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2008/08/20

吹き溜まりの国

 今日8月20日は、「鎌倉時代の歌人・藤原定家の1241(仁治2)年の忌日」、つまり「定家忌」だという。
 小生は、藤原定家については周辺を巡るような記事しか書いていない。

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→ 過日、プールへ行ってきた。その道すがら、稲穂の海を愛でることができた。遠くには北アルプスの山々。たまたま電車が走っていた。不穏な空。案の定、夜から雨になり、翌日は雷雨に。

 例えば、「春の夜の夢の浮橋とだえして峰にわかるる横雲の空」などを採り上げた「横雲の空」であり、超新星繋がりでやや強引に藤原定家のことを訴状に載せた「土井さん、「超新星発見」から定家のこと」である。

 ここでは、看板(表題)と内容が一致しないこと甚だしい記事「侘と寂と宗教と」を再掲しておく(原文のまま。改行だけ一部変更)。
 もう、5年以上も以前に書いたもの。
 今だったらこんな内容の記事は書かないだろうなと思うと、ちょっと懐かしい。

 この記事も、内容的には藤原定家とはあまり関係がなく、話の取っ掛かりとして、定家の日記「明月記」の中の有名な言葉「世上、乱逆追討耳に満つと雖(いえど)も之(これ)を注せず、紅旗征戎(せいじゅう)吾事に非ず」を紹介している。

 旧稿を敢えて再掲したのは、実は、「移民1000万人受け入れ 国家戦略本部が提言」といったニュースが最近、一部で話題になったからである。保守派は予想通り反撥している。
 でも、日本って、元々は吹き溜まりの国、いろんな背景・事情を抱えた民族や人びとが寄り集まって成り立ち活気を持って来た国ではなかったかという認識が小生にはあるのだ。
 懸念のタネは一杯あるとしても、小生はこのヴィジョン(提言)に基本的には賛成なのである。

侘と寂と宗教と

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← 雷雨の中、縁側に立ち、庭に見棄てられている臼を眺めていた。雨に祟られている臼。数年前までは我が家での持ち搗きで活躍した臼だったのだが、今では雨ざらし。…それとも搗かれて火照った体を雨で癒している?

 藤原定家に「見渡せば花も紅葉もなかりけり 浦の苫屋の秋の夕暮れ」(新古今集)という歌がある。小生の大好きな歌の一つだ。西行法師の「心なき 身にもあはれは しられけり しぎ立つ沢の 秋の夕暮れ」と、寂蓮法師の「寂しさはその色としもなかりけり真木立つ山の秋の夕暮れ」と併せ、三夕と呼ばれる名歌の一つである。

 その藤原定家は、「世上、乱逆追討耳に満つと雖(いえど)も之(これ)を注せず、紅旗征戎(せいじゅう)吾事に非ず」と嘯いた。
「紅旗征戎(せいじゅう)」とは、「朝廷の旗を掲げて、外敵を征する」の意である。世が戦乱に明け暮れようと、そんなことは日記に書かない。そんな戦ごとなど俺の知ったことではないというのである。
 こう、定家が日記「明月記」に書いたのは彼が18歳の時のことだった。彼は徹底して身辺雑記など等身大の関心事を書きつづけたのである。

 尤も、彼が宮中の仲間に、そのように宣言していたのかどうかは分からない。その姿勢は日記や彼の内心の関心事に絡む限り、密かに、しかし強く意志していたのかもしれない。

 彼の時代に限らないが、世に権威とか権力はほとんど常に厳然として存在してきた。それが明文化されるか、暗黙裡かは別として。その権威が国家レベルのものもあれば、家庭内での権力もある。父(時には母)が絶大な権威を持ち、時には暴力に訴えてでも、家庭内を治めることもあったし、あるし、あるのだろう。
 そうした権威・権力の至上のものとしては、俗的なものもあれば聖的なものもある。俗的ものとは政治的なものに代表されるし、聖的なものとは宗教に代表されるのだろう。

 ここでは話題を宗教に限るが、日本は国家鎮護のために仏教が導入され奨励されたこともあり、多くの宗教(仏教)は上から押し付けられたものだったようだ。それでも民衆がその教えや権威などに心を寄せた場合もあるのだろうが、日本の土壌に定着したのは、やはり鎌倉時代になってからだったろうと思うのが無難だろう。
 鎌倉仏教。12世紀ないし13世紀になり、平安貴族の力も権威もようやく低下して初めて、国家鎮護ではない民衆のための宗教が生まれだした。仏教が朝鮮を経由して、あるいは直接中国から移入したお仕着せのものではなく、徹底して日本の土壌や風土、自然に合った、またそうした自然から染み出るような色合いの宗教に変貌を遂げたのだ。

