久しぶりに創作…三昧?
創作「信号待ち」をアップしました。
「暇(?)の徒然に創作」
母が金曜日に目出度く退院。
約二週間の入院生活で、容態が安定したのはありがたい。
けれど、心配なことが一つ、二つ、…三つ。
我が家は病院ほど、空調も含め暖房や衛生面で完璧ではないこと。
でも、もっと心配なことがあった。
それは、在宅の間は、ケアセンターへの週に二度の外出も含め、トイレへも、手すりや人の手を借りてではあっても、とにかく歩いていた。
それが、母の今の体の状態には長い病院での寝たきりの生活で、足腰が入院前より一層、弱まって、帰ってきたはいいが、在宅で寝たきりの状態になるのではということ。
幸い、今のところ、杞憂に終わっている。
金曜日の退院に際しても、ベッドから車椅子、車椅子から車への乗り込み。
帰宅して、車から降りて家の中へ、茶の間への移動と、母には過酷な運動を強いられる。
親戚の者の手伝いもあってのことだが、金曜日は何とか乗り切った。
茶の間での一服の後、寝室へ休憩のため。
→ 退院した金曜日、帰宅時に雨。父母が寝室に篭った後、ホッとした気分で庭を撮影。
夕食時も手すりなどを伝って、何とか歩いて茶の間へ。
御陰で夕食は二週間ぶりに父母と小生の三人で。
夕食後、母は(父も)入退院前よりも早めに寝室へ引っ込んだ。
まあ、父母共に外出で普段より相当に過重な運動をしたから、仕方がない。
茶の間に残された小生は、一人きりでの長い夜を、久しぶりにテレビ三昧。
炬燵に潜り込んで、ヌクヌクと。
ホッとしていた。
土曜日はどうだろう。
その前に、金曜日の夜中に発作が起きないか、懸念していた。
でも、恙無く土曜日の朝を迎えた。
土曜日の朝、部屋を暖め炬燵もオンにして父母を待っていると、スライドドア(でも、手でスライドさせるタイプ)を開けて母がいつもの真剣な眼差しで茶の間に入室。
倒れないよう、懸命なのである。
茶の間の所定の椅子にドッと腰を下ろす。
畳(座布団)の上に座ることは、足の都合で出来ないのだ。
厚手のカーディガンを羽織り、ひざ掛けをし、足は炬燵に突っこむ。
これで、食事と団欒のひと時を迎える態勢が出来た、というわけである。
といっても、すぐにインシュリンの注射。
注射の数字は本人もだが、父も小生も確認する。
← 退院の翌日・土曜日の午前は晴れ。自転車を駆ってスーパーへ。近くの空き地に立ち寄って撮影。立山連峰が鮮やかだった。
朝の食事は具沢山の味噌汁、チボイモの煮物、バナナを三分の一、ご飯。
まあまあの食欲。平らげてくれたし。
昼も夜も、今夏乃至秋口までと変わらぬ量の食事をほぼ全て食べてくれた。
寝室で不意に血糖値の低下や脱水症状といったパニックに陥らないよう、ミカンなどを父母に渡しておく(飲み物は寝室に常備してある)。
さて、夜になった。
土曜日の夜はアルバイト。
日中は雑用でできないので、夜、パート風な仕事。
それも、週に三日しかない(収入がない)!!
さて、会社へ行ったら、「あんた、今日の出番じゃないよ」だって。
てことで、先立つものもないし、給油だけしてまっすぐ帰宅。
映画でも観たかったけどね。
→ 庭のミカンも、すっかり黄色くなった!
夜、時間がポッカリ空いた。
父母は既に寝室に引っ込んで、テレビなど観ている。
テレビ三昧しようか。
でも、ふと、久しぶりに創作などやってみようかと思った。
何を書くあてがあるわけじゃない。
ただ、虚構空間に遊んでみたいという衝動があるだけ。
パソコンの画面に向かう。
そのうち、或る日、病院へお見舞いに行った帰り、雨が霙(みぞれ)に変わった時の感覚を思い出した。
病院を出てすぐに渋滞に嵌(は)まった。
病院を出るのが遅くなったけれど、夕方でもないのにラッシュ?
大降りの雨が霙に変わり、雪になりそうだったからだろうか。
→ スーパーの帰り、飛行機の爆音…。旅客機の機影を見た。
見ると、交差点の向こう側すぐに踏切がある。
その踏切の信号が赤色点滅している。
列車の通過待ちで渋滞となっているのだ。
霰(あられ)や霙(みぞれ)に降り込められ、渋滞に嵌まり、なんとなく惨めな気分になった。
その感覚を作品に仕立てようと思いついた。
但し、例によってストーリーなど考えていない。
書きながら、創作しながら物語を考えていく。
いや、物語などなくたっていい。
何気ない日常であってもいい。
渋滞の中、霙に降られて、ボヤーとしていた自分。
実際には、そんなボンヤリな自分が居ただけ。
でも、架空の時空ではもう少しだけ違う自分がありえたはず。
→ 裏庭の木々も黄葉。晴れ渡った空に映える。でも、午後には天気も曇天に、そして夜には氷雨。氷雨の音を聞きながら、創作していたのだった。
その可能性の一つを戯れに作ってみればいい、そう思った。
その結果が表題のこれ:
「信号待ち」
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コメント
まあたった二週間の入院では寝たきりにはなりませんよ。
ご心配要りません!
