一人ぼっちの墓参り
23日はお彼岸の日(秋分の日)ということで、おはぎなどを作って親戚の者たちがやってきた。
小生の父母が、彼らにとっての父母であり祖父母であり、曽祖父母であるからでもある。
おはぎを食しつつ、しきりに親戚のうちの一人が、おはぎを作ったら、墓参りに行かなきゃねって、孫たちに言っている。
← 菊の花など手向けて墓参。まだ薄日だったけど、次第に曇り、夜になって雨。手向けの水?
その言が小生に向けられていることは痛いほど分かる。
我が父母は体の不調もあって墓参りには行かない。
行くとしたら、我が家では小生以外にない。
小生は曲がりなりにも我が家の長男なのである。
墓参りに行く…。
ちょっと億劫である。
動くのが面倒だから? 墓参りなんて心中、バカバカしいと思っているから?
それとも、お墓が小生の祖父らのものであるのだが、その祖父母らの面影を小生はまるで知らないからなのか?
確かに小生には祖父母の思い出は一つもない。
小生が物心付く前に祖父母ともにこの世の人ではなくなっていた。
祖母は小生が四歳か五歳の頃、祖父はその前に亡くなっている。
祖母の思い出というと、ハイヤーか何かに乗って葬儀場へ行き、祖母の棺が壁のような黒い壁面に押し込まれ、やがてわずかばかりの骨を見せられて呆気なさを感じ、葬儀場を後にした際、煙突から煙が出ていて、ああ、あれが祖母の成れの果てなんだなって、思ったり(実際には空の雲を眺めただけだったかもしれない)、祖母の線香臭い、いかにも老婆が着そうな下着か服をまとまらぬ感想を抱きつつ眺めたり…、まあ、せいぜいそんなものである。
人によっては四歳ほどにもなれば、ある程度は大切な人の何かの記憶や思い出の一つや二つくらいは持つのだろうが、悲しいことに小生は覚束ない記憶力しか有しない、そもそも情の薄い人間なのである。
祖父については何一つ、思い出を有しない。
父に祖父に付いての話を聞いたことはあるが、だからといって祖父の面影が立ち現れるというものでもない。
せいぜい、何かの折、土間に父の後にくっ付いて向った時、土間の隅っこに赤錆びて原形を辛うじて残しているだけの短剣があって、これ何って訊いたら、これはおじいちゃんが戦争に行った時に持っていた軍刀(短剣)だと教わり、錆びた鉄の匂いの向こうに祖父の像を何とか形作ろうとした…けれど、形に成らなかった、そんな朧な思い出があるばかりである。
でも、小生が墓参りに行くのが億劫なのは、そんな諸々のことが理由なのではない。
屁理屈を捏ねると、年老いてからだの不調を訴えがちな(実際、お袋は身体障害者手帳を持っている)祖父母と一緒に暮らしながら、世話の真似事をやっていて、両親の世話は小生がやるとして、さて、小生が年老いたなら自分は一体どうなるのか。
妻も子もない小生、天涯孤独になるのは必定である。
まあ、一人っきりになったら、野垂れ死ぬばかりで、それでいいじゃないかとは思う。
誰に迷惑をかけるわけじゃなし、世間がほんの少しでも影響を受けるとも思えない。
→ 観音堂(地蔵堂)の裏側。雑草が生い茂っていた。スッキリ!
墓参りに行く。
父母は行かない。
行くとしたら、小生一人である。
一人きりの墓参り。
一人きりだから都合が悪いとか寂しいとか、そんなことは思わない。
でも、小生が亡くなったら、墓は草葉の陰に埋れていくだけ…。
それまでの間だけ、申し訳みたいに墓参りする、それが何かとても空しいと感じてならないのである。
一体、何のために墓参りに行く。
ほとんど全く思い出も面影も抱き得ない人たちのために、何故。
いやいやそれはおかしい!
お寺や神社を巡って歩くのが好きな小生。古跡を歩き、古墳に思いをめぐらすのが好きな小生。
なのに、我が祖父母の墓を参らないなんて、そんなことはありえない!
何が理由で億劫なのか、自分でも分からない。
この世に心を分かち持つ相手が一人もいないことが理由なのか。
(38年前の今日、生まれて初めて(多分、最初で最後)心を開き始めた日だった。だからこその9・23(クニミ)なのである!)