 変貌を遂げたというより、もっとはっきり新しい宗教が生まれたというべきかもしれない。法然など中央の権威ある教えをしっかり学んだ上で新しい宗教への転換を果たそうとした宗教人もいるし、依然として比叡山の流れを保っている。

 が、親鸞にしても日蓮にしても、栄西や道元にしても、権威に逆らって徹底して宗教的思索を行って、新しい、日本に見合った、民衆に視線を合わせた、つまりは日本の現実と水平に立ち向かった宗教が生まれたのだ。
 仏教の経典を学び、古の宗教人に学んだとはいえ、素人の直感からすると、学んだというより、己の得た宗教的洞察を正当化するために仏典・経典の中から都合のいい部分を随意に抜粋し組み合わせ、一個の宗教書に仕立て上げたという印象がある。親鸞の『教行信証』など、その典型のような気がする。

 すでに、というか、ようやくにして、宗教が土着した。あるいは、日本の土壌から生まれ出たというべきかもしれない。土着というと、依然として外部からのものが、なんとか日本に馴染んだというニュアンスが残る。
 そうではなく、もう、仏教とはいいながら、新しい宗教として誕生したと断言したくなってしまう。

 人によっては(梅原猛氏)、縄文時代の土俗的な信仰が、弥生時代以降、朝鮮半島からの渡来人の信仰、さらには中国などの鎮護仏教に圧倒され、水面下に沈み込んでいたのが、ようやく重石が取れて、再び蘇ったのだと言う方もいる。
 縄文時代の信仰や宗教的事情は、文献では探ることが出来ず、遺物・遺跡で想像するしかないので、読み取る側の主観の相当に入った解釈に左右されるので、その理解が正しいとか間違っているとか言えないし、まして、一旦は忘れられていた土俗的民間宗教の復活といわれても反論のしようがない。
 とにかく、素人の我が侭な判断で言わせて貰うと、鎌倉時代、日本発の、日本向けの、中国などの権威に左右されない宗教が勃興したのだ。


 ここでは親鸞などの教えを云々しない。繰り返しになるが、もう、仏教とは懸け離れた、日本の風土や自然、歴史の積み重ねの果ての、仏教とは名ばかりの宗教が生まれた。

 親鸞など、最後の末期の時に、ナムアミダブツと唱えれば、それで救われると説いた。
 そこまで行ってしまうと、俗世にある間に、どんなに所謂、俗的な生き方をし、仏教の教えに背く振る舞いをし、場合によっては悪逆非道の仕儀に至り、悪食・殺戮・肉欲・名誉欲に囚われつづけても、息を引き取る最後の瞬間に、助けてくれという意味で南無阿弥陀仏と唱えれば、救われるのだから、もう、信仰や宗教という呼び方をするのも、論外になっている。

 人を何人も殺す、それも戦争で余儀なくではなく、金目当てとか強姦の果てとか、あるいは快楽のためだったりする、そんな殺人の罪を繰り返し犯した人間でも、赦す、それが彼の宗教なのだ。とんでもない教えである。
 酔払い運転で、幼児を二人も死なせてしまった奴が、仮に刑務所から出て、同じ過ちを犯したなら、そんな奴を赦せるか。少なくとも小生は赦せない。自分が幼児の親であれば、個人的に復讐したいと思うかもしれない。

 でも、親鸞の教えだと(無論、言うまでもないが、小生は素人的理解をしている。小生などに親鸞の教えが理解できるはずもない、でも、その浅薄な理解も含めて俗人は宗教を受け止めるしか他に術がないのだ)、彼を赦すことになる。
 彼が、幾度も同じ過ち、他の過ちを仮に繰り返しても、しかも、生前は全く後悔しなくて、平気で生きていて、さて、病気か事故かで末期の時を迎えて、さて、俺もちょっとは悪いことをしたかもしれない、阿弥陀さまよ、南無阿弥陀仏と唱えるから、それも、一回だけ、申し訳程度に唱えるから、許してねというと、許されるのだ。
 また、許さなければ、親鸞の教えが間違っていることになる。

 そんな過激な教えだから、本来は親鸞など島流しになり、そのまま忘れ去られるはずだった。
 それが宗祖・教祖みたいに祭り上げられたのは、親鸞の宗教的思想的徹底と、蓮如の御蔭である。実際のところ、小生のような料簡の狭い人間が為政者であり、治安に責任のある人間だったら、断固、親鸞(の思想)は踏み潰しただろう。これが宗教だなんて、とんでもないことだ、なんて。

