原爆忌…悲劇は今も
広島では8月6日、長崎では9日が「原爆忌」である。秋の季語だというが、そんなことは今は頓着しない。
戦後になって生まれた季語なのだ。俳句の上でどう扱われようと、夏の真っ盛りの出来事に由来する季語であることに変りはない。
今日は、小生がこの数年に書き綴った原爆関連の記事を、文章の一部を抜粋する形で幾つか紹介する。
文章は公表当時のまま。今となっては書き直したい部分も多々あるが、その都度の形を曝すのがいいのだろう。
→ 岡本太郎作「明日の神話」(部分。小生、撮影)
「祈り込め「明日の神話」これからも」(2007/06/30)
原爆の悲惨と野蛮のことは、どんな形にしろ描ききれるものでもなければ表現し切れるものでもなかろう。ただ、誰かがその悲惨と残虐、蛮行、その中での人間ドラマを描こうとするし、訴え続けようとする。
岡本太郎の作品「明日の神話」には、その強い意志があったことを誰しも感じるのではなかろうか。
岡本太郎らの後に続く人の居ることを切に願う。
「岡本太郎「明日の神話」観てきたぞ」(2007/07/01)
(前略)作品の中央部、ある意味作品の心臓部に当ると思える人体が炸裂する爆風によってバラバラに引き裂かれ、脊髄が露わになり、骨が四方八方へ飛び散ろうとする、その骨が、他の部分が平面の画であるのと違って、ググッと盛り上がった風に描かれていること。
やはり、解体される骨(かどうかは分からないが)の無残さに相当の思い入れがあるのだろうと察せられた。
他に、恐らくは、ビキニ環礁東方での水爆実験で漁船「第五福龍丸」が被害に遭い、放射能症などで死傷した事件が絵画に描き込まれていることも確認できた。
「謎の一日…原爆は誰の手に」(2006/11/25)
(前略)唯一の被爆国である日本からすると、原爆の製造がアメリカで成ったことがよかったことなのかどうか。
アメリカが原爆の製造に踏み切ったのは、アメリカ国内の複雑な(且つ、ナショナリズム的な)事情があったからではなかったか。
原爆の研究や製造に限っても、結構、奥の深い問題が伏在しているものと思うのだが。
← 岡本太郎作「明日の神話」(部分。小生、撮影) 漁船「第五福龍丸」の悲劇も描き込まれている。
「原爆とアメリカと日本と」(02/08/07)
日本、特に政府は何故に広島や長崎への原爆の投下について、あれほど弱腰で後ろ向きなのだろうか。
戦後、日本は一貫して政府の立場でアメリカに原爆投下について抗議したことはない。負け犬の遠吠えのように、国内向けに原爆の投下は遺憾であるという気持ちの表明はしてきたけれど、アメリカに向けてではなく、あくまで遺憾の意の表明をしたというアリバイ証明のためのものに過ぎない。
「ゲルニカと原爆と現代日本の文学」
何故、アメリカは平気で日本に原爆を投下できたのか。そしてそのことを世界の人々 は何故、論難しないのか。私は、日本の戦中の軍部官僚主導の下でのアジアなどでの行 いのひどさ、そして戦後のけじめのなさにもまして、原爆を投下された悲惨極まる現 実を描ききる絵画も映画も論著も、そして文学作品もなかったことにも一因があると思う。世界に通用する、『ゲルニカ』に比するような普遍性を持った作品をそろそろ期待してもいいのではなかろうか。
「原民喜のこと」(02/09/16)
日本にアメリカ軍によって広島・長崎に原爆が投下されたという歴史的事実を知らない若い人も増えているとか。忘れていいことなのだろうか。忘れてはならないことなのか。その答えは、結局は各人の胸の中で決めることなのかもしれない。
自分としては、原爆投下という悲惨な現実は、決して忘れてはならないことと思う。思いつつも、忘れていくのが人間でもあるような。
そうした迷いの時、原民喜の諸作品を読み、静かにこの現実を思うのだ。
「白髪一雄から遠く」(2008/06/03)
(前略)心が物質に圧倒されている。心も精神も、量子的飛躍を起こして物質へと相転位したのである。
ただ、抽象表現主義の華やかなりし頃は、物質の駆け巡る際の凄まじい風圧に身体も心も圧倒されて、せめてキャンパスに、そう原爆の炸裂の際に人体の蒸発する寸前、白壁に人の影らしきものくらいは映る、ちょうどそのように、飛沫の散逸の彼方に人間味の欠片の名残くらいは、あるものと祈ったのか願ったのか。
けれど、そんなポロックの営為も、アール・ブリュ=生の芸術の営為も遠いセピアの光景に成り果ててしまった。
「闇に降る雨」(04/08/13)
虚空のような瞳。落ち窪んだ眼窩。
