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2008/12/18

他愛もない楽しみを見出す(前篇)

 なんだかやたらと気忙しい日々を送っている。
 気持ちが慌しいだけで、実際は忙中閑ありなのかなと感じる暇もあるのだが、やはり、脳裏にはあれをやって、次はこれをやって、ああ、そうだ、あれも忘れちゃいけない、などなど穏やかな気分で居られる時間はない。

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← 日中、父の用事で市街地へ。その途中、富山城脇を通った。信号待ちの際の、車の窓越しの撮影で、画像が鮮明じゃないのが、富山城に申し訳ない!

 夜は、毎日ではないが、アルバイトで、夕方から丑三つ時過ぎまで仕事で、帰宅は早いときは(夜中の)二時ごろだが、遅いと三時を回っている。

 帰宅してもすぐに眠れるわけもなく、何時間か仮眠に近い睡眠を取ったら(小生は睡眠障害が持病としてある)朝…。朝食の準備そのほかの家事が待っている。

 このところ、昼間の外出の機会も増えている。

 父の雪道での転倒による怪我で病院などへの送迎。
 転倒の際、眼鏡を壊したので、新しく買うということで、街中の(富山では)有名な眼鏡屋さんへ。
 小生は、数年来、百円ショップで購入したまさに百円の眼鏡を愛用。
 が、父は、眼鏡店の仕事熱心な店員さんの話に気分を良くし、数万円の眼鏡を新調した。

 送迎の車の中で、ボクは百円ショップで買った眼鏡で、傘だってビニール傘だし(しかも、貰ったビニール傘!)、云々と愚痴ってみたけど、全く反応なし。
 
 いいのかなー。何とも思わないのかなー。

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→ 帰路、街頭でのインタビューシーンに遭遇。富山では有名なアナウンサーの方が(多分、録音装置も備わった)ビデオを回しながら、通りすがりの方に声を掛けては、インタビューされている。一人で頑張っている! テレビのニュースなどで流されることもあったのだろうか。

 息子としては父に貧相な恰好をしてほしくないし、できる限りのことはしてやりたいと思う。
 父が自分のカネで何を買おうと構わない。

 でも、父として、息子にはこのままじゃいけない、このままじゃ、碌な仕事にも就けないし、将来の見通しがまるで立たない、なんて思わないのだろうか。

 父の考え方が分からない。

 そうはいっても、父なりの仕方で考えてくれているとは思う。
 母も含め、地元に溶け込むことを望んでいる(ようでもある)。

 ただ、小生が鈍くて、せっかくの機会を逃してきているのだろう。
 東京での長すぎた一人暮らしで、怠惰に馴れきってしまったのかもしれない。
 
 それでも、日々の中で少しずつ楽しみ(めいたもの)を見つけ出してきている。
 それこそ、他愛もない些事の数々。
 
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← 家の庭先に鳥を見かけた。帰郷して驚いたことの一つに、日々、いろんな鳥がやってくることがある。いつだったか、庭先の梅などの木に純白の地に鮮やかな青色の体毛が美しいインコの群れを見かけたときはビックリしたけど、そんなに珍しい光景ではないと、あとで分かった。

 読書と音楽。図書館が頼りで、自分で買って読んだり聴いたりはできないけれど、まあ、読めるし、聴けるだけでも嬉しい。
 これに絵画や映画が加われば嬉しいのだが、映画は無理として、絵画(美術)のほうは、ネットで可能な限りの渉猟をして楽しんでいる。

 実際に見るほうは、富山の町や風物や通行人(主に女性だが)や自然を眺めることで(自宅の庭も鑑賞の対象だ!)、絵画鑑賞の代替をする。
 市街地を自転車や車で、あるいは歩いて動き回ると、天気次第だが、立山連峰などの眺めを、光景の変化を楽しむことが出来る。
 実際に、険しい山に登る機会は、めったにないけど、少しずつ町の風景が変わる中で、そうした街並み越しに山々の見え方が変化するのを見守るのも、また、楽しからずや、である。

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コメント

親と同居していると、色々と考えさせられることがありますね。
私の父は脳梗塞の後遺症で左半身麻痺なのですが、片手でできないことは介護しなければなりません。
そうはいっても私は父の左手にはなれない。
そこで父としては、もどかしい思いをするのでしょう。
うまくいかないと、父は小言を言います。
それで私もできるだけ、父とは距離を取って関わりたくない、という気持ちになってしまいます。
親の心子知らず、であると同時に、子の心親知らずですね。

投稿: 滝野 | 2008/12/19 00:41

滝野さん

三十数年ぶりに親と同居して、いろいろ学ぶことが多いです。
一番、思い知らされるのは、自分の未熟さ。

親に対してはいろいろ文句を言いたくなることもあるし、癖や習慣そのほかで気に食わないところがあったりもする。
でも、冷静に振り返ってみると、案外と自分が親と似たような性格だったりして(肝心の父の長所は似ていない!)、気に食わない点って、要するに自分の欠点を父母という鏡で見ているようなものだって、気づかされるのです。
だからって、やっぱり自己嫌悪(の裏返し)がどうなるものではなく、日々、耐え難きを耐え、足らざるを少しでも反省し、重い前進と成熟を遂げていきたいと殊勝にも思っています。

…でも、しんどいね。
先の見通しが立たないのが苦しい。

投稿: やいっち | 2008/12/19 03:12

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