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2008/10/31

『〈出雲〉という思想』のこと(後篇:「まえがき」を読む)

 今朝、昨日買ってきたパンジー10株を家の表通り側に植えてみた。
 午後から作業するつもりだったけど、雨が降りそうだったので、急遽、眠い目を擦りながら黙々と土いじり。

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← 曇天下、昨日買ってきたパンジー10株を植えてみた…。

 でも、植えてみたらあと20株は植えないと格好が付かない。
 寒風吹きすぎる表の通りでパンジーの花がちょっと寂しそうに揺れている。

 仲間がもっと欲しいって言ってるの?
 もっと違う場所がいい?
 それとも、曇天で震えているだけ?
 陽光を待ちわびている?

 まあ、そう言わず、今冬をなんとか乗り切って欲しい!

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→ 昼前、買物ついでにテルスターを8株買ってきて、午後、雨を心配していたのに、晴れた。今がチャンスと、早速、植える。

(午後になって雨どころか晴れ渡ったので、テルスター(ナデシコ)を8株、買ってきて早速、追加で同じ場所に植えた。少しは格好が付いたけど、まだあと10株は植えないと、どうにも落ち着かない!)


 === === === === === ===

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2008/10/30

『〈出雲〉という思想』のこと(前篇:『夜明け前』へ)

 29日の雨はまさに氷雨だった。
 朝、庭に出てみたら、庭先に植えた7株のパンジー、夜半過ぎまで降り続いたややきつめの雨の勢いに負けたのか、それとも小生の植え方が甘かったのか、一株の花が茎で折れていた。
 無念!
 願わくば、残りの花たちが元気に育ってくれますように!

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→ 原武史著『〈出雲〉という思想』(講談社学術文庫)

 原武史著の『〈出雲〉という思想』(講談社学術文庫)を過日、読了した。
 副題が「近代日本の抹殺された神々」とあって、なかなか面白い本だったので、感想とまではいかないが、大よそのことをメモっておきたい。

 古代史や考古学関係の本は基本的に新刊しか手にしない方針でいるのだが、図書館でCDを借りる手続きをしている合間、ちょっと手持ち無沙汰になり、出口付近にある文庫本の書架をチラッと眺めやったら、本書が目に飛び込んできた。

<出雲>という言葉が題名にあるだけで、気になってならなくなる。
 まして、<出雲>という思想って、どういうことなのと、手に取るしかなくなったのだ。

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2008/10/29

「富山を描いた絵画の数々(1)」アップ

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富山を描いた絵画の数々(1)」をアップしました。

 富山の風景を描いた絵の数々を順不同でアップしていく。
 名のある画家の作品もそうでない場合もある。

 ところで、昨夜、TBSの人気番組「リンカーン」の冒頭場面にサンバエスコーラ(チーム)・リベルダージ(G.R.E.S.LIBERDADE)の面々が賑やかしで登場していた。
 ダンサー十数人とバテリア(打楽器隊)も十数人(?)。
 ダンサーは前列に並ぶ人が主に映っていて、後列の人の姿は確認できなかった。
 バテリア陣は、演奏はともかく、姿は衣裳がチラッとだけだったのが残念。
 その演奏、多分、サンバダンサーの豪華さを演出し雰囲気を出すために必要だったのだろうが、そのわりには音をちゃんと拾ってくれていないような気がした。
 それこそ、残念だ。

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 それでも、チームの活動をテレビで見るのは初めて(確か数年前、浅草関連のニュースでリベジのダンサーの誰かが踊っているのを見たことがあるような。さらにやはりTBSの人気番組でリベジなどのダンサーらが登場していたという話を聞いたことがある。小生は見逃したのだが)。
 応援していたチームが活躍するのを見るのは嬉しいものだ。

 

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2008/10/28

梅や殖やせや……花を!

 我が家の庭先にある一本の梅の木。
 この木の樹齢が150年だと、つい先日、知ったってことはこのブログに書いた。
 戦災を生き延びたってことも。

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← 土壌改良…と言えるほどじゃないけど、少しは手入れをした。来年こそ、立派な梅の実の生らんことを!

