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2008/12/31

正月を迎える準備は万端 ? !

 注連飾りなどは父に準備してもらったし、晦日の晩に食べる年越しソバも買い置きしてある。
 正月を迎える準備は万端! …と言い切るのは、ちと良心が痛むが、まあ、言ったほうが勝ちって話もあるから、いいよね?!

 昨年の師走からの一年は、小生にとって激動の一年だった。
 実りがあったかどうかは覚束ないけど、学ぶものが多かったのは確か。

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→ 裏庭のミカンの木から、29日、ミカンを収穫。1本の木からこんなに採れるなんて、びっくり。でも、酸っぱくて食べられない。あくまで縁起物として玄関などに鎮座するだけかも。

 …失ったものも多い。
 東京在住時代の友人知人とは多くが音信不通だし。
 引越しの際に蔵書や日記、ノート類を始末したら、誤って住所録も廃棄したのか行方不明に。
 結局、転居のお知らせも出してない!

 おーい、オイラ、ここに居るよって、叫んでもダメだよね。

 飛ぶ鳥、跡を濁さずって、言うけど、小生の場合、何も残さず、だった。

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2008/12/30

年越しの銭(?)はありません!

 江戸っ子は宵越しの銭は持たないそうだ…が、今は世の多くの人が宵越しならずとも年越しの銭に窮しているんだろう。

 もうすぐ正月だというのに、世知辛い話はさておき、小生、年越しの記事は持ちたくなくて、年内に書いた記事は、たとえ半端な段階のものでもアップさせておく。

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→ 正月の準備は万端…とは程遠いが、まあ、父がせっせとやってくれている。掛け軸は天神様富山と天神様信仰については、拙稿「於保多神社…富山に天満宮 ? !」など参照のこと)

 一応なりとも完成させてのアップをと考えていると、いつになるか分からない。
 日々、妙に慌しい。
 あるいは単に気忙しいだけなのか。

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2008/12/29

町の灯り

 郷里での夜は始まりも早いし長い。
 今が冬で暮れるのも早ければ、明けるのも未だ遅いから、ということだけではない。

 父母が寝室から茶の間に出てきて、その部屋で過ごす時間が短いのである。

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→ 町の灯り。

 母は来客がない限り、朝食時、昼食時、夕食時のそれぞれにそれぞれ一時間余り、茶の間(居間)で過ごす。
 まずは小生が用意した熱いお茶で一服、テレビを見るともなしに観つつ食事。その後、お茶を啜ってその日の体調次第で短く、あるいは長く、茶の間で過ごし、その内、椅子に座っているのが「疲れた」と言って寝室に引っ込む。
 その部屋には特製のベッドなどがあり、あとは横になって過ごすのである。テレビはないと味気ないというので、ほぼ点けっ放し。
 見ているというより、音がないと寂しいということのようだ。
 父は、茶の間での用事があるときはやや長く過ごすが、やはり来客がない限り、寝室に引っ込む。
 フローリングの床に布団を敷き、寝そべって本を読んだり、タバコを燻らせたりして過ごす。

 母の傍に居て、見守ってやる必要があるからでもある。

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2008/12/28

叡智 それとも 命の疼き

[ある事情があって、6年前の春先に書いた旧稿を読み返す機会に恵まれた。こんなセンチな随想も書いたことがある…。なお、掲げた画像は、今月24日のもの。主に富山市婦中町方面の風景。内容的に、本文とは直接の関係はない。(08/12/28 am記)]

叡智 それとも 命の疼き

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 もう、春の足音が、そこまでやってきているのが分かる。
 今年は、1月の上旬には梅の開花が見られた。先日はウグイスの初鳴きが聞かれたとか。花粉もうんざりするほど、飛散し始めている。時折、コンクリートジャングルの端っこから、土の匂いだろうか、何処か懐かしい、心を落ち着ける匂いが漂い始めてもいる。 

 その匂いの中には雑草なのか、それとも名のある草なのか、それとも草ではなく木々の葉っぱからなのか分からないが、ムンとするような、植物特有の匂いも混じっている。
 けれど、もしかしたら、芳しく嗅いでいる中には、何処かの団地のベランダに干された布団や洗濯物から漂い出す、生活臭だって仲間入りしているのかもしれない。

