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2008/11/16

建部巣兆…句画でこそ成る俳趣

万感胸に…読書拾遺」の中で、磯辺勝著の『江戸俳画紀行  蕪村の花見、一茶の正月 』(中公新書 1929 中央公論新社)をメモ程度に紹介しつつ、「時間を作って、(扱われている俳画の人物たちのうちから)誰か一人か二人くらいは拙ブログで採り上げたいものだ」と書いている。

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← 本書から「建部巣兆「雪明り」句自画賛 柿衛文庫蔵」の画像を小生が撮影したもの。雰囲気だけでも味わってもらえる…かしら? 本書の感想を書いてくれている、「読書・俳句『江戸俳画紀行』(磯部勝著) - (新)緑陰漫筆」には、この絵のもっと鮮明な、しかもカラーの画像がある。

 俳画については、好悪相半ばするところがある。
 好きでもあり嫌いというか、ワンパターンというか紋切り型の臭みを感じることもある。
 まあ、ぶっちゃけたところ、枯れてもいないくせに(俗臭プンプンなくせに)、妙に枯淡の境を気取っている…ような。
 偏見に過ぎないのだろうが(た、多分)。

 それでも俳句と俳画の取り合わせには、和歌と日本画の組み合わせとは違う、また侘び寂びとも幾分毛色の違う、庶民性のような親しみを覚えたりする。

 下手な句を詠み、毛筆で句を書くと同時に、サラサラッと俳画など添えられたら、やはり人に見てもらいたくなる。
 ただ、綺麗な色彩やかっちりした輪郭などで誤魔化せない分、人柄が如実に現れるようでもあり、やはり、見られるのは恥ずかしいより怖いの感が先に立つのは、小生の人間性を物語っている?

 今日は、俳画の名手(多分)の一人、建部巣兆(たてべ そうちょう)を。

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→ 建部巣兆(そうちょう) 筆『桜花寛永美人図』(縦33.8 横98.4cm リンデン民族学博物館蔵) (画像は、「大阪歴史博物館-特別展「江戸と明治の華 -皇室侍医ベルツ博士の眼-」」より。「画面上部には巣兆の句「一日の仕業ありけりさくら人」」が。

 建部巣兆は、筆者によると、「江戸時代の俳画を、初期は野々口立圃、中期は与謝蕪村に代表させるならば、後期の頂点は建部巣兆である、といってもいいだろう。巣兆は俳人であるのと同時に、職業画家としても絵を描いていた。ただ、本職の画家の俳画が、ともすると絵画の枠にとらわれてつまらないなかで、巣兆の俳画は大胆に枠をはみだして俳趣にあふれている」という。

俳譜師にして画家、生け花や茶道の教授もするというこの人もマルチタレント」であり、「絵は谷文晃に学んだと」いう説も。
 彼の作品は、オランダ(の何処かの美術館)にたくさん、あるという


建部巣兆 江戸の俳画」にて充実した紹介がされつつある(準備中のようだが)。
 画像も幾つか見ることができる。
 ただ、「巣兆と新宿とのかかわり」なる頁には注意。
 この「新宿」は、広く知られている「新宿区」の「新宿(しんじゅく)」ではなく、「葛飾区」の「新宿(にいじゅく)」である(「古くは「あらしゅく」と呼ばれていた」)。

 本書によると、江戸日本橋本石町で生まれた。生家山本家は江戸の旧家で、父山本龍斎は著名な書家」だという。

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← 建部巣兆「盆踊」  (画像は、「足立区 江戸の書画開催中です」より。)

SAIJIKI HOMEPAGE 建部 巣兆」によると、「生年 1761年----没年 1814年   江戸生まれ。建部英親。関屋に隠棲。白雄門。成美・道彦と共に江戸三大家と目され、抱一・鵬斉を始め成美・大江丸・乙二らと親交。書もよく、絵は一境地を開き、句もよく気品が高い。「せきやごう」「曽波可理(そばかり)」等」とあった上で、下記の句が紹介されている:

鶏が啼く 翌日はかならず虎が雨

ひやひやと 田にはしりこむ 清水かな

蝉の音に薄雲かかる林かな

曲りこむ薮の綾瀬や 行く蛍

 いきなりだが、ここで余談。
 上記したが、巣兆には、彼の歿後の句集として『曽波可理』がある。
 本書によると、その句集への序文を義兄の亀田鵬斎と酒井抱一が書いている。

 本書(磯辺勝著の『江戸俳画紀行 』)から、鵬斎の人物を髣髴させそうな句を一つ:

古池やその後とびこむ蛙(かわず)なし

 この句は、抱一の蛙の絵に賛を頼まれ、詠んだもの。
 芭蕉に続く俳人が出ませんな、という意味だという。「俳人としても当代一流と目されていた抱一は、(略)いい気持ちがしなかったかもしれない」…。

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→ 建部巣兆「俳句自画賛」 (画像は、「Yahoo!オークション - [建部巣兆-俳句自画賛]掛軸 山青堂旧蔵 江戸三大家 俳人」より。)

 余談はともかく、本書によると、建部巣兆や亀田鵬斎、酒井抱一らが活躍した18世紀の後半から19世紀の初め頃は、松平定信らに象徴されるように、権力の側の眼が厳しくなっていた時代で、「内に鬱屈をひめた一流知識人同士の、ひとつの交流圏の存在」があるようである。

「文芸上の社会的な運動のままならなかった彼らは、文芸を遊ぶよりほかはなかった。ただ、巣兆自身は、そうした交流圏に属しながらも、庶民のなかの一画人、一俳諧師の立場に徹して生きようとしたようにも思われる」という。

江戸俳画紀行 』の筆者によると、彼が「ここに取り上げた作品は、私が俳画を見始めたころに出合い、目をみはった傑作」だという。

 その句は以下:

雪明りあかるき閨(ねや)は又寒し

 筆者のコメントを転記しておく:
「雪明りあかるき閨は又寒し」は、巣兆の句としてはよく、文字と絵にこの人らしい動きがあっても、画面は力強さを失っていない。絵は、一見人体をかろうじてとらえた稚拙なものに見えるが、そうではなく、巣兆が俳画においてしばしば行なったかなり極端なデフォルメが生み出した形だ。そして、この絵でなにより驚かされるのが、雪の空間をとらえた巧みさである。薄墨によって微妙に描き出された雪の背景に、笠の人物の歩く姿勢、犬の後肢の一部が雪に隠れているところまで、まざまざと雪明りのなかにあり、句画はまったく一体だ。(後略)

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← 建部巣兆の俳画。句は、「真雪や天狗木を伐る光巖寺」。(画像は、「郷土博物館で「江戸の書画」展」より。)

 本書では、『曽波可理』から幾つかの句をメモしてくれている。一部、重複するが、以下、紹介しておく:

暮そめて小家したしき桜哉

朝の間にさくら見て来て老にけり

蓮の香に起て米炊(こめたく)あるじ哉

ひやひやと田にはしりこむ清水哉

壁ぬりの隣へまはる紫苑(しおん)かな

蘆鴨(あしがも)の寝るより外はなかるべし


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→ 建部巣兆画『芭蕉翁』 (画像は、「俳聖 芭 蕉 翁 (2)」より。) 荒川区の「素盞雄神社に、文政3(1820)年に建てられた芭蕉の句碑がある」。「 「奥の細道」 への旅立ちを記念して建立された 「旅立ちの句碑」」である。「千住宿の近くに住んでいた学者の亀田鵬斎さんが文字を、画家の建部巣兆さんが芭蕉さんの姿を描い」たとか。


参考:
新刊図書室 本の紹介と感想 ---- 野呂 健(池田市)No.302」(この頁には、「江戸俳画紀行--俳人一覧表」が載っている。)
日本酒話・酒林【さかばやし】=(杉玉【すぎだま】)のお話(下関酒造株式会社のホームページ)」には、建部巣兆の「見落とすな合歓(ねむ)の小家の酒ばやし」といった句が載っているだけではなく、「酒林(さかばやし)」や「杉玉(すぎだま)」の話、そして写真が載っていて興味深い。

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