アオガエルは瞑想を誘うけれど
土曜日の夕方近く、庭の畑に水を撒きに行った。ついでにナスやキュウリなどが成っていたら収穫しようと思っていたら、意想外の成果。
というのも、前日にも取れるだけのものは取ったので、さすがに連日は無理だろうと、それほど期待はしていなかったのである。
← 畑に育っていたグラジオラス。白色や黄色や青色の花々を長い茎をそのままに十本ほど摘んで、茶の間や玄関に飾ったけれど、みんな涸れて、残るはこの一本。部屋が暗いので、花が貧相に見えるけれど、実際は綺麗な黄色。
野菜に限らず植物の生命力は凄い。カンカン照りだったり夏の夕立の襲来だったり、昆虫や土中の微生物との共生と競合。
小生、畑仕事は全くの素人。近所の人のを見よう見真似だったり、父母の話を受け売り(したいが、大概、右の耳から左へと流れすぎる)だったり、理解が浅いか間違っているようで、我が畑は野菜より雑草のほうが遥かに目立つ。
それというのも、除草剤の使い方が分からず、及び腰に春先に散布しだだけなので、野菜も育つがそれ以上に雑草天国。
生い茂る雑草の野、さらにはアゲハ蝶は無論のこと、天道虫(?)やらバッタやら、まだ小さすぎて得体の知れない昆虫たちの跋扈する野にナスやキュウリが、埋れている。
繁茂する背の高い草の葉や茎の間に手を差し入れて、ハサミで適度に、あるいは過度に育ったナスなどを柄ごと切る。
収穫を鍋に入れて台所へ。
と思ったら、台所の出窓の外側直下にある外の流し場(洗い場)に小さな生き物が動いている。
見ると、アオガエルである。
春先に見かけるのなら分かるが、今の時期に!
多分、モリアオガエル(あるいは、シュレーゲルアオガエルか。文末参照)。
それでもなんだか、懐かしい。
自宅の庭では久しぶりに見る気がする。
我が家で田圃をしていた頃はそれなりに見ていた…ような気もするが、農薬も撒いているし、農業用水路もずっと昔、コンクリートで護岸され、生き物は排除されてしまった。
そんなこともあってか、高校生の頃からは、実際には自宅の田圃(や畑)ではあまり見たという印象がない。
しかも、見たのは田圃や畑からも十メートルは離れた洗い場である。
なんだってこんな場所まで遠征したものか。
畑に水を撒きに行く一時間ほど前に驟雨があって、畑も庭も何もかもしとどに濡れ、土壌は水浸しになった。
その水溜まりをピョンピョン遊んで飛んでいるうちに、用水路から遠く隔たってしまったのか。
雨が上がって一時間も経っていないけれど、土の表面に水が浮くほどだったのが、さすがに黒味は帯びている者の、既に渇き始めている。
洗い場はコンクリート製なので尚のこと乾きが早い。
ただ、コンクリートの土手の隅っこは未だ水たまりが残っている。もう一時間もしたら渇いて消えてしまいそう。
洗い場の水道の蛇口には短いホースが嵌めてある。
そのホースを小さなアオガエルに向けて、ちょっと放水。
ついでに、洗い場に放置してある、何故か緑色の古い洗面器を裏返して溜まっている水を流した。
アオガエルは虐められたと思ったのか、ピョンピョン飛んで、古い木材の積んである小屋の裏手に消えていった。
洗い場はしばらくは水に濡れた状態が続く。
人の影が消えたら、アオガエルも姿を見せるだろうか。
せっかくなので、季語としての蛙(カエル)についてネットで調べてみた。
「第3章 第2節 季語としてのカエル」なるサイトが浮上する。
おあつらいむきのサイトである。
「雨蛙は夏の季語である。こちらは雨に鳴くカエルの姿である」とあるが、洗い場で見かけた小さなアオガエルは鳴くでもなく、黙って姿を消した。あれは春の季語にこそ相応しいもの。
どうも、季節はずれなことが多くて困る。混乱する。
(あとで調べてみたら、種類にもよるが、六月あるいは七月や八月まで棲息するとのことで、必ずしも時期はずれではないようだ。)
やはり雨蛙となると、あのアオガエルより幾分かは大きいはずだし、種類も違う? その辺り、よく分からない。
「雨蛙」などの名称の織り込まれた句を挙げておく。
恐る恐る芭蕉に乗って雨蛙 夏目 漱石
葛城の雲のうながす雨蛙 水原 秋櫻子
斉唱日照雨(せいしょうそばえ)美しく 山口 青邨
青蛙おのれもペンキぬりたてか 芥川 龍之介
カエルの俳句というと、芭蕉の名句(?)を挙げておかないとまずいだろう。
この句については謎や不明な点が多いようである。
「古池や蛙飛び込む水の音」を覗くと、解明が及んでいない点が示されている。
作句の時期はいつなのか。春ではなさそう。秋でもないような。
小生は、初めて聞いたときから、夏! と勝手に思い込んでいた。
どうやら、小生の中では、「閑さや岩にしみ入蝉の声」とセットでインプットされているようだ。
これは先入観に過ぎないのか。
雨蛙でもないカエルが夏の日差しを浴びて岩も真っ白く眩しくなるような、そんな非現実感が「古池や…」という句の抽象度と緊密(緊迫の)度を高めているように感じている。
カエルは最も身近な両生類。そして不思議な生き物。その姿は鈍感な小生にさえ、しばし瞑想を誘う。
けれど、アオガエルがさっさと小生の前から姿を消し去ったように、蠢きだした瞑想も呆気なく霞みの如く消えていったのだった。
関連:
「雨蛙…カエルコール」
参照:
「モリアオガエルとシュレーゲルアオガエルの比較」
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コメント
畑に茄子や胡瓜が生り、洗い場には蛙がいるなんて、いいですねえ。まさに田園生活という感じ。当方は集合住宅暮らしなので、憧れます。
投稿: 石清水ゲイリー | 2008/07/21 22:28
石清水ゲイリーさん
畑や庭にはアゲハ蝶がトンボ(今日も見た)がバッタが(まさかコオロギじゃなかったと思うが)、天道虫が、蚊が飛び回り、土の中にはミミズやオケラが一杯、ウヨウヨし、ナスやキュウリやトウガラシや(何故か畑なのに)ギガンジウムやグラジオラスの花などが咲き誇ったりします。
(畑で採った(!)グラジオラスが、今、茶の間や玄関に飾ってある。)
でも、一番、目立つのは雑草(と蜘蛛の巣)。
今日も草むしりでヘトヘトになりましたとさ。
投稿: やいっち | 2008/07/22 00:04