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2008/12/27

同人誌(?)を出した頃

 まず冒頭で断っておくが、小生が関わる同人誌といった話ではない。

 過日、ひょんなことからあるネット上の知り合いの方(田川未明)がさる同人誌(の主催者(発行人))に寄稿を求められ、小説を書いたというので、掲載されている作品を読みたくて、一部、譲ってもらったのである(例によって、敬愛の念を籠め、勝手ながら敬称は略させてもらう)。

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← 同人誌「花眼」 (詳しくは、「トルニタリナイコト@田川ミメイ魚住陽子個人誌「花眼」に短編を書く。」を参照。) この個人誌の表紙(裏表紙も)の絵は、加藤閑の手になる。09年3月、銀座の画廊で個展を開くとか。詩集を出したことがあり、冊子に随筆を寄せておられる。この写真は、小生が手元にある冊子を撮ったもので、綺麗な画像でないのが申し訳ない。

 冊子の名前は、「花眼(ホァイエン)」。魚住陽子主宰。詳しくは、「トルニタリナイコト@田川ミメイ魚住陽子個人誌「花眼」に短編を書く。」を参照。……「花眼」とは、中国語で、「老眼」を意味する言葉だが、同時に、「花がよく見える眼」という意味もあるとか。これからは老眼じゃなく、「花眼」って呼称したいものだ!

 作品の数々を読んでの感想は別の機会に譲るとして、同人誌(同人雑誌)という存在にちょっと懐かしさを覚えた。
(同人誌・個人誌という存在自体にも興味があるが、これも後日、採り上げてみたい。)

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2008/12/26

宝の山がうもれてる ? !

 小生の居住する富山市の全貌について語るのは、ちょっと手に余る。
 今日は地形について少々。
富山市 - Wikipedia」によると:

富山県の中部に位置していて、県の面積の3分の1を占める。西部になだらかな呉羽丘陵が横たわるほかは、神通川、常願寺川などの川によって形成された沖積平野の富山平野が広がる。このため、南東部を見渡すと雄大な北アルプス立山連峰を一望できる。北部に目をやると、豊富な魚介類の宝庫である富山湾が広がっている。

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 富山県は面積の大きな県とは言いかねるが、それにしても、「県の面積の3分の1を占める」ってのは我が市ながら驚きである。
 大合併以前の旧・富山市しか知らない小生には、合併のことはニュースなどで知ってはいたが、「上新川郡大沢野町、大山町、婦負郡八尾町、婦中町、山田村、細入村」などが富山市だなんて、未だ違和感がある。
 御陰で富山市は、「全国の県庁所在地の中で2番目に広い」という(但し、人口密度は「下から3位」!)。

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2008/12/25

寒雀身を寄せ合って春待つか

 つい先日(月曜日)の朝、朝食の片付けをしていて、ふと外を見たら、柿の木に小鳥が群がっている。
 観ると、スズメたち。
 民家からは幾分、離れた見通しのいい場所に1本の柿の木がある。
 昔は我が家の庭の隅っこにあったものが、他人様の土地に植え替えられたものらしい。
 もしかしたら、我が家の先祖が今の土地に引っ越してきた際、植えた2本の柿の木のうちの1本なのかもしれない。

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← 寒雀身を寄せ合って春待つか

 以前も書いたが、父の祖父が本家から分家してきた時、庭などに2本の梅の木、2本の柿の木、などなどを植えたとか。
 梅の木は1本、ほとんど死にそうな状態だけど、辛うじて残っている。
 柿の木は、1本は土地を売った先の家の庭の隅にあることに、過日、気づいた。
 そして、もう1本が画像にあるもの。もう、その元は田圃だった畑は、やはり人の手に渡ってしまっている。
 なので、先祖様たちが眺めてきただろう柿の木は、生き延びてはいるが、我が家の敷地にはもう1本も残っていないことになる。

