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2008/07/31

久しぶりにプールへ

何年ぶりかでプールへ行った。
七月に入ってから行こうと思いつつ果たせずにいた。
日々、日中は家事に夜は毎日ではないが仕事。
日中は開いた時間があったら、草むしりとか掃除とか。
でも、昨日で草むしりはひと段落した(ことにする)ので、今日は思い切ってプールへ。
といっても、近くにプールがない。
中学校のプールは一般開放しないのかな。

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→ 我が家の庭の動物シリーズ(?)…バッタ。我が家の庭には昆虫などの動物が一杯である。それにしても、このバッタ、雑草と見分けが付かない。

で、車で二十分ほどの市立のプールへ。ネット検索したらそこが一番、安いし近い。
入場料が二百円(大人)!
ガソリン代を費やしても痛くない出費だ。

海水浴は考えない。ガキの頃の富山市の浜辺は遠浅とは全く逆で、十メートルも浜から離れたら急激に深くなるという印象が強く、未だに怖い。
それに海から上がって体を洗うには、多分、海の家のシャワーを借りるしかないのだろう。夏休みだ。一杯だろう、きっと。

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2008/07/30

安本丹のこと(増補版)

[本稿は、「04/01/19」作の旧稿である。「富山の薬売りと薩摩藩」の周辺」なる稿を書いていて、そういえば富山の薬に関連する駄文を綴ったことがあったと思い出し、ここに本稿を再掲する。原則、原文のまま。改行など若干変更。旧稿を温める…。なんと心温まる営為だろう!]

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← 江戸時代の「反魂丹」の袋 (画像は、「置き薬>置き薬用語集>反 魂 丹(はんごんたん)」より。)

安本丹のこと

 ある本を読んでいたら、久しぶりに「安本丹」なんて言葉を目にした。その本とは、芳賀徹著の『詩歌の森へ』(中公新書)である。その言葉が出てくる脈絡が揮っている。
(念のために断っておくが、「安本丹」とは、「やすもとたん」(あるいは「やすもとあきら」)と読むのではない。そう読んで絶対に悪いとは言わないが。実際、このような名前の方がいらっしゃらないとも限らないし。ただ、文章や内容の都合上、「あんぽんたん」と読んでもらいたいのである。)

 江戸の市民は日々に言葉のエスプリをたのしんでいたという主旨の話の中で「安本丹」なる言葉が登場するのである。
「安本丹」なる人物が登場するわけではない。

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2008/07/29

「富山の薬売りと薩摩藩」の周辺

 magnoriaさんの「富山の薬売りと薩摩藩」という記事の題名に瞠目(大袈裟?)!
 何ゆえ、「富山の薬売り」と「薩摩藩」とが併記されるのか。

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→ 「社会評論社 玉川信明セレクション 日本アウトロー烈傳 第3巻 越中富山の薬売り 反魂丹の文化史 玉川信明

 記事に拠ると、以下のようにある:

文政十一年のスパイ合戦 検証・なぞのシーボルト事件」(秦新二 文春文庫)を読んで、薩摩藩が輸入した薬を富山の薬売りが独占的に扱い、薩摩藩と富山藩の間にはそのための特別なルートが出来上がっていたということを知った。

 小生、こう見えても(どう見えているのか分からないが)、富山生まれで今現在、富山在住。
 約36年間、富山を離れていたとはいえ、心は富山に置きっ放し(これも若干の嘘があるが、この際、等閑視する)。
 親戚に薬売りを生業(なりわい)にされている方も居た(今も、後継者の方がされているのかどうか分からない)。
 当然ながら、売薬さん(富山の薬売り)について多少なりとも調べて見たことがある。

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2008/07/28

「保田義孝個展へ」再掲

Yhwi保田義孝個展へ」再掲しました。

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夕焼けの翌日は晴れ…じゃなかった!