祖父母も我が父母も生涯の伴侶を持っている(た)。
今日来た親戚の者も、夫婦の間であれこれの軋轢はあったろうけど、でも、伴侶を持っている。姪っ子も甥っ子も結婚している。もう子を持っているし、持っていない者も結婚はしているから、近いうちには子供を持つだろう。
そんな中にあって自分は、風天の寅さんじゃないけれど、いよいよ天涯孤独な境涯に真っ逆様である。
そんな自分がどんな顔をして先祖の前に立てばいい。
独身主義だからってわけじゃなく、ただ、風に吹かれるがままに流れ流れてこんな姿でいる。
ご先祖様の誰に対しても、会わせる顔がないのだ。
こんな腰の重い小生に嫌気が差したのだろう、親戚の者たちは、我が祖父母の墓参りには行かなくて、嫁ぎ先のお墓参りに行くからと、半時も滞在しないうちに帰っていった。
我が父母は小生には何も言わない。
口を出さない…というより、小生の腰の重さや(彼らには多分、情のない、風習を嫌う人間としか映っていないのだろう)不精さを知悉しているから、今更、自分らが体の不具合で行けないから、代わりにお前が行け、とも言わない。
言っても無駄だとばかり、ただ、黙っているばかり。
ただ、小生のいないところで溜め息を付くばかり。
彼らには何を今更、なのだろう。
頑なな心。閉じた心。
誰に対しても会わせる顔のない自分。
一番、居たたまれない気持ちで居るのは自分なのだけど、そんなことは他人には何の意味もない。
ただ、墓参りさえ怠る、世間知らずの役立たずがいるばかりなのだ。
自分たちが生きている間は、哀れみと同情の念で傍に置いといてやるけれど、自分たちが居なくなったら、想像はしたくないが野垂れ死ぬ息子の姿が見えてしまう…。
親戚の者たちが立ち去ったあとの静けさ。
父母は二人、いつもながらの愚痴を零している。
小生は、空白の時が怖いってわけじゃないが、午後は畑や庭の草むしりをするつもりでいた。
そのうち、そうだ、家の前の観音堂(地蔵堂)の周りの草むしりをしようと思い立った。
町内での催しで、水溝や公園などの草むしりはするが、観音堂の周辺の草むしりをするという発想は浮かばないらしい。
その観音堂の表側は、さすがに地蔵盆などの際に掃き清めたり、草むしりもする(実際には、コンクリート製の建物だし、お堂の前もコンクリートでガッチリ固められているので、掃いたりすれば十分、綺麗になる。
でも、観音堂の裏側は誰も清掃しない。
← 仏壇にお花を供え、静かに手を合わせる。会わせる顔はないけれど。
観音堂は我が家からは横向きとなっている(南向き)。
我が家の庭の門からは、細い道を挟んで観音堂の側面が見える。
なので、観音堂の裏側と観音堂を囲繞する隣家の塀との間の透き間が真正面に見えるのだ。
そこは柱の陰になっているという事情も、町内の誰も掃除しようと思い立たない理由でもあるのかもしれない。
数ヶ月前からお堂の裏側の雑草が気になっていた。
今日こそ、やろう!
でも、待てよ。
お堂の掃除(草むしり)はいいとして、じゃ、肝心の我が家のお墓はどうする。
自分の気持ちはどうあろうと、やはり、父母の代わりに墓参りすべきじゃないのか。
我が家の墓を掃除しないで、お堂を掃除するなんて、話が違うし、順序も違うのじゃないか。
自分の気持ちなんて、どうでもいいのだ。
父母の代わりに簡単にでも墓参りしよう!
せめて墓掃除くらいはしよう!
で、実際にお墓に行って掃除していたら、近隣のお墓は清掃されているだけじゃない、菊や向日葵などが手向けられている。
それに引き替え、我が家の墓は古いだけじゃなく、花の一本も手向けられていない。
お盆のときの花は萎れて、床面に落ちている。
その光景があまりに哀れだった。
自分は納得付くで野垂れ死ぬのだとしても、ご先祖様に恥を掻かせるわけにはいかない。
変なところで負けじ魂が出てきてしまった。
それとも、単に世間体を飾りたいだけなのか。
急遽、草むしりの格好のまま(ツバ付きの帽子、首にタオル、長靴、長袖、厚手のビニール製手袋)自転車を駆って、墓参用の花を買いに行った。
仏壇のための花一式と、墓参用を一セット。
お任せで頼んだら、二千二百円だって! たっけえー!
