小生 イヌにあわず
コンラート・ローレンツ著の『人イヌにあう』(小原 秀雄 (翻訳) (至誠堂選書 1) 至誠堂)を久々に読んだ。
与謝野晶子訳『源氏物語』とローベルト・ムージル著の『特性のない男』(集英社)とほぼ相前後して読み始め、並行して読んできた本で、読む場所や時間の都合で本書を読み終えるのが最後になった。
車の中で数頁ずつを読むだけなので、一ヵ月半ほど本書と付き合うことになったのである。
← 小生が中学に入学した頃に画いた「おおかみおうロボ」! 犬の先祖はオオカミかジャッカルかキツネかなど、諸説があった。が、最近の研究で、犬がオオカミから派生したということが分かったという。「ペットコラム » 犬の起源を考える ②」参照。
1966年の刊行だが、小生が手にしたのは昭和55年の発行。
ということは、フリーター時代に買った本ということになる。
小生は学生時代からのコンラート・ローレンツ(の本)のファンで、全部とは行かないが、翻訳された本の半分は買って読んでいるはず。
例えば、本書のほかに、『攻撃 悪の自然誌(1・2)』(みすず書房, 1970年) 、『文明化した人間の八つの大罪』(思索社, 1973年)、『鏡の背面 人間的認識の自然誌的考察(上・下)』(思索社, 1974年-1975年)、『ソロモンの指環 動物行動学入門』(早川書房, 1987年)、『ハイイロガンの動物行動学』(平凡社, 1996年)など。
最初にローレンツの世界に魅了されたのは、『ソロモンの指環 動物行動学入門』(早川書房, 1987年) で、未だに名著中の名著だと思う。
学生時代に読んだ本は、アパート暮らしということもあり、部屋に置けなくて、他の本と一緒にダンボールに詰めた田舎に送った。
でも、そのうちに…、初めて読んでから数年、あるいは十年ほど経ってから、また読みたくなり、図書館から借り出して読み返した。
それからまた十年ほどして、今度は帰省の折に暇の徒然に書棚を眺めていて、ふと目が止まってまたまた読み返す。
→ コンラート・ローレンツ著『人イヌにあう』(小原 秀雄 (翻訳) (至誠堂選書 1) 至誠堂)
…思い出した!
学生時代に買い、読み、所蔵していた『ソロモンの指環』は、80年台の半ば頃、小生のサラリーマン時代、会社の同僚の手に渡ったのだった。
別にあげた、というわけじゃなく、相手の持つ本と交換したのである。
それから数年もしないうちに、やはり『ソロモンの指環』は手元に置いておきたくて、改めてまた単行本を買ったのである(当時は未だ文庫本がなかった。が、仮に文庫本版があったとしても、やはり単行本で持っておきたかった)。
田舎へダンボールに詰めて送ったのは、田舎の書棚で目にしたのは、その二度目に買った『ソロモンの指環』だったのだったわけである。
『攻撃 悪の自然誌(1・2)』(みすず書房, 1970年) は必ずしも名著とは思えなかったが、それでも、郷里に送った本を、帰省の折に読み返している。
← コンラート・ローレンツ著『ソロモンの指環 動物行動学入門 』(日高 敏隆(訳) 早川書房) 「孵卵器のなかでハイイロガンのヒナが卵から孵った。小さな綿毛のかたまりのような彼女は大きな黒い目で、見守る私を見つめ返した。私がちょっと動いてしゃべったとたん、ガンのヒナは私にあいさつした。こうして彼女の最初のあいさつを「解発」してしまったばかりに、私はこのヒナに母親として認知され、彼女を育てあげるという、途方もない義務を背負わされたのだが、それはなんと素晴らしく、愉しい義務だったことか……」
この『人 イヌにあう』(小原 秀雄 (訳) 至誠堂)も、今度で都合、三度目となる。
イヌが好き、動物が好き、でも、飼えない、となると、よそ様のペットのイヌと対面させてもらうか、眺めるか、まあ、ワンちゃんの仕草などを思いつつ、イヌに付いての本を読むわけである。
本書『人 イヌにあう』は、「Amazon」でのレビューによると、「通常のエッセーと異なり、著者の動物に対する学識や鋭い観察眼が至るところに表れており、普段何気なく見過ごしている犬や猫の動作の意味や、彼らの人や他の動物に対する接し方や反応が詳しく描かれていて興味深いし、ペットを飼っている人やこれから飼おうとする人には参考になると思われる内容が多い」。
同時に、問題点も他の本(で示される説)同様、指摘されていないわけではない。
例えば、本書の解説にも書かれているのだが、犬の家畜化や犬の由来(ジャッカルかオオカミか)についてのローレンツの説などは今日では否定的だったりする。