 夕方の買物帰りに、あるいは夜の仕事へ出かける際に、夕景を見る機会が多い。
 日によっては買物は昼前に済ませ、夜の仕事もないことがあると、自宅に篭りっきりで居間などから外の様子を窺い見るだけに終わる。
 そうすると、何か勿体無い気がする。大切なものを見逃したような気がするのだ。

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← 一昨年の五月に撮った夕景。デジカメのレンズのイタズラなのだろうか。この画像を念頭に、「夕焼け雲」なんて短編を書いたことも。

 空の様子や雲の流れ行くさま、太陽の姿の時間を追っての変化は、日々見慣れているはずなのだし、微妙に形を変えているとはいえ、昨日今日でそう変化するわけのものではないのだが、見飽きないのは何故だろう。
 それは、潮の満ち引きや木々の緑や葉っぱの風に揺れるさまや、もっと卑近なところだと緩んだ蛇口から垂れ零れる水滴を見飽きないのと同じ…なのだろうか。

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2008/07/27

蝉時雨に沈黙を聞く

 梅雨入りしてそんなに間もない或る日、不意に懐かしい音に気がついた。
 蝉時雨である。
 既に喧しい鳴き声が聞こえていたのかもしれないが、朝、窓を開けたら耳に付いたのである。
夏のことばⅡ・季語 蝉時雨 (せみしぐれ)」によると、「蝉時雨を演出してくれるのは、東日本では油蝉、西日本では熊蝉が主役」とある。
 小生は富山。ということは、熊蝉なのか。今の所、きちんと確かめたことはない。

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→ 27日の夕焼け。午後、雲行きが怪しい中、躍起になって草むしりしていたら、三時頃、雨がポツポツと。あっという間に風雨に。水のシャワーを浴び、お茶で一服して、さて夕食の準備をと思ったら、外の景色が綺麗。思わず、デジカメを手に庭へ。

 ただ、我が家の庭の内外でも特に探そうとしなくても蝉の姿は垣間見られるし鳴き声を聞くことができる。
 チャンスがあったらクロアゲハやトンボやバッタや(多分)コオロギやヤモリやクモなどと共に我が家の庭に棲息する生物ということで蝉の姿も写してみたい。

 同上の「夏のことばⅡ・季語 蝉時雨 (せみしぐれ)」にはさらに、「蝉時雨は本来心地よい鳴き声の部類に入るのですが、炎天下の熊蝉や夜の油蝉の連鳴きは、やや不快音に属します」とも書いてある。

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2008/07/26

今日は幽霊の日

 今日7月26日は、「幽霊の日」だという。
 今年も幽霊の季節がやってきたわけである。
 幽霊は、やはり暑い時期が似合う。
 尤も、雪女などの事例もある。雪女が幽霊なのかどうか分からないが。

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← 安村 敏信監修『日本の幽霊名画集』(人類文化社) 「円山応挙、河鍋暁斎から、葛飾北斎、歌川国芳、月岡芳年まで、全国の寺、美術館、博物館、個人コレクションから選りすぐった鬼気迫る幽霊画の傑作75点をカラーで収録した大型画集。小松和彦、水木しげるらによる解説も併載」だとか。ネガフィルムでの人影って何故か不気味! 本書については、「幽霊名画集」なる頁が参考になる。

鶴屋南北作東海道四谷怪談が初演された文政8年(1825)7月26日を記念する日」だとのこと。
「1825年7月26日に江戸の中村座という芝居小屋で「東海道四谷怪談」が初公演された事に因んでいる」というのだ。

 といいつつ、そもそも幽霊とは何か、小生は分からない。
 まだ出会っていないということもあるが(出会いたくない…怖い)、「ヒトが死亡して肉体が消滅した後も、この世(娑婆)に未練や恨みがあるために成仏できず、浄土にゆけない魂がそれらしき姿と声を持って、因縁ある人物の前に出現するもの」なのだとしたら、ぼんやりとした小生など、仮に出会っていたとしても気付かない怖れがある。