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2008/12/24

「あの場所へ」アップ

あの場所へ」アップしました。

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2008/12/23

ランペドゥーサ『山猫』を小林惺訳で

 ヴィスコンティの映画で有名な、ジュゼッペ・トマージ・ディ・ランペドゥーサ(Giuseppe Tomasi di Lampedusa)の長編小説『山猫』を小林惺による原典からの訳で読んだ。

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→ トマージ・ディ・ランペドゥーサ 作『山猫』 (小林 惺 訳  岩波文庫)

 原文は訳者によると、決して読みやすいものではないという。
 また、小説の構成もやや入り組んでいる。
 映画でも観たことがあれば粗筋の理解の上で参考になるのかもしれないが、生憎、ヴィスコンティの映画『山猫』は観ていない。

 尤も、「山猫 (映画) - Wikipedia」によると、「王制の終焉を迎え、没落していくイタリア貴族を描いた作品で、ランペドゥーサ自身の体験を基に描いたフィクション」なのだが、映画では、「第6章の舞踏会の場面が全編のおよそ3分の1を占める」とかで、映画は映画なのだと思ったほうがいいようだが。

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2008/12/22

総曲輪をぶらぶらと

[本稿は、「湯たんぽじゃなく電気ミニマット!」の続きです。ただ、内容的にはつながりがないので、単なる日記の続篇のようなもの。]

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→ 餌を狙って低空飛行しているのかな。

 自分のためだと、デパートへなど出掛けることは、まずない。
 東京暮らしの際も、所得水準の低い小生にはデパートは敷居が高かった。

 が、小生よりは人並みの生活水準で暮らしてきた父母には、デパートは馴染みの店である(用事がある限りは、だが)。
 デパートについては、小生には複雑な思いがあるが、多少は書いたことがあるが、いずれまた、ドキュメントタッチで書くことがあろう…と思う。

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2008/12/21

湯たんぽじゃなく電気ミニマット!

凄いぞ 湯たんぽ!」(2008/12/06)なる日記では、父母のためにと湯たんぽを2個買った、ところが、父母は電気毛布を愛用していて、湯たんぽは要らない、なので、せっかく買ったものだし、自分が使うことに、という話になっていた。

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← いよいよ熟してきた我が家のミカン。

 …この話、結果的には嘘になっている。

 湯たんぽは、二晩ほど使っただけで、今は部屋の隅っこで、いつかまた日の目を見るのを寂しく待ちわびている!

 実は、同じ日に同じ店で電気座布団を買った。座布団サイズの電気マット、という説明が分かりやすいか(他にも、「ホットクッション」「電気ミニマット」といった愛称があるらしい):
コイズミ[小泉成器] 電気マット KDM-4573D[KDM4573D] ホットカーペット座布団サイズ(48x48cm) 通販 - アラジン

 この小さな電気マットもお袋のために買ったもの。

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2008/12/20

「兼古良一  水彩画の世界へようこそ」! …アップ!

「兼古良一  水彩画の世界へようこそ」!」をアップしました。

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2008/12/19

他愛もない楽しみを見出す(後篇)

忙中ちょっとだけ閑あり」は読書拾遺的な日記でもあったが、この日記を書いて約十日になるが、生憎、読書のほうは順調とは言いかねる。
 以前、借り出しているトマージ・ディ・ランペドゥーサ作『山猫』 (小林 惺 訳 岩波文庫)と、ウィリアム・サマセット・モーム著『アシェンデン 英国情報部員のファイル』(中島賢二/岡田久雄訳 岩波文庫)は、ようやく『山猫』を読み始めたばかり。
 日中の空き時間に断続的になろうが、なんとか読書をしようと目論んでいるのだが、外出の機会が多く、侭にならない。

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→ 小生の部屋からの夕景。ひと時、ぼんやりと。ホッとする瞬間でもある。

 それなのに、田中聡著の『妖怪と怨霊の日本史』(集英社新書)や『リアルのゆくえ』(大塚英志+東浩紀 講談社現代新書)を借り出し、さらに火曜日、図書(ボードレール著『パリの憂鬱』渡辺邦彦訳 みすず書房)を返却するだけのつもりだったのに、ついつい新着図書コーナーの棚を覗いてしまい、ストロース/エリボン著『遠近の回想』(竹内信夫訳 みすず書房)を借り出してしまった。

