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2008/09/11

読書拾遺…胡弓のメロディに抱かれて

[本稿は、「二週間ぶりに図書館へ」の続篇とも言えそうな内容になりそう。]

 今月に入っての記事を瞥見してみたら、全部、サンバ関係。
 無理もない。一年に一度の大きなイベント・浅草サンバカーニバルがあったから。
 それにしても、ちょっとこだわりすぎ?
 とにかく、ようやく平常な(?)記事に戻ります。

 バルザック著の『あら皮――欲望の哲学』(小倉孝誠訳=解説 バルザック「人間喜劇」セレクション 第10巻)を過日、読了。

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→ バルザック著『あら皮――欲望の哲学』(小倉孝誠訳=解説 バルザック「人間喜劇」セレクション 第10巻)

 やはりバルザックは凄い。
 写実主義って言うけど、リアルなのは納得するとしても、そのリアルは、例えばドストエフスキーとかに繋がるような、時に幻想味のある、人間の負の精神の泥濘の底を覗き込む感覚を覚えるという意味でのリアルさ。
 社会の描写にしても人間の心理の描写にしても、ある種のニヒリズムの色彩をも帯びていると感じる(むき出しの欲望、打算、陰謀、悲惨……。それが当時の都会化し始めたパリの当たり前の世界だったんだろうけど)。

「絶望し、自殺まで考えた青年が手にした「あら皮」。それは、寿命と引き換えに願いを叶える魔法の皮であった」というミステリアスな(しかし今となってはありがちな)仕掛けがある。
 最後には愛に命を縮める。その意味では案外と純愛を思いっきり捻った形で描かれているようでもある。
 古典的な、やや古臭い表現が見受けられるが、そんな些細な瑕疵を圧倒する表現力を本書で改めて痛感させられた。
 バルザックワールドを堪能。
 読み手の嗜好にも依るけど、ドストエフスキーやディケンズや、あるいはフローベールやモーパッサンを好む向きには、読んで後悔することはまずないと思われる作品だと思う。

 そういえば、今、車での外出に備え、車中にはカフカと交流のあった方たちの思い出を綴った本を具えていて、週に数十頁のペースで読んでいる。
 そのカフカは、本書によると、バルザックの叙述を、これではいけないと述べていたのだとか。
 さもあらん、である。
 小生は、両方を楽しむ!

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← 久世 光彦 (著)『早く昔になればいい』(新潮文庫) (画像は、「Amazon.co.jp: 通販サイト」より)

 久世 光彦 (著)の『早く昔になればいい』(新潮文庫)も、昨年来の待望の本で、富山の図書館でパソコンを使って検索したら、その図書館の書庫に在庫があり、すぐに借りることが出来、一気に読んでしまった。
 本書を読みたかった理由は、「無言坂…早く昔になればいい」で縷々書いたので、略す。
 要は、富山に関係する作家(若い頃、富山で過ごした。高校の先輩でもある)が書いた、富山の小高い丘陵の一角にある、実在する無名の坂の周辺に取材した(かのような)小説、しかも、小生の初恋の人が住む地区から遠くない場所(!)を舞台の小説、且つ、この作家が(市川睦月という名前で)作詞したものを、小生が好きな演歌歌手の香西かおりが歌っている、さらにさらに、小説の狂言回し的登場人物の名前が小生には悩ましいものである、などなど、小生に読めという誘引があまりに重なっているってことなのである。

 ここでは、「中森明菜 「無言坂」」を参照させてもらう:

 この物語のヒロインは、戦後直後の富山の素封家に生まれた、20歳過ぎの白痴、しーちゃんである。
 いつも赤い椿の銘仙を着て徘徊するしーちゃん、
 車の行き交う往来の真ん中で堂々と座り小便をするしーちゃん。
 機嫌のいい時はシルクハットを被るしーちゃん。
 秋茱萸と鳩笛の音色が大好きなしーちゃん。
 少女のころは、賢く、清楚で、周囲の憧れだったしーちゃん。
 それが突然、不幸に見初められ、静かに狂いだしたしーちゃん。
 頼まれれば嬉しそうに着物の裾をからげてその場で誰とでも寝るしーちゃん。
 けれども、実の兄だけは泣いて拒んだしーちゃん。
 ある夏の暑い日、誰の種とも知れない子を産んだしーちゃん。
 台風の日、神社の裏手の細い水路にはまって死んだしーちゃん。
 ――兄に殺されたしーちゃん。