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2008/07/25

「その時歴史が動いた・戦国の「ゲルニカ」」アップ

その時歴史が動いた・戦国の「ゲルニカ」」アップしました。

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2008/07/24

「蜘蛛の巣」という永遠

 与謝野晶子訳『源氏物語 上・下』の上巻をなんとか読了。
 何処まで賞味できているかどうかは別にして、次は下巻へ。なんとか来月一杯には与謝野源氏は読み切れそう(『特性のない男』も半ばまで来ている。ちなみに、与謝野晶子訳『源氏物語』は、ネットで読める:「角川文庫 全訳源氏物語(与謝野晶子訳)」)。
 とにかく人物関係が輻輳している。
 とはいっても、錯綜していると感じるのは理解が足りないから…なのだろう。

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→ 画像は、「蜘蛛の巣をめぐるエトセトラ」より。

 宮中など雅なる世界は貴賎の差異と男女の上下とが蜘蛛の巣の網のように入り組んでいる。情念においても陰影を織りなしている。

 ここからいきなり飛んでしまうのだが、蜘蛛の巣というと、小生はどうしてもドストエフスキーの小説を連想してしまう。
 そう、小生にとっての永遠の青春の書である『罪と罰』である。

 この小説で、最初から小生を虜にしたのは、マルメラードフでありスヴィドリガイロフという人物(像)である。

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2008/07/23

炎天下の格闘

 今年は小生がうっかりしている間に、梅雨が明けてしまった。
 ニュースで梅雨明け宣言が伝えられていただろうに、聞き(見)逃したようだ。
 昼間は家事手伝いというか、炊事もやっているので、ニュースだけは視聴したいと思っているのだが、侭ならない。
 夜は日によって仕事だったりする。数日前だったか、仕事先でお客さんに梅雨はもう明けたよって、教えられてしまった。
 小生としては少々口惜しい。

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← 今月上旬の雨の日に撮影。左手前の出っ張っている岩などを引っ込めたい。

 人に教えられたからではなく、知っていたなら、関連の記事を書きたかったからである。
 例えば、「ハッピーバースデー・ツーユー!」なんて記事を05年の6月に書いているし、翌年も「今年も…ハッピーバースデー・ツーユー!」なんて記事を書いている。
 梅雨明け宣言が出たら、やはり何かそれを契機に書く。
 99年末にネットに参入して、日に一個の記事を書いてネットにアップさせるのをノルマにしている(書くだけなら昔からやっていること)。

 年に一日が二日は書かない日もあるが、日に二つ書くことのほうが多いので、結果的には年に365以上の記事。
 ってことは、単純計算でも99年末以降で3000個以上は何かしら書いていることになる。

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2008/07/22

「マラソンの思い出…恋」などアップ

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以下の二つの記事をアップしました:
マラソンの思い出…恋
「08花小金井パレード」画像情報

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2008/07/21

アオガエルは瞑想を誘うけれど

 土曜日の夕方近く、庭の畑に水を撒きに行った。ついでにナスやキュウリなどが成っていたら収穫しようと思っていたら、意想外の成果。
 というのも、前日にも取れるだけのものは取ったので、さすがに連日は無理だろうと、それほど期待はしていなかったのである。

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← 畑に育っていたグラジオラス。白色や黄色や青色の花々を長い茎をそのままに十本ほど摘んで、茶の間や玄関に飾ったけれど、みんな涸れて、残るはこの一本。部屋が暗いので、花が貧相に見えるけれど、実際は綺麗な黄色。

 野菜に限らず植物の生命力は凄い。カンカン照りだったり夏の夕立の襲来だったり、昆虫や土中の微生物との共生と競合。
 小生、畑仕事は全くの素人。近所の人のを見よう見真似だったり、父母の話を受け売り(したいが、大概、右の耳から左へと流れすぎる)だったり、理解が浅いか間違っているようで、我が畑は野菜より雑草のほうが遥かに目立つ。

 それというのも、除草剤の使い方が分からず、及び腰に春先に散布しだだけなので、野菜も育つがそれ以上に雑草天国。

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2008/07/20

汗水垂らして御簾(みす)のこと?