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2008/12/18

他愛もない楽しみを見出す(前篇)

 なんだかやたらと気忙しい日々を送っている。
 気持ちが慌しいだけで、実際は忙中閑ありなのかなと感じる暇もあるのだが、やはり、脳裏にはあれをやって、次はこれをやって、ああ、そうだ、あれも忘れちゃいけない、などなど穏やかな気分で居られる時間はない。

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← 日中、父の用事で市街地へ。その途中、富山城脇を通った。信号待ちの際の、車の窓越しの撮影で、画像が鮮明じゃないのが、富山城に申し訳ない!

 夜は、毎日ではないが、アルバイトで、夕方から丑三つ時過ぎまで仕事で、帰宅は早いときは(夜中の)二時ごろだが、遅いと三時を回っている。

 帰宅してもすぐに眠れるわけもなく、何時間か仮眠に近い睡眠を取ったら(小生は睡眠障害が持病としてある)朝…。朝食の準備そのほかの家事が待っている。

 このところ、昼間の外出の機会も増えている。

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2008/12/17

「磯江毅…リアリティへの永久なる試み」などアップ

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磯江毅…リアリティへの永久なる試み」をアップしました。

 尚、「壺中方丈庵」では、下記をアップ済みです:
ボナンザ
デルヴォー……氷の中の恍惚

 …小生の生活もアップアップです!

*「壺中庵明月記」に、拙稿一覧があります(但し、過去一年分のみ)。

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2008/12/16

十川信介著『近代日本文学案内』からちょっと

 日々、気忙しく過ぎていく。
 日記…。今日も半端なものしか書けないで居る。
 纏めきる余裕がなさそうなので、ここらでアップしておく。

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→ 十川信介著『近代日本文学案内』(岩波文庫別冊)

正宗白鳥著『作家論』」では、正宗白鳥が尾崎紅葉(の『金色夜叉』)をどう評価しているかについて(も)書いている。
ハムレットとスミレとオフィーリアと」では、拙稿「尾崎紅葉『金色夜叉』あれこれ」から引用しつつ、何処かの藪の中、巌のある滝壷に宮は身を投げる最後の場面は、「シェイクスピアの『ハムレット』で有名なオフィーリアの水辺での死の場面を意識している。あるいはジョン・エヴァレット・ミレーの描く「オフィーリア」(1852)そのものだ」として、その周辺を巡っている。

 胃癌の苦痛に耐えつつ、断続的に書いた『金色夜叉』だが、この小説を書く尾崎紅葉の女性観は、小説の描き方でも察せられるが、当時の成年男子には喝采(?)を浴びる所以を示すようでもある。

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2008/12/15

灯油を巡ってあたふたと

 何年来なのか分からないけれど、使い込んできたファンヒーターが、何故か運転の途中、プツンと止まってしまう。
 我が家には2台、ファンヒーターがあるが、1台は父母の寝室、1台は茶の間(居間)。
 エアコンも2台あって、同じような配置。

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← 法事やら報恩講(?)やらで、お坊さんが二人、代わる代わるに来訪。父が仏壇を整え、お坊さん用の(?)座布団など引っ張り出して、普段、人気のない仏間がちょっと綺麗に。仏壇は、古いもので、昔はともかく、今では近所では一番、貧相な…じゃない、質素な仏壇になってしまったと父が歎いていたっけ。肩身が狭い? ゴメンね、買い換える才覚がなくて!

