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2008/06/04

「芒種」のもどかしさ…

 関東甲信越は今日(2日)、梅雨入り宣言が出た。
 我が富山など北陸地方も間近なのだろう。
 せっかくなので今頃の時期に合う話題を少し。
 採り上げるのは24節気の一つ「芒種(ぼうしゅ)」である。
 たまたま昨日だったか、あるサイト(「自分磨き日記「6月--芒種」」)でこの言葉を見かけたこともあり、気になっていた。

Sdsc01467

← 04年(稲作を止めた翌年!)の5月に撮影。

 去年(こぞ)の田は夢かとばかりに舞うトンボ


芒種(ぼうしゅ)は、二十四節気の1つ。6月6日ごろ。および、この日から夏至までの期間」だという。
二十四節気の説明(平成20年・2008年)」によると、「陰暦5月の節で、芒種の節ともいい、陽暦の6月5日か6日。芒種というのは稲や麦など穂の出る穀物の種のことをいう。種播きの時期で、農家は田植えに追われる」とあり、6月5日か6月6日ごろの「芒(のぎ : イネ科植物の果実を包む穎(えい)すなわち稲でいう籾殻にあるとげのような突起)を持った植物の種をまく頃」だという。
 尤も、「実際には、現在の種まきはこれよりも早い」ようである。

 イネ科。稲とか麦などの種と理解していいようである。
 昔は入梅前の今頃が田植えの開始期だというが、今とは季節の風景も違うということか。
利久さんの季節の和菓子_芒種」ではないが、「かまきりや蛍が現れ始め、梅の実が黄ばみ始める頃でもある」…。

 今年の冬の終わりごろ帰郷した小生、梅の実が黄ばみ始めているのは我が家の庭の梅の木で目にすることができている。
 草むしり作業で丸々と太ったミミズの類いは畑で数知れず見た。
 もしかして、カマキリの姿も垣間見ることが出来るのか。
 もっと僥倖に恵まれたなら、今年こそ蛍たちの乱舞や青白いの明滅という光景に恵まれるかもしれない。
 叶ったとしたら、何十年ぶりのことである。
 こうした風物との際会も故郷へ帰った賜物ということか。

PLANT A TREE PLANT LOVE - 二十四節気 芒種(ぼうしゅ) 6月6日~6月21日頃」にて(恐らくはNHKの何かの特集番組だろう、「映像作品「かえで二十四節気」より」ということで、「芒種」の頃の趣きある映像(動画)を見ることができる。→ 「ここ

 上記したように、「芒種」は「24節気の一つ」の一つだが、同時に夏(仲夏)の季語でもある(「雅路の部屋 別館」参照)。

 とはいっても、ネットでは「芒種」を季語として織り込んだ句はあまり見つからない。

芒種とてつねにかわらぬ沖の色    征夫

ささやくは芒種の庭の番(つがい)鳩   石原八束

朝粥や芒種の雨がみづうみに    秋山幹生
(以上の3つの句は、「芒種 風胡山房」より)

芒種なり父の眼鏡が玄関に
(「俳句工房[ZA]」より)

足音のように波くる芒種かな   対中いずみ
(「燈帖~夢・記憶・草花」より。「草深昌子のブログ」参照)

芒種なり水盤に粟蒔くとせむ   草間時彦
(「海辺の日々」より)

芒種はや人の肌さす山の草   鷹羽狩行
(「俳句(2007-06-06)-深秋会」より)

 季語としての「芒種」のもどかしさを感じたりする。
 何もかもがというわけではないが、それでも季節の風物詩は少なからず変わってしまっている面もある。

 ここ数年に限っても、例えば昔とは田植えの時期も違う。
 富山では、やや遅めに苗を植えるのが主流になってきている。ほんの数年前までなら、五月の連休の頃に田植えしていた。
 小生などは、我が家に田圃のあった数年前までは、五月の連休にオートバイで帰省し、田植えの手伝いをするのが慣わし(?)になっていた(「富山と田圃と私」や「自分にとって田植えをするとは(田植えドジ顛末記)」などを参照)。

 が我が家の田圃が人の手に渡った数年前からだったろうか、田植えの時期が一週間ほど従来より遅らせるようになってきた。
 確か全県的な動きで、県(農協)の指導の下、そのようになったものと理解している。

 調べてみたら下記のニュースが見つかった:
北日本新聞社 富山のニュース 県内の田植え繰り下げ70・9%

 一部を転記させてもらう:

 田植え時期の繰り下げは、夏の高温障害を避ける取り組みで、かつてはゴールデンウイークに行っていた田植え時期を五月十日以降に設定した。前年産の一等比率は、うるち米全体で十年ぶりの高水準となる89パーセント、コシヒカリで90パーセントを達成した。二十年産は一層の高比率を目標にした。

 会議では、県が田植え後の稲の成長が県内全域で順調なことを説明。しっかり根の張った丈夫な稲を育てるため、こまめに水管理を行うなど、六月までの技術対策を確認した。


08_0503

→ 人の手に渡った田圃は今やこんな有様に! よそ様の手で今や立派な畑として更生! 今年(08年)5月3日に撮影。冒頭に掲げた画像と見比べれば違いが歴然。

 昔とは気候も若干違ってきている。農作の技術も、政策も、結果として風景も違う。
 そう、田植え自体、ほんの数年前までは各農家はそれぞれの田圃の田植えを自分たちでやるのが当たり前だった。
 それがこの数年は、それぞれに田植えの日(時間)が当番のように振り分けられ、人の家の田圃の田植えもやるし、逆に自分の家の田圃でも自分の家でやるとは限らなくなってきたのだ。

 思えば小生自身、家庭の事情があってのことだが、54歳になっての帰郷である。
 折々の帰省は絶やさなかったが、それでも郷里に落ち着いてみると、浦島太郎の心境である。
 古里なのだけど、ガキの頃の遊び仲間はそれぞれ別々の世界を生きている。
 高校までの同級生でコンタクトを取り得る人は一人だけ。しかも県外の居住。
 親などの近親はいるけど、心境を語り合う相手は一人もいない。
 東京でも漂流、郷里でも島流しの憂き目に遭っているという感覚。
 家庭の事情もあって、心が(体は勿論!)金縛りに遭っているような。
 違和感というほどのものではないが、受け継がれてきた季語では現今の風景を叙するには何処か窮屈なような。
 何処かでボタンの掛け違いをしてしまって…?

 というわけで(?)季語としての「芒種」の齟齬の感にも似たもどかしさの念を抱いてしまう。
 それでいてそこはかとない親近感を抱いたりするから不思議である。

                   (08/06/02作 06/04加筆)

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コメント

こんにちは
拙ブログ「風胡山房」
ご紹介いただきありがとうございました。

今後ともよろしくお願いします。

投稿: 結城音彦 | 2008/06/07 15:33

結城音彦さん

記事、参照させていただきました:
http://mblog.excite.co.jp/user/hukosanbo/entry/detail/?id=5829138

ありがとうございました。
またいろいろ教えてくださいね。

投稿: やいっち | 2008/06/08 10:28

俳句ありがとうございます           勉強になりました(* ̄ー ̄*)[

投稿: 多田さや | 2010/06/04 09:08

多田さやさん

一昨年の小文を読んでいただき、ありがとうございます。

小生自身、勉強しつつ書いています。

これからもよろしく!

投稿: やいっち | 2010/06/04 20:51

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