 その梅の木、かなり疲弊している。
 幹は苔生して見るも無惨。
 もう寿命なのかと思っていたが、丹精籠めて育てたらもっと長寿も可能だとか。
 なので、ネットで仕入れた情報を頼りに土壌改良などやってみた。
 今年はダメだったけど、来年の春には梅の実が一杯、生ってくれたら嬉しいな。

 ん? もし運良く梅の実の収穫が多かったとして、どうやって梅を漬けたらいいのか分からないぞ。
 …ま、ゆっくり勉強だ。

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2008/10/27

「釣谷幸輝…モノトーンの海の魚たち」アップ

 昨日の日記に書いたように、梅の木のことが気になっている。
 なので、昨日の午後、雨が降り出すまでの束の間、せっせと梅の木の土壌改良作業に従事していた。
 といっても、やり方を知っているわけもなく、ネットで得た情報を頼りに、形ばかり。
 少しは元気を取り戻してもらいたいものだが。

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→ 庭の隅っこに1本あるミカンの木。
 つい先日までは緑一色だったのが、昨日、見たらほんのり黄色くなりかけている。
 もしかしてミカンの甘い果実が期待できる…かも。

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 さて、「釣谷幸輝…モノトーンの海の魚たち」をアップしました。

 以下は、釣谷幸輝の銅版画を見ての某氏の感想。
 既に削除(?)されたあるサイトでのコメントだが、同感・共感:

 夢幻的で無意識の領野に分け入るようでもあるのだが、過度にシリアスな世界に踏み惑うわけでもない。何処かいい意味で剽軽(ひょうけい)な雰囲気が漂ったりする。一歩、間違えば深甚なる世界がその崖っぷちからは覗けそうなのだが、別に怖いからというわけじゃなく、敢えて縁(へり)のところで戯れているような。

 では、いざ、銅版画家・釣谷幸輝の世界へ!

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2008/10/26

梅の木に見守られ…読書・音楽拾遺(後篇)

[本稿は、「自転車を駆っていそいそと…読書・音楽拾遺(前篇)」に続くものです。内容的には独立しているけど。 (08/10/26 記)]

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→ 我が家の庭先にある梅の木。外出するときも、帰宅するときにもこの樹齢約150年の梅の木にご挨拶。行ってきま~すとか、ただいま~とか。我が家を五代に渡って見守ってきた木。家が全焼した空襲の際にも焼け落ちることはなかったのだが、世話を怠ったばっかりに今や朽ちなんとしている…。

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2008/10/25

自転車を駆っていそいそと…読書・音楽拾遺(前篇)

サルビアの花にうもれて…読書・音楽拾遺(前篇)」や「夕焼け空を追いつつ…読書・音楽拾遺(後篇)」などを書いてから、早くも十日近くが経った。
 なかなか思うようには読書はできない。音楽については、部屋にいる間はCDプレーヤーが活躍しっ放しなので(父母の居る部屋からはテレビの音が聞こえてくるので、その消音の意味もある)、何かしら耳にしている。

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← 24日は終日、雨だった。畑も庭もたっぷり潤ったことだろう。画像の雨樋からの雨垂れを受けている石の器は、実は臼。数年前までは何十年の間、餅を搗くのに大活躍だったのだが、今は雨ざらし。雨に打たれ憩っている? 長い間、ご苦労様でした。

 図書館へ行く時は自転車。
 本やCDを返却するのは惜しいが、新しい出会いもあるやもしれず、ペダルを漕ぐ足も軽快である。
 特にクラシックやジャズ、民族音楽など、邦楽以外のジャンルの音楽は知らない演奏(家)や曲も多いので、今日はどんな発見があるかとワクワク気分だったりする。

 なんだか、初めての相手とのデートにでも出かける気分?

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2008/10/24

動物園の動物のことから「ぼろぼろな駝鳥」へ

[以下は、あるネッ友の方の日記にコメントとして書き込んだもの。その日記は、動物たちが動物園の中で、あまりに無防備にしているって内容だった。]

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→ 樹齢150年ほどの我が家の梅の木。今日の日記のテーマが「呻き」なので「ウメキ」、「梅の木」って連想してこの画像を載せたわけじゃない ? !

ーーーーーーーーー ーーーーーーーーー ここから転記 ーーーーーーーーー

動物は好きだけど、動物園は嫌い。
せめてサファリパークなら…。

動物園というと、高校の教科書に載っていた、高村光太郎の詩「ぼろぼろな駝鳥」(「銅鑼」(昭和3)発表)を思い出してしまいます:

ぼろぼろな駝鳥

何が面白くて駝鳥を飼ふのだ。
動物園の四坪半のぬかるみの中では、
脚が大股過ぎるぢゃないか。
頸があんまり長過ぎるぢゃないか。
雪の降る国にこれでは羽がぼろぼろ過ぎるぢゃないか。
腹がへるから乾パンも食ふだらうが、
駝鳥の眼は遠くばかり見てゐるぢゃないか。
身も世もない様に燃えてゐるぢゃないか。
瑠璃色の風が今にも吹いて来るのを待ちかまへてゐるぢゃないか。
あの小さな素朴な頭が無辺大の夢で逆(さか)まいてゐるぢゃないか。
これはもう駝鳥ぢゃないぢゃないか。
人間よ、
もう止せ、こんな事は。


