯っていて、隣の仏間も、夜は豆電球を終夜ともしてあるのだが、仏間と茶の間の間にある部屋は、灯りはほとんど終日、灯りは灯さない(灯す意味があまりない)。
なので、茶の間の手前の部屋に一歩、足を踏み入れた瞬間から、茶の間のはずの部屋の闇が小生に圧し掛かってくるように感じられる。
冬の夜は団欒の時の温みも呆気なく冷ましてしまう。
吐く息が白くなるほど寒くなっている。
そんな冷たい闇が小生を威圧するかのように、呑み込むかのように立ちはだかっているのである。
それでも、一日の最後の雑事を果たすためには闇の世界へ乗り出して行かないとならない。
すぐにも茶の間の灯りを灯せば、何も問題はないはずだが、シーンと静まり返った茶の間の、奇妙な負の存在感が、手を灯りのスイッチに向かわせないのである。
いっそのこと、茶の間の出窓の外の闇を覗き込んでやれ、なんて思ってしまうのである。
あるいは、闇の海の中に何か希望の光のようなものがチラッとでも明滅しないかと期待しているのだろうか。
でも、見えてくるのは白々しいばかりの自動販売機の水銀灯の灯りだけ。
街灯からさえも見放された田舎の一角では、自動販売機の白けた灯りであってさえも、人の手の(温もりとは程遠いはずなのだが)名残りの印しなのである!
(08/12/29未明作)
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