土に近いかもしれない生活(後篇)
文末に、「伍代夏子・香西かおり ジョイントコンサート」へ一度、思い切って出かけたけれど」と書いているが、昨日(木曜日)、「川中美幸コンサート」へ行ってきた。
→ 「川中美幸コンサート」 さすがの歌唱力。そしてエンターティナーぶり。
会場は「オーバード・ホール」で、「伍代夏子・香西かおり ジョイントコンサート」と同じ。
入場券を安く入手できたのだ。
川中美幸の歌も好きだし。
好きな歌はいろいろあるが、「遣らずの雨」(作詞:山上路夫 作曲:三木たかし)が密かな愛唱歌だったりする。
彼女には、「君影草〜すずらん」という歌があるが、それに引っ掛けて、拙稿「君影草…鈴蘭」を書いたこともある!
今回、彼女のコンサートへ行って驚いたのは、まさにショーであり、見せる(魅せる)歌うことに徹したそのプロ根性と同時に、観客の気を逸らさない彼女の語りの上手さ。
大抵の歌手のコンサートでは司会者がいて恙無く進行するように気を配るのだろうが、彼女は十年ほど前から司会者を使っていないというのだ。
たこ焼き屋さんの家に生れた浪速っ子の彼女、あれじゃ確かに司会者は要らないかもしれない。
このコンサートの模様などは後日、写真日記として画像をメインの形で書くつもり。
=== === (以下、前篇の続き) === ===
← この一週間ですっかり黄色くなったミカン。日当たりのいい場所のミカンほど黄色く変色するのが早いって、如実に分かる。食べたら…すっぱいのだとか。
帰郷してこんな生活を送るとは思っても見なかった。
とくに家事(炊事)はともかく、畑や庭仕事に精を出すなんて、嘗ての自分には想像もつかなかったものだ。
稲作は、小生が帰郷する二年前に父が体力の限界を感じて放棄(母はその数年前に畑も田圃とも遠ざかった)。
→ 四日、球根ベゴニア(普通のベゴニアとは種類が違うらしい)を一鉢購入。母に見てもらうため、一日、茶の間の出窓から見下せる場所に展示。
帰郷した最初の数箇月は、雑草との格闘の日々だった。枝打ち作業もハードだったし、引越しの際に出た粗大ゴミを、有償で業者に任せるカネが惜しくて、日々、せっせと解体作業に従事し、普通ゴミとして少しずつ出していったりした。
← その球根ベゴニアは、五日にはパンジーやテルスター、キキョウらに仲間入り。表の花壇の真ん中に鎮座。水はけの極端にいい場所なので、毎日、大量の水を撒かないと花たちはすぐに萎れてしまう。
雑草を一掃し、庭の木の剪定も終え、ひと段落したところで、夏の終わりに浅草サンバカーニバルへスタッフ参加のため上京したこともあったっけ。
この直前、八月二十日頃、ニフティのココログでの小生のブログが(三つの合計で)アクセスカウンターが百万を突破したのだった。
→ 四日・五日と、整地を終えた畑にタマネギを植えた。過日、植えた白菜やキャベツの育ちが悪いのが気に掛かる。近く、ホウレン草の種を蒔く。来春は、ジャガイモを植える予定。
それにしても、大して広い庭じゃないのに、随分といろんな草木がある。大半は小生には名前の分からないもの。
父母が丹精籠めて育ててきた。
← 五日の朝、黒い実のなる木に気づく。というより、木の存在は知っていたが、その木に黒い実が生っていることに五日の朝、気づいたのだ。何の木だろう。実は食べられるのだろか。
茶の間の出窓から見下せる内庭には、鉢物を並べる木の板が今も渡してあるのだが、今では父が大切にしてきた鉢は全滅。僅かに小生が過日、買ってきた「ホウキ草」の鉢がポツンとあるばかり。稲架木(はさぎ)の下や内庭のあちこちに鉢が空しく積み重ねられている。
→ 畑で採れたトウガラシ。父が器用にもビニールの紐で編んでくれた。玄関に魔除け(?)として飾る。
庭や畑には父が手塩に掛けてきた何かがあったはずの空っぽな鉢ばかりではなく、母が育てていた植物のプランターも無惨な姿を晒している。捨てるに忍びず、軒下や縁側の下などに安置してある。どうしたものか。いつか、近いうちに何か観葉植物を買ってきて、心機一転、小生が育てる番なのかもしれない。
← 蔵の壁際に沿ってある、今は荒れてしまっている花壇で昨日、気づいた小花。淡い紫の花がとっても綺麗。春から夏に掛けて、雑草も菊の花も蓮も何もかも、片っ端から毟り取り、根っ子から引っこ抜いて、木はともかく、草は一掃してしまったはずなのに、庭の方々にいろんな花が咲いてくれる。もっとも、雑草もしたたかに生えてきているのだが。
家に張り付いたような生活を送っている。帰郷して八ヶ月以上を経過したが、展覧会へは一度も足を運んでいない。映画もまだ映画館で観ていない。「伍代夏子・香西かおり ジョイントコンサート」へ一度、思い切って出かけたけれど。
でも、読書と音楽がある。ネットで絵画鑑賞とまではいかなくとも、美術作品の世界へ想像をめぐらすことも出来る。
畑や庭の世話をしていると、いろんなことが教えられる。思い知らされるというべきか。
誰かの言う、土を喰らうという生活を気取るつもりはない。そこまで徹底はしていない。
それでも、土とかなり近い生活を送っているとは、言えるような気がする。
底辺に近い生活…とは違うはず!
(08/11/06夜半)
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コメント
やいっちさんがいつ故郷に帰ったのかは
存じあげませんでしたが
そちらでの生活はいかがですか?
文面からは田舎の生活を
楽しんでいられるようですが。(ニッコリ♪)
川中美幸の「遣らずの雨」
詩がいいですね。
僕も好きな曲のひとつです。
投稿: 勿忘草 | 2008/11/07 21:59
勿忘草さん
帰郷に際しての思いや我が故郷を前にしての思いは、やや感傷的にですが、下記の小文などに書いたことがあります:
http://atky.cocolog-nifty.com/bushou/2008/02/post_b1d7.html
とにかく現状の中で楽しみを見つけていく。
まだ、見つけ出せていないのですが、そのうち、見出せるものと思って、決して諦めないつもりでいます。
川中美幸さんの「遣らずの雨」は、歌詞もいいし、メロディラインもいい。
というか、彼女の歌唱力が素晴らしいのかな。
川中美幸さんにも好きな歌が幾つもあります。
ショーを見る機会を得て実に良かったと思ってます。
投稿: やいっち | 2008/11/08 03:30