夕焼けの翌日は晴れ…じゃなかった!
夕方の買物帰りに、あるいは夜の仕事へ出かける際に、夕景を見る機会が多い。
日によっては買物は昼前に済ませ、夜の仕事もないことがあると、自宅に篭りっきりで居間などから外の様子を窺い見るだけに終わる。
そうすると、何か勿体無い気がする。大切なものを見逃したような気がするのだ。
← 一昨年の五月に撮った夕景。デジカメのレンズのイタズラなのだろうか。この画像を念頭に、「夕焼け雲」なんて短編を書いたことも。
空の様子や雲の流れ行くさま、太陽の姿の時間を追っての変化は、日々見慣れているはずなのだし、微妙に形を変えているとはいえ、昨日今日でそう変化するわけのものではないのだが、見飽きないのは何故だろう。
それは、潮の満ち引きや木々の緑や葉っぱの風に揺れるさまや、もっと卑近なところだと緩んだ蛇口から垂れ零れる水滴を見飽きないのと同じ…なのだろうか。
昨日27日も、日中、このところ連日のように続いている夕立があった。
夕立と言っても、三時過ぎの風雨なので、もしかしたら呼称としてはおかしいのかもしれない。
大気がやや不安定になっていて、午前中から雲行きが怪しく、そんな中、家事の一環として畑の周辺の草むしりをせざるをえず、空の様子を睨みつつ、昼食後、せっせと草むしりしていた。
すると、三時ごろだったか、雨滴がポツポツと。風も吹き始めてきて、畑のナスの葉っぱなども大きく揺れる。
ポツポツという雨は一気に風雨に。
無論、その直前に家の中に駆け込んでいる。
衣服は濡れそぼっているが、それは草むしりの作業での汗。
急いで作業服(といいつつ、普段着。普段着自体が薄汚れたものなのである)を脱いでシャワーを浴びる。
エコというか節約というか倹約のため、七月に入ってからは食器を洗う際も湯沸かし器は使わないのだが(東京在住の頃は、冬以外は給湯器は使わなかった)、シャワーも水だけ。
水シャワーでも、浴びた後は汗も吹き出るので、アイスクリームを食べたり扇風機の風を戴いたり。一日の中の僅かな寛ぎのひと時である。
お茶など喫して疲れを癒し、夕食の準備。
父母のため、食前食後の薬を用意しお茶もすぐ飲める態勢にし、居間の灯りを灯し、味噌汁を作り始め…。
(尤も、昨日は父が町の寄り合いで貰ってきた幕の内弁当があるので、それを父母と小生とで三等分し、味噌汁を作り、あとはスーパーで買ってきた惣菜を加えるだけ。)
灯りを点けるので居間のカーテンを閉めようとしたら、外が妙に明るい。
三時頃からの風雨は二時間もしないうちに止んでいて、風さえもない。木立も寛いでいるかのように、そよともしない。
風雨に空気も浄化されたかのようで、透明度を増している。
妖しい雲さえも遠ざかってしまっていて、あの風雨は夢だったのかと思われたりする。
外が明るい。
だけではなく、夕焼けの茜に染まっている。
夕餉の準備もそこそこにデジカメを持ち出して台所から外へ飛び出していった。
夕日の沈むのは我が家からは、近所の家々が邪魔をして見ることは叶わないことは分かっている。
でも、せめて夕焼けだけは愛でたい。
夕焼けの光景のほんのお零れほどは恵まれたい。
折々浮ぶ疑問である、場所を特定されない写真だけで、夕焼けか朝焼けの光景なのかを識別しえるか、なんてことも考えない。
「ちなみに俳句においては、「夕焼け」は「朝焼け」とともに夏の季語」なのだってことも今はさておく。
仮に夕焼けの写真を撮れたとしても、夕日は決して捉えられない。
夕日の写っていない夕焼けなんて、最初から撮る意欲も湧かない。
でも、夕焼け雲くらいは撮れるだろう。
夕焼けの片鱗は分かるはずだろう。
小生には、文字通り「夕焼け雲」と題した短編はあるが、「夕焼け(雲)」を扱った記事はない…と思う(←自信なし)。
→ 27日の夕焼け。翌朝から集中豪雨。「夕焼けの翌日は晴れ」は嘘なのか?
