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2008/08/08

蟻の列の延々と

 宮崎駿監督作品(「崖の上のポニョ」)がまたまた評判を呼んでいるようである。
海に棲むさかなの子ポニョが、人間の宗介と一緒に生きたいと我儘をつらぬき通す物語」だとか。
「海を背景ではなく主要な登場人物としてアニメートする」とも!

 過去の作品をチラッと見ただけだが、動物ともいえない主人公が活躍する世界はまさにファンタジーワールド。
 欧米にだってファンタジーワールドを描いた作品はあるが、どうしてもキリスト教的世界観の教訓めいたものがプンプンしていて、からなずもその世界に何処までも親しめるわけではない…と小生は感じる。
 その点、宮崎駿ワールドは、山川草木・森羅万象全てに神々というか魂の息衝いているのを嗅ぎ取っている。作品を素直に鑑賞すれば、日常を表面的に素通りしていては感付くことのできない、水面下の豊かな世界へすんなり誘ってもらえそう…な気がする。

 でもまともに見たわけじゃないので、印象に過ぎないし、さっさと話を先に進める。

 以前、ある本や宮崎駿監督作品、宮沢賢治などを意識しつつ、下記のようなことを書いた

 動物を主人公に物語を綴る多くの書き手ならば、もっとファンタジー豊かに描くだろう、と読みながら探究が、思い入れが足りないじゃないか、といった欲求不満を覚えつつの読書となってしまう。宮沢賢治ならずとも、宮崎駿監督ならずとも、動物の世界を描くには、空想力不足、もっと言うと、人間は神の似姿であって、動物は機械以上のものではないという宗教観がプンプンする。
 それでも、欧米の方には珍しい試みなのかもしれない。
 あるいは言い方を変えると、「機械以上のものではない」動物を、神の似姿である人間が懸命に、その動物種なりの制約された環世界(イリュージョン)の中において、人間味や情緒を読み込もうとする、そのイタリア人の努力ぶりこそが健気で楽しい本(短篇集)だということか。

 子供の頃、庭の隅っこで、あるいは学校の帰り道、雨の中、カタツムリをじっと眺めていたことはなかったろうか。雨蛙の賑やかな語らい、それとも合唱に聴き入ったことは? 蟻の長い行列をどこまでも辿っていったことは?蝶々を追いかけて回ったことは? 犬や猫の表情や動きを眺めて飽きなかったこと…。
 その際、ただ、動物を眺めている、全くの野蛮で下等な動物の世界をただの好奇心で、見下すように観察していたというより、気が付いたら、自分が何かの動物の世界に没入していたりして、ハッと我に還ったりする。
 無論、所詮は人間の想像の世界の中の思い入れに過ぎない。けれど、動物も植物でさえも人間とは別種の世界、それも異質な世界の住人とは思い切れず、何処かに通底するような何かを感じずには居られない。
 コオロギ等の昆虫の鳴き声に哀れを覚えたりする、それは日本人特有なのかどうか、それは分からない(このことは、別で書いたので略する)。
 どんな動物であっても、人間の生まれ変わりではないかと思ったり、輪廻転生をそれなりの実感を以って想像してしまう性向。


 以下、イヌの嗅覚を糸口に人間には多分如何なる比喩や想像でさえも窺い知れない(だろう)動物の生きている世界を思ってみようとした。

 さて、長い前置きとなったが、上の転記文の中に、「蟻の長い行列をどこまでも辿っていったことは?」というくだりがある。
 今日はちょっとだけ蟻(の列)の話。
 夏の季語である「蟻の列」を採り上げる。

 蟻という生き物自体、蝉に負けず劣らず、夏を象徴しているようでもある。
 蟻に絡む(いずれも夏の)季語を例示すると:

女王蟻 雄蟻 働蟻 蟻の塔 蟻塚 蟻の俵 蟻の列 蟻の道 蟻の国 蟻の門渡り 家姫蟻 大黒蟻 赤蟻 黄蟻 黒蟻 大蟻 小蟻 家蟻 山蟻

 炎天下、渇ききった土の上をコンクリートの上を、仕舞いには玄関や台所、時には居間の畳の上さえも盛んに歩き回る蟻たち。
 庭の様子を眺めに、それともゴミ出しの際にふと、足元に蟻たちの小さな黒い影が蠢くのが見える。
 なんだってこんな日差しの強い盛りに好き好んでって、思うけれど、蟻たちにすれば餌を求めて懸命なのだろう。

 何年か前、蟻に絡む駄句をひねったことがある

 炎天下蟻の列の延々と
 炎天下蟻の道に過る影

 これらは、拙作「黒の河」を意識しての句。
 この小説は放蕩息子の帰還の侘しい、殺伐たる心境を描いている。
 書き上げてから早くも6年を経過した。

 小生は今年二月末に帰郷した。放蕩ってほど徹底したものではないが、36年間の離郷の日々の挙句の、居たたまれない帰還。
 帰郷しての数ヶ月は針のムシロより厳しいものだった。神経が磨り減っているのが嫌ってほど実感させられている。
黒の河」は数日間の盆休みの帰省の際のエピソード(といっても実話ではない!)を描いている(かのような)作品。
 今度の帰郷はまさしく帰還、なのだが。

 五ヶ月という歳月を費やしても、自分のアイデンティティというか、座標の軸が見出せない。
 むしろ、陽炎に目くらましされているようでもある。

 いっそのこと、蟻の列につんだっていこうか。

 蟻の列付いて来いとて藪の中

 最後にネットで見つけた句を一つだけ:
箒手に庭に佇む蟻の列    鶴

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コメント

この記事も読ませていただきました。アイデンティティーを外に求めると(蟻の列ではないですが)藪の中に誘われそうですよね。
チルチルミチルの話でしたか、最終的には自分の中に答えがありそうだ、ということまではうすらぼんやりとは分かるのですが。

鶴さんの句の”佇む”の言葉に表れる心の静寂もうらやましさを感じるところでもあります。

投稿: はもり こだま | 2011/11/06 22:24

はもり こだまさん

3年ほど前の拙稿を読んでいただき、恐縮です。

アリの列を巡って、と言いつつ、いつもながら、勝手な瞑想にふけるばかりです。

自分自身への探求もままならず、といって、観察に徹することも叶わない。
そんな半端な自分をさらけ出しているようです。

投稿: やいっち | 2011/11/08 21:26

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