2リットルのペットボトルに水を入れ、釜やビニール袋を持って我が家の墓へ。
(墓参セットは忘れた!)
お盆の時にも草むしりしたし、墓の掃除もしたので、簡単に掃除は終わった。
持参の花を飾り、水を墓(我が祖父=長男の墓がメインで、その周りには、次男・三男などの墓や、近所の田圃を整地した際に出てきたという身元不明の人の小さな墓などが三基、取り囲むように立っている、それら全部に)の上から掛け、何を祈るでもなく、祈った。
墓というわけじゃないが、仏壇にはほぼ毎日、参っている。
なぜなら、我が家には(あるいは我が富山には)御飯が炊き上がったら、御飯をブッキ(仏飯器)に少々盛って必ず墓前に上げるという風習があるのだ(その際、チーンと輪棒でお輪(りん)を鳴らす)。
なんだか、我が家の門の向かいにある観音堂が縁で墓参が叶ったようなものだった。
一人、墓に向う。
手を合わせて祈った…けれど、祈りの言葉は何も浮かばなかった。
会わせる顔がないのに、何を祈ればいいのか。
こんな自分を許してください、とでも?
曇天の空、冷たい風が背筋を吹き抜けていく。
無念無想…というと、格好がいいようだが、要は無言のままに祈るだけだった。
祈るべき何かを自分にも欲しい…とでも祈ればよかったのだろうか。
無事(?)、墓参を終えて、ようやく観音堂の裏側の草むしりやら、畑の草むしりを心置きなくすることができた。
春三月に父が苗を植えたキュウリやナスだが、キュウリは過日既に、実りの時は終わっていて、根っ子から引っこ抜いてしまっている。
ナスも、収穫すべきナスが(小生の世話が拙くて)もうほとんどなくなっているので、これも同じ日、一本を残して全部、思い切って引っこ抜いてしまった。
残るは、ネギとトウガラシとカボチャだけ。
この中で父が植えたのはトウガラシだけとなった。
→ キュウリに続き、ナスも抜き取って、丸坊主の畑。秋に収穫するための野菜の苗(種)を植え損ねたので、今秋は実りの秋を楽しめない。
いろんなものが変化していく。
来年は、ナスやキュウリを父は植えるだろうか(植えるだけの体力があるのだろうか)…。
先のことは分からない。
生活の先行きが見えないってのに、来年のことを思い煩ってどうなるものじゃない。
墓前で何も祈る言葉が浮かばなかったように、来年のことだって、頭の中は空白。
それでいいのだ。
夜になって、雨が降ってきた。予報通りだった。
墓前に手向けた花も濡れているはず。
あるいは雨に流されてしまうのかもしれない。
まあ、せめて仏壇に供えた花だけは余命を止めてくれるだろう。
…こうして、一人ぼっちのお彼岸、一人ぼっちの墓参の一日は終わったのだった。
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コメント
こちらを今日、茂木健一郎氏のトラックバックから知りました。いつも出会いを大切にしていますが我が人生も捨てたもんじゃないなと思いました。ただひたすら、流れる涙をぬぐいもせずにコメントを書いてお腹を空かせている犬にご飯をやろうとしています。私がこのところ、読みたかったものが全て、この1ページに収められていたことは奇跡に値します。止まらない涙をどうしたらいいのか、流れるに任せていましょう。有難うございました。
投稿: ピッピ | 2008/09/24 12:09
ピッピさん
はじめまして! ようこそ!
TBした記事って、これですね:
「蝋燭の焔に浮かぶもの」
http://atky.cocolog-nifty.com/bushou/2006/02/post_cc22.html
拙い文章ですが、少しでも感じるものがあったとしたら、書いた者としては嬉しい限りです。
何かの縁でしょうから、交流を持てたらと思います。
これからも宜しくお願いします。
投稿: やいっち | 2008/09/24 16:30