 そのうち、居間のファンヒーターが不調になったわけである。
 過日、居間周辺の電気の接続が不具合を起こし、ヒューズが切れた。
 調べてみたら、ややたこ足配線気味の電気コードが、部屋の中で使っているアンペア(電気の使用量)が、電気ストーブの使用その外で急に増えたことが原因だったらしい。

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2008/12/14

ラジオから「われは海の子」が…

 昨夜だったか今朝だったか覚えていないが、仕事が暇だったもので、車中でラジオを聴いていたら、懐かしい曲の題名が。「われは海の子」だって。
 ガキの頃、文部省唱歌や童謡などの類いは学校で唄わされたものだった。音楽の授業が大嫌いで、ただただ仕方なく唄っていた。口パクをする知恵も度胸もなく、傍から見る分には素直に唄っているように見えたのではないかと思う。

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→ 滑川にて。海にもっと近づきたくて波打ち際へ。海水の透明度の高いこと! 以下、三枚の画像は、「あの世の沙汰もカネ次第?」参照。

 それに、音楽の先生の指導が厳しくて、全体の調子がおかしいと、幾度もやり直しをさせられる。唄っている当人としては、どこが悪いのか分からない。でも、やり直しをするうちにOKが出る。どこがどう直ったのか、さっぱり分からず、狐に抓まれたような心境のままに、いつしか授業が終わる。
 そんな繰り返しだったように記憶する。
 それでも、唄っているうちに、なんとなく気分が良くなったり、みんなと気持ちが一つになったような気になることもあったりする。ああ、こんな世界があるのかな、あったらいいな、もしかしたら今がそうなのかな、なんて思ったり。

 でも、授業が終われば、みんなバラバラだ。

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2008/12/13

インフルエンザ流行レベルマップ

 鳥インフルエンザウイルスのヒト型への変異が取り沙汰されている。
 テレビでもラジオでも、新聞や雑誌などでも、この関連の話題をしばしば目にするようになっている。

 いつ、鳥からヒトへが、ヒトからヒトへの空気感染、つまりは(結果的に)爆発的感染という事態が生じるか予断を許さない状況にあるというのだ。

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 最悪、スペインかぜ規模の被害が発生する可能性もあるとか:
スペインかぜ - Wikipedia

国立感染症研究所 感染症情報センター」の「インフルエンザ流行レベルマップ」によると:

厚生労働省・感染症サーベランス事業により、全国約5,000のインフルエンザ定点医療機関を受診した患者数が週ごとに把握されています。
過去の患者発生状況をもとに設けられた基準値から、保健所ごとにその基準値を超えた場合に、注意報レベルや警報レベルを超えたことをお知らせする仕組みになっています(詳細は「警報・注意報システムとは」をご覧ください)。
2008年 第48週 (11月24日~11月30日) 2008年12月3日現在

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2008/12/12

「林清納…インドの非日常という日常」アップ

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林清納…インドの非日常という日常」をアップしました。

 以下は、林清納(はやしきよの)のある絵を見ての感想…というより瞑想、いや、迷想かな:

 人が生きている。人には人が大事。でも、悠久の時、無辺大の時空を前に人は泡沫(うたかた)の存在ですらない。生れては、須臾(しゅゆ)にして塵芥に紛れ込み消えていく。だからこそ今ここという一瞬が大事と思うのは人間の性(さが)なのだろうが。人間が織物の模様に織り込まれているようでもある。その<模様>を人間と認識するのはたまたま人間が見ているからに過ぎない。犬が見れば(一応は特別な)生き物の一種に過ぎず、ネズミが見ればただの巨大な生物であり、埃からしたら、無様に動き回る変てこな埃の一粒に過ぎないのかもしれない。

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2008/12/11

沢田研二『我が窮状』のこと

 ジュリーこと沢田研二氏の『我が窮状』が一部の間で静かな話題となっている(以下、敬称は敬愛の念を籠め、略させていただく)。
 その一部というのは、(少なくとも当初は)主に「市民社会フォーラムのMLや『大都留公彦のブログ』などの護憲派の間」だったようである(「カナダde日本語 沢田研二の『我が窮状』を広めて九条を守ろうよ」参照)。

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← 沢田研二『ROCK’N ROLL MARCH』(ココロ・コーポレーション) 「我が窮状」などを収録。

 小生などはそういった方面の消息に通じているわけではないし、テレビの歌番組はあまり見ない(聞かない)し、我が家では読売新聞を購読していることもあって、今頃になってこの歌(を巡る話題)を知った次第である。
 芸能の消息にも芸能人の活動に詳しくないものにも、彼のこの曲(の歌詞)が話題になりつつあるということなのか。