動物園の動物って、人間で言えば、終身刑の刑に処せられているって感じちゃう。
大切にしているんだろうけど、野生じゃなくなっちゃうよね。
環境の危機を人間が作り出したからには、動物園にしても、現代のノアの箱舟なのかな…。
仕方ないのかな…。
                        (2008年10月23日am記)

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2008/10/23

「「小諸市北国街道ほんまち町屋館」…小諸というと藤村だけど(後篇)」アップ

「小諸市北国街道ほんまち町屋館」…小諸というと藤村だけど(後篇)」をアップしました。

 一昨日だったか、庭で落ち葉拾いなどしていたら、光沢も見事な緑色の果実が目に入った。

 ミカン!
 おお、そうだった、我が家にはミカンの木が一本あるんだった。

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← 我が家の庭の片隅にミカンの木が。ちゃんと果実が生る!

 木には青々としたミカンの果実が何十個も。
 その果実を見て、これがミカンの木だと改めて気づかされる。
 そうでもないと、植物には到って弱い小生のこと、ずっと気が付かなかっただろう。
 そういえば、我が家の庭には樹齢が150年ほどという梅の木がある。
 我が家のご先祖様が本家から少々の田畑をもらって分家した際に柿の木などと共に植えたものだとか。

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2008/10/22

「「小諸市北国街道ほんまち町屋館」…小諸というと島崎藤村だけど(前篇)」アップ

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「小諸市北国街道ほんまち町屋館」…小諸というと島崎藤村だけど(前篇)」をアップしました。

 我が町の昔日の様子を描いているわけでもない、数々の画像を掲げるのに、特に目的も意味もない。

 ただ、今昔の町(村)の風景を眺め、取り留めもなく想像をめぐらしてみたいだけである。

 わが町(昔は村)も、これほどの賑わいはなかったにしろ、我々の先祖様たちが働き、悩み、楽しみ、病み、恋し、村の内外を闊歩したんだろう…。

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2008/10/21

「忘れられたか江戸の画家・熊代熊斐」アップ

 小生はいろんなブログを見て回るのが好きで、お気に入りのサイトだと何度も勝手にお邪魔するが、そういうのは稀で、一瞬、チラッと覗いて、恐らくもう二度と目にしないサイトのほうが多いだろう。

 それこそ、街中で擦れ違った人をチラッと通りすがりに見るだけ。
 そんな相手と今生、遭うことも、まして言葉を交わすこともない…。

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← 「忘れられたか江戸の画家・熊代熊斐」をアップした(「熊代熊斐」は、「くましろ ゆうひ」と読む)

 行きずりの一瞬の印象がどれほど相手の人柄や背景を捉えられるものではないのだろうが、それでも、一瞥さえしえない相手が圧倒的な数なのであることを思うと、ネットのサイトであろうと、ほんの数秒間の滞在であっても、それはそれで縁(えにし)なのかなとも思う。

 そんな中、何度となくお邪魔するサイトの一つに、「江戸時代を世界遺産に」がある。

 …ということで、「忘れられたか江戸の画家・熊代熊斐」へどうぞ!

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2008/10/20

水辺へ、そして夕焼け

 16日(木)、夕陽をそして夕焼けを追って、自転車を駆って久しぶりに親水公園へ、さらに神通川へ。
 風のない一日だったので、空中には埃が漂っているようで、必ずしも綺麗な夕景には巡り合えなかったけれど、慌しい日常の中、目にだけは眼福を与えることができたと思う。

 或る日、こんなことを書いたことがある。

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 あるいは、そもそも夕焼けの光景が何か関係しているのだろうか。世界が茜色に染まる時間。空の青も醒め、木々の緑も闇の色に染まる直前、真っ赤な陽を浴びて戸惑い、屋根も木の板塀も人も橋も大地さえも一色に染まっている世界。
 夕焼けは血の色なのだろうか。記憶の海の底深くに沈んで思い出せるはずもない羊水の色を無理にも思い出させるようでもある…
、と。
 
 あるいは、こんなことも書いてみた…。

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2008/10/19

「昇斎一景…人間味たっぷりの浮世絵・錦絵を愛でる」

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← 「昇斎一景…人間味たっぷりの浮世絵・錦絵を愛でる」をアップしました。

 昇斎一景(しょうさい いっけい)は、「人物表現に滑稽味が強く感じられる」、生没年不詳の謎の浮世絵師。

 昨夜半過ぎ、家の中の片付けなどやっていた。明日(つまり今日)も秋晴れだという。
 湯呑み茶碗も洗い、テーブルも拭き終えた。エアコンも消した。何も問題なし。
 で、部屋の明かりを消して、自分の部屋に戻ろうとした…ら、居間のカーテンの透き間から青い光が漏れこんでいるのに気付いた。

 月明かり!

