『〈出雲〉という思想』のこと(後篇:「まえがき」を読む)
今朝、昨日買ってきたパンジー10株を家の表通り側に植えてみた。
午後から作業するつもりだったけど、雨が降りそうだったので、急遽、眠い目を擦りながら黙々と土いじり。
← 曇天下、昨日買ってきたパンジー10株を植えてみた…。
でも、植えてみたらあと20株は植えないと格好が付かない。
寒風吹きすぎる表の通りでパンジーの花がちょっと寂しそうに揺れている。
仲間がもっと欲しいって言ってるの?
もっと違う場所がいい?
それとも、曇天で震えているだけ?
陽光を待ちわびている?
まあ、そう言わず、今冬をなんとか乗り切って欲しい!
→ 昼前、買物ついでにテルスターを8株買ってきて、午後、雨を心配していたのに、晴れた。今がチャンスと、早速、植える。
(午後になって雨どころか晴れ渡ったので、テルスター(ナデシコ)を8株、買ってきて早速、追加で同じ場所に植えた。少しは格好が付いたけど、まだあと10株は植えないと、どうにも落ち着かない!)
=== === === === === ===
← 本居宣長 撰『古事記伝 全4冊 一 』(倉野憲司 校訂 岩波文庫)
さて、本稿は、「『〈出雲〉という思想』のこと(前篇:『夜明け前』へ)」の後篇である。
前篇の末尾で、「本書の大よそを理解するのに、本書の「まえがき」を読むのがいいだろうと思えるので、 次回(後篇で)は、その本書の「まえがき」を全文、転記して示すことにする」と書いている。
以下、労を厭わず、転記を試みておく(転記文中、「太字」は小生の手になる。また、本文には段落ごとに行が空いているわけではないが、ネット上で読む不具合を鑑み、小生の手により段落ごとに一行ずつ空けた):
本書は<出雲>に関する研究書である。これまで多くの場合、出雲といえば、古代史の舞台として言及されてきた。だが<出雲>とは、古代史ばかりでなく、幕末から明治維新を経て、昭和に至るまでの近代史にあっても、きわめて重要な役割を果たした思想的トポスだったのではないか――これが本書を貫く基本的視点である。ここでいう<出雲>とは、本文でも述べるように、島根県東部の旧国名というよりは、むしろ出雲大社、もしくはそこに祀られた(る)スサノヲノミコト(以下、スサノオと略す)やオホクニヌシノカミ(以下、オホクニヌシと略す)を中心とする神々に象徴される場所を意味している(出雲大社の祭神は、明治維新とともに正式にオホクニヌシとされたが、それ以前はスサノヲなのかオホクニヌシなのかはっきりしなかった)。同時にそれは、伊勢神宮、もしくは内宮に祀られるアマテラスオホミカミ(以下、アマテラスと略す)を中心とする神々に象徴される場所を意味する<伊勢>の対概念としても用いられている。
ではなぜ、<出雲>というトポスは、近代日本にあって重要な意味をもったということができるのか。それは、明治維新をどう見るかという問題とかかわっている。しばしば誤解されるようであるが、明治維新とは単なる「封建」から「近代」への第一歩ではなかった。「神武創業之始」に帰ることをうたった王政復古の沙汰書には、維新の復古的性格がよく現れている。それは決して、一時しのぎのスローガンに終わったのではない。江戸時代には仏教の陰に隠れ、一般には不振であった神道を大々的にもちだしたり、国学者を政治の舞台に登場させたりしたのも、幕府に代わる天皇の新たな支配を正当化するために、政府が一時的に利用しただけにとどまらなかった。その影響は、文明開化が進んだ後の世に至るまで、深く残ったのである。
このことは、明治二十年代に、大日本帝国憲法が発布され、いわゆる天皇制国家の基盤が確立された後も、もちろん当てはまる。例えば教育勅語に出てくる「国体」という言葉は、水戸学者の会沢正志斎(あいざわせいしさい)の『新論』に由来するが、その思想は同時に、幕末期に興隆し、明治政府により採用された神道(これを「復古神道」という)とも深くかかわっている。また大日本帝国憲法の第一条「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之レヲ統治ス」には、天皇は伊勢神宮に祀られたアマテラスから連綿と続く子孫であり、この<伊勢>の系統をひく天皇だけが正統的な日本の支配者であるという思想が内包されているが、これもまた水戸学とともに、復古神道の影響を受けている。