そうか、瞳など、とっくの昔に焼け爛れていたのだった。抉られた肉のような悲しみ。引き攣る笑い。声にならない悲鳴。歓喜と見紛う哄笑。
孤独が壁に貼り付けられている。壁紙を剥ぎ取ると、そこに現れるのは、日に晒したことなど一度もないと思しき真っ白な背中。
よく見るとケロイドの丘。鋲を打ち込まれた肌。留め金のような関節。目も鼻も口もない能面の顔。裏返しの伎樂面。
「黒い雨の降る夜」(03/04/07)
そうだ、あの蒼い閃光は、俺の魂を串刺しにしてしまった。何処か知れない虚の時空の梁に磔にしてしまった。タラタラと血が流れた。今も流れ続けている。俺の体の中の生き血がとっくの昔に空っぽになったというのに、未だ、血が滲み出し流れ出し中空の魔物に吸われ続けている。
原始の光。俺の脳髄の中の無数の細胞どもに、その蒼き閃光は印を刻み付けてしまったのだ。拭い切れない瘢痕。DNAより永遠の遺産。ミトコンドリアの夢。イブの怨念。俺にはどうしようもないのだよ。
「日蔭ノナクナツタ広島ノ上空ヲトビガ舞ツテヰル」(2005/08/09)
人は闇から来たって闇に還っていく。この世に生きてあるものの道筋は、誰にも平等なのである。ただ、誰もが闇の中でこっそりと末期を迎えるから、目を背けて居られるだけ。来る時が来たら、肉は殺げ、肉は腐り、肉は焼け、心は焦がれ、心は涸れ、心は妬ける。
心の肉に蛆が湧き、命が自然発生する。そう、えげつない命の営みが己が肉のうちで繰り広げられる。悪魔の玉手箱は地上世界の枠も囲いも塀も壁も覆いも仕来りも取っ払ってしまった。人が営々と築き上げてきた世間体という体裁をもあっさりと吹き飛ばしてしまった。
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コメント
美空ひばりが愛した「一本の鉛筆」という反戦ソングがありますね。
病死する前年の音楽祭では点滴を打ちながらうたった。
「一本の鉛筆があれば八月六日の朝と書く/一本の鉛筆があれば人間のいのちと 私は書く」
弥一さんなら何と書きますか?
岡本太郎の「明日の神話」は渋谷に設置がきまりました。
しかし岡本敏子さんは生前「あの作品は広島に返すべき」と語っていたことを忘れてはならないでしょう。
投稿: oki | 2008/08/06 23:02
oki さん
コメント、ありがとう。
美空ひばりが愛した「一本の鉛筆」、テレビなどで何度か聞いた(見た)ことがあります。
彼女が歌うと、この歌は一層、重みを増します。
彼女のお父様が戦争へ行っておられますし、彼女自身、横浜大空襲も体験しておられるとか。
「一本の鉛筆」の歌詞:
http://utagoekissa.web.infoseek.co.jp/enpitsu.html
「一本の鉛筆」についてのエピソード(裏話)が下記のブログに書いてあります:
「美空ひばり燃え尽きるまで/一本の鉛筆 - 日暮れて途遠し」
http://blog.goo.ne.jp/taraoaks624/e/7251b511524880af0994c53aad287172
小生などは、鉛筆さえ手にしない。ボールペンのみ。安易な用具に頼っているようでは書くべき何もありはしないね。
>岡本太郎の「明日の神話」は渋谷に設置がきまりました。
下記の告知が凄い。絵の大きな画像も見ることができる:
http://www.salf.or.jp/tarotoshibuya/
岡本太郎については、下記でもいろいろ書いてます:
http://atky.cocolog-nifty.com/manyo/2005/06/post_9a95.html
投稿: やいっち | 2008/08/07 09:34
ブログ後紹介くださりありがとうございます。
昨日コメント入れさせていただいたのですがうまくいかなかったようなのでもう一度トライします。
美空ひばり命の私としては「一本の鉛筆」が8/6を中心に日本中で聞かれ、歌われることはこの上ない喜びです。これを機にひばりさんの歌にあまり縁のなかった方が開眼ということもあるかと思うのです。
私はひばりさんのこの歌のシーンではいつも涙がにじんでしまいます。詩の力、旋律の妙はもちろんのことですが、やはり大きな感情を天性の声とからだで聞くものに伝えるパフォーマーひばりの力に心が共鳴させられるのです。
これらのことは原爆という圧倒的事実の上に成り立っていることは言うまでもありません。
美空ひばりも8歳の誕生日1945年5月29日に1万人程の死者を出し市街の1/3が消失したという横浜大空襲を防空壕で生き延びています。