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→ 16日の夕景(環水公園にて)。

 夕陽を追うのも好きだけど、月光も好き。
 昨年の末までは、月影を追って車を駆って都内の各地の公園を走り回ったものだった。

 一旦、仕事を始めると、朝の十時半から翌朝の六時過ぎまで通して仕事だったので、真昼間の眩しさも夕刻も宵闇も丑三つ時の静けさも未明の漆黒の闇が微かに透明度を帯びてくる様子など、一日の変化を具(つぶさ)に眺め愛でることができた。

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2008/10/18

フランケンシュタインと出産の神話(後篇)

[本稿は、「フランケンシュタインと出産の神話(前篇)」の続篇である。]

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← 16日(木)、夕陽をそして夕焼けを追って、自転車を駆って久しぶりに親水公園へ、さらに神通川へ。風のない一日だったので、空中には埃が漂っているようで、必ずしも綺麗な夕景には巡り合えなかったけれど、慌しい日常の中、目にだけは眼福を与えることができたと思う。

フランケンシュタイン』の読みについては、たとえば、「松岡正剛の千夜千冊『フランケンシュタイン』メアリー・シェリー」が参考になる(やはり、いかにも男性による解釈という限界性が垣間見える…といった批判がエレン・モアズならずともフェミニズムないし「ヒロイニズム」の立場からは加えられるやもしれない)。

 誕生したのが怪物で、その姿を見て驚く(主人公の科学者も我々も!)のだが、考えてみると、少なくとも外見が怪物なのは作る過程をつぶさに見ている以上は、最初から分かっていたはずである。
 なのに、完成してみたら、その精神がいびつでおぞましくてショックを受けたというのなら分かるが(出来てみないと心の在りようなど分からないわけだし)、その容貌の魁夷なるを見て今更驚くのも奇妙な話なのである。

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2008/10/17

フランケンシュタインと出産の神話(前篇)

 横山泰子著『江戸歌舞伎の怪談と化け物』(講談社選書メチエ)を歌舞伎の世界の奥深さを感じつつ読んでいたら、おやっという章に行き当たった:
第六章 フランケンシュタインとお岩、そしてその子どもたち

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→ 『フランケンシュタイン』(1931年出版)の内表紙 (画像は、「フランケンシュタイン - Wikipedia」より。)

 何ゆえ、江戸歌舞伎の話に「フランケンシュタイン」が?
 怪談物の代表作の一つ鶴屋南北作の『東海道四谷怪談』と併せ論じられているようなので、もしかして両者に何らかの相関関係でも? と読み進めていくと、同時代性はともかく、小生の全く予想しない話の展開だった。
「お岩の出産が『東海道四谷怪談』の重要なテーマになっていること、お岩がお母さんとして化けて出ることの意味を、ここで考え直してみたい。その際、考えるヒントとしてメアリー・シェリーの『フランケンシュタイン』を引き合いに出そうと思う」という。

 小生としては、「お岩の出産が『東海道四谷怪談』の重要なテーマになっていること」自体が、ヘエーというレベルなので、ひたすら読み進めていくばかりである。

 まして、メアリー・シェリー(Mary Wollstonecraft Godwin Shelley  1797 - 1851年)の書いた『フランケンシュタイン』が考えるヒントにどうしてなるのか、皆目見当が付かない。
 ただ、今から紹介するフェニミズムの立場からの解釈は、どうやら知っている人には常識に属する話のようである。

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2008/10/16

「宝泉寺蔵地獄極楽図から我が地獄の夢へ」アップ

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宝泉寺蔵地獄極楽図から我が地獄の夢へ」をアップしました。

 斎藤茂吉第一歌集『赤光』の中の短歌と「地獄極楽図」との関係や、小生の子供の頃の地獄の夢など。

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2008/10/15

夕焼け空を追いつつ…読書・音楽拾遺(後篇)