[今朝、我が家で取っている読売新聞に「簾」が特集されていた。すわ、拙稿が参考にされた? なんて一瞬、思ったが、本稿は、08/07/17に書いたものだが、他の記事を先行していてアップが若干、遅れてしまっていた。取り急ぎ、アップさせておく。 (08/07/20 記)]

 過日より、与謝野晶子訳『源氏物語』を牛車の歩みで…じゃなく牛歩のペースで読んでいる。
 牛歩となってしまうのは、日々が慌しく、ゆっくり読書に耽る余裕がないこともあるが、先日来の暑さに辟易している故でもある。

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→ 「ヨ シ ズ」 (画像は、「ヨシズ・スダレ」より。)

 読み出すと最後までというのが小生の主義なので、寝床でも就寝前には読みたいのだが、何せこの本(『カラー版 日本文学全集 源氏物語 上・下』(与謝野晶子訳 河出書房))、重過ぎる。
 寝床で手で支えて読むのはちょっと難しい。

 で、寝床では別の本を読み始めた。
 それはロベルト・ムージル著の『特性のない男』(加藤二郎/ 柳川成男/北野富志雄/川村二郎訳 河出書房)である。

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2008/07/19

団扇に絡むエトセトラ

 夏である。未だ、梅雨明け宣言が出たわけではないし、未だ晴れの日が続くような気圧配置になっているわけではない。
 でも、最低気温が25度ほど、最高気温が32度の日が続いたりすると、夏と思いたくなる。
 いや、思いたくはないが、そう感じるしかない。

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→ 「丸亀のうちわ」(105.露草ホタル 100本 裏面・黒一色名入れ加工) 「手貼り  竹の骨、竹の持ち手 裏の柄が透けて見えてい」る。(画像は、「丸亀の名入れうちわと丸亀の団扇の通信販売」より。)

 小生、今春、富山に帰郷した。
 帰郷したはいいが、いよいよ恐怖の夏の時期を迎えてしまった。
 何が恐怖って、小生の居住する部屋、寝泊りする部屋にはエアコンがない。

 そもそも、家屋自体が古くなったからなのか、隙間風が凄い。
 冬は寒く、夏は暑い。冬は冷たい風が、夏は熱い風が容赦なく吹き込んでくる。

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2008/07/18

「悲しい夢…リベジ…」アップ

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悲しい夢…リベジ…」アップしました。

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2008/07/17

スーパーのレジにて

スーパーのレジにてトラブルがあった。
新鮮市場チェーンの系列店のうちの富山市内の某店でのことである。

いつものように昼前、行きつけのスーパーへ。
夕方は混むし、夜の仕事の時間との兼ね合いで慌しいので、大概、昼前に買物をする。
買物を済ませたら急いで帰宅し、お昼の食事に間に合わせる。
他にも用事があるから、グズグズはしていられない。

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← 我が部屋にはエアコンがない。西日が当たって暑い! 部屋は道路に面していて照り返しも凄い。我輩にはエアコンを買うカネもない。なので、納屋から古い簾(すだれ)を引っ張り出し、庇に釘を打ち付けたりして、ぶら下げた。見た目は涼しげ!

