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2008/07/01

ジョイス…架空のイメージとの遭遇(序)

 先日、ポール・デイヴィス著の『幸運な宇宙』(吉田三知世訳、日経BP社)を読了し、次は何を読もうかど書棚を物色。
 このところ本格的な小説を読んでいないという感覚があったので、長編でなくても読み応えのある本をと書棚を見渡したら(って、そんなに大きな書棚じゃないけど)、ジェイムズ・ジョイスの本に目が行った。

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← 「The sword of justice confines an evil spirit.」 (画像は、「La Moon」より。)

 その前に、ポール・デイヴィス著の『幸運な宇宙』は今年になって小生が買った三冊目の本!
 窮乏生活のため書店を敬遠する日々を始めて四年が経過し、今年の四月から五年目に突入。
 こんなに長く貧乏が続くとは思わなかった。まだ、少なくとも数年は本を買えない生活が続きそう。

 上掲の本は、題名だけを見たなら小生は安手のスピリチュアル系の本の類いだろうと、素っ気無くその本の背表紙を素通りしたはず。
 でも、著者がポール・デイヴィスとあっては、際物ではない。というより、一流の物理学者だし、同氏の本は大半は読んできた。最先端の素粒子論や宇宙論の現況を素人にも分かりやすく叙述してくれるので、内容の堅実さも相俟って安心して読める。

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→ ポール・デイヴィス著『幸運な宇宙』(吉田三知世訳、日経BP社)

 が、正直、ある意味での失望感のようなものも同氏の本に感じ始めていたのも事実。
 というのは、何も同氏の本の記述が云々ではなく、宇宙どころか宇宙論自体の<ビッグバン>があって、近年、宇宙の謎が混迷(と素人には思えるほどに)の度を深めてきているようなのだ。
 我々が従来、観測し理論立ててきた<目に見える物質>は、質量的には宇宙のほんの数パーセントを占めるに過ぎず、暗黒物質(ダークマター)や暗黒エネルギーが圧倒的な割合を有している。
 それらの物質やエネルギーの候補となる素粒子(←やや曖昧な表現)乃至は理論は多々あるが、未だ皆目見当が付かない段階なのだとか。
 その宇宙像の大変化の予感を門外漢の小生ですら感じている中、ポール・デイヴィスの本の内容はちょっともう古いのではと、生意気な感想を抱き始めていたのだ。

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← レオナルド・サスキンド著『宇宙のランドスケープ--宇宙の謎にひも理論が答えを出す』(林田陽子訳、日経BP社)

 しかし、本書を読んでそれは小生の全くの勘違いだと分かった。
 要するに、既存の本はやや内容的に古かったのだ。
 同氏も議論百出して錯綜する、可能性として描きうる宇宙像が幾つもありえる宇宙論の現況をきちんとフォローされている(当たり前なのだが、本書で始めて気付いた次第。やはり新しい本を読んでおかないとね)。

 小生が数年前に読んで感銘を受けたリー・スモーリン著の『宇宙は自ら進化した』(野本陽代訳、NHK出版刊)やブライアン・グリーン著の『エレガントな宇宙』(林 一・林 大訳、草思社刊)、昨年読んだリサ・ランドール著『ワープする宇宙 5次元時空の謎を解く』(向山信治/監訳 塩原通緒/訳、日本放送出版協会 )や今年に入って読んだレオナルド・サスキンド著の『宇宙のランドスケープ--宇宙の謎にひも理論が答えを出す』(林田陽子訳、日経BP社)などは当然の如く、踏まえていて、その上で持論を呈されている。
 本書で驚いたのは、そのポール・デイヴィスの持論であろう人間中心原理論の披露だ。結構、鮮明に打ち出されている。ほとんど宗教的信念の吐露とも見紛うような。
 ある意味、そこまで現今の宇宙論が新たな理論のビッグバンへの胎動が始まっている、そのためのエネルギーが想像以上に溜まっているということなのだろう。
 この辺りのことについては、機会があったらポール・デイヴィス著の『幸運な宇宙』の感想文の形で触れてみたい(昨年、稼動し始めたスイス・ジュネーブ郊外での実験の成果が近い将来、出ることを期待して!)。

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→ リサ・ランドール著『ワープする宇宙 5次元時空の謎を解く』(向山信治/監訳 塩原通緒/訳、日本放送出版協会)

 以下、この数年の宇宙論関係の読書体験を踏まえての小生自身の宇宙観を過去の記事から転記して示す:

 生命とは何かと問われて小生には、答える術はない。ただ、生命が何処かの時点で生じたのだとしても、それはこの大地の上であり、この地球の上であり、この銀河の中で生まれたのであるとは思っていい。その大地も宇宙も、われわれが狭い意味で思う<命>ではないとして、宇宙そのものだって変幻を繰り返していると考えたっていいはずなのである。生命と自然(宇宙)をそんなに截然と分ける必要もないと思う。
 悠久の宇宙、でも、その宇宙も巨大な闇の世界を流れる大河であり、どこから来てどこへ流れていくのか宇宙自身にも分からない。しかも流れるに連れて蛇行し変貌し、そのあるローカルな鄙びた局所に我々が生きているのだし、また違う荒野には生命どころか素粒子さえも形成できない宇宙が延び広がり、その茫漠たる宇宙の彼方には、あるいは別の緑野の地に生きる別の我々が生きており、此方のわれわれとの交信を夢みているのかもしれない。
 生命体の形がこの世界に生じてさまざまに変幻してきたように、われわれの心も身体の変貌に連れて変容する。それまでは感じられなかった世界が心の世界に飛び込んでくるようになる、そんな経験を幾度となく年を経るごとに誰だって多少は経験したのではなかったか。それを成長と呼ぶのかどうかは分からないが、その心の感じる世界の変容は、時に喪失の悲しみをも伴うのだが、それでも、年を重ねるということはそれはそれで祝福すべきものに思えるのである。だからこそ、成熟という表現もあるのだろうし。

 またまた余談が長くなった。本題に入ろう。

宇宙論関係の拙稿:
『エレガントな宇宙』雑感(付:「『宇宙は自ら進化した』の周辺」)
物理学界がいま最も注目する5次元宇宙理論
宇宙の神秘に対する畏敬の念

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