 14日の夕方、五時過ぎだったろうか、そろそろ食事の用意をしなくちゃと思いつつ、部屋で本を読んでいたら、目の片隅に真っ赤な光が。
 見遣ると、夕焼けの赤が障子越しにも鮮やか。

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→ 「猫じゃらし」という別称のある「エノコロ草」越しに夕焼け空を撮る。

 ああ、これは見逃しちゃ勿体無いと、デジカメをポケットに突っこみ慌てて自転車を駆って近くの公園へ。

 悲しいかな日の入りには間に合わなかったが、それでも夕焼け空を愛でることができた。
 十数枚も撮った頃だったろうか、海(北)の方角から旅客機が。

 富山では旅客機が海辺から神通川を遡上するようにして富山飛行場へ向う。
 サケの遡上ならぬ飛行機の遡上なんて、絶景!

 多分、パイロットや特に乗客は河原や川へ不時着するような感覚を味わいつつ、珍しい光景を楽しんでいるのではなかろうか。
 小生も、もう十年ほど昔となろうか、母の緊急入院の報を聞いて、一度だけ、飛行機(ANA国内線)で帰郷したことがある。

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← 「富山空港」は、「日本で唯一河川敷に作られた空港」である。「ボーディングブリッジが日本一長いといわれてい」るらしく(「富山空港 - Wikipedia」でも確認)、パイロットには高度な技術を求められるとか。立地条件が厳しいが、利便性は高い。「YouTube - 富山空港到着便」にて着陸の様子などを見ることができる。
 
 公園の脇の道から変なおっさんが撮影している、そんな光景を傍から見たら、不審者に見えてしまうかなと思いつつ、でも、心に食い入る光景は見逃したくはないし、その一端をでも記録に残したい。

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2008/10/14

サルビアの花にうもれて…読書・音楽拾遺(前篇)

 13日(月)、図書館へ。
 先週は午前中は雨だし、午後も雨が降りそうだったが、今回は晴れ。自転車を駆る足も気分も軽快である。
 昨夜は夜半過ぎまでアルバイトで、帰宅してからも仮眠程度しか寝ていないのがウソのよう(尤も、夕方近くになってグターとしてしまったが)。

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→ 「サルビアの花」(相沢靖子 作詞/早川義夫 作曲) (「「サルビアの花」―もとまろ」など参照。)(唐突にこの曲を話題にした事情は下記する。)

 そういえば、先週、図書館の帰り、自転車の不具合に気がついたのだった。
 小生の自転車(というより、父が長年愛用してきた自転車を使わせてもらっている)は、昔ながらの漕ぎながら車輪のタイヤ(ゴム)を擦ることで発電し点灯する自家発電システムである。
 日中は当然、点灯しない(つまり、摩擦させないよう、タイヤに接触しないようになっているはずだが、タイヤに接触する部分が、最初は道路の段差で、仕舞いにはちょっとした軽い振動だけで、接触するようになってしまったのである。

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2008/10/13

「砂時計の情感」(『砂時計の書』より) 

 以前、「ユンガー「砂時計の書」をめぐって」という記事を書いたことがある。
 エルンスト・ユンガー著の『砂時計の書』(講談社学術文庫)をネタ元にしての雑文である。

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→ 『書斎のヒエロニムス』(1514  Engraving, 259 x 201 mm   Staatliche Kunsthalle, Karlsruhe)(画像は、「デューラー (北方ルネサンス)」より。)

 砂時計を巡っての瞑想は尽きないのだが、そもそも「砂時計の書」の周辺をモノローグ風に書こうと思ったのは、本書の特に冒頭の一文に魅せられたからだった。

 図書館の書棚から抜き出した本書の、何処かしら「バシュラール…物質的想像力の魔」を連想させなくもない冒頭の一文を読んで、改めて読んでみようと思ったのでもある。
[ちなみに、本稿の筆写をしたのは、10月5日なのだが、6日、図書館に寄ってみたら、9月(先月!)に刊行されたばかりのガストン・バシュラール著『水と夢 物質的想像力試論』(及川馥訳 叢書 ウニベルシタス 法政大学出版局)が新刊コーナーに鎮座していて、小生、慌てて手にしたのだった。確か、学生時代の終わりかフリーター時代に一読したことがあるはずだが、「約40年ぶりの新訳でよみがえ」ったのである。 (10/07 記)]

 本稿では、本書冒頭のその一部だけだが筆写(メモ)してみるので、(夜鍋して転記を試みたことだし)関心のある方には読んでもらいたいと思う。

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2008/10/12

ル・クレジオ…物質的恍惚!