 昔は、といっても、団塊の世代が幼少年期にはまだあった情景(風景)なので、そんな遠い昔ではないのだが、精神に変調を来たしたものも、自宅などで囲うことが珍しくはなかった。
 当然、家を抜け出す。トラブルを巻き起こすし、呼び込むわけである。
 小生が学生の頃にも、何かの小説だったかエッセイの中だったか分からないが、気のふれた女性が町(村)を徘徊し、相手構わず寝るし、男がよってたかって犯したものだという話を読んだことがあって、遠い想いに誘われたものだった。
 現代では考えられない?
 多分、一部の施設の中で秘密裏に似たような蛮行が繰り広げられているのではなかろうか。臭いものには蓋。都合の悪いものは表から排除する。老いて動けなくなって亡くなってしまうのも病室などの閉ざされた空間で秘密裏に。
 心も体も何もかもが闇から闇へ処理されていく…。

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→ クリフォード・A.ピックオーバー著『メビウスの帯』吉田三知世/訳 日経BP社)

 クリフォード・A.ピックオーバー著の『メビウスの帯』吉田三知世/訳 日経BP社)も読了。
 前稿でも転記したが、「メビウスの世界へようこそ!!エッシャーの版画作品でお馴染みのメビウスの帯のトリビアに加え、結び目理論、クラインの壺、ペンローズ・タイルなど、トポロジーの旅を味わう」というもので、実際には初心者向けの内容なのだろうが、小生にはそれでも味わい深い本だった。
 メビウスの輪(帯)というメタファーをエッセイや小説で何度使ったかしれない。
 日常と非日常が、異次元の世界が、過去や未来や現在が、今ここの地点から、その立っている面を辿っていくだけで自然と紛れ込んでいき、迷い込んでいく。
 あらゆる世界が堂々巡りのような、眩暈のする世界の諸相が重なり合っている、そのただ中に自分が居る。
 トポロジーや位相幾何学なんて分からないけど、それでも遮二無二かぶりついて、その一端をでも味わうのがすきなのだ。
 プルーストの『失われた時を求めて』なんて、まさにメビウスワールドとしても読める(メビウスの理論を知らなくとも構わない)!

 そうそう、今週初め、二週間ぶりに図書館へ。
 再読になるが、好きな学者で著作家の鶴岡 真弓【著】の本をパソコンの検索で探し出し、『装飾の神話学』(河出書房新社)を借り出した。
 さらに、新刊コーナーに長部日出雄/著の『「古事記」の真実』(文春新書)があり、即、手を出した。
「古事記」がタイトルについていると、すぐ眼が勝手にそっちへ向うのだ。
 長部日出雄の著作では、何年か前、『天皇はどこから来たか』(新潮文庫)を読んだことがあるので、彼の本を手にするのは二冊目となる。
 日本の古代史は謎があまりに多い。『日本書紀』や『古事記』が作られる過程で、多くの<事実>が、少なくともその意味(位置)付けが改変されたり抹殺されたらしい。
 同時に、神話などの形で真実が見えない形で盛り込まれている、解明を待つ記述もあるような気がする。
 まだまだ古代史は汲み尽くし得ないで、解明を待っているのだろう。

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← 許可(二胡) 『胡弓のメロディ』(Bmg ジャパン)

 音楽が欲しい。
 ハープのCDが見当たらず(時間がなくて、ゆっくり棚を物色できなかった)、諦めかけていたら、許可(シュイ・クゥ)という小生には初耳の胡弓(二胡)奏者の方のGDが見つかった。
胡弓のメロディ』(Bmg ジャパン)である。即、借り出した。
 この三日ばかり、架けっ放しである。
(「許可」という奏者にも胡弓にも疎いので、「North Winds胡弓のメロディ <許可>」での記述を参照してほしい。)
 自由になる時間は乏しいが、胡弓の織り成すゆるやかでゆったりした音の世界をバックに読書や居眠りを少しでも出来たら嬉しいのである。

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