 蓮如は、これまた肉食・妻帯した親鸞を思いっきり世俗化した人物で、何人もの女性に何十人もの子どもを作らせている。
 やがて、蓮如の一派は、一向一揆へと繋がっていく。信仰に裏打ちされ、もう、失うものなど何もない民衆にとって、この世に怖いものなど何もない。斬られ焼かれても、末期に一言、発するなら、それでいいのだ。
 そうした狂信的信仰(少なくとも為政者の側からすると死を恐れない奴等、世の権威・権力に逆らう奴等の信仰は狂信的としか呼び得ないだろう)は、当然の如く、徹底的に弾圧された。何万人、あるいはそれ以上の民衆が殺された。
 島原の乱でも、為政者の意に食わない宗教は、徹底的に弾圧され表面上は消えていった。

 親鸞が創始し、蓮如によって発展した浄土真宗(というより一向宗)は、織田信長らによる弾圧のあと、江戸時代には東と西本願寺に分割され、相互に牽制し合ったり、あるいは蓮如の血を引く指導者が、天皇の縁戚になったりして、すっかり権威に寄り縋り、骨抜きになり、葬式仏教とまで揶揄されるようになった。

 今の浄土真宗の元を辿ると、あの過激な一向宗だったとは信じれないほどである。
 恐らくは、一向宗に限らず、多くの宗教がカルト(小生はあらゆる宗教はカルトとして生まれると思っている。生まれた当初の教えなど、誰にも理解などできるはずがないのだ)として生まれ発達し、弾圧され、消えていくか、骨抜きにされるかしたのだろう。

 欧米では、キリスト教が国の主な宗教としてあるが、日本の場合、仏教とはいいながら、数多くの背景を持つ宗教・宗派・カルトの混在である。世の権威に逆らったり、世間を騒がせたりしない限り、存在は黙認される。

 日本には、島国であることと、地理的に、西からやってくる民族・集団・宗教・文化・思想などがこれ以上、行き場がなく、骨抜きにされても土着するか、純粋な信仰を守って闘った挙げ句、消え去っていくかの選択を迫られてきた。生き延びる以上は、角や棘を撓め、丸くなって、穏健な形へと生まれ変わるしかない。

 同時に、新しい宗教・文化がやってきたとしても、それが過激で排他的な姿勢を採りつづけるなら排斥し弾圧し、あるいは嫌悪し差別するが、主張や行動形態が丸みを帯びてくるなら、共存を受け入れる。
 狭い国土で、自分達(の信仰・宗教)が生き延びたいなら、新しい教えを護持する連中でも、彼らが渡来(誕生)当時の激しさや熱さを和らげ、内に持つ激しさや既存の宗教とは相容れない厳しさを曖昧に暈していくことを前提に受け入れるしかなかったのだ。

 さて、日本では、結局のところ、一つの宗教が主な宗教という状態とはなっていない。
 歴史に、もしはありえないというが、ことに寄ったら、多くの渡来の(新規の)宗教は徹底して弾圧されて消え去り、ほぼ一つの宗教(宗派)だけが鎮座するという形態になっていたかもしれない。
 しかし、そうはならなかった。多くの背景を持つ多彩な信仰・宗教が共存しているし、それどころか、神道と仏教が、一つ屋根の下でさえ、共存している。

 つまり、諸文化・諸民族・諸宗教などの吹き溜まりの島国として、曖昧さに時に辟易しつつも、共存し共生する道を選んだのだ。

 そこには自然というか風土が大きく左右したに違いない。気持ちの上では日本の多くの人だって排他的になり、自分の護持する宗教だけで世の中が一色になっていたほうが安心なような気がしたりもするのだろうが、しかし、己の宗教を暈した形で持つ。
 あるいはそれどころか無宗教だとさえ、恥ずかしげもなく言ったりする。

 でも、それが許される土壌が少なくとも日本の土壌にあるからなのだということは、時に銘記してもいいのではないかと思う。無宗教ですという言い方が軽蔑されたり、哀れまれたりするような風潮があれば、とても、そんな発言は怖くてできない。

 それでは、その無宗教です、とは、一体、どういうことなのだろう。
 冒頭で、小生は、話を好きな歌を提示するとことから始めたが、実は、それらの歌と結びつけ、あるいは絡める形で宗教を考えてみたかったのだが、道はまだまだ遥かのようなので、今回は、ここで止めておきたい。

                         (03/05/20 記)

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