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2008/12/05

行きずりの女に…ボードレール

 ヴァルター・ベンヤミン著 の『ボードレール 他五篇』(野村 修編訳 岩波文庫 1994年)の中の、「ボードレールにおける第二帝政期のパリ」という章を読んでいたら、久しぶりにボードレールの有名な(?)詩(ソネット)に出合った。
 本書においては、「行きずりの女に」と題されている。
 大概の訳書においても、題名は同じ…なのだろうか。

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→ ヴァルター・ベンヤミン著『ボードレール 他五篇』(野村 修編訳 岩波文庫 1994年)

 小生が「悪の華」三度ほど読んだのは、鈴木 信太郎 (翻訳) 『悪の華』(ボオドレール 岩波文庫)によってだった。

 本書では、詩は山田稔氏の訳による。
 以下で示すのも、同氏の手になるものである。

3253710

← ボオドレール 『悪の華』(鈴木 信太郎訳 岩波文庫)

「悪の華」については新訳も出ているし、他にもいろんな方が訳されている。
 例えば、下記など:
ボードレール詩集 ボードレール, Charles Baudelaire, 粟津 則雄 Amazon.co.jp 本

 あるいはネットでもダウンロードして読める:
新訳 「悪の華」(ボードレールの詩集の訳詩)

4087601978_09

→ シャルル ボードレール『悪の華』 (安藤 元雄訳 集英社文庫)

 とりあえず、気になる詩(ソネット)を示しておく:

「行きずりの女に」

耳を聾する通りがわたしのまわりで唸り声をあげていた。
背の高い痩せた女が、喪服に身をつつみ
威厳にみちた悲しみそのもののように、通りすぎた、
派手な手で縁飾りのついた喪裾をもちあげ、ゆすりながら

彫像のような脚で、すばやく、気高い様子で。
わたしは狂った男のように身をひきつらせ
嵐をはらんだ鉛色の空のようなかの女の眼から、飲んだ、
魅惑する甘美さと、生命をうばう快楽とを。

稲妻の一瞬……あとは闇。――過ぎ去った美しい女(ひと)よ、
きみの眼差しはわたしを突然生きかえらせてくれたのに
きにみはもう、あの世でしか会えないのか。

ここから遠く離れた他所で。遅すぎてから。おそらくもう決して。
きみがどこに去り行くかわたしは知らず、わたしがどこへ行くのかきみも知らないのだから。

おお、わたしはきみを愛していたかもしれないのに。きみにはそれがわかっていたのに。

 せっかくなので、上掲書の中でベンヤミンはこのソネットをどう解釈しているか、その一端を示しておこう:

 ソネット「行きずりの女に」は、群集を犯罪者の避難所としてではなく、詩人を避けてゆく恋の避難所としてえがいている。市民の生活ではなくて恋愛者(エロティカー)の生活における群集の機能が、そこでは扱われている、といっていいだろう。一見したところではこの機能は不都合にみえるが、しかしそうではない。恋愛者を魅了する現象は――かれが群集のなかにいるからかれの手に届かない、といったものではなくて――まさに群集がいなければかれに生じえないものなのだ。都会人をうっとりさせるのは、最初のひと目の恋よりも、むしろ最後のひと目の恋である。「もうけっして」というのが邂逅の頂点であって、その瞬間に詩人の情熱は、一見しては挫折するが、そのじつは初めて焔となって燃えあがる。詩人はその焔で身を焼く。だがその焔からは不死鳥は飛び立たない。第一の三行連でいわれる再誕にしても、先行する四行連にてらせば、きわめて疑わしいものに見えてくる。肉体を痙攣的に収縮させるものは、あるイメージに心の隈ぐままでを引きさらわれてしまった男の惑乱というよりも、むしろ、うむをいわさぬある激しい欲望に孤独者がふいに襲われたときの、ショックに類している。[「身をひきつらせ」に]付け加えられた「狂った男のように」という表現から見ても、まずそういっていいだろう。女性が喪服を着ていることを詩人は強調するが、この強調はそのショックを隠しおおせているとは思えない。じっさい、できごとを述べる二つの四行連と、それを浄化する二つの三行連とのあいだには、深い断絶がある。アルベール・ティボーデはこの詩について、「それは大都市のみで成立しえた」といったが、この発言はまだ詩の表層にしか触れていない。詩の内面のすがたは、そこでは恋すらが大都市の刻印をおびているものとして認識される、というところにこそ、くっきりと見てとれるのだ。 (p.186-7)

 ベンヤミン節炸裂というわけではないが、まあ、参考にというところ。

9784480033918

← シャルル・ボードレール 著『ボードレール全詩集 1 悪の華』(阿部 良雄 翻訳  ちくま文庫)

 せっかくついで(?)なので、もう一つ『悪の華』からボードレールの詩を(「Black is fantastic ⇒ルドン#5ボードレール「悪の華」① - 飾釦」より):

「無題」

夜の穹窿にも等しく、私はきみを愛する、
おお悲しみの器よ、丈高い寡黙の女よ、
私の愛はいやますばかり、美しい女よ、きみが私を遁れようと

すればするほど、また、わが夜な夜なを飾るものよ、
私の腕を涯しもない空の青から引き離す
道程を、皮肉っぽく、きみが延ばすと見えれば見えるほど。

死骸めざして這い寄る蛆虫の合唱隊のように、
私は進んで攻撃し、よじ登って襲いかかる。
私はいとおしいのだ、おお情容赦なく残酷な獣よ!
きみを私には一段と美しくする、その冷たさまでもが!


 美しい母を持ったボードレール。幼くして父が亡くなり、母は再婚。
 母の面影を追い慕い続ける…どんな女が現れても、その去り行く後ろ姿しか恋することができない…そんな風に野暮ったく読んでしまうのは如何なものか…とは思うが、ついつい。

 まあ、今となっては古典的でもあるけれど…、ちょっと懐かしくてチラッとボードレールの一端に触れてみた。

見逃せし美女の背中の愛おしき   (や)

参考:
ボードレール Baudelaire :生涯と作品

                                  (08/11/30作)

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