 まずは、曲(歌詞)を知っておきたい。

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2008/12/10

「五姓田義松のこと追記」アップ

五姓田義松のこと追記」をアップしました。

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2008/12/09

雪形……むぎや・麦屋節・麦や節

 どういうわけか、一時期、小生の拙稿「雪人形」へのアクセスが突如、増えたことが。
 まあ、冬だし雪の季節だから、「雪 人形」といった検索語で、間違って(?)小生のサイトへもアクセスする人が多少、居たのだろう。

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→ 「白馬の雪形(神奈川県・丹沢山地)」 (画像は、「雪形 - Wikipedia」より。)

 せっかくなので、「雪人形」でネット検索してみたら、「中川岳志のブロク゛ 雪人形」というサイトが上位に浮上してくる。

 合唱曲「むぎや」の歌詞についての話題のようだ。
 
 が、「むぎや」であって、「麦や節」でも、「麦屋節」でもない。
 
 小生、「むぎや」も「麦や節」も「麦屋節」も、それぞれの異同がよく分からない。
 理解が浅く、そもそも郷里の富山で歌われるのは、「麦や節」なのか「麦屋節」なのか、それとも「むぎや(節)」なのか、覚束ないのだ。
『こきりこ節』や『越中おはら節』などと並び、富山を代表する民謡だというのに!

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2008/12/08

忙中ちょっとだけ閑あり

 何だかいろんなことが一遍に重なっている。
 母の入退院騒ぎ。
 無事、退院したのは嬉しいに違いないが、仕事探しがまた遠退いてしまった。
 デイケアの方が見えたので、母の今後のことを相談。
 リハビリやら入浴のことやら、あれこれと。

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← 図書館へ向かう途中、何処かの交差点で。白銀は招くよ!

 母の面倒を父に見てもらって働きに出る。
 難しいことなのか。
 有料での食事のサービスを頼むか。
 母の容態が安定しているようだし、週に何度か、看護師さんに来てもらう。
 小生は日中、働きに出る。

 そんなことを考えていたその矢先、父の転倒騒ぎ。

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2008/12/07

今度は父が病院へ

 土曜日の夕方近くだったろうか、そろそろ食事の用意をしなくちゃ、その前に茶の間の灯油ストーブに点火するなど、部屋を暖めておかなくっちゃ、でも、その前にトイレへ、なんて思いつつ、自室を出てトイレへ向かおうとした。
 すると、茶の間からの灯りが隣室に漏れている。

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→ 昨夜来の冷たい雨が、お昼過ぎには雪に。

 父が茶の間に?
 でも、テレビの音がしない。

 あるいは父がお茶を飲むため、それとも、母のため冷蔵庫からドリンクを取ってこようとした際、通り道である茶の間の明かりを点け、そのまま消し忘れていたのか。
 茶の間への襖を開ける。
 そこに母がいる。
 テレビもつけず、暖房も入れず、カーテンも半分しか閉めていない。
 母が一人で茶の間に出てきて、父が後から来るのか…。
 
 すると、母がポツンと一言。
「父さんが、転んで怪我したがんぜ」
「えっ、怪我」
「大したことないみたいがやけど…。年賀状、…行って…。」

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2008/12/06

凄いぞ 湯たんぽ!

 昨日、湯たんぽを買った。
 郷里に舞い戻って初めての冬を迎えている。
 我が家は、風通しがいい。
 ってことは、夏は暑い風が、冬には冷たい風が吹き過ぎていくわけである。

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← 買った「湯たんぽ」。漢字で書くと「湯婆」。漢字にも素養のない小生が読むと、「ゆば」ってなりそう。「湯婆」(tangpo)の「婆」とは「妻」の意味だって!

