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2008/11/20

お見舞い…雪より白けた心

 母のやや突然の入院が決まったのは、先週末のこと。
 週末は仕事をこなしつつ、入院の準備。
 といっても、寝巻や布団の類などは病院に備えてあるので、身の回りの細々としたものを揃えるだけ。

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← 入院の日の午前、デパートでの用事があって自転車を駆って市街地へ。途中、通りかかった公園の紅葉・黄葉の見事なこと。

 洗面器や下着などの衣類、タオル大小、石鹸、特製の箸、特製のスプーン、湯呑み茶碗、ティッシューなど紙類の消耗品、スリッパ…などなど。
 特製の箸やスプーンというのは、母は病気で指に力が入りづらいので、柄が太くなっているものとか、箸が根元でブリッジされており、箸の片方が落ちたりしづらい、且つ握りやすいもの。

 翌日には、携帯のラジオやミニポット、下着類の追加、紙類の消耗品、母が日頃飲んでいた薬類、院内を移動する際に羽織るカーディガンなどなどを持参。
 二日目には、もうすっかり入院生活が日常のようになっている。

 小生自身、物心着くまでに既に少なくとも三度、一ヶ月ほどの入院生活を経験している(但し、少しでも覚えているのは物心付いた頃のものだけだが)。

 その後も、小学生の頃や、四十歳の頃の二度のそれぞれ一ヶ月ほどの期間のものなどを経験している。
 富山や新潟や金沢、京都と、各地の病院で入院した(盥回し?)。

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→ 黄葉も、落ち葉の分厚い絨毯も見た目にはいいのだが、落ち葉が凄い。近所の方たちがみんなで落ち葉を掃いていたけど、とてもじゃないが、追いつかない。落ち葉の行方も気に掛かる
 
 ただ、高校卒業と共に学生生活のため郷里を離れ、その後のサラリーマン時代、フリーター時代、タクシードライバー時代を通じて、主に東京などで一人暮らしを送った。
 なので、母のもう何度になるか分からない入院には立ち会ったことがない。
 当然、入院の準備を手伝ったこともないわけである。
 入院の準備って、あんなに呆気ないものと、ちょっと拍子抜け。

 父は手馴れたものだったけれど。

 あれだけの準備で、人は入院生活に入れる…。
 日常と非日常(といっても、入院してしまったら、それが日常になるのだが)の敷居の低さ、区切れ目のなさに驚く。

 不思議なもので、健康な人でも、ああいう格好、ああいう状態になったら、それでも立派な病人だ。

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← 母が入院した日、病棟の隅から窓越しに北アルプスの方角を撮る。冬の北陸特有の低い、低すぎる空。

 入院し、病室を宛がわれ、共同生活する方々と挨拶し、四人部屋の一角のベッドに横たわる。
 その前に、普段着から寝巻に着替える。
 不思議なもので、寝巻を着て病室のベッドに横たわるだけで、自分がすっかり病人だと思わせられる。
 昔ほどではないが、消毒薬の匂いが漂っていると、もう、その匂いに酔ってしまうようでもある。
 病室には勿論だが、一歩、廊下に出ると、点滴薬を打ったまま、トイレだろうか、売店だろうか、それともそれぞれの階の端っこにある休憩所で一服するためだろうか、キャスター付きの点滴スタンドと共に移動する病人たち、そして看護師さんやお医者さんらが絶え間なく行き来している光景を目にする。
 病室に居て横たわっていても、廊下を歩くスリッパの音や会話の声は、煩いってわけじゃないが、聞こえてくる。

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→ 入院三日目にお見舞いに行った帰り、氷雨が霙(みぞれ)に、そして霰(あられ)に。

 病室の中であっても、お見舞いの人たちの話し声、患者を診るお医者さんか、多くは看護師さんの患者を気遣いつつ包帯替えなどの世話をする声が、ほぼ一日、絶えることがない。

 なんとなく、モーター音のようなものが絶えず聞こえてくる…ような気がする。
 あるいは、近くの洗濯場での洗濯機や乾燥機の音なのかもしれない。
 あるいは、廊下を掃除する音なのか。
 