必要なものをカゴに詰め、レジへ。
比較的空いているレジ。
見ると、若い女子店員。

見たことのない顔。それがまずかったのか。
普段ならベテランでなくても、何度も顔を見かけている人のレジに立つ(その中で比較的空いているレジを選ぶ)。

前の客が済んで、小生の番。
店員、機嫌が悪かったのか、中年の小生が気に食わなかったのか、最初から態度が悪い。

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2008/07/16

「今年も花小金井の夏祭りでサンバ」アップ

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今年も花小金井の夏祭りでサンバ」アップしました。

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2008/07/15

富山スポーツ情報あれこれ

 富山サンダーバーズが前期優勝を果たしたこと、読者からある日本人の世界的プレーヤーが富山に来ていたという情報を戴いたことなどがあり、せっかくなので、富山のスポーツ情報を若干、メモしてみる(例によって敬愛の意味を籠め、氏名などについて敬称は略させてもらう)。

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→ 知り合いの家に迷い込んだ猫。とっても若い雌猫ちゃん。安住の地を見出した時には既に妊娠していたらしく、つい先日、六匹の子猫を生んだ。家の真ん前が街道で車の往来が多く、紐でつないである。つながなくても、妙に人間になついているから、逃げないかもね。文末に子猫の画像を載せる。

目次:
富山サンダーバーズが、前期優勝を果たした!
●「カターレ富山」が、Jリーグ昇格圏内の4位以内へ最接近!
富山グラウジーズは、やや苦戦!
●日本人初のプロ水球選手「青柳 勧(あおやぎかん)」が富山に来ていた!

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2008/07/14

銭湯へ!

銭湯へ行った。近所の銭湯。懐かしの銭湯。
小生が中学か高校の頃、その銭湯へ通ったものである。
小学生のある時期までは、家の裏庭、台所や隣接する茶の間の出窓の直下にドラム缶だったか(小生はドラム缶の風呂に入った記憶があるのだが、家人はそんなものはウチにはなかったという…)、大きな岩を刳り抜いて、底に板を敷いたような即席のバス(?)があって、そこに漬けられるのが入浴だった。

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→ 「江戸東京たてもの園に移築された子宝湯の入り口」 小生が昨日、行った銭湯はここではありませぬ。(画像は、「銭湯 - Wikipedia」より。)

漬けられるのが入浴だった…。そう、お風呂が嫌いだった。面倒だった。漫画の本を読んでいたかったのだ。
小学生の低学年の頃までは、時には姉に連れられて銭湯へ通っていたようだ。
(記憶力がよければ、女風呂に入浴していた当時の光景が思い浮かべられるはずなのに、全然、駄目。我ながら情けない!)

その後(多分、学生時代)自宅に立派な浴室が出来たし、そもそも高校で郷里を出たので、郷里の銭湯通いは無くなった。
だよね。自宅にあるし、年に数回の帰省は一泊か二泊なので、銭湯へ行ってのんびりっていう発想は生まれなかった。

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2008/07/13

「銀閣寺:外装に黒漆塗る補修を断念 外壁の板、風化で薄く」に疑問

 過日(7月3日)、朝のワイドショーで「銀閣寺:外装に黒漆塗る補修を断念 外壁の板、風化で薄く」といった話題を知った(ニュースの詳細は末尾に)。
 父母の食事の世話をしながらの視聴で、ニュースの内容をしっかり把握することはできなかったが、一部を見聞きした時は、幾分の違和感を覚えた。

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← 『銀閣寺』こと『東山慈照寺』 (画像は、「慈照寺 - Wikipedia」より。「開基(創立者)は、室町幕府8代将軍の足利義政、開山は夢窓疎石とされている。(夢窓疎石は実際には当寺創建より1世紀ほど前の人物であり、このような例を勧請開山という。)」)

府文化財保護課は「創建当時の復元はできなかったが、多くの人が銀閣寺からイメージする枯淡美は維持される」としている」というが、「銀閣寺からイメージする枯淡美は維持」されればそれでいいのか。
 せっかくの補修の機会なのだから、可能な限り全面的に復元の試みを行なえばいいではないか。

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2008/07/12

髑髏の色は「白」を意味する…

「白」というのは、白川静氏の説に拠ると、「頭蓋骨の象形」なのだとか。

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→ 「人間の頭蓋骨」 (画像は、「頭蓋骨 - Wikipedia」より。)

