蜘蛛の巣をめぐるエトセトラ
「蜘蛛の囲(蜘蛛の巣)」という季語がある。
「仲夏(太陽暦6月、旧暦5月)」の時期の季語(動物)のようだ。
俳句の上では既に時期はずれということになる。
← 約30枚ほど自宅の庭で見つけたクモの網を撮ったけど、クモの糸の撮影は難しい。風が吹いていて糸が揺れるのも困難だった一因。
ただ、やはり先月辺りから自宅の周辺もクモの巣が目立つようになってきた。
クモの動きが活発になってきたのをまさにクモの巣の多さで気付かされる。
三月に帰郷して以来、自宅の内外ともに暇を見つけては歩いて見て回る。
春先にクモの巣を見つけた時は、我が家の軒先などに巣を張るなんて、けしからんとばかりに、目が付くたびに竹箒や竹ざおなどで巣を突っついたり破いたりした。
しばらくはそんなに目立つこともなかった。
それが、(気のせいか)梅雨の入りと時期を合わせるように急にクモの巣があちこちに目立つようになった。
しかも、巣を壊したと思った傍から、次の日にはもう立派な巣ができている。
巣にまでならずとも、クモの糸が玄関先に、庭の植木のあちこちに、納屋に置き去りの甕に、それこそ日々、収穫を狩りに行く畑のキュウリの棚にも、とにかくありとあらゆる場所にクモの巣というか網や糸が張っている。
話を先に進める前に、「クモの網 - Wikipedia」でクモの巣(網)を見ておこう。
「クモの網は、クモ(蜘蛛)が自分で出す糸で作った網である」とした上で、「網と巣」の項に以下のように説明されている:
一般に「クモの巣」と言われるが、巣はその中で生活や休息をするものであり、クモの巣の名で呼ばれているものの多くは餌の昆虫を捕らえるためのものであるから、網というべきである。ただし、「クモの巣」と呼ばれるものの中には、実際に巣として機能するもの、網と巣がつながっているものなど、様々な形がある。
→ クモの網が庭中、到るところに張っている。
クモという動物も興味深い。形状からして気色悪い動物に感じられるのだけど。
「肉食性で、自分とほぼ同じ大きさの動物まで捕食する」というから、獰猛な動物であり、時に毒を持つ種類もあるし、いずれにしたってクモの巣(網)が家の内外に張っていたりすると、家が手入れされていないようでもあり、大概の人は見つけ次第、退治(掃除)してしまうのではないか。
実際、小生も、つい先日、父母が病院に行っていて不在だったので、その機会を逃してはならじと、家の中の大掃除をやる。
父母がいると、多くの時間は体調もあり横になっていたりして、寝所も含め掃除ができない。
なので、不在の時は、布団(毛布)の洗濯や日干し、そして掃除機での掃除をやるわけである。
気付いたのだが、家の中にいかにクモの網が張っていたことか。
まあ、普段、ろくに掃除しないことが露見してしまうのだが、事実だから仕方がない。
普段は通り道になる部屋の天井付近や天井に近い四囲の壁に黒く筋のようになっている。
埃が溜まっているせいでもあるが、やはり筋状のものはクモの巣(網あるいは糸)なのである。
こんな機会でないと一掃できないと思い、掃除機を左手に持ち、掃除機のパイプを伸ばし、手を伸ばし、吸引口を目一杯、天井に近づける。
それでも、天井には届かないので、掃除機を左手に持ち、掃除機のパイプをクモの網に狙いを定めたままに、飛び上がって、パイプの先の吸引口で巣(網)を吸う。
それを何度も繰返す。
もう、汗ビッショリである。エアコンのある部屋は寝所と居間だけなので、仏間や座敷や奥座敷など、生暖かいなんてものじゃない。湿気も溜まっている。空気自体が澱んでいるようでもある。
二時間ほど苦闘しただけでヘトヘトになってしまった。
← 背景が暗い色のものでないと、クモの糸のような繊細な対象の撮影は難しい。
さて、小生がこのクモの巣(網)に関する雑文を綴ろうと思った切っ掛けは、何も夏の季語でもあるクモの網で風流を気取ろうと思ったわけではない。
クモの網について、ちょっと疑問が湧いているからである。
この三月に帰郷して、畑仕事やら庭仕事(炊事は無論だが)の真似事をしている。
要領が分からず、全くの五里霧中である。
木々の剪定も、何をどうやっていいか分からず、勢いでやたらと枝を切り落としたら、切る木の枝の選択が悪いと叱られたりした。
雑草の始末も頑張ってやったのだが、中には雑草じゃないのに、春先にはまだ花も咲いてないこともあって、五月や夏を迎えたら綺麗な花が咲くはずの植物も片っ端から毟り取ってしまったようでもある。
