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2008/07/13

「銀閣寺:外装に黒漆塗る補修を断念 外壁の板、風化で薄く」に疑問

 過日(7月3日)、朝のワイドショーで「銀閣寺:外装に黒漆塗る補修を断念 外壁の板、風化で薄く」といった話題を知った(ニュースの詳細は末尾に)。
 父母の食事の世話をしながらの視聴で、ニュースの内容をしっかり把握することはできなかったが、一部を見聞きした時は、幾分の違和感を覚えた。

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← 『銀閣寺』こと『東山慈照寺』 (画像は、「慈照寺 - Wikipedia」より。「開基(創立者)は、室町幕府8代将軍の足利義政、開山は夢窓疎石とされている。(夢窓疎石は実際には当寺創建より1世紀ほど前の人物であり、このような例を勧請開山という。)」)

府文化財保護課は「創建当時の復元はできなかったが、多くの人が銀閣寺からイメージする枯淡美は維持される」としている」というが、「銀閣寺からイメージする枯淡美は維持」されればそれでいいのか。
 せっかくの補修の機会なのだから、可能な限り全面的に復元の試みを行なえばいいではないか。

 枯淡の美は小生のような凡俗の徒にはどれほど玩味できるものか怪しいものだ。
 が、復元を行って、当面は外装が黒漆に塗られた結果、見方によってはけばけばしいという印象を受けるとか、あるいは黒漆の渋さがあってもピカピカツヤツヤな外壁で、古雅な落ち着いた雰囲気が幾分なりとも失われるとしても、当分の間(数十年から数百年の間くらい)は仕方がないではないか。

 今の枯淡の美は出来てから数百年の歳月、風雨が齎した自然の恩恵であり成果ではないのか。
 今、修復して一時(数百年の間)はけばけばしくとも、数百年後にはまた一部の日本人好みの枯淡の美が時という最高の美容師の手によって現実のものとなるのではないか。

 美は時こそが作る、というのが枯淡の美の本来の意味なのではないか。
 侘び・寂びは風雪の積み重ねであり、<時の結晶>なのではないのか。

 なのに、今の人が枯淡の美を愛でたいがために、修復を半端にやって、目先の枯淡の美を賞味せんとする。全ての人というわけではなかろうが、多くの日本人の侘び寂び好みも底が知れているのではないか。
 あまりに短絡的な美の実現であり、京都という悠久の文化、千年以上の文化と伝統の厚みを有する地には似つかわしくない短慮な修復のあり方ではないか、そんな愚考をテレビを垣間見た当初、していたのである。

 しかも(これはあとで知ったのだが)、「府教委は当初、壁や軒下に黒漆を塗ることで老朽化を防ぎ、創建時の外観に戻す方針を提案したが、「東山文化を代表する枯淡(こたん)の美が失われる」と寺が難色を示していた」ということで、寺側の要望だというのだ。

 観光の目玉が無くなるから ? !
銀閣寺の平塚景堂執事長は「わび、さびの文化は寺の原点。現在の外観をできる限り残したい」と話している」だって ? !

 なんという短慮。

 が、あとで(ネットで)情報を探ってみると、「漆がはげ落ちて板張りに見えるため、府教委は創建時のように黒漆を塗って保護しようと検討」したが、「外壁の板の厚さが風化で半分程度になっており、最も薄いところで1センチしかなく、塗装には不適と判明。学識者などでつくる寺の保存整備委員会と協議した上で断念した」というのだから、それでは致し方ないのかなと思いなおした次第である。
 小生のほうこそが思いっきり短慮だったわけである。

 しかし、それでも素人考えに過ぎないのだが、外壁の板に新たに同じ素材(種類)の木材を宛がって、必要十分な厚みを確保し、その上で黒漆を塗ることも可能なのではないか、それが、枯淡の美を今の人が愛でたいがために中途半端な<復元>に留める結論に到ったのではないかという疑念は残っている。
 さて、実際のところ、外壁も含めての修復は不可能なのだろうか。
 ニュース記事を読む限り、創建当時の復元は可能なのだが、寺側の我が侭で断念したとも読めるのだが、小生の理解が浅い?

