フランケンシュタインと出産の神話(前篇)
横山泰子著『江戸歌舞伎の怪談と化け物』(講談社選書メチエ)を歌舞伎の世界の奥深さを感じつつ読んでいたら、おやっという章に行き当たった:
「第六章 フランケンシュタインとお岩、そしてその子どもたち」
→ 『フランケンシュタイン』(1931年出版)の内表紙 (画像は、「フランケンシュタイン - Wikipedia」より。)
何ゆえ、江戸歌舞伎の話に「フランケンシュタイン」が?
怪談物の代表作の一つ鶴屋南北作の『東海道四谷怪談』と併せ論じられているようなので、もしかして両者に何らかの相関関係でも? と読み進めていくと、同時代性はともかく、小生の全く予想しない話の展開だった。
「お岩の出産が『東海道四谷怪談』の重要なテーマになっていること、お岩がお母さんとして化けて出ることの意味を、ここで考え直してみたい。その際、考えるヒントとしてメアリー・シェリーの『フランケンシュタイン』を引き合いに出そうと思う」という。
小生としては、「お岩の出産が『東海道四谷怪談』の重要なテーマになっていること」自体が、ヘエーというレベルなので、ひたすら読み進めていくばかりである。
まして、メアリー・シェリー(Mary Wollstonecraft Godwin Shelley 1797 - 1851年)の書いた『フランケンシュタイン』が考えるヒントにどうしてなるのか、皆目見当が付かない。
ただ、今から紹介するフェニミズムの立場からの解釈は、どうやら知っている人には常識に属する話のようである。
鶴屋南北については、拙稿「南北に東西越える劇を見る」があるが、この記事では、「鶴屋南北(の芝居)はシェイクスピア劇の影響を受けているのではという指摘」を採り上げているだけである。
英国ゴシック小説の『フランケンシュタイン』は有名でもあるし、今更、説明を施す必要もないだろう。
「フランケンシュタイン - Wikipedia」など参照願いたい。
人によっては映画、あるいは『怪物くん』(藤子不二雄A)で親しくなっているやもしれない。
「フランケンシュタイン(Frankenstein)は、メアリー・シェリーが1818年3月11日に匿名で出版した小説『フランケンシュタイン、すなわち現代のプロメシュース』(Frankenstein: or The Modern Prometheus)の日本における書名のひとつ、あるいは、同書の主人公であるスイス人科学者の名前である」のだが、一般に誤解されがちなように「フランケンシュタイン」というと博士が作った人造人間の名前と思い込まれている傾向があるようだ。
本稿の題名もその<誤解>の上に乗っかっている ?
シェリーは『フランケンシュタイン』を匿名で出版しているが、内容もさることながら、時代もあるのだろう。
「ミドルマーチ」などの作品のあるジョージ・エリオット(George Eliot 1819 - 1880年)は、半ばメアリー・シェリーと時代が重なるが、実は女性で、名前をメアリー・アン・エバンス(Mary Ann Evans)というのは有名だろう。
ポイントは、『フランケンシュタイン』を書いたのが、メアリー・シェリーという19歳の女性なのだということにある。
『フランケンシュタイン』がフェミニズムの観点から再解釈されてきていたのであり、彼女が単なる物珍しい、当時の社会に俗受けする趣向で書いたのではなく、彼女なりの深刻なテーマが隠れているというのである。
本書では特に、エレン・モアズ著の『女性と文学』が参照されているようだ。
この本には、『フランケンシュタイン』は、女性によって書かれた「出産の神話」だという解釈が示されているらしい。
(一方、鶴屋南北作の『東海道四谷怪談』も男性作家により出産というテーマを扱っているのだが、ここでは素通りしておく。)
← 横山泰子著『江戸歌舞伎の怪談と化け物』(講談社選書メチエ)
話を進める前に、小説『フランケンシュタイン』の筋書きをもう一度、脳裏に思い浮かべたほうがいいかも:
スイスの名家出身の青年、ヴィクター・フランケンシュタインは科学者を志し故郷を離れてドイツで自然科学を学んでいた。だが、ある時を境にフランケンシュタインは、生命の謎を解き明かし自在に操ろうという野心にとりつかれる。そして、狂気すらはらんだ研究の末、『理想の人間』の設計図を完成させ、それが神に背く行為であると自覚しながらも計画を実行に移す。自ら墓を暴き人間の死体を手に入れ、それをつなぎ合わせることで人造人間の創造に成功した。しかし、誕生した人造人間は、優れた体力と人間の心、そして、知性を持ち合わせていたが筆舌に尽くしがたいほど容貌が醜かった。そのあまりのおぞましさにフランケンシュタインは絶望し、人造人間を残したまま故郷のスイスへと逃亡する。しかし、人造人間は強靭な肉体を与えられたがために獣のように生き延び、野山を越えて遠く離れたフランケンシュタインの元へ辿り着いた。自分の醜さゆえ人間達からは忌み嫌われ迫害され、自己の存在に悩む人造人間は、フランケンシュタインに対して自分の伴侶となり得る異性の人造人間を一人造るように要求する。人造人間はこの願いを叶えてくれれば二度と人前に現れないと約束するが、更なる人造人間の増加を恐れたフランケンシュタインはこれを拒否してしまう(フランケンシュタイン・コンプレックスの項目を参照)。創造主たる人間に絶望した人造人間は、復讐のためフランケンシュタインの弟・友人・妻を次々と殺害。憎悪にかられるフランケンシュタインは人造人間を追跡するが、北極に向かう船上で息を引き取る。そして、創造主から名も与えられなかった人造人間は、怒りや嘆きとともに氷の海に消えた。
一般には、転記文中にあるように、「創造主(キリスト教の“神”)に成り代わって人造人間やロボットといった被造物(=生命)を創造することへのあこがれと、さらにはその被造物によって創造主である人間が滅ぼされるのではないかという恐れが入り混じった複雑な感情・心理のこと」という「フランケンシュタイン・コンプレックス」がテーマと思われている。
小説の主な登場人物は男性ばかりであることも、こういった解釈を後押ししているのかもしれない。
(続く)
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