昨日の昨日のNHKスペシャル「解かれた封印~米軍カメラマンが見たNAGASAKI~ 」のような番組をぜひ多くの若い人たちに見てほしいと思います。
最近やっと核廃絶が日本の進むべき道ということが現実的な力を持ってきたように感じています。
以下ご参考までに原爆関係の記事をいくつか紹介させていただきます。
不問許さぬ「原爆の罪」勝者の記す歴史に反論
http://blog.goo.ne.jp/taraoaks624/e/b789478977519cb9ae542320b520c10d
核なき世界を 物理学者・湯川秀樹
http://blog.goo.ne.jp/taraoaks624/e/d5c66f7505761bc3db25bcb5c394e2bf
アメリカHBOで原爆ドキュメンタリー/全米各地で展覧会
http://blog.goo.ne.jp/taraoaks624/e/f38b143650fd65f5e911ba19b72c9c75
原爆投下と日本の降伏
http://blog.goo.ne.jp/taraoaks624/e/355edb62ad3e9d72e50eec75eaf5546e
投稿: 日暮れて途遠し | 2008/08/08 21:56
日暮れて途遠しさん
記事、とても参考になりました。
小生は美空ひばりさんが亡くなるまで彼女(の歌)があまり好きじゃなかった。
でも、逝去されて特集番組を聴くうちに、小生のような音楽音痴にも彼女の偉大さが感じられるようになりました。
以来、ずっと彼女(の歌)のファンであり続けています。
ジャズさえ歌いこなす天才。
彼女の歌う「一本の鉛筆」は、彼女の数多くのもち歌の中でも格別な意味を持つ歌だったろうと思います。
凄い説得力(歌唱力)。
これからも毎年、夏(だけじゃないことを期待するけど)歌われるものと思っています。
アメリカ(軍)による原爆の投下については、見解が多くの点で一致しますね。
アメリカの原爆投下は蛮行そのもので人類への犯罪です。
ただ、「最近やっと核廃絶が日本の進むべき道ということが現実的な力を持ってきたように感じています」という点については懸念を抱いています。
そうであってほしいけれど、自民党や民主党を問わず、一部の政治家は近い将来の核兵器の所有は政治的課題と考えているはず。
慎重に、核兵器の所有は法的に禁止はされていないという見解を折に触れ表明していたような。
油断は禁物ですね。
最後にNHKスペシャル「解かれた封印~米軍カメラマンが見たNAGASAKI~ 」について、下記の記事が参考になりますよ:
「やられた側とやった側 記録映画『ヒロシマ・ナガサキ』:試稿錯誤」
http://furuido.blog.so-net.ne.jp/2008-08-06-2
投稿: やいっち | 2008/08/08 23:53
今週の「サンデー毎日」から。
10代で原爆投下の記事を読み、核の脅威を知ったというオハイオ州のもと音楽家ジーノ・ラファエリさんは「核軍縮を目指す演奏者・芸術家」の創始者であり、毎年「広島と長崎の原爆投下追悼コンサート」をしている良識家。
昔は全米各地に支部があったが今は一か所、来年も開けるかどうかはわからないとかーそれが現実なのですね悲しくも。
投稿: oki | 2008/08/14 22:53
okiさん
いつも情報、ありがとう。
音楽家・ジーノ・ラファエリ、ラスベガス「核実験博物館」/サンデー毎日(2008/08/24)の記事ですね。週刊誌も読まない小生には目の行き届かない情報です。
ネットでは関連情報がまだあまり載っていないのか、見つからなかった。
広島・長崎へのアメリカ(軍)による原爆投下の事実は、被爆者の減少と共に、日本の政府にしても、儀式上の事柄として棚上げしていく傾向が見られます。
まして、アメリカにおいておや、です。
変わって、日本でも核兵器を持つことが法的には禁止されていない、などと、近い将来の核武装に向けてのアドバルーンが麻生らによって幾度とな句上げられている状況でもある。
アメリカがアジアにおける最重要拠点・交渉国・戦略国として中国などへシフトしていけば、アメリカによる抑止も和らいで、日本の核武装が現実味を帯びてくるかも。
小泉元首相とか麻生幹事長のようなタカ派が台頭するということ、人気を持つってことは、核武装化への象徴、シグナルなのかとも思えるのですが、考えすぎでしょうか。
投稿: やいっち | 2008/08/15 09:25