フランケンシュタインと出産の神話(後篇)
[本稿は、「フランケンシュタインと出産の神話(前篇)」の続篇である。]
← 16日(木)、夕陽をそして夕焼けを追って、自転車を駆って久しぶりに親水公園へ、さらに神通川へ。風のない一日だったので、空中には埃が漂っているようで、必ずしも綺麗な夕景には巡り合えなかったけれど、慌しい日常の中、目にだけは眼福を与えることができたと思う。
『フランケンシュタイン』の読みについては、たとえば、「松岡正剛の千夜千冊『フランケンシュタイン』メアリー・シェリー」が参考になる(やはり、いかにも男性による解釈という限界性が垣間見える…といった批判がエレン・モアズならずともフェミニズムないし「ヒロイニズム」の立場からは加えられるやもしれない)。
誕生したのが怪物で、その姿を見て驚く(主人公の科学者も我々も!)のだが、考えてみると、少なくとも外見が怪物なのは作る過程をつぶさに見ている以上は、最初から分かっていたはずである。
なのに、完成してみたら、その精神がいびつでおぞましくてショックを受けたというのなら分かるが(出来てみないと心の在りようなど分からないわけだし)、その容貌の魁夷なるを見て今更驚くのも奇妙な話なのである。
→ エレン・モアズ著『女性と文学』(青山誠子訳 研究社 (1978/12 出版)) 「詳細」によると、「「ヒロイニズム」 という著者独自の視点から、欧米の代表的女流作家たちが、いかに文学を通じて女性として自意識を確立させていったかを追求する」とか。
おいおい、お前が製造の当事者じゃないか! 少なくとも外見だけはもう見慣れてるはずじゃないかってわけである。
このことも、横山泰子(の紹介するエレン・モアズ)の解釈を傍証しているといえるかもしれない。
そもそもこの小説の、この<矛盾>としか思えない記述に小説の<謎>を解く鍵があったと思うべきかもしれない。
つまり、この<存在>は、誕生した瞬間に初めて、<それ>が<怪物>だと作った科学者も(当然ながら我々も)気付いた、という不可思議にこそ小説の秘密を解くヒントがあるのでは、ということである。
エレン・モアズ(著の『女性と文学』(青山誠子/訳 研究社))によると、小説『フランケンシュタイン』で作者のメアリー・シェリーという女性が描きたかったのは、通常考えられているようなことではなく、実は、「母性不安と結びついた「出産の神話」である」という。
小説を理解するには、まずは、メアリー・シェリーのやや特異な生涯を知る必要がある。
詳しくは書けないが、著名な作家・思想家の「ウィリアム・ゴドウィンとメアリー・ウルストンクラフトの間に生まれたが、出産で母が死亡し」、「彼女自身は一六歳で妊娠し、その後五年間ほとんど絶え間なく妊娠していたが、子どもはたいてい出産直後に死んでしまった。『フランケンシュタイン』を書き始めたのは一八歳の時で、未婚だった」くらいのことは知っておいていいかもしれない。
← 平林 美都子【著】『表象としての母性』(京都)ミネルヴァ書房 (2006/06/10 出版) ) 「第1部」が、「英国の母性観(母性の誕生;フランケンシュタインとメアリー・シェリーのねじれた母性)」である。
エレン・モアズは、「彼女を特異な存在たらしめた最大の特色は、(中略)若い母としての混乱した経験をもったこと」と述べたうえ、こう指摘する:
メアリー・シェリーのこの小説の最大の興味と、女性らしさは、次の点にあると私は考える。すなわち。生れたばかりの生命に対して突然嫌悪を感ずるという主題、誕生とその結果をめぐる罪と恐怖と逃亡のドラマという点である。(中略)『フランケンシュタイン』が誕生の主題についての、明らかに「女」にしか創れない神話であるように思われる理由は、それが誕生以前や誕生そのものではなく、誕生以後のこと――つまり産後の精神的ショック――を強調しているという、まさにそのことなのである。
恐怖と罪、憂鬱と不安、赤ん坊の誕生に伴う反応という出産する女性の経験する普通の心理だけではなく、「彼女の文学の中に、より深い根を下ろしているのは、母としての幸福な反応――母になったばかりの女が初めて赤ん坊を抱くときに、彼女を襲う恍惚感、充足感、授乳の激しい愛など――である」とモアズは言う。
但し、「理想の母親像が確固としていた時代に、理想化された幸せな母親像ではなく混乱した母親像をリアルに表現するのは、社会通念への挑戦になり、困難であった。メアリーも、産婦の混乱した精神状況を産婦そのままの姿では描くことができず、ヴィクターという男性主人公の姿をとって表現している」とモアズは指摘している(と『江戸歌舞伎の怪談と化け物』の中で筆者の横山泰子が紹介している)。
→ 映画『フランケンシュタイン Frankenstein』(1931年 監督: ジェームズ・ホエール ユニヴァーサル・スタジオ 出演: ボリス・カーロフ) 「後のホラー映画などに多大な影響を与えた怪奇映画の金字塔」。「怪物の特殊メイクはジャック・P・ピアースが担当。生物学を研究したピアースは、肌にはグリーン=グレイのグリースを塗り、首の両側には電気を注入するためのボルトをつけ、手術で頭を開くことから頭のてっぺんを平らにした。撮影は真夏に行われ、撮影所内にはエアコンもなかったので、汗でメイクが流れてそのたびに修復する必要があったが、ピアースが苦心の末に生み出した怪物のメイクは以後フランケンシュタインの怪物のイメージを固定させるほどのインパクトを与えた」という。(画像や転記文ともに、「フランケンシュタイン Frankenstein」(ホームページ:「素晴らしき哉、クラシック映画!」)より。)
『フランケンシュタイン』で、ヴィクターが誕生した怪物を見てショックを受ける場面を横山泰子は紹介している:
みじめな一夜をわたしは過ごしました。ときには動悸が速く、激しくなって、ありとある動脈がどくどく脈打つのがわかり、またときには疲労と極度の衰弱から今にも地面にくずおれそうになる。そんな恐怖とまじりあった、幻滅のにがさもなめました。長いことわが身の糧ともこころよい休息ともしてきた夢が、今は地獄になったのです。
横山泰子(の紹介するモアズ)は語る:「懸命に打ち込んでいた人造人間の研究だったが、自分が思い描いていた夢とはまったく異なる姿かたちの存在者を見て、ヴィクターは恐怖し、幻滅する。このあたりの記述は、子どもの誕生を心待ちにしていたのに、いざ赤ん坊との生活が始まると「予想と違った」と落胆したり、我が子を愛せないのではないかと心配になる、新生児の母の心情そのものといえる。そしてヴィクターは怪物に名づけもせずに逃げてしまうのだが、その行為も産後特有の母親の心理的葛藤を反映しているのだ」!
