« 「谷口ナツコ…痛々しき色彩曼陀羅」アップ | トップページ | 土を喰う…白菜の苗を植えた »

2008/09/29

「千木のこと」「竹樋・懸樋」追記

[本稿は、「千木のこと」への追記です。 (08/09/29 記)]

Bin0607201933270010

← 井堂雅夫『京都百景・平野神社』(木版画) (画像は、「アート静美洞 井堂雅夫『京都百景・平野神社』」より。)

 長部日出雄著の『「古事記」の真実』(文春新書)には、「千木」の語源(あくまで説)についての記述があったので、転記しておく:

 神社建築の象徴である「千木」の語源は、諸説があっていまだに一定していないが、津田左右吉によれば、「チ」というのは、「イカヅチ」「ヤマタノオロチ」がそうであるように、すべて恐ろしいもの、強い力を持つものを意味し、人間を超える力で人間生活を支配するものであったという。

 せっかくなので、今回は「千木」の語源やその周辺(関連)についてネットで調べてみた。

「千木 語源 - Google 検索」によると(西垣幸夫著『日本語の語源辞典』):

 ちぎ(千木@日本建築で、大棟上に交差した木。延喜式|祝詞「高天原に千木高知りて、 皇御孫の命の瑞の御舎を仕へ奉りて」。語源は「ひぢき(肱木)」の「ひ」の略。「ちがひき(差木二「ちぎ宴立木二説もある。

鳥居巡礼  栃木神明宮」(ホームページ:「鳥居巡礼」)には下記の記述が見受けられる:

ちなみに「栃木」という地名の語源はいくつかあるが、その中で最も有力といわれているのが、この神明宮の神殿にある10本の千木からきた「十千木」→「とうちぎ」→「とちぎ」だと言われている。

千木とは神社建築に特有の飾りで、神殿の屋根の両サイドに伸びた木材のことである。
神殿とは拝殿の裏にある神様がいらっしゃる建物のこと。
また両端の千木と千木の間には鰹木と呼ばれる飾り木が等間隔に置かれている。

写真はその千木と8本の鰹木。
千木は2本しかないので鰹木も千木と一緒くたにして呼んでいたのだろう。

神明系の神殿は千木を三間社の幅を取り大きく見せるため、他の神社に比べて千木が目立つため語源として広まっていったのかもしれない。

他にも栃木の語源としては「トチノキ」が多いから、「遠津木(とうつぎ)」という地名などの説があるが、栃木市役所のサイトではこの「十千木」説をとっていた。

 余談ついでだが、何年か前、友人らと伊香保温泉にある千明仁泉亭(ちぎらじんせんてい)に泊ったことがある。
 温泉もだが料理も眺めもよく、好印象の残っている温泉宿だが、その名前の「千明(ちぎら)」が変わった名前だなー、でも、名前だし、いろいろあるからなー、で終わっていた。

 でも、耳に残っている。
 もしかして、この「千明(ちぎら)」って、「千木(ちぎ)」に関係あるのかしら。

 伊香保温泉は、群馬県渋川市伊香保町(旧国上野国)にある温泉だから、まんざらの憶測でもないのか。
新(凄い)苗字”特集の特集”(2)」によると、「ちぎら」という名前の漢字表記には、下記などがある:

千木良/千金良/千金楽/千光士/千喜良/千装/千明/千吉良

 ま、まさか、屋根に突き出、交差する日本の木(の切れ端が)、つまりは、木の切れっ端で、見ようによっては「千切れている」ように見え、「千切る」が転訛して「ちぎら」乃至は「ちぎ」になったなんて、語源説は、ありえないよね。

 ついでに憶測を逞しくておくと、古代では、立てたり組んだりする木材が露わで(全てを材木などで覆うこともできず)、外見で建物を見ると、千本の木々が合わさった威容を誇っていた…だから、「千木」ってこと…もないよね。
 そう、それこそ、神様が山の大木を千切っては投げ、千切っては大地に突き刺し、組み合わせ、神社の祖形となる古代人の家が出来上がったという神話があったとか?
 どうも、妄想に走ってしまう。
 これを児戯に類する憶測というのだろう。

