「蛍川」の周辺
今春(それとも今冬の終り)に帰郷した。
富山でもやはり車関係の仕事をしている。
営業の都合で、富山市内外の各地を車で動き回っている。
三月末だったか、四月初めのころ、「蛍川」という地名を耳にした。
帰郷して間もない頃だったから、「蛍川」が地名だとさえ気付かなかったかもしれない。
← 宮本輝著『蛍川・泥の河』(新潮文庫)
まして、それが宮本輝の小説『蛍川』の舞台そのものだと気付くには、それから月に一度か二度、「蛍川」の周辺を通り過ぎる必要があった。
小生はそれほど、鈍な奴なのである。
この七月、偶然だろうが、三度ほど「蛍川」周辺を、ついには先日、とうとうまさに「蛍川」の地へ足を踏み入れた。
といっても、夜だったし、目的を果たしたら、さっさと富山市内へ帰るので、実際は通り過ぎるだけである。
「蛍川」については、後日、改めて調べることとして、ここには宮本輝の小説『蛍川』(や『泥の河』)を読んでの感想文(というより小説の中味には立ち入らず、ほとんど思い出話の類いに留まっている)を再掲しておく。
中に収められている「蛍川」を読みたくて、この新潮文庫を買った。
恐らくは小説読みとしては邪道な動機からである。この小説は小生の郷里である富山が舞台なのである。そんなことを聞いたことがあったような気がするが、身近に小説好きな人間はいないので、話題になりようもないままに今日に至った。
(中略)
その中で、富山出身の小説家や、富山を舞台にした小説(随筆・研究)に関心を持ち出したのである:
「富山県文芸地図 富山・婦負地区編」
その中に、宮本輝の名前が見出される。しかも蛍(川)とある。
実は、小生も富山に生まれ十八歳までは富山の農村で育った人間として、幼い頃には蛍狩りの思い出もないわけではない。が、農薬の影響なのか、次第にその姿を見かけることがなくなって、関心も薄れていったのだ。コオロギやバッタやカブトムシなども夏休みには虫篭と採集の網を手に、近所の林などを探して回ったものだった。
それが、数年前、親戚の集まりがあり、その雑談の中で姪が不意に、「私の里じゃ、蛍が凄いのよ、もう、ワンワンするほどいるの。六月とかだと、見れる…」と語ったのである。
小生には意外だった。確かに、小生の暮らした農村は、とっくに都会化され農地は工場やマンション、新築の家々に挟まれて窮屈そうに残っているだけである。なんといっても、富山駅から歩いて十五分ほどの距離にあるのだ。田圃が次々に宅地化されるのも、無理はないのだ。
しかし、姉の嫁いでいった先は、まだ郊外に在り、道路沿いに住宅街が散在しているという風で、田圃や畑のほうが圧倒的なのである。近年はさすがに農薬も使用が控えられても来ている。
だから、蛍(などの昆虫やタニシやヒルなど)が復活しても不思議はないのである。
が、それを姪の口から告げられると、急に実感を持って蛍狩りをした昔の思い出が蘇るし、ああ、もう一度、自分の目で見てみたいと強く思われてしまったのである。
そうしたことが重なり、宮本輝の「蛍川」への関心が強まったのだ。
しかし、さらに彼の小説への関心を強める動機が自分にはある。
それは、自分も富山を舞台に小説を書いたことがあったからである。ほとんどの小説(短編)は、現に居住している東京を背景にしている。しかし、原稿用紙で500枚ほどの小説は、富山と東京を絡めた内容になっている。
当然、東京という都会の光景も描くが、力を篭めたのは富山の風景だった。それも、小生が未だ離郷する前の富山をいとおしみつつ描いたつもりなのだ。立山連峰や富山の海、そして神通川などの河川、田園風景…。
ところが、その小説には蛍狩りの光景は入れていなかったのだ。というより、書いている時には思いつかなかったというべきか。
大袈裟に言えば、ちょっと盲点を突かれたような気持ち、そして惜しいことをしたなという悔しさの念で、ようやく最近になって新潮文庫版の『泥の河・蛍川』を購入したというわけである。