本書からもう少し転記しておく:
『フランケンシュタイン』には、他にもさまざまなところに、出産のモチーフが隠れている。自分の誕生によって母が死んだという事実は、メアリーの心に大きな影を残したに違いない。誕生と死が隣り合わせであることを、彼女は生まれながらに意識し、出産それじたいに不安や恐怖をおぼえたのではないだろうか。
そして、『フランケンシュタイン』の怪物は、自分の力だけをたよりに生き、一人で言語を習得し、必死で人間の世界について学び、人間的に成長していく。そのさまは、実母に死にわかれ、母の著作を読みながら成長したメアリー・シェリーの姿と重なる。
← 『怪物くん 全曲集』(アニメ主題歌 アーティスト:白石冬美/今西正男 /松島みのり/石川進 コロムビアミュージックエンタテインメント) (画像・情報は、「Amazon.co.jp: 通販サイト」より。) 「怪物ランドから人間界へやって来た不思議な少年、怪物くん」の本名は「怪物太郎」。そのお供に「ドラキュラ、オオカミ男、フランケン」がいる。真っ赤な闇の世界から白昼の世界へ紛れ込んでしまい、途方に暮れている、招かれざる(生れなければよかったはずの)子ども…。そんな赤ん坊を手にした母の戸惑い。ある意味、人間は誰も人間界で迷っている不思議な少年・少女なのかもしれない。
本書では、平林美都子によるフェミニズムの立場からの(?)『フランケンシュタイン』に対する総括的な(?)解釈が紹介されている:
(筆者注 ウルストンクラフトは)偉大なフェミニストの思想家であり、同時に性的に奔放な母。メアリーは母の著作を読み、その知性に憧れを抱きながら、母の女性性には反発を感じていたのであろう。メアリーの心の中の母への憧憬と反発。さらに母に捨てられた恨みと母殺しの負い目。母をめぐるメアリーの複雑な感情は、母なるものが両義的だからというだけではない。彼女は母なるもの、母の身体や女の欲望が、まさしく自分自身の姿であることに気がついていたからである。このゴシック小説の探求する秘密とは、抑圧・排除された母性である。『フランケンシュタイン』は、モアズが「母性についての恐ろしい物語の記録」(中略)だと呼び、ジョンソンが「自己の怪物性の自伝」(中略)だと呼ぶように、他者であると同時に自己でもある母の物語なのである。
ここまで来ると、思弁性に突っ走りがちな大方の男性からは疑義が呈されるかもしれない。
それでも、この小説の持つ異常なリアリティの淵源は、シェリーの痛切な体験に裏打ちされているという理解は首肯せざるをえないのではないか。
参考:
「武田邦彦 (中部大学) 環境よもやま話 その二十六 ー環境の原点:フランケンシュタインー」(より幅広い観点から「フランケンシュタインショックを考えてくれている。)
「フランケンシュタイン」
「No.80 実在したフランケンシュタインと、その狂気の実験」
「松岡正剛の千夜千冊『フランケンシュタイン』メアリー・シェリー」
「書評 フランケンシュタイン」
「asahi.com(朝日新聞社):メアリー・W・シェリー『フランケンシュタイン』 やなせたかし(上) - たいせつな本 - BOOK」(漫画家のやなせたかし談:「科学的に生命を創造するというテーマのこの19世紀初頭にかかれた傑作の影響を強くうけてぼくはアンパンマンを創作した」!)
「2008-01-08 - ニゲラ嬢の雑記帖 『フランケンシュタイン』の凄さを思い知る」
「六条亭の東屋 横山泰子『江戸歌舞伎の怪談と化け物』を読む」
「\\ very, very hungry // ◎第4回 フランケンシュタインの花嫁」
(08/10/15作)
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