叡智 それとも 命の疼き
[ある事情があって、6年前の春先に書いた旧稿を読み返す機会に恵まれた。こんなセンチな随想も書いたことがある…。なお、掲げた画像は、今月24日のもの。主に富山市婦中町方面の風景。内容的に、本文とは直接の関係はない。(08/12/28 am記)]
「叡智 それとも 命の疼き」
もう、春の足音が、そこまでやってきているのが分かる。
今年は、1月の上旬には梅の開花が見られた。先日はウグイスの初鳴きが聞かれたとか。花粉もうんざりするほど、飛散し始めている。時折、コンクリートジャングルの端っこから、土の匂いだろうか、何処か懐かしい、心を落ち着ける匂いが漂い始めてもいる。
その匂いの中には雑草なのか、それとも名のある草なのか、それとも草ではなく木々の葉っぱからなのか分からないが、ムンとするような、植物特有の匂いも混じっている。
けれど、もしかしたら、芳しく嗅いでいる中には、何処かの団地のベランダに干された布団や洗濯物から漂い出す、生活臭だって仲間入りしているのかもしれない。
そう、日光を浴びてダニや何かが乾燥して悲鳴を上げているのに違いないのだ。ダニどもの体から蒸発した命の気が、当てどなく彷徨っても、いる。
啓蟄という言葉がある。冬ごもりしていた虫たちが穴蔵から這い出る季節。
無数の虫たちが、息を吹き返している。
きっと体の中の虫だって。疼くような命の叫び、それとも悲鳴、あるいは命の賛歌。
冬だからということで、篭りっきりでいても、それはそれでよかったものたちも、多くの連中が表を闊歩する姿に影響されないわけにはいかない。胸騒ぎだってする。今年こそ、自分だって、表通りを堂々と歩けるに違いない。きっと、そうに違いない…。
が、体には虫が這い回り、そいつらは勝手のし放題だけれど、その虫どもを抱える本体は、ままならないままなのだ。冬が去り春が来たなら、なんていう夢物語は、やっぱり夢の中の苦い皮肉でしかなかったと、痛切に感じられる季節でもあるのだ。
あれっ、でも、あそこの家に住む誰かさんって、体が調子悪いわけじゃなかったよね?
確かにそうだ。丸っきりの健康体かどうかは分からないけど、でも、出歩くことに支障はないはずだ。
なのに、何故、あの人は、憂鬱な顔をしてるんだろう。塞ぎこんだ表情は、冬の日々より暗いじゃないか。
そうなんだ。俺だけが知っているわけじゃないけど、あの人は、心の奥底深くに塞ぎの虫を飼っているんだ。好きで飼っているわけじゃ、勿論、ない。
あの日から、そうなのさ。
何があったのかって。そんな野暮は言いっこなしさ。
誰もが表に目をやる季節、あの人は、尚更、胸の中を覗き込む。まるで何処かを目指して、きっと明るいだろう出口を目指して歩く皆とは、逆を行くようだ。背を向けているようにさえ、見える。
でも、そんなことは、この際、どうでもいいじゃない。みんな、明るさと楽しさとに踊っているんだ。なんで、わざわざ、そんな陰気な奴に付き合う必要があろうか、そうだろう?
心を固く閉ざす殻は、春の訪れでさえも、和らげることはできない。
心の塞ぎは、むしろ、頑なになる。それが人間って奴の悲しいところだ。
心がいびつに捻じ曲がっている。まるで岩塊に押しひしゃげられた雑草だ。緑色の透明な液体が、流れ出している。もしかした、春の息吹の中の、何処か鬱屈した気配というのは、このせいだったのだろうか。
思いっきり背伸びする。背伸びしてみたいと思う。
ところが、心が邪魔をする。心が膠みたいに体に粘りついて、伸びようとすればするほど、逆方向に引っ張られてしまう。
それとも、体が心を邪魔しているのだろうか。心が何物にも妨げられることなしに、太陽に向かって伸ばすその手を、故障を抱えた体が押し留めているのだろうか。
心と体が分けられるはずもないのに、互いに相手のせいにしている。
春の目覚め。春の予感。春の足音。春の祭り。葉裏を伝う露の雫を透かして見える命の息吹。体が疼く。恋の予感を叫んでいる。予感というより、むしろ、渇望している。
心が、体が、飢えているんだ。
心と体の全てが、己に絡む命の重さを欲している。全てを忘れて、命の体の全体を確かめようと望んでいる。橙色の焔の中で、肉となった心が吼えている。心となった肉が喚いている。心というエネルギーの塊こそが、肉であり、肉の情熱の発散こそが、心なのだ。
心とは伸び広がった肉体なのだ。肉体とは、心の塊そのものなのだ。 ああ、だとしたら、歪な心を持つ、あの人は、心を解き放つことも出来ないままに朽ち果てるしかないのだろうか。
捩れた体を持つ、あの人は、体を深い闇の底で腐らせていくしかないのだろうか。 きっと、それが、本当のことなのだ。
心と体が別だなんて、嘘っぱちなのだ。
命は、この世の至るところでその発露を求めている。岩の下で圧迫されていたって、岩を噛み砕いてでも、日の下に出ようとする。ちょうど、そのように、重い布団に呻吟するあの人は、窓の外の色付いた葉っぱを恋しているに違いない。他に道はない。たとえ、日に向かって手を差し伸べることが、刃の林立する地獄に素の腕を差し出すことに他ならないとしても、でも、他に道はないのだ。
命を削ってでも、幾重にも折り畳まれてしまって、もう、原形など留めていない心の根を伸ばそうとする。心の枝を張ろうとする。心の葉っぱを日に晒す。
岩の中に亀裂を生み、体を削りつつ、上へ上へと伸びようとする。腕の表皮が剥がれ落ちていく。そんなことなど、構ってはおれないのだ。きっと、剥がれた肉片だって、命の塊には違いないのだし。岩に垂れ、染み付いた血の雫だって、命の流れの果ての姿には違いないのだ。
心は、あらゆる方便を選ぶ。見かけがどうだろうと、構うことなどない。顔を歪めてでも、日の光を浴びたいのだ。世間という岩塊を炸裂させてでも、命の交合を夢みるのだ。
叡智。それは、きっと、懸命に生きるということ、ただ、それだけを意味しているのに違いない。今、あなたが疼いていれば、それこそが叡智の輝きを生きている証拠となるのだ。
(02/03/04作)
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