母の入院……見知らぬ闇
母がとうとう入院してしまった。
ついにこの日が来てしまった。
ある意味、このために帰郷したようなものなのだ…。
これまでいろんな理由があって入退院を繰返してきた母だが、今回はちょっと意味合いが違う。
体調が思わしくないので、今度は入院しながらしっかり検査してもらうという名目だが、知らず知らずの内に、もう退院は難しいのではという、変な予感…予想…見通しが立ってしまっていると感じている自分が居る。
弱気?
← 茶の間からは灯りがまるで見当たらない。これは夜半になって台所の勝手口から外を撮ってみたもの。ちょっと明るい光は自動販売機だ。
自宅の茶の間での母との食事が最後になるかもしれないと思い、デパートへ行き、北海道展でカニ飯などを買ってきて、ちょっと贅沢な昼食。
それさえも、父母共に食べ残した…。
病院での手続きやいろんな煩瑣なことは略す。
入院に付き添ってくれ、あれこれ気づかったり世話を焼いてくれた方も夕方近い四時過ぎには帰ってもらった。
小生も父と一緒に帰宅の途に。
家に着く。
母の居ない家。
茶の間の座卓の上には、母の湯呑み茶碗がポツンと。
病院へは、他のもっといいのを持っていったので、普段、使っていた愛用の湯呑みは置いていったのだ。
…置き去りというわけじゃないけど。
もう使わないと決まったわけじゃない。
でも、いつ、使ってもらえるようになるか、分からない。
とりあえず洗って、台所の出窓の棚の脇に安置。
小生より父のほうがもっと喪失感が大きいはず。
喪失って、今は不在に過ぎないのだけど。
我が家の経済の中心は父だとしても、会話や人の集まりの中心は母。
わりとシャイで、篭ったような声の男性陣に比して、母など女性陣の親戚筋は、声(発音)がハッキリしているし、明るい。
なので、我が家には母が居るから人が寄って来たようなもの。
父や特に小生など、人を受け入れ歓迎・歓待するマインドがやや欠ける。
最近でこそ、母の体調が思わしくないので、誰もが遠慮がちだったけれど、それでも、折々はいろんな方が来てくれていたのが、母が不在となったら、家は火が消えたようになりそう。
小生など、自分の人間としての心の貧しさを、家の周辺に花を植えたりして飾って、少しでも明るく、なんて思うけど、そんなことで人が来るとも思えない。
花たちも、健気に咲いても誰も見てくれる人が居なくて張り合いがないかもしれない。
部屋で小憩しているうちに夕方…といっても五時過ぎになり、茶の間へ。
茶の間は、居間であり茶の間であり食事の部屋でもある。
その部屋を中心に、食事や団欒の時が終わると小生は自分の部屋へ、父(母)も寝室へ。
なので、寒くなってきたこともあり、老いた父母のため、早めに部屋に入って、暖房を入れ、明かりを灯し、テレビをオンにして少しでも賑やかにしようとする。
部屋が明るくなったし、外が暗いのでカーテンを閉めようとする。
小生の癖のようなもので、カーテンを閉める際、ちょっと外の景色を眺める。
夏場だったら、夕方の六時でも夕焼けが拝めたりして、場合によっては外に出て、畑の端へ、あるいは自転車を駆って夕焼けスポットへってこともあるけど、いよいよ晩秋となると、五時前後でも、もう外は真っ暗。
部屋の明かりを点けると尚のこと、外が暗く沈んで見える。
茶の間からは我が家の納屋や近所の家、内庭、畑の際などが見え、その先は他人の家の畑だったり、わずかに残った田圃が広がり、その先にはマンションが建っている。
今日は月曜日。時間は食事時には未だ早い。
マンションは比較的新しいので、若いファミリーが多いようである。
多くは共働きか。
六時を過ぎないと、夫婦のどちらも帰って来ないようである。
いずれにしても、マンションの大半は我が家の納屋の死角となっている。
なので、マンションの一階の駐車場には常時、蛍光灯が灯っているはずだが、納屋で光がほとんど見えない。
見えても、何か覚束ないし、弱々しい。
田圃の先には、造成中の公園がある。児童公園ってものじゃなく、サッカーだって出来そうなほどの広さ。
