« 「アルフォンス・ミュシャの流麗なる装飾美」アップしました | トップページ | 「川村清雄…洋画の洗礼の果てに(前篇)」アップ »

2008/09/21

千木のこと

 長部日出雄/著の『「古事記」の真実』(文春新書)を読んでいたら、「千木」という言葉に出会った。
千木(ちぎ)」という言葉、というより古来より伝わる、今となっては神社にのみ(?)残る、神社建築の象徴ともいえる、ある種の建築技法というべきか。

Tadajinja_honden

→ 屋根の上にあるのが鰹木、両端で交叉しているのが千木(多田神社本殿) (画像は、「千木・鰹木 - Wikipedia」より。)

 上掲書から当該箇所を転記してみる:

 国会図書館で読んだ佐伯英雄『宮崎懸新誌』(昭和26年刊)はまだ見ぬ高千穂の独特な佇まいを、つぎのように伝えていた。
「農家は多く萱(かや)で葺かれてその上には千木があり、古代の建築を思わせるものがある。早朝渓谷から湧く雲の上に雄渾な九州山脈の頂きが浮かび、山の端をはなれた太陽の光が千木古(ふ)りた農家の屋根を照らし、遠くからの鶏鳴を聞くとき古代の世界に遊ぶ気持ちを覚える」
 千木とは、神社建築の象徴ともいうべきもので、社殿の屋上に破風(はふ)の先端が交差して高く突出している部分をいい、今日では神社以外では見られない。だが、高千穂では何十年か前まで、農家の萱屋根にもその千木が備わっていたというのだ。その一点だけでも、なにやら尋常の里とはおもえない。
『宮崎懸新誌』はさらに、他には見られない高千穂の特徴をこう伝える。
「(この地方に多い清冽な)泉の水は場合によっては懸樋(かけひ)によって家に運ばれる。沿道に多くの竹製の懸樋を見、特殊な場合は懸樋がワイヤーに釣られて幾十米の河谷を越えている場合も少なくない。

(転記文の後半の懸樋(かけひ)の話題(竹樋)については今回は採り上げない。今後のための参考にメモしておいたもの。)
 小生、こういった古代史や考古学や神社や古寺、古跡、旧跡、廃墟などの話題には目がない。
 勉強のためもあり、ちょっとだけメモしておく。

千木・鰹木 - Wikipedia」によると:

千木(ちぎ)・鰹木(かつおぎ)は、今日では神社建築にのみ見られる、建造物の屋根に設けられた部材である。

千木は屋根の両端で交叉させた木であり、鰹木は屋根の上に棟に直角になるように何本か平行して並べた木である。どちらも元々は上流階級の邸宅にも用いられていたが、今日では神社にのみ用いられ、神社建築の象徴のようになっている。

千木は古代、屋根を作るときに木材2本を交叉させて結びつけ、先端を切り揃えずにそのままにした名残りと見られる。千木・鰹木ともに元々は建物の補強のためのものであったと考えられている。鰹木は、形が鰹節に似ていることが名前の由来であると云われる。鰹木は「堅緒木」「堅魚木」「勝男木」「葛尾木」などとも書く。


Ise_shrine_meizukuri

← 「千木」や「鰹木」 「屋根の頂部に並ぶ10本の円筒状水平材が鰹木、頂部から交差して突き出ている斜め材が千木。千木の先端は水平に切断されている。(伊勢神宮本殿(正殿))」。 (画像は、なぜか、
千木・鰹木 - Wikipedia」からではなく、「切妻造 - Wikipedia」から。)

「神社と神道」総合サイト - 神社とは… 神道、神棚など、神社に関すること何でも」の中の、「10 千木(ちぎ)にはどういう意味がありますか」も参照するのがいいだろう:

社殿の屋根の両端の所で、交差し高く突き出ている部分のことを「千木」といいます。 千木の起源は、日本の古代の住居(三本の木材を交差させたものを二組作り、それを建物の両端に立てて、その交差部分に棟木(むなぎ)をかけ渡した構造)の建築様式からきたとされています。 この建築様式の場合、交差した木材の先端は屋根よりも高く突き出ています。 その部分が、のちに千木といわれるようになったのでしょう。 千木は、屋根を支えるための大切な構造材だったのです。 しかし、現在ではほとんどの神社の千木が、一種の装飾的な意味合いの強い「置千木(おきちぎ)(二本の木材を交差させたものを、棟の上にのせた造りの千木)」になっています。 なお、千本の先端が垂直に切られている場合は、男神を祀っていることを示し、水平に切られている場合は、女神を祀っていることを示すと一般的にいわれていますが、異なる場合もあります。

 こういう記述、というか、古来よりの建物の特徴を見ると、小生などは遥かな古代への想像が膨らむ。
 膨らみついでに、神社の千木を見ていて、「竪穴式住居」を連想してしまった。連想というよりも、「千木の起源は、日本の古代の住居(三本の木材を交差させたものを二組作り、それを建物の両端に立てて、その交差部分に棟木(むなぎ)をかけ渡した構造)の建築様式からきたとされています」という説明に、むしろ何か千木の淵源としての有史以前の住まいを直感したというべきか。

竪穴式住居 - Wikipedia」での、「地面を円形や方形に掘り窪め、その中に複数の柱を建て、梁や垂木をつなぎあわせて家の骨組みを作り、その上から葦などの植物を利用して屋根を葺いた建物のことをいう」なる記述を読むと、建て方の上で基本的に発想が違うと分かるのだが…。

Tateanajukyo

→ 竪穴式住居の骨組み(登呂遺跡) (画像は、「竪穴式住居 - Wikipedia」より。)

 柱を立てる。それだけにも古人の英知が結集されたのだろう。
 木材を組み合わせ、どう安定させて立てるか、遠い先祖たちの工夫と知恵が偲ばれるようである。


蛇足:
 神社建築つながりということで、「鳥居の形式はどうやら中国・江南が発祥地」らしいということ」など、鳥居など鳥越憲三郎のことも話題にした拙稿を挙げておく:
金達寿著『古代朝鮮と日本文化』
                                  (08/09/14 記)
[追記しました:「「千木のこと」「竹樋・懸樋」追記」 (08/09/29 記)]

|

« 「アルフォンス・ミュシャの流麗なる装飾美」アップしました | トップページ | 「川村清雄…洋画の洗礼の果てに(前篇)」アップ »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

文化・芸術」カテゴリの記事

古代史・考古学」カテゴリの記事

書評エッセイ」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 千木のこと:

« 「アルフォンス・ミュシャの流麗なる装飾美」アップしました | トップページ | 「川村清雄…洋画の洗礼の果てに(前篇)」アップ »