 日本では物理学賞や化学賞の受賞の陰に掻き消されてなのか、どれほどの話題になったのか分からないが、下記のニュースに個人的にある種のショックを覚えていた。

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→ ル・クレジオ著『アフリカのひと 父の肖像』(訳:菅野 昭正 集英社

ノーベル賞:文学はル・クレジオ氏 仏の作家、人間性の裏側探究」(「毎日jp - 毎日新聞のニュース・情報サイト」より。←トップ頁を覗いたら、「米国務省は11日午前、北朝鮮のテロ支援国家指定解除を発表した」というニュースが! やっぱりね。日本や拉致問題(家族)は置き去りか。):

【ロンドン町田幸彦】スウェーデン・アカデミーは9日、08年のノーベル文学賞をフランスの作家、ル・クレジオ氏(68)=本名・ジャン・マリ・ギュスターブ・ル・クレジオ=に授与すると発表した。同アカデミーは授賞理由として「新しい出発と詩的冒険、官能的悦楽の書き手であり、支配文明を超えた人間性とその裏側を探究した」と述べた。(以下、略)

菅野昭正・東大名誉教授(フランス文学)の話」だと、「ノーベル賞では10年以上前から名前があがっていた。人間の魂を損なう現代文明への批判から出発し、原始文明の豊かさを描くようになった。最近は先祖が生きた旧植民地の歴史に関心を広げている。文明批判的な姿勢は文化人類学や、最近のポストコロニアル理論の研究者などからも共感を呼んでいる」とか。

 ル・クレジオについては、読み親しんでいる人には今更だろうが、「ジャン=マリ・ギュスターヴ・ル・クレジオ - Wikipedia」によると、「ジャン=マリ・ギュスターヴ・ル・クレジオ(Jean-Marie Gustave Le Clézio、1940年4月13日 - )はフランス出身の小説家。1963年『調書』でデビュー」で、「フランスのニースにイギリス籍の父とフランス籍の母との間に生まれる。18世紀にブルターニュからインド洋モーリシャス島に移った移民の家系であり、父母はいとこ同士。父は医師であり、ジャン=マリが8歳の時、イギリス軍に外科医として従軍した父に従い家族でナイジェリアに移住。ナイジェリアでは英語、フランス語の環境で育ち、この間に集中的に読書をし文学に目覚めた。作家デビュー前は英語で書くかフランス語で書くか迷ったすえ後者を選んだと言う」という方。

 この言葉の上でのルーツの複雑さは大概の日本人には想像も付かないものがあろう。

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2008/10/11

「08所沢サンバパレード(画像)情報(随時更新)」アップ

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08所沢サンバパレード(画像)情報(随時更新)」をアップしました。

「毎年30万人前後の人出」だという、「ところざわまつり」が開催される:
2008.10.12(日)
最寄り駅:西武新宿線 西武池袋線 所沢

 我がサンバエスコーラ・リベルダージ(G.R.E.S.LIBERDADE)年内最後のパレードです。

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「蕗谷虹児…花嫁人形幻想」アップ

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蕗谷虹児…花嫁人形幻想」をアップしました。
 蕗谷虹児(ふきやこうじ)は挿絵画家だが、今では「花嫁人形」(蕗谷虹児作詞・杉山はせを作曲)の作詞者といったほうがいいのか:

金襴緞子(きんらんどんす)の 帯しめながら
花嫁御寮は なぜ泣くのだろ
文金島田に 髪(かみ)結(ゆ)いながら
花嫁御寮は なぜ泣くのだろ

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キャベツの収穫を夢見つつ…読書・音楽拾遺(後篇)

[本稿は、それぞれの主題が違いすぎるし、蒟蒻畑問題を際立たせるため、「消えゆく蒟蒻畑を惜しみつつ」から独立させた。よって、本稿は、「花時計を横目に読書・音楽拾遺(前篇)」の続篇ということになる。]

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→ 8日に畑を整地し、過日の白菜に引き続き、9日、今度はキャベツ(の苗)を5つ、植えた。左は白菜の列。右はキャベツの列。かなり時期はずれだが、まあ、今年は農作業については勉強の年なのさ。(以上、08/10/09記)

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2008/10/10

消えゆく蒟蒻畑を惜しみつつ

 先ごろ、下記のニュースが飛び込んできた。

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← 「死亡事故と同じ「蒟蒻畑 マンゴー味」の容器=国民生活センター提供」 (画像は、「asahi.com(朝日新聞社):こんにゃくゼリー、また幼児死亡 対策取られず17人目 - 社会」より。)

asahi.com(朝日新聞社):こんにゃくゼリー、また幼児死亡 対策取られず17人目 - 社会」(文中の太字は小生の手になる):