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→ 「雪化粧した銀閣」 (画像は、「慈照寺 - Wikipedia」より。) 94年の2月末、京都の病院を退院した小生はお袋と二人、雪の銀閣寺を訪れたものである。多分、中学の時の修学旅行以来。少しは…よくなったと思ったのだが、期待は泡と消えた。遠い昔、ガキの頃、姫路城のプラモデルと共に、金閣寺のプラモも持っていた。でも、銀閣寺は持っていなかったような。地味だったんだね、子供には。

以下、関連する記事を一部転記しておく
銀閣寺:外装に黒漆塗る補修を断念 外壁の板、風化で薄く」:

 改修工事中の銀閣寺(慈照寺、京都市左京区)について、京都府教委が外装に黒漆を塗って創建当時の姿に戻すことを検討したが、解体調査の結果、断念していたことが分かった。わび・さびで知られる東山文化の象徴だけに、府文化財保護課は「創建当時の復元はできなかったが、多くの人が銀閣寺からイメージする枯淡美は維持される」としている。

 「銀閣」は2階外壁の黒漆に池の反射光が映って銀色に輝いたのが語源とも言われている。06年の科学的調査で銀箔(ぎんぱく)が張られていなかったことが確認され、通説通り漆塗りだったことが分かった。

 現在は漆がはげ落ちて板張りに見えるため、府教委は創建時のように黒漆を塗って保護しようと検討。しかし、外壁の板の厚さが風化で半分程度になっており、最も薄いところで1センチしかなく、塗装には不適と判明。学識者などでつくる寺の保存整備委員会と協議した上で断念した。

 銀閣寺は同教委が昨年末から改修工事中で、こけらぶきの屋根も27年ぶりにふき替えられる。【谷田朋美】


京都新聞 枯淡の銀閣 維持 老朽化修理方針 創建時の黒漆塗りには戻さず
銀閣寺の銀閣 いったいどうなってしまうの?|西陣に住んでます


追加情報。下記のサイトの記事が参考になる。コメント欄にも注目!:
実感出来る資本主義の味 - Wein, Weib und Gesang

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コメント

美学的な考察ですね。なるほど朽ちた趣が好まれて売りとされているのですから現状維持を計りたいのでしょう。

しかしそれが出来ないからの補修なので、朽ちて瓦解する道を選んだのかもしれません。そもそも、老朽化して使いものにならないからこそ、殆ど使用する事のない亭になってしまって長い年月が経過しているのでしょう。

絵画などでも修復場所のけばけばしさを隠す方法はあるようですが、この場合屋台骨が保たないのではないかと思います。

張りぼてにしたり美術館のガラスのケースに入れて保存するまでは話が進んでいない様ですから、金閣寺のように消失してしまわない限り、益々朽ちた姿を曝け出していく事になるのですね。

投稿: pfaelzerwein | 2008/07/13 22:40

pfaelzerwein さん

多くの有名な神社仏閣は、多くは長い歴史を持っている。
その上で、歳月が風雅な感じ、侘び寂びの雰囲気を醸し出すようになってきたはず。
でも、出来た当初は、金ぴかだったり朱塗りだったり、派手派手だったものが多いはず。

どうせ、修復するなら徹底してやって、千年の先の変化を楽しみにすればいいのだろうと思います。

でなかったら、アルタミラかラスコーの洞窟のように、一つは本物として最低限の修復に留め、ミラーサイトとして徹底してオリジナルを目指した再現を試み、そちらを大胆に一般公開すればいいんだろうと思います(入場料の一部を権利を持つ寺社に提供するとか)。

いずれにしても、京都や奈良の人はもっと悠久のときの流れをどっしり構えておられると思ったのに、今度の件でガッカリしましたね。

投稿: やいっち | 2008/07/14 00:15

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