Izumotaishahonden

→ 「出雲大社本殿」 (画像は、「出雲大社 - Wikipedia」より。) 神社だからといって本殿の屋根が千木となっているとは限らない。神社の出自・由来・地域にも依るのだろう。出雲大社はさすがに立派な千木を拝み見ることができる。

 最後に、前稿では触れられなかった、竹樋(たけひ)や懸樋(かけひ)のことだが、下記のサイトが参考になるかも:
東京都水道歴史館:お江戸の科学

 但し、一昔前までは当たり前にあったという宮崎の竹樋(たけひ)は、山の高みから延々と水を引いて降ろした相当に長いもの。上掲のサイトにあるようなちょろっとした長さのものではない。長部氏によると、日本はもちろん、世界でも例を見ない壮観なものだったという。
 ネット調べたら、下記のようなサイトが浮上してきた:
宿毛市沖の島の生活
 この写真の豊富な頁の中葉に、「用水の竹樋(たけとい)」という項目が貴重な写真と共にある:

昭和28年4月1日 - 荒倉神社の上流に源を発する渓流ぞいには、早くから多くの民家が集まってきた。弘瀬開拓の祖といわれる三浦氏も、その邸宅を左岸の高台に構えていた。しかし弘瀬は、母島の様にV字谷の両斜面に民家密集するのではなく、渓流両側のゆるい丘陵に拡散する様に家を建てた。その為多くの民家は、長い竹樋を繋ぎ足して水を引き入れたのである。竹樋は坂道ぞいに下方へ、また左右へ斜めにと走り下るように家々へと引かれたのである。部落を歩いてみると狭い坂道には必ずといってよいほど竹樋が通り抜け、仲には十数本の竹樋の集中する要所もあって凄まじい。会するもの3人。人は水を求めて集まると言われるが、それは生物全てに通ずる原理でもある。

 江戸時代や明治になってもだろうが、「懸樋(かけひ)」や「竹樋(たけひ)」は、貴重な水道輸送手段として、案外と日本各地にあったのかもしれない(未確認)。

                          (08/09/16 作 9/29補筆)

|

« 「谷口ナツコ…痛々しき色彩曼陀羅」アップ | トップページ | 土を喰う…白菜の苗を植えた »

古代史・考古学」カテゴリの記事

文化・芸術」カテゴリの記事

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

社会一般」カテゴリの記事

科学一般」カテゴリの記事

コメント

知名や古い物の由来など調べるといろいろな事が分かって面白いですよね。伊香保温泉の上記旅館は老舗なんですね。趣深くて行ってみたくなります。

投稿: ピッピ | 2008/09/30 23:43

ピッピさん

古寺・古跡の由来を調べたり見物したりってなぜか楽しい。
我が家のルーツも辿ってみたいけど、あまり資料がなくて頓挫している。

伊香保温泉にある千明仁泉亭(ちぎらじんせんてい)は、明治の文豪「徳冨蘆花」が常宿として贔屓にした旅館だとか。
残念ながら温泉宿泊レポート記事は見つからなかったけれど、温泉へ向うまでのドタバタを書いた記事があったので、急遽、アップしました:
http://atky.cocolog-nifty.com/houjo/2008/10/post-8bd5.html

料理も美味しかったし、眺めも雰囲気もよくて、それに伊香保の温泉街を散策するのも楽しかったし、いい旅行でしたよ。

投稿: やいっち | 2008/10/01 09:49

千木の起源由来とても興味があります。
ちぎら の名前は沢山あるのですね。
千木良という名前の方は近くに住んでいます。
実は私、千木(ちぎ)そのものの苗字です。
私の名前のルーツは石川県金沢市千木町(せぎちょう)から来ているようです。
金沢工業大学の教授に 千木(せぎ)という方がいます。
多分遠い親戚だと思います。

戦中戦後の混乱期に”せぎ”から”ちぎ”に祖母が変えてしまいました。
何故変えたのかは定かではありません。

神社 神道のルーツについてもとても興味があります。

投稿: 千木 | 2013/05/27 21:48

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/52847/42492771

この記事へのトラックバック一覧です: 「千木のこと」「竹樋・懸樋」追記:

« 「谷口ナツコ…痛々しき色彩曼陀羅」アップ | トップページ | 土を喰う…白菜の苗を植えた »