下記を参照:
「人 イヌにあう:犬の家畜化 (壺 齋 閑 話)」
→ 8月16日の豪雨。一時は雷雨にも。全国各地で洪水被害も。東京では竜巻も発生したとか。と言いつつ、雨の降るのをボンヤリ眺めているのが好き。
さはさりながら、動物の行動を思いいれなどは別にして、徹底して観察し分析するローレンツの目は鋭い。且つ、動物への愛情に溢れている。
今も本書『人 イヌにあう』の値打ちが劣化しているわけではないのだ。
犬好きと書いたが、小生、ついでながら、ネコも好きである。
ネコについても好きが昂じて、「黒猫ネロ」シリーズを何作か書いているし、「猫」シリーズも十作品ほど書いている。エッセイや思い出の記も「猫と扇風機の思い出」や「雨の日の猫の仕草に目をとどめ」など、幾つか書いている。
今、気付いたのだが、イヌが好きと言いつつ、イヌをテーマにしての小説もエッセイもほとんど書いていない。
せいぜい、思い出話っぽい創作「犬とコロッケ」があるだけなのだ。
これはどうしたことか。
← 動物もだけど、雨の風景も見飽きない。雨も水も時にうんざりする思いで見てきたことだってあるはずなのに、不思議だ。この水を溜めている石の器は、実は臼(うす)である。ほんの数年前までは我が家で年末、餅をかっていた(富山弁なのか、餅を搗(つ)くことを<かつ>と言う)、その臼なのである。雨ざらし…。杵のほうは、蔵に仕舞われている…。
これでは犬好きとは言いづらい。
どうしてなのだろう。
単純に書くと、犬に感情移入しやすくて、逆に書き辛いのだという分析になる。
同時に、何かしら自分の中に犬へのコンプレックスがあるように、直感的にだが、感じられる。
創作「犬とコロッケ」を読み返してみると、思い出せない、思い出したくない何かが背景にあるのだが、追求しきれていないまま、尻切れトンボになっているとも感じられる。
この辺り、分析があまりに昂じると小生の人間性が知れてしまいそうで、やめておく。
まあ、犬好きってことで本日は話を止めておく。
…というわけで、扱った本の題名の「人 イヌにあう」とは相違して、「小生 イヌにあわず」なのだった。
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コメント
犬は良く理解出来るのですが、猫は苦手です。狼に近いのは秋田犬ぐらいで、他の種は殆ど感じません。実際はどうなのでしょう。
上の軒の写真は、前景に焦点が合って後景が暗い時のレンズの絞り具合から上手く暈けてましたね。縁側の写真も雰囲気があって成功ですね。
投稿: pfaelzerwein | 2008/08/17 17:41
pfaelzerweinさん
小生、イヌもネコも理解はできていない。
まあ、一緒にいてくれることがあれば、それでいい。
相手だって我輩のことなど分かっちゃいない(案外と、見抜かれていたりして)。
数年前、朝日新聞(コラム)にも、DNA解析の結果、イヌとオオカミのDNAはほとんど同じで[同種]といって差し支えない云々の記事が載っていました(小生はそれ以上の情報を持っていない)。
調べてみたら、「イヌのご先祖さまは、東アジアに生息していたチュウゴクオオカミで、家畜化されたのは2万〜1万5000年前。人類はまだ狩猟・採集時代で、イヌはヒツジやブタ、ウシやニワトリより古い最古の家畜なんだ」とか。
「ちなみに、ネコは今から4500〜4000年前に、倉庫の小麦をネズミから守るため、古代エジプトでリビアヤマネコから家畜」化されたのだとか。
……ってことは、ネコもあと一万年も家畜化の生活が続けば(生粋の野生の猫って少なくなるし)、イヌとはまた違った人間好みのペットに成り果てるのか?
犬の体型なども絡めた説明は、ここが面白かった:
http://ultramomo.hp.infoseek.co.jp/routes.htm
関連して、「イエイヌ」のことも含め、この記事が面白いし分かりやすい(アイスマンの話題も載っている!):
http://www.koinuno-heya.com/sosen/sosen.html
雨が降ったら必ず雨の光景の写真を撮るのです。
一昨日の雨が凄かったので、いつもより何倍も夢中で撮った。
降り頻る雨の感じってなかなか写真では分からないなって思いつつも、数打ちゃ当たるで、なんとなく雰囲気が出ているのが撮れました。
最後の写真は、雨が降ると、大概、何故か眺め入る、臼に降る雨の光景。
雨、見惚れます!
投稿: やいっち | 2008/08/18 09:58