復古神道は、江戸時代後期に起こった国学を母体としている。国学とは『古事記』や『日本書紀』など、古代日本の文献を「実証的」に探究することで、日本古来の固有の道を明らかにしようとする学問のことであり、本居宣長、平田篤胤をはじめ、多くの学者が輩出したが、当然ながらその方法は、一様でなかった。テキストの選択だけでも、日本古来の道を最もよく残した文献として『古事記』を重視するのか、『日本書紀』を重視するのか、同じ『日本書紀』を重視するにしても、「本文」を重視するのか、それとは別に書かれた「一書」を重視するのか、あるいは風土記をそこに加えるのかなど、さまざまな組み合わせがあり得た。
しかも、これらの神話や物語に登場するのは、アマテラスやその子孫だけではなかった。そこには、実に多くの神々が登場しており、いずれも複雑で豊かな内容をもっていた。なかでもスサノヲやオホクニヌシをはじめとする〈出雲〉の神々が、記紀や風土記(とりわけ『出雲国風土記』)で大きな役割を果たしていることは、よく知られている通りである。それらの神々は、決してアマテラスやその子孫をはじめとする<伊勢>の神々の、単なる脇役ではなかった。どのテキストのどの部分を重視し、どの神を中心に神話や物語を解釈するのか、それによって何種類もの日本古来の道=神道が出てくる可能性があった。
こうして見ると、天皇制国家の下で確立された神道(これを「国家神道」という)というのも、あくまでその一つから発しているにすぎず、教育勅語や第二本帝国憲法に現れた解釈も、当時の公式的な解釈でしかなかったことがわかるであろう。復古神道の内実は多様であり、それらのすべてがストレートに明治の国家神道につながったわけではなかった。なかにはむしろ、それとは相反する別の流れもあったのである。
具体的にいえば、本居宣長の晩年の神学を継承し、〈出雲〉の神々に着目した平田篤胤が、この流れの原点にいる。篤胤はそれまでの国学を、復古神道として宗教化し、オホクニヌシを中心とする独自の神学を作り出した。この篤胤神学が与えた思想的影響はきわめて大きく、門人の間に反発を招きながらも復古神道の一つの大きな流れになり、明治政府が維新に際して、復古の名のもとに作ろうとしたアマテラスや造化三神(記紀神話の冒頭に登場する三神)を中心とする神道とは異なる解釈を、堂々と主張するようになるのである。
そもそも出雲大社では、出雲国造(いずもこくぞう)と呼ばれる世襲の神主が、祭祀をつかさどっていた。出雲国造は、国造制が消えたはるか近代日本にあっても、全国でただ一つ国造を名乗っており、その祖先は天皇と同じく、アメノホヒノミコトという神とされていた。つまり出雲国造とは、天皇と並ぶもう一人の「生き神」であったのであり、天皇にも匹敵する宗教的な権威をもっていたのである。しかも天皇の権威が、明治になって作られた要素が多かったのに対して、出雲国造の権威はそれ以前からあり、特に中国、四国地方を中心とする西日本では、その存在は明治以前からよく知られていた。このような権威をもつ出雲国造であった千家尊福(せんげたかとみ)という人物が、明治になって篤胤以来のオホクニヌシを中心とする神学を受け入れたことで、出雲が伊勢に対立する思想的中心となっていったことは、注目に値する。
近代日本の「国体」や国家神道を正面から批判したり、それに抵抗した思想としては、キリスト教やマルクス主義がよく知られている。一方は超越的な唯一神という立場から、他方は唯物論的な立場から、「国体」や国家神道の欠陥や非合理性をつくという方法をとった。しかしいずれも、西洋から輸入された思想であり、一般の民衆には浸透せず、一部のエリートだけの散発的な運動に終わった。これに対して千家尊福らの思想は、復古神道という、土着のより大きな思想的流れの中から出てきた。本居宣長と平田篤胤の神学を受け継いだ、出雲大社を中心とする数多くの神官の中から出てきたのである。