どちらの作品も素晴らしいものだった。恥ずかしながら、小生は宮本輝が「蛍川」で芥川賞を受賞したことさえ、知らなかった。受賞の当時は話題になったろうに。
もし、小生が富山に在住したままだったら、さすがに富山で話題になるだろうし、晩生(おくて)の自分も手に取ったに違いないのだが。
宮本輝が芥川賞を受賞したのは、78年である。その年、小生は大学のある仙台から、やっとの思いで引越し代を捻り出して上京したものだ。当然、テレビもないし電話もないし、新聞もとっていない。本を買うおカネなどあるはずもない。情報の孤島にいたがゆえに気付かなかったとも考えられる。
昨日から今日の昼間にかけて、『泥の河・蛍川』の両作品を一気に読み通した。上記したように素晴らしい作品だった。「泥の河」も素晴らしいが、「蛍川」も、何も昭和三十七年三月末の富山市を舞台の小説であるが故に思い入れをしたということでなく、純粋に一つの作品として珠玉の作品だと感服した。
大方の小説読みの方には、何を今更と呆れていることだろう。小生も、何故、こんな手堅さと叙述の透明で、清冽な、まさに天性の小説家とも言うべき作家の本を今まで読み漏らしてきたのだろうと、ちょっと情ない思いがしている。
その凝縮された透明感というのは、何処か川端康成の『雪国』の示す象徴性の域に近いような気がした。
新潮文庫の解説をしているのは、文芸評論家の桶谷秀明氏である。彼は「蛍川」から二箇所を選んで引用している。感服する場所は、やはり同じなのかもしれない。ここでも、再引用して、一緒に観賞したい。
一年を終えると、あたかも冬がすべてであったように思われる。土が残雪であり、水が残雪であり、草が残雪であり、さらには光までが残雪の余韻だった。春があっても、夏があっても、そこには絶えず冬の胞子がひそんでいて、この裏日本特有の香気を年中重く澱ませていた。 (引用終わり)
北陸の冬の空は、どんよりして重い。鉛色の雲が切れて陽光が差し込むことは、めったにない長い冬。そんな中、気も波も荒い海を前にして立つと、その海の水の冷たさが一層、辛く感じられる。新雪の積もった朝など、雪掻きをしてないと、人の行き交いが困難になる。行き過ぎるどちらかが譲って、相手の通り過ぎるのを待つのである。
それは長い冬を待つ心性にも通い合うものがある。そうした重苦しい日々の果てだからこそ、春の日々の到来は嬉しいのだ。
そのどちらが相手に譲るかという有り触れた、だからこそ当たり前に日常的に交わす心のささやかな気配りの果てに富山の人情が練り上げられていったのである。雪の少なくなった今日では、その辺りの事情はどうなのだろうか。
さて、引用した文中に「裏日本」という言葉が見受けられるのは、愛嬌というものだろう。富山に過ごした人間なら、その「表日本」側の傲慢さを感じつつも、敢えて見てみぬ振りをするのも、北陸人の優しさなのだ。
長く裏日本扱いされてきたこと。それは長い冬であり、重苦しく沈鬱な鉛色の空であり、時には牙を剥く七つの河の記憶であり、いつの日かの心の芽吹きへの渇望なのである。そんな鬱屈した心情は、一年余りの少年の日の富山経験では、宮本輝も知る由もないのかもしれない。
さて、もう一つの印象的な描写は以下のようである。
何万何十万の蛍火が、川のふちで静かにうねっていた。そしてそれは、四人がそれぞれの心に描いていた華麗なおとぎ話ではなかったのである。
蛍の大群は、滝壺の底に寂寞と舞う微生物の屍のように、はかりしれない沈黙と死臭を孕んで光の澱(おり)と化し、天空へ天空へと光彩をぼかしながら冷たい火の粉状になって舞いあがっていた。
(引用終わり)
小生なら違う表現を試みるだろう。が、これはこれである種の象徴性を感じさせる見事な世界だ。
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