但し、その敷地にはいろんな施設が出来そうだが。
田圃と公園の間には車がやっと擦れ違うほどの道がある。
でも、街灯は(今の所)ない。
マンションの道路際には自動販売機がある。
夜でも青白い光が、場違いなほどに無遠慮に周辺に垂れている。
その灯りが街灯の代わりなのかもしれない。
反ってそれが薄ら寒いようでもある。
いつもなら夕方の五時頃には居間や台所に明かりの灯るはずの近所の家も、マンション幾つかの部屋も、当然、我が家の納屋も、何もかも真っ暗。
我が家だけが早々と明かりを点けているせいか、田圃や畑もあるから、闇の海がどこまでも広がっているように感じられてしまう。
日中は晴れ間もあったけど、夕暮れ時に近付くに連れ、曇天となっていった。
実際、七時頃には雨になった。
空も真っ暗なのだ。
仮に新月じゃなくても、分厚い雲に光は遮られるばかりだろう。
地も天も真っ暗。
家の中の光が消えたような。
茶の間の明かりは煌々と灯っているのだけど。
小生などより、父のほうがガッカリしているに違いない。
父も小生も寡黙。いや、小生は父より寡黙(言語障害もあるし)。
家の中からは会話が消えてしまった。
昨日の夜までは、いや、今日の昼過ぎまでは会話があった。
母の愚痴だったり、父母の遣り取りだったりするが、時には奥にある小生の部屋に引っ込んでいても、父母の寝所から(主に)母の声が聞こえてくる。
← 過日、小生の部屋の脇の廊下の窓から夕景などを撮ってみた。こんな光が我が家にあったのだが…。
言語障害の小生とやや耳が遠くなった母とはなかなか会話が成立しない。
でも、父母の間では、結構、母の明るい声が。弾んでいるようにさえ感じられる。
その肝心の母が不在となった。
父も話し相手がなくて、黙すしかない…。
今夜は母は病院で一人。
我が家では父も小生も、それぞれが一人。
夕暮れ時に、あるいは夜になって、さらには雨が降り頻る真夜中になって、茶の間のカーテンの透き間から、外を眺めると真っ暗闇。
空白という言葉には「白」がある。でも、それは白い闇の「白」なのだろう。
白々しい闇。
見知らぬ闇。
自分がこれまで知らなかった類の闇。
そんな闇とこれからとことん付き合うことになるのだろう。
(08/11/17 夜半記)
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コメント
そういう事情があったのですか。
言葉がでませんー。
母を近くの老人ホームになんていっている自分が恥ずかしい。
今言えるのは母だけでなく、すべての存在がいとおしいという
ことだけー。
投稿: Oki | 2008/11/19 10:57
Okiさん
メッセージ、ありがとう!
それだけでも嬉しいです。
今、病院から帰ってきたところ。
母を一人、残して去る。
居ても、自分には何もできない。
つくづく自分が情けなくなります。
投稿: やいっち | 2008/11/19 15:50
人は所詮、一人です。
誰しもいつかは一人になり、そして一人で去って行かねばなりません。
今までご両親が居てくださっただけでも幸運です。
あなたがご両親を悲しませる存在ではないこと、それこそがお幸せにしてあげておられる、ということです。
ご両親様にとっては、あなたがそこに在ること、そのものが喜びであることと思いますよ。
投稿: 通行人 | 2008/11/19 16:16
通行人さん
メッセージ、ありがとう!
父母を哀しませる存在でないこと…。
確かにそうであればいいですね。
でも、お見舞いをして病室を去る時、いい年をして独り身の小生をベッドで母は悲しい目をして、「ありがと。もういいよ。今日はもう帰られ。また顔、見せて」と一言。
親を安心させてあげたい、これでもう大丈夫だという思いをさせてあげたい、などと思うけれど、とうとうこんなふうなまま。
暗澹たる気持ちをどうにもできないままに、ミゾレの降る中、帰宅の途に着きました。
やはり、親不孝な息子だという現実はどうしようもないようです。
投稿: やいっち | 2008/11/20 02:04