 国民生活センターは30日、兵庫県の男児(当時1歳9カ月)がこんにゃく入りゼリーをのどに詰まらせる事故が7月にあり、9月20日に死亡したと発表した。こんにゃくゼリーは子どもや高齢者には窒息の危険があるとされ、95年以来の死者はわかっているだけで17人となった。規制する法的な枠組みがないとして抜本的対策がとられず、被害が広がっている。

 センターによると、事故のあった製品は業界最大手「マンナンライフ」(群馬県富岡市)の「蒟蒻畑 マンゴー味」。凍らせたものを7月29日に祖母が与えたという。
(中略)
 マンナンライフの話 これまでの事故を受けて、業界団体で協議し、商品に警告マークをつけてきた。表示を大きくするなど、消費者にさらにわかりやすく改良したい。製造を中止する考えは今のところない。

 佐野真理子・主婦連合会事務局長の話 これだけ多くの方が亡くなり、「行政のすき間」の商品として問題となっていたのに、行政が何もせず放置してきた結果、また1人亡くなった。警告マークをつけて済む問題ではないことが明らかになったし、そもそも高齢者や子どもが食べてはいけないお菓子が流通していること自体おかしい。早急に消費者庁を設置して、規制すべきだ。


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2008/10/09

花時計を横目に読書・音楽拾遺(前篇)

読書・音楽拾遺…モーツァルトとシンクロもエンヤない?」を書いてから十日余りが経った。

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↑ 富山城近くの某公園内に花時計が。何度もこの公園の中を自転車で通ったのに、初めて気がついた。早速、携帯電話を取り出し、パチリ!

 ここらでまた、読書や音楽鑑賞の記録をしておく(この日記は8日の夜に書いた)。
 
 ところで、昨日の「京都大学名誉教授の益川敏英さん、高エネルギー加速器研究機構名誉教授の小林誠さんと米国籍でシカゴ大学名誉教授の南部陽一郎さんの3人に、今年のノーベル物理学賞が贈られることが決まった」という果報に続き、今日も「スウェーデンの王立科学アカデミーは八日、二〇〇八年のノーベル化学賞を、飛躍的に発展している生命科学分野で不可欠な“道具”となっている緑色蛍光タンパク質(GFP)の発見者で、米マサチューセッツ州在住の下村脩(しもむら・おさむ)ボストン大名誉教授(80)ら三人に授与すると発表した」といったニュースが夕方になって飛び込んできた:
下村氏にノーベル化学賞 クラゲの蛍光タンパク発見

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→ 「オワンクラゲ」 「オワンクラゲは日本各地の沿岸で見られるヒドロ虫綱に属するクラゲ様の無脊椎動物」だとか。(画像・引用は、「オワンクラゲ - Wikipedia」より。) 美しい! 

 小生の大好きな動物(オワン)クラゲが研究に役立ったとか。
 なんだか、エキサイティングな気分だ。

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2008/10/08

「『新撰病乃雙紙』から」アップ

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『新撰病乃雙紙』から」をアップしました。

 この「双紙」は、「嘉永三年(一八五〇)幕府の医学館助教の大膳亮道が大阪の画工福崎一寶に描かせた一服の絵巻」で、「ここには、この舌の腫物の女をはじめ、脱肛痔の男、広節頭条虫症の男、蟯虫症の娘、子宮脱の女、老人性失禁症の男など、さまざまな病人の姿が巧みな筆致と鮮やかな色彩で描かれている」という。

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2008/10/07

「末期を描く…ターミナルケアの原点?」アップ

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末期を描く…ターミナルケアの原点?」をアップしました。

 本稿では、上掲書を参考に、西欧美術作品に描かれた末期の諸相を見てみたい。
 筆写によれば、これらの絵画にはターミナルケアの原点が描かれているのでは、という。

 ところで、俳優の緒形拳さんの突然の逝去は小生にもショックだった:
http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/domestic/obituary/?1223367006
 日本の男優で好きな人はと問われても、返答に窮する中、緒形拳さんは文句なしに好きな方だったから。

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2008/10/06

月長石…ムーンストーンは妖しく光る

 過日、久世光彦著の『早く昔になればいい』(新潮文庫)を読んでいたら、文中、(少なくとも)三度、「月長石」という言葉が使われていることに気づいた。
 それなりのイメージというかオーラを発散している言葉であり、物象だとは思うけれど、必ずしも長くはない小説に三度も使われると、ちょっと気になってしまう。

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← 「ムーンストーン(月長石)」((c)KAGAYA) (画像の出典は、「天然石図鑑 ムーンストーン(月長石)」より。本画像は、天然石・アクセサリーショップ「アクエリアスステージ」の許可を得た上で転載したものです。)

 小説家に限らず、表現にこだわるならよほどのことがない限り、(やや)珍しい言葉は比喩として複数回は使わないはず。
 時に目障りになりかねない。
 でも、同氏は敢えて何度となく使っている。
 もしかしてエッセイか何かでこの「月長石」を巡っての思い入れなどを語っているのではなかろうか。

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「ほうき星」じゃなく、「ほうき草」!