彼はもちろん、〈出雲〉の神の存在を信じていた。人々に対して、神道が宗教であるためには、アマテラスよりもオホクニヌシをまず崇敬しなければならないと真剣に説いたわけである。この出雲国造を中心とする運動は、明治維新により復古神道が持ち上げられたことが幸いして、全国に広がることになる。キリスト教やマルクス主義のような、一見して「異端」とわかる思想とは異なり、神道を信奉しているために、政府としては、にわかにこの運動を禁止したり、弾圧したりするわけにもいかなかった。だがそれは、明治政府の天皇の絶対性保持を第一目的とする、アマテラス中心の神道解釈と、当然のことながら激しくぶつかることになる。そしてついには、<伊勢>から〈出雲〉が「国体」に反する思想と見なされ、勅裁(天皇による裁決)によりしりぞけられるのである。神道の宗教性を否定した国家神道の成立の要因も、ここにあった。
明治維新とともに歴史の表舞台に現れ、天皇制国家にも思想的影響を与えた復古神道の流れに属しながら、明治政府、さらには〈伊勢〉に神学的に対立し、抹殺されていった〈出雲〉。〈出雲〉という思想的場所に徹底してこだわることで、幕末から維新、さらには近代日本全体にわたる、もう一つの思想史が見えてくるのである。
本書は第一部と第二部とに分かれている。第一部「復古神道における〈出雲〉」は、本居宣長から大本(おおもと)教団の出口王仁三郎(でぐちおにさぶろう)、さらには戦後の折口信夫に至るまでの、近世、近代の日本における〈出雲〉思想の屋台骨を支えた人々の軌跡を描いた、いわば総論にあたる。第二部「埼玉の謎――ある歴史ストーリー」は、この問題を明治初期の埼玉県の成立に即して論じた、いわば各論に当たる。両者はセットになっている。

→ 原武史著『〈出雲〉という思想』(講談社学術文庫)
以上が本書の「まえがき」の全文にあたる。
大体の見通しがついたのではなかろうか。同時に本書の面白みも感じられたかもしれない。
第二部では、スサノヲやオホクニヌシを祭神とする「氷川神社」が何ゆえ、埼玉や東京の一部に多いのかを解明している。埼玉県は「大宮市」こそが県庁所在地に値する地なのに、何ゆえ、「浦和」となったのかその不可思議も指摘している。
前篇でも引用したが、「埼玉県三市(浦和・大宮・与野)合併の際に新市名として「氷川市」を提案したというくだりには、研究者としての著者の面目躍如たるところが現れてい」るのである。
最後に小生の立場を明確にしておきたい。
明治維新に時の政府によってお墨付きを与えられた国家神道の記紀解釈以外に、『日本書紀』の「一書」やそのほかの文献(「風土記」など)の記述に重きを置いて、復古神道の可能性が多様にありえたし、現にあったし、今後もありえるだろうという筆者の見解には賛同するしかないのだろう。
但し、『古事記』や『日本書紀』、『万葉集』その他の文献や、さらには古代史学や考古学を通じて古代を如何様に解釈するとしても、それは古代を現代の立場からどう理解しえるかの可能性を示すものに留まるということは押さえておきたい。
縄文時代に育まれた文化や伝統・風習などの土壌がどのように弥生時代以降の時代に影響したのか、あるいは変容したのかは、こうした文献を研究することでも知見が得られるだろうが、民俗学そのほかの知見も含め、もっと違う理解の可能性もあるものと思う。
「記紀」にこだわると同時に、神道以外に日本を土俗のレベルから理解する営みもあっていいものと思う。「記紀」」などに収斂された神話などが全てではないはずなのである。
むしろ、欠片さえ盛り込まれなかった、泥まみれになって見えないとしても「記紀」神話よりもっと豊饒な世界がある、そう小生は根拠なく(ただの直観で)信じているのである。
← 荒俣 宏/米田 勝安 著『よみがえるカリスマ平田篤胤』(論創社) (画像は、「Amazon.co.jp: 通販 」より。) 「未公開資料に基づき、平田篤胤の人間と思想に迫る。神道・国学・民俗学・キリスト教・仏教・天文学・蘭学等、博覧強記ゆえに誤解され、理解されなかった実像を語る入門書」だとか。「荒俣氏と平田篤胤の血筋である米田氏との対談集」。
参考:
「松岡正剛の千夜千冊『夜明け前』島崎藤村」
「島崎藤村『夜明け前』を、今、読む(1-4)」
「島崎藤村『夜明け前』を、今、読む(5-7)」
「島崎藤村『夜明け前』を、今、読む(8-11)」
「島崎藤村『夜明け前』を、今、読む(12-14)」
「島崎藤村『夜明け前』を、今、読む(15-17)」
「界隈の神社(6) - rftS」
「『日本書紀』の「一書」について 黒須重彦」
「『夜明け前』島崎藤村著(岩波文庫版)① - 武蔵野日和下駄」
(08/10/29作)
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