白の日 - 今日のことあれこれと・・・」:

象形説では、「骨」という字は上部は胸骨より上の骨の象形、下部は肉を表しており、「白」という字は頭蓋骨(ずがいこつ)の形で、その白骨化したもの(髑髏)の象徴であり、白骨化しているから「しろい」という意味を持つようになった(白川静説) (中略)その解釈には諸説あり、同じ象形説でも、親指の爪の部分の形(郭沫若く説)。柏(漢音 :ハク。訓読み :かしわ、かい )類の樹木のどんぐり状の木の実の形で、顔料をとるのに用いたという木の実のしろい中みを示すという(藤堂明保説)などがある。

 今日は、というわけで、意味もなく、気になる話をメモするだけ。

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2008/07/11

蜘蛛の巣をめぐるエトセトラ

蜘蛛の囲(蜘蛛の巣)」という季語がある。
仲夏(太陽暦6月、旧暦5月)」の時期の季語(動物)のようだ。
 俳句の上では既に時期はずれということになる。

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← 約30枚ほど自宅の庭で見つけたクモの網を撮ったけど、クモの糸の撮影は難しい。風が吹いていて糸が揺れるのも困難だった一因。

 ただ、やはり先月辺りから自宅の周辺もクモの巣が目立つようになってきた。
 クモの動きが活発になってきたのをまさにクモの巣の多さで気付かされる。
 三月に帰郷して以来、自宅の内外ともに暇を見つけては歩いて見て回る。
 春先にクモの巣を見つけた時は、我が家の軒先などに巣を張るなんて、けしからんとばかりに、目が付くたびに竹箒や竹ざおなどで巣を突っついたり破いたりした。

 しばらくはそんなに目立つこともなかった。

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2008/07/10

「リベルダージ、今年のテーマは海中探検」アップ

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リベルダージ、今年のテーマは海中探検」アップしました。

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2008/07/09

「短夜」のエピソード

 梅雨もそろそろ終わりに近付いているのだろうか、昨夜はことのほか雨が激しく降った。
 しかも、夜半を過ぎてからは雷鳴も長く轟き続けた。
 小生が就寝しようとしたのは、そろそろ一時を過ぎようという頃。
 明かりを消して真っ暗な中、寝入ろうとしたのだが、間もなくゴロゴロというかドンドンというのか、なんだか胸騒ぎのするような音が喧しい。
 もしかして遠からぬ場所にある(化学)薬品工場がまた何かの爆発事故を起こしたのか…。
 そんな悪い懸念もあったりする。

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← 撮影が下手で、これでは雷雨の光景だとは分からない(文末を参照)

 小生が小学四年生の時、夏の終わりというか初秋と呼ぶには早い頃、実際に薬品が大量に漏れ出す事故があったのである
 塩素系の強烈な匂いが地域一体に蔓延し、病院に担ぎ込まれた人も少なからずいた。
 当時は富山では大きな事件・事故であった。多分、全国に報道されたに違いない。
 小生も喉が塩素ガスにやられ呼吸が苦しくなったものだった。
 病院嫌い(というより怖い)だし、シャイな人間なので喉の苦しさをただ我慢していた。

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2008/07/08

「「源氏物語」…あこがれの王朝ロマン?」アップ

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「源氏物語」…あこがれの王朝ロマン?」アップしました。
「源氏物語」…あこがれの王朝ロマン」展の紹介(メモ)を兼ね、関連の美の閲覧のはずなのが…。

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2008/07/07

「08牛込パレード画像情報」アップ

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08牛込パレード画像情報」アップしました。

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2008/07/06

「窓辺の影」リアップ

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窓辺の影」リアップしました。
 リアップといっても、あのリアップとは違いますが。

