ランペドゥーサ『山猫』を小林惺訳で
ヴィスコンティの映画で有名な、ジュゼッペ・トマージ・ディ・ランペドゥーサ(Giuseppe Tomasi di Lampedusa)の長編小説『山猫』を小林惺による原典からの訳で読んだ。
→ トマージ・ディ・ランペドゥーサ 作『山猫』 (小林 惺 訳 岩波文庫)
原文は訳者によると、決して読みやすいものではないという。
また、小説の構成もやや入り組んでいる。
映画でも観たことがあれば粗筋の理解の上で参考になるのかもしれないが、生憎、ヴィスコンティの映画『山猫』は観ていない。
尤も、「山猫 (映画) - Wikipedia」によると、「王制の終焉を迎え、没落していくイタリア貴族を描いた作品で、ランペドゥーサ自身の体験を基に描いたフィクション」なのだが、映画では、「第6章の舞踏会の場面が全編のおよそ3分の1を占める」とかで、映画は映画なのだと思ったほうがいいようだが。
「同シーンに貴族の役で登場している多数のエキストラたちは、3分の1が実際のシチリア貴族の末裔たちである。また、スタンリー・キューブリック監督『バリー・リンドン』などと同様、人工の光源を排除して自然光のみで撮影されている。室内での撮影で不足した光量を補うため多数の蝋燭が点火されたが、そのためにセット内は蒸し風呂のような暑さとなった。劇中でキャストがしきりに扇を仰いでいたり、汗に濡れていたりするのは演技ではない」というから、第16回カンヌ国際映画祭パルム・ドール受賞作品でもあり、なかなか見物の映画であるのだろう:
「山猫【イタリア語・完全復元版】」(監督 :ルキーノ・ヴィスコンティ 音楽:ニーノ・ロータ、ジュゼッペ・ヴェルディ キャスト:バート・ランカスター アラン・ドロン クラウディア・カルディナーレ)
小説の本筋には関係ないのだが、「訳者が病床にあって本書を完成させ,この3月の刊行と同時に亡くなった」とか(パーキンソン病)、「原稿の最終確認を終えた翌朝,他界したという」のは、「シチリア貴族であった著者ランペドゥーサ自身も1957年,生涯唯一の長篇小説である本書を完成させた直後,出版を待たずに亡くなっている」ことと相俟って、何か因縁めいたものを感じざるを得ない(「文庫本大好き-岩波文庫コレクション 山猫(ランペドゥーサ))。
ヴィスコンティの映画『山猫』や、従来の訳(フランス語からの古い重訳)しか読めなかった事情など、例えば下記を参照願いたい:
「ランペドゥーサの『山猫』を新訳で - Paris Mon Amour - 楽天ブログ(Blog)」
小生自身、この小説(新訳)トマージ・ディ・ランペドゥーサ作『山猫』 (小林 惺 訳 岩波文庫)に出会うには多少の経緯(いきさつ)があった。
行きつけの図書館で借りようとしたが、在庫がない。パソコンで検索してもらったら、他の市になら、あると分かった。
が、その本はその市の図書館が購入したばかりで、決まりにより購入して一年間は他の市(つまり我が富山市)には貸し出せないというのだ。
借り出し可能なのは来春!
それでも別に慌てているわけでもないし、購入希望だけしておいた。
まあ、来春、じっくり読めばいい、くらいな気持ちでいた。
こんな有名な本が(古い訳のものであってさえ)図書館にないなんて、信じられない、なんて、ボソッと皮肉った…わけじゃなく、愚痴ったのだった。
すると、忘れた頃に、といっても、二週間も経過しない或る日、我が家に電話があった(小生は不在で受けていない)。
希望していた本が届いた、というのだ。
一瞬、何のことか、分からなかった。
が、しばらくしてピンと来た。
ああ、あの本のことだ!
来春まで待つつもりでいたのに、随分、早く借り出せるな…。
翌日、借りに図書館へ。
カウンターで当該の本を手にとって、ビックリした。
真新しい!
明らかに新品である!
購入を希望しておいたら、図書館が買ってくれたのだ。
まるで待ち望んでいた本を手に入れたように、ワクワクしつつ帰宅したのだった。
過日から読み続けていた本を大急ぎで読了し、借りた翌日から、慌しい日常の合間を縫って、ちびりちびりと読む。
イタリアかフランスのワインを喫するように、じっくりと。
時間的都合が付けば、一気に読むところだが、生活の都合で、結果的にワインを香りを楽しみつつ、ワイングラスのワインを明かりに透かして色合いを楽しみつつ、濃厚で辛口のワインをじっくりゆっくり愛でたのだった。
← エドワード・W.サイード著『晩年のスタイル』 (大橋洋一 訳 岩波書店)
そもそも、本書『山猫』を読みたいと思ったのは、エドワード・W.サイード著の『晩年のスタイル』 (大橋洋一 訳 岩波書店)を読んでのこと。
サイード著の『晩年のスタイル』を読んで、「映画のみならずヴィスコンティのこと、役者の一人であるバート・ランカスターの演技のことを褒めていたのが印象的だったが、何より、原作を書いたジュゼッペ・トマージ・ディ・ランペドゥーサ(Giuseppe Tomasi di Lampedusa)の話が印象的だった」のである。
そして、小林惺訳ランペドゥーサの『山猫』は、イタリア(シチリア)貴族の伝統の厚みと滅びの美学が描かれていて、終始、飽きさせることはなかったのだが、やはり、圧巻だったのは、主人公のサリーナ公ドン・ファブリツィオの末期の描写。
ランペドゥーサ『山猫』については、「憂愁書架 ランペドゥーサ『山猫』」での紹介が秀でている。
このサイトの記述は、一篇の短編、それも絶品の掌編を読むようであり、一読を薦める。
きっと、小説を読みたくなるに違いない!
サイードが(『晩年のスタイル』 の中で)絶賛するわけも納得がいくかもしれない!
…ただ、何かの本を読んで関連情報を集めていると、時に期待以上に優れたサイトが浮上してくることがある。
あまりに秀でているので、自分などが記事を仕立てるのはおこがましいと思われてしまうようなサイトの発見。
今回がまさにそうで、「憂愁書架 ランペドゥーサ『山猫』」を一読しただけで、正面切っての感想を書く意欲は早々に萎んでしまった。
それはそれとして、気を取り直して、さて…、もしかしたら(小生としては異例ながら)映画の『山猫』もDVDで観てみるかもしれない。
参考:
「憂愁書架 ランペドゥーサ『山猫』」
「移ろいゆく季節を追って…読書・音楽拾遺(後篇)」
「忙中ちょっとだけ閑あり」
(08/12/21作)
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