 病院には、音が満ちている。
 四人部屋だと、日中は大概、誰かがテレビを見るかラジオを聞いている。
 イヤホンで、という建前(規則)があるはずだが、病人には往々にして煩雑なのか、イヤホンなど使わない。

 入院二日目に母に持っていったラジオ。
 母はイヤホンを使うのも面倒だし、スイッチのオン・オフが面倒だからということで、三日目に一人で見舞いに行った時、携帯ラジオは持って帰ってと言う。
 顔は、さも、ラジオを操作するのが煩わしい…といった表情。

 テレビはカード式なので、カードを買っておき、看護師さんが来た時にお願いして使うようにとは言ったけれど、やはり面倒だからと、テレビからカードは抜いたまま、カウンターの上に置き去り。

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← 入院四日目の朝。朝の八時を回っての光景。既にやや溶け始めている。病院へはこの車で。

 断っておくが、枕元にあるボタンを押せば、看護師さんや見習い(?)の准看護師さんがすぐに来てくれるし、そうでなくても、四人部屋の誰かの用事で来た看護師さんにちょっと頼めば、お安い御用と、頼まれたことはやってくれる。
 トイレだって、髪を洗うのだって、身体を拭くのだって(母は、特に朝、寝汗を一杯、掻く)、なんだって気軽にやってくれる。

 母がラジオさえ聴くのが嫌になっているのは、気力自体が萎えているから? あるいは、今度の入院に今までにない身体の衰えを覚え、今後の検査などで告げられる診断に怯えているから?

 そもそも、もう、何もかもが億劫になっているから、なのだろうか?

 自宅で療法していたときも、トイレへは手すりに繋がりながら、なんとか一人で行っていた。
 でも、トイレを済ませてベッドや茶の間に帰ると、もうヘトヘトになる。
 傍に父などが付き添っても、寝転がった状態、座った状態から立ち上がることが辛いのだ。
 トイレへ行くのが一仕事。
 簡易トイレであっても、取りあえずは、ベッドか椅子から起き上がり、立ち上がり、介添えしてもらいつつ、簡易トイレに腰掛け、用を済ませて、助けられつつ立ち上がり、また、ベッドなどへ戻るという一連の動作が大仕事であり、大汗を掻いたりする。
 そのたびに体力を消耗する。
 かといって、もっと安直な方法を算段すると、それはそれで当面はいいとしても、寝たきりになってしまうことを覚悟しないといけない。
 それだけは懸命に避けてきたのに。


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→ 茶の間の隣の台所の勝手口からの裏庭の光景。黒い部分は我が家の裏庭、白っぽいところは近所の畑。左側の小屋は納屋。もうほとんど使われなくなった農機具や肥料などが納まっている。

 お見舞い…のつもりで来たのに、自分には母をどう気遣えばいいのかさっぱり分からない。
 人を労(ねぎら)ったり、気遣ったり、あれこれ配慮する、そんな心が小生には乏しいのだろう。
 何をどうして欲しいのか、人の気持ちが分からない奴なのだ。
 相手の身になって考える。そんなことを怠ってきた、その当然の結果なのだろう。

 母の傍の椅子に腰掛けて、何をするでもない。
 ポットのお茶を入れ替えたり、母を抱き起こして湯呑みに注いだお茶を飲ませたり、三日目に持っていった小さな花瓶を置こうとしたり。

 でも、母は花は要らないという。
 病院に生の花は相応しくないからと。

 そうなの?
 お見舞いに花は禁物なの? ボタンの花はダメだって聞くけど、花がダメ。
 病院内が乾燥していて、花がすぐに萎れるから?
 それとも、花の萎れるのを見るのが忍びない?
 あるいは、ラジオと同じで、今は花を見るゆとりもない?
 目のほうも衰えていて、窓外の風景を愛でる気にもなれない?