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2008/07/05

今年は源氏物語千年紀

 自宅の寝床で、あるいは帰郷に際して東京から持ち帰ったロッキングチェアーに腰を沈めつつこの二週間ほどちびちびと読み進めてきた、『ダブリン市民』と『若い芸術家の肖像』の二作品が所収となっている『新集 世界の文学 30 ジョイス』(高松雄一/永川玲二訳 中央公論社)を読了した。

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← 『源氏物語絵巻(東屋)』(徳川美術館蔵) (画像は、「源氏物語絵巻 - Wikipedia」より。)

 同時に、外出などの際に、時間が空いた時に楽しむために携えていた、『中谷宇吉郎集 第八巻』(岩波書店)も、昨日、読了してしまった。
 全八巻の『中谷宇吉郎集』は、全六巻の『寺田寅彦集』(岩波書店)共々、買ったのは七年かそれくらい前なのだが、他の本のように購入したら即、手を付けるのではなく、敢えて温存してきた。

 心を遠い少年の日の夢に舞い戻らせるというか、実験や観察やデータの蓄積と分析など世界を接近戦で地道に見つめているにも関わらず、精神は何処か高邁で遠大で、且つ少年の素朴な好奇心・探究心を常に忘れない純なものが通奏底音のように流れている、いい意味での科学者の心そのものである…。

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2008/07/04

「蛍を見た!」アップ

蛍を見た!」アップしました。
 虚構なのか日記なのか。
 それが問題…ってほど、大したものじゃありません。

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2008/07/03

「ロダンのエロス(続)」アップ

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ロダンのエロス(続)」アップしました。

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2008/07/02

ジョイス…架空のイメージとの遭遇(承前)

 さて、余談が長くなった。
 書棚で目にしたのは、『新集 世界の文学 30 ジョイス』(高松雄一/永川玲二訳 中央公論社)である。昭和47年の刊行だが、小生が入手したのは古書店で。
 読んだのは学生時代の終わりごろだったような。

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← 『ザ・デッド ―ダブリン市民より―』 (画像は、「ザ・デッド ―ダブリン市民より― ジョン・ヒューストン監督作品」より。) 「ジェイムズ・ジョイスの短篇が、華麗に、香気豊かに映像化された――」というが、一体、どんな映画なのか。今回、『ダブリン市民』の短編の数々の魅力を賞味して、改めて関心が沸き立った。

 その頃は、内外を問わず、腕ずく力尽くで哲学や文学などの本を読み漁っていた。とにかく読み倒す。分かろうが面白くなかろうが、一旦、手にした本は図書館のものであれ借りたものであれ買ったものであれ、最後まで意地でも読み通す。

 読了した…。山を征服した…感覚…?


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2008/07/01

ジョイス…架空のイメージとの遭遇(序)

 先日、ポール・デイヴィス著の『幸運な宇宙』(吉田三知世訳、日経BP社)を読了し、次は何を読もうかど書棚を物色。
 このところ本格的な小説を読んでいないという感覚があったので、長編でなくても読み応えのある本をと書棚を見渡したら(って、そんなに大きな書棚じゃないけど)、ジェイムズ・ジョイスの本に目が行った。

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← 「The sword of justice confines an evil spirit.」 (画像は、「La Moon」より。)

 その前に、ポール・デイヴィス著の『幸運な宇宙』は今年になって小生が買った三冊目の本!
 窮乏生活のため書店を敬遠する日々を始めて四年が経過し、今年の四月から五年目に突入。
 こんなに長く貧乏が続くとは思わなかった。まだ、少なくとも数年は本を買えない生活が続きそう。

 上掲の本は、題名だけを見たなら小生は安手のスピリチュアル系の本の類いだろうと、素っ気無くその本の背表紙を素通りしたはず。
 でも、著者がポール・デイヴィスとあっては、際物ではない。というより、一流の物理学者だし、同氏の本は大半は読んできた。最先端の素粒子論や宇宙論の現況を素人にも分かりやすく叙述してくれるので、内容の堅実さも相俟って安心して読める。

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