「夕焼けに関して、古来より「夕焼けの翌日は晴れ」ということわざがあるが、これは比較的正しいと言える」というし、小生もそう思ってきたのだが、今回に限っては大外れ。
27日の真夜中過ぎ、それとも28日の既に未明だったか、外に不穏な音。遠い轟きと響き。
やがてそれが案の定、雷雨の音と知れてくる。窓を閉め切った薄暗い部屋の中でもザーと降る雨の音や木立が風に大きく揺れる雰囲気が伝わってくる。
雷鳴は言うまでもなく轟いている。
富山に限らず隣県の石川(金沢)や新潟でも集中豪雨での被害が出るほどの風雨だったのである。
あの夕焼けはなんだったのか。
「夕焼けの翌日は晴れ」ということわざさえも意味を為さなくなるほどに気象の異常が顕著だということなのか(ありは、そもそもこのことわざ自体、ただのお話だったってこともありえないわけじゃないが)。
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コメント
27日の夕焼けの写真、美しいですね。ほんとに素晴らしい。
ところで昨日の北陸地方の豪雨、酷かったようですね。金沢市内で浅野川が氾濫した様子も報じられていました。
我が地方も烈しい雷雨で、電車が一時不通になりましたよ。このいわゆる異状気象がいずれ常態化するとすれば、恐ろしい話ですねえ。
投稿: 石清水ゲイリー | 2008/07/29 09:12
石清水ゲイリーさん
27日、夕方になって食事の準備などしていたら、外がやけに明るい。
夕焼け?
で、デジカメを持って外に飛び出しました。
小生の腕前でもこれだけのものが撮れるんだから、実際の夕焼け空は実に凄かった。
集中豪雨、すごいね。人家の周辺などに限っては、人災の面もあるかも。
地面をコンクリートで固めすぎたから、たまに大雨になると雨は地面に浸み込まず、一気にコンクリートで護岸された川に集中し、洪水や氾濫となる。
コンクリート行政に依存しすぎた…天に唾した結果ではないかと。
雨水を地面にも浸透させる工夫が大切に思えます。
東京や一部の高速道路では、雨水の浸透する新しい舗装工法が既に始まっているね。
投稿: やいっち | 2008/07/29 10:50
仰るとおり。舗装や護岸はもちろん、針葉樹の大規模な植林も含めて、行政府は地表の保水力を著しく減じる施策を律儀かつ効果的に行ってきましたからね。
観測史上初の豪雨が発生する昨今、発想の大胆かつ劇的な転換が必要かも。
投稿: ゲイリー | 2008/07/29 12:33
ゲイリーさん
雨対策は急務ですね。
浸透性舗装、川の護岸の工夫、過剰な伐採や森林の保守・管理の強化(樵の復活)…。
東京などでは雨水を一時的に溜めておく巨大な地下貯水池があります:
http://radiate.jp/archives/river/chosei/
富山は水の都を標榜しているのだから、いっそのこと、運河をもっと拡幅整備して、水の逃げ場を複数にするとか、水上交通(水上バス)も検討してみたらどうかなって思う。
北陸新幹線の開通より、洪水対策を優先したほうが住民のためになりそうな気がするね。
投稿: やいっち | 2008/07/30 03:17
始めまして。
貴サイトでご紹介頂いたことのあるものです。
当時の貴サイトを本日掲載することをお赦し頂きたいのですが。
投稿: マダム侑加 | 2008/08/05 15:26
マダム侑加さん
はじめまして!
>貴サイトでご紹介頂いたことのあるものです。
下記の記事ですね:
「誰も皆踊る姿にしびれます」
http://atky.cocolog-nifty.com/bushou/2007/07/post_299a.html
勿論、掲載はOKです。
どうぞ、宜しくお願いします。
投稿: やいっち | 2008/08/05 16:22