「ありがと。もういいよ。今日はもう帰られ。また顔、見せて。」
 そう言われて、すごすご帰るだけの自分。
 
 車に乗ろうとしたら、氷雨がみぞれに、あるいは霰(あられ)になった。

 その日の夜には、一旦は雨になっていたのが、一気に雪に。
 そして翌朝には、雪模様。

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コメント

大変ですね。何か出来ることだけでもという気持ちとが伝わります。そこへは日常からの垣根は低くても、なぜか患者はだんだんと違うところに行ってしまうような。

雪でも積もるようになると益々病院内の音が特別に感じられるようになるでしょう。どうしても「魔の山」の世界を思い出します。

乾燥した音、白い壁や天井。

投稿: pfaelzerwein | 2008/11/20 18:42

独り身でおられることは親不孝ですか?

それなら、親には適当に心配かけている方が、きっとご長寿でいてくださいますね。

ポットのお茶を入れ替える
抱き起こしてお茶を飲ませてあげる
花を飾ってあげる
傍らに腰掛けて、そっと居てあげる

こんなにされたら、お母様には、充分、お気持ち、伝わっていますよ。

お元気で、又、お顔を見せてあげるだけで喜ばれます。

投稿: 通行人 | 2008/11/20 19:44

ただそこにいるだけでいいと思う。
うちの母も僕がちょくちょく面会にいくだけで、全然衰えません。
すべてを施設にまかせて、面会に来ない家族も多いですが、そい
いう人ほど生きる意欲を失います。
僕もはじめは戸惑いましたよ、けど不思議なもので、状況に慣れると介護や面会を楽しむ気持ちになりました。
専門的なことは職員にまかせておけばいい、ただお母様の傍らに
長くいてあげてください。

投稿: Oki | 2008/11/20 23:52

pfaelzerwein さん

誰しもなのでしょうが、症状が重くなってきて、世話していた父の負担も大変だったこと、家での介護が困難なこと、そもそも、突然の<低血糖状態>(← 素人判断)での母の意識の酩酊状態に、どう対処すればいいのか分からなかったこと、などがあって、病院で相談と診断の上、入院となりました。

でも、実際に入院となってしまうと、ホントに自宅でもっとできることはなかったのかと自問自答してしまいます。

入院した日から寒くなり、雨がミゾレに変わる。
それにしても、記述から「魔の山」の「雪」を連想するとは、さすがにpfaelzerwein さんですね。
日常から非日常へは、その敷居が実に低いものだと痛感させられます。

投稿: やいっち | 2008/11/21 00:16

通行人さん

分からないなりに、できることはしています。
あとになって後悔しないようにとは思うけど、多分、何をどうやっても後悔は待っているのでしょう。

独り身の自分ですが、別に父母のため、ということではなく、自分としても、人生のパートナーを欲しいと心底、思っています。

でも、現実には条件的に難しいと感じている。
そんな自分を母は、悲しいと思っているのでしょう。
もしかして、自分の責任だとさえ思っているかも。

投稿: やいっち | 2008/11/21 00:20

Okiさん

小生にとって、とても胸に痛いのは、母の面倒を見る父、その父も一時、蘆を引っ掛けて倒れたりして、もう父母の二人暮らしは限界かなと、昨年末、帰郷を決心し、今年の二月末に帰宅した。

そこまではいいのだけど、帰郷してからの半年余りで、母の症状の進行が早くなったような気がするのです。
夏場までは、時には洗濯機の傍で洗濯していたりしていたのが、夏の終わりからは全くできなくなってしまった。
春には親戚連中と、母も一書に植物園に行き、母は車椅子で園内を散歩したりもした…、それがまるでウソのような衰弱ぶり。
なんだか、小生の帰郷が母の衰弱を加速させたような気分です。

そうはいっても、入院して容態がとりあえずは安定しているようだし、何かがあっても、場所は病院なので、安心はできる。
父も、長年の疲労が夜もゆっくり眠れることで少し、取れてきているような。

病院にお見舞いして、母の傍に寄り添う。
必要な処置は病院側に任せる。
この現実が母にもみんなにもいいことだと思えてくるのかもしれないですね。

投稿: やいっち | 2008/11/21 00:29

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