 茶の間や寝室などの日々、暮らす部屋には暖房はある。
 特に父母の寝室にはエアコンは夏や冬はフル稼働だし、そこに灯油ストーブも加わる。

 茶の間は、日中過ごす時間が限られているので、部屋に来る直前からエアコンや灯油ストーブを使い始める。無論、電気炬燵は大活躍。
 小生が居住する部屋には電気ストーブしかない。
 冬ともなると、「弱」をほぼ終日、在室する際には「強」に切り替える。

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2008/12/05

行きずりの女に…ボードレール

 ヴァルター・ベンヤミン著 の『ボードレール 他五篇』(野村 修編訳 岩波文庫 1994年)の中の、「ボードレールにおける第二帝政期のパリ」という章を読んでいたら、久しぶりにボードレールの有名な(?)詩(ソネット)に出合った。
 本書においては、「行きずりの女に」と題されている。
 大概の訳書においても、題名は同じ…なのだろうか。

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→ ヴァルター・ベンヤミン著『ボードレール 他五篇』(野村 修編訳 岩波文庫 1994年)

 小生が「悪の華」三度ほど読んだのは、鈴木 信太郎 (翻訳) 『悪の華』(ボオドレール 岩波文庫)によってだった。

 本書では、詩は山田稔氏の訳による。
 以下で示すのも、同氏の手になるものである。

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2008/12/04

「戸出喜信…ユネスコ本部で個展」アップ

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← やはり、この猫ちゃんの写真が人気です。

戸出喜信…ユネスコ本部で個展」をアップしました。

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2008/12/03

今日は外出三昧? !  「猫! そして幻のポインセチア」篇

今日は外出三昧? !」(08/12/01付けの日記より)

猫ちゃん! そして幻のポインセチア

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→ ポートラムの雄姿。昼間、見るのは久しぶりだね。遥かに冠雪し始めた立山連峰が。
 
 午後、テレビを少々見てから、午前の買物では買いきれなかったものがあるので、またスーパーへ。
 そもそも、午前中には夕食の分も翌日の朝食の分も買えなかったのだ。

  ただ、届け物があったので、スーパーへ向かう前に、知り合いの家へ。
 その方には、母の入院時、いろいろお世話になったので、普段なら我が家に荷物を取りに来てくれるのだが、今日は、小生が持参。

 お世話になったお礼の意味を籠めて、挨拶するという用件もあったが、実は他にも目的があった。

 それは、猫!

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2008/12/02

今日は外出三昧? ! 「水鳥が眩しい」篇

(08/12/01付けの日記より)

今日は外出三昧? !」 

水鳥が眩しい

 昨日の日曜日まで、ほとんど雨続きだったので、今日、月曜日は外出三昧(← こんな言葉があるかどうか分からないが)となった。

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← 図書館近くの池にて。ススキの穂が頬を撫でるように揺れていた。

 尤も、一件は延期。
 母の用事で近所の民生委員の家を訪ねるはずだったが、なんと、昨日付けで民生委員を辞め、他の方に引き継いだというのだ。
 昨日のうちなら、あっさり用事は済んだはずなのだが、師走の今日、一日からは町内の他の区の方、全く面識のない方に代わったこともあり、一度は訪問を願って家の、つまりは母の様子を見てもらう必要が生じてしまった。
 別に隠すことは何もないけれど、事情を一から説明し理解してもらって、その上でいろいろ頼みごとをすることになる。

 というわけで、民生委員宅への訪問はなくなった。

 でも、用事は他にいろいろ。

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2008/12/01

槍ヶ岳の開祖・播隆上人

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→ 母が退院した翌日の夕方。小生の居住する部屋の窓からの、やんわりとした夕景の眺め。ホッとするひと時…。

 === 以下、本文です。===

槍ヶ岳の開祖・播隆上人

 今日(21日)の読売新聞朝刊の小さなコラムに、「播隆上人」の話題が載っていた。
 富山生まれ(越中国新川郡河内村(現富山市大山地区)の出身)だが、主な活躍場所は岐阜や長野ということもあり、生地・富山でもあまり知られていないという。

 小生自身、「浄土宗の僧侶で槍ヶ岳の開祖」だという播隆上人(ばんりゅう)の存在や名前など全く知らなかった。

 せっかくなので、ネット検索などで大よその情報だけでもピックアップしてみたい。

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