 朝、トイレのあと、読売新聞の朝刊を郵便受けから取ってくる。

 父はテレビを横目に新聞を読むのが何よりの楽しみ。食事の間も、気になる場面ではテレビを見遣るが、ほとんどずっと新聞に目を落としたまま。
 そんな父なので、朝刊を取ってくるのは父の仕事(?)なのだが、最近はあまり取ってこない。
 真っ先に開きたいだろうに。

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← 自宅の内庭にありあまっている鉢に植え替え、鎮座している「ほうき草」。別名、「コキア」。

 茶の間(居間兼食堂兼居眠りの間)の座卓の上に新聞を置き、テレビをつけ、そろそろ寒くなってきたのでエアコン(暖房)をオンにし、母の薬を用意し、お茶の準備をし、食事の準備(メニューを確認し、温めたり座卓に出したりするのは、両親が揃ってから)をし、場合によってはゴミ出し作業とあって、そのうちに父母がお出ましとなる。

 この頃は、朝刊をざっと目を通す頃になってやっと父母が寝室を出てくるような始末だったりする。
 寒くなると一層、この傾向は強まるのだろう。

 さて、朝刊の一面を見てちょっとびっくり。
 それは朝刊一面に「ほうき草」の紅葉の写真がデカデカと出ていたからだ。

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2008/10/05

ユンガー「砂時計の書」をめぐって

 エルンスト・ユンガー著の『砂時計の書』(講談社学術文庫)を読んでいる最中である。

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↑ 10月6日のこと、富山城近くの某公園内に花時計を発見。何度もこの公園の中を自転車で通っていたのに、初めて気がついた。早速、携帯電話を取り出し、パチリ!


 同書の詳細によると:

暖かな書斎の一隅で、白い砂粒が音もなく滑り落ちていく。
この静謐を、知的観想の時を、わたくしたちはいつくしむ。
砂時計は地球的時間の象徴である。
夜明けとともに起き、一頭の獲物を得るまで狩りをした“アド・ホックな”行動様式の忘れ形見である。
自ら作り出した歯車時計に支配される近代文明の逆説を、ドイツの文豪ユンガーは勁く静かに批判する。
古今の文献を駆使して語る、ユニークな宇宙論。

 結構、力の入った内容紹介ではなかろうか。

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2008/10/03

「鰭崎英朋…今こそ大正ロマン!」アップ

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鰭崎英朋…今こそ大正ロマン!」をアップしました。

 鰭崎英朋(ひれざきえいほう)は、「どこか耽美で妖艶で都会的な洗練された美意識がもたらされた時代」を象徴する一人で、「美人画・新聞紙上の相撲絵・大衆雑誌や小説の挿絵・口絵などで活躍し、一世を風靡した」人でもある。

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2008/10/02

於保多神社…富山に天満宮 ? !

 昨日の夜はアルバイト。
 富山は地域によってはだが、夕方、驟雨に見舞われ、土砂降りの雨の中の出勤となった。
 バイト先でこの突然の豪雨のことが話題になったが、同じ富山市内であっても、東部と西部、北部と南部で降り方がまるで違うことが、分かって、雨そして天候の異変が今年は際立っていることを痛感させられた。

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→ (9月)18日の夕刻、家の畑や庭の片隅から夕景を撮ってみた。

 南部と北部といっても、車で二十分も要しない程度の距離しか離れていないのだ。
 片や、雨どころかずっと晴れていましたよ、という人、朝から雨だったという人。
 小生の地域はその真ん中よりやや南部寄りで、夕方近くになって雨、そして一気の豪雨だったのである。

 その雨もあっという間に上がってくれた。車で市内を回る仕事であっても、雨はやはり面倒だし憂鬱。

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2008/10/01

「ソプラニスタ岡本知高!」アップ

ソプラニスタ岡本知高!」をアップしました。

 旧稿もアップしてあります:
伊香保へいかほ
木枯しも終わりよければ全てよし

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