失敗続きなのである。
家の内外を問わず、分からないことばかりなのだ。
そんな中、クモの巣(網)についての疑問というのは、そもそもクモの巣や網は見つけ次第、壊したり破ったりしていいものかどうか、なのである。
最初、庭の雑草取りをしたり、枝葉の剪定などをするのに、庭の何処へ入り込むにも、そのたびにクモの網が行く手を阻んで、邪魔でしようがなかった。
クモの糸が頭やら衣服にくっ付く。
そうでなくなって、クモの糸は目にすると、どうにも目障りなのである。
だから、見つけ次第、クモの網を破る仕儀に相成るわけであるが、ある瞬間…多分、巣に何かの虫が囚われているのを見た時だったと思うのだが、はて、クモの網って、取っていいのだろうか、取らないで張るに任せておいたほうがいいのではなかろうか、と思った。
クモの巣があれば、庭木や草花の周辺を跋扈する蚊などの虫けらを退治してくれるのではないか。
むしろ、ある意味、クモ(の巣)の存在は、ありがたいのではないか…。
どうせ、クモの巣(網)を竹ざおで一掃するとしても、網に一杯、害虫の類いを絡みとってもらってからでも遅くはないのではないか…。
部屋の中のクモの網だって、そうだ。クモの網に埃を溜めるだけ溜めておいて、頃合を見計らって、クモの網もろ共に埃を掃除機で吸い取れば、一石二鳥ではないか…。
悲しいかな、この素朴な疑問については、まだ湧いたばかりで答えが出ていない。
どうしたものなんだろう?
世の諸賢の方々の知恵を拝借したいものである。
→ 最後についでに撮ったら、これが何故か一番、鮮明に撮れた。虫を取ってくれるので、クモの巣は当面、そのまま。
蜘蛛の巣に掛かりし虫や我のごと蜘蛛の巣や夏の日差しに銀の網
納屋の戸や父母が閉じて蜘蛛の糸
蜘蛛の巣の虫の行く末見守れり
蜘蛛の巣や果報は寝てと風に揺れ
[クモ関連の拙稿]:
「藤原作弥…香月泰男…蜘蛛の糸」
「夏の蜘蛛」
「我が友は蜘蛛!」
(「夏の蜘蛛」なる記事の中には、「「我が友は蜘蛛!」後日談(04/10/03)」が所収となっています。)
「冬の蛾…我が友となる?」
「「蜘蛛の糸」を裏読みする」(「藤原作弥…香月泰男…蜘蛛の糸」から「蜘蛛の糸」関連の部分を抜粋したもの。)
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コメント
「果報は寝てと風に揺れ」と、なにごとも任せる器量も貴重な人生訓の一つです。それはまた「虫の行く末見守れり」との客観視でもあるのでしょう。
蝿採り蜘蛛とか呼ばれる、巣を張らない室内を動き回る小さな丸い蜘蛛は殺すなと、それを愛した俳人がいたのを覚えています。
蜘蛛の巣の撮影は、目で十分に確認できる光の加減よりも肉眼のようにそれに焦点を合わせる事が肝要でしょう。
投稿: pfaelzerwein | 2008/07/11 12:44
pfaelzerweinさん
「果報は寝てと風に揺れ」はゆったり構えて生きろってことでしょうが、自分の人生訓のようでもあり、クモが自分に気付かせてくれた、あるいは諭してくれたようにも思えたってことなのでしょう。
それは、自分が(クモの)網に雁字搦めになっているのを自覚している、ゆったり生きようと思う…思いたくとも、実際には成り行きに身を任せるしかない現実を身に沁みて感じていることをむしろあらわにしているようでもある。
ハエトリグモ(科)って存在(名前)を初めて知りました:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%82%A8%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%B0%E3%83%A2
「その名の通り、ハエ類を含む小型の虫を主食とする益虫。捕獲用の網を張らず、歩き回りながらハンティングをする徘徊性のクモで」、「一部の種は都市部や人家にも適応しており、日常の中でよく出会うクモでもある」とか。
「かつては、子供の遊びとしてハエトリグモにけんかをさせるほんち(ホンチ)などがあり、ネコハエトリやヤハズハエトリ類などが用いられたと」か。
なるほどこういった種類のクモなら、採らないほうがいいのかもね。
といっても、小生はクモじゃなく、蜘蛛の巣(網・糸)を撤去・破壊すべきか迷っているのですが。
蜘蛛の巣の撮影、花などの撮影と同じで、やはりちゃんと焦点が糸(巣)に当たっているかどうか、ですね。
投稿: やいっち | 2008/07/12 09:49