ただお母様が何かをするのをおっくうになって、寝るより楽はないと思ってしまうと困りますね。
うちはその点で家にいる時から僕の配慮がかけていたと反省。
ともかく動くように刺激を与えないといけないですね。
ところで創作意欲がわいたのは滝野さんの訪問もあるかと推測。
滝野さん、mixiやっているみたいですが、mixiって招待要らなくなったのでは?
投稿: Oki | 2008/11/30 22:36
Oki さん
日記に詳しく書きましたが、母は三十年以上の糖尿病(への投薬や治療)で骨自体が脆くなって、一度は頚椎が破損したこともあります。
そのため、首から下の半身が不随になったことも。
なので、特に今年の秋口からは手すりを使っての歩行も困難になっていて、今秋の入院前の在宅の際も、茶の間での(座椅子)での滞在も一日の合計で数時間に。
あとは寝室のベッドで。
それでも、日に数回の寝室と茶の間(やトイレ)との往復が運動にはなっていた。
ギリギリ最低限の運動(デイケアセンターへも、辛いので行くのを拒否したことも最近、増えていたし)って、わけです。
なので、普通の人にはたかだか二週間弱の入院でも、母の体には長い、長すぎる寝たきりの生活ではないかと危機感(危惧の念)を抱いていたわけです。
これらは日記に書いたことですから、これ以上、書くのはしつこいから止めておきます。
病院のほうが楽でいいって思われてしまったら、さびしい。
とにかく体の状態からしたら、母は相当に頑張ってくれているようです。
父も!
滝野さんの来訪は刺激になりましたね。
彼のサイトへはアクセスができないけど。
創作意欲ってほどのものじゃないけど、帰郷して九ヶ月近く、帰郷が決まってからは十一ヶ月近くになり、それなりに郷里での生活に慣れてきたことが大きいのでしょう。
夜はアルバイトしているのですが、失敗が多く、社長らに叱られてばかりで、バカにされ神経が細る日々です(体も、仕事のせいで痩せたみたい)。
自分の時間がなくなり、東京でのような楽しみもなく、美術館やイベントへ出かけることもできず、仕事では無能ぶりを痛感させられ、改めて自分って何、自分の存在の意味って何って問われる日々であるのも事実。
自分が乏しい時間を割いてでも、やりたいことは何なのか。
突き詰めると、創作しかないと思ってきています。
誰にも読まれない(Oki さんにも!)、反応がまるでない小説を書く侘しさは、この数年でつくづく、痛いほど感じたのですが、まあ、性懲りもなく自分なりに書き続けようと思っている次第です。
投稿: やいっち | 2008/12/01 09:54
いやいや、弁解めきますが、僕は弥一さんだけでなく、ネットで
小説は読みません。
あくまで紙の媒体で読むものと心得ています。
しかし、もう紙の媒体は古いのでしょうか?
週刊誌は、例の厚生次官が殺された事件でも、犯人が逮捕されて、
妙な動機が明らかになっても、これはテロか?なる見出しの最新号が店頭に並んでいるわけで、ニュースについていけていない。
読売ウィークリー休刊号を購入して、週刊誌の部数が、Windows98がでたころから急激に減少しているのは偶然ではないなと。
投稿: Oki | 2008/12/02 23:07
Okiさん
舌足らずでしたね。
要は小生の作品はまるで読まれないってことです。
残念だけど、これが現実ですね。
ネットでの小説については、所謂、古典などは、入手が不可能か困難なものを除いては、小生も余り読みません。
ただ、ネットでしか読めない小説作品も多数ある。
というより、数だけからすると、ネットで詩や小説や短歌や俳句や絵などを公表しているサイトが圧倒的に多い。
宝の山はネットにあるわけです。
思いっ切り玉石混交ですが。
週刊誌や、それこそ新聞でさえも、ネット情報(や一部テレビ報道)に遅れを取っている現実は否めないですね。
新しい情報がネットやテレビなどで報じられているのに、週刊誌にはもう古くなった情報や憶測をもとに、仰々しい題名のもとに記事を書かれているのを(新聞などの広告で)見ると、白けてしまいます。
それでも、紙媒体の重要さは大きいし、ネット時代だからこそ、紙媒体も工夫次第で延命はできるだろうし、ニーズもありえると期待を籠めて書いておきます。
将来、新聞だって、シート状の液晶画面が自宅にあって、その画面を指でクリックしたら、新しい頁を読めるっていうふうになるのではって思っています。
紙の新聞紙のように、折り曲げたり、あるいは巻物のようにクルクルとまるめておいて、必要に応じて形を変えて読める…、そんな形が近い将来、当たり前になるのでは。
つまり、紙媒体とネット媒体の融合ですね。
投稿: やいっち | 2008/12/03 09:36