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2008/06/09

やくせん…謎の廃墟?

 昔、小生が生まれ育った町の近くに「やくせん」と呼ばれている場所があった。
 それは通称で、正式な名称は別にちゃんとあるのだが、少なくともガキの頃の小生は「やくせん」という呼称以外の呼び名を知っていたとは思えない。中学か高校の頃までにはその場所の由来なども認識してきたような気がするが、やがて小生も学生となって郷里の地を離れている間に、「やくせん」のことを思い出す機会もなくなっていった。
 
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← 「富山薬学専門学校 富山大学薬学部 跡」などと銘された碑。夕方、買物のついでに撮ってきた。

「やくせん」という名称は、「富山薬学専門学校 (旧制)」を略したもので、まさに通称、俗称である。
 その通称がどれほどの地域で使われるものだったのかは、小生には分からない。
 あるいは、我が町の周辺で、それとも、小学校の同級生の間でそう勝手に呼んでいただけなのかもしれない。
 でも、記憶では小生の親もそんな呼称を使っていたような気がする。

 念のため「やくせん」…もとい、「富山薬学専門学校 (旧制)」のことをメモっておく。
富山薬学専門学校 (旧制) - Wikipedia」によると、「富山薬学専門学校(とやまやくがくせんもんがっこう)は、日本の旧制官立専門学校の一つ。所在は富山県富山市奥田付近であった」という。
 詳しくはリンク先を見てもらうとして、ここでは、「1951年(昭和26年)3月:富山大学富山薬学専門学校、廃止」という歴史を知っていただければそれでいい。

 小生は昭和29年生まれ。
「やくせん」のことが仲間内などで話題に上ったことを覚えているのは、古くてもせいぜい昭和35年か36年のことか。
 つまり、物心付き、何かの折に「やくせん」が話題になった頃には既に「やくせん」は廃止になっていたわけである。

 では、何故、ないはずの「やくせん」が話題に上るのか。
 実は、廃止になったのは「1951年(昭和26年)」だが、既に「1949年(昭和24年):国立学校設置法により国立富山大学に統合包括され、同大学の薬学部となっ」ていて、富山市五福にある富山大学のキャンパスへ薬学部(の建物)が移動していったわけである。
 ただ、いつまでなのかは記憶に定かではないが(多分、小生が学生時代か)、富山薬学専門学校 (旧制)の建物や敷地を取り囲む塀(壁)はずっと残っていたのである。
 よって、「やくせん」とは、富山薬学専門学校 (旧制)の建物や敷地の廃止跡の一帯を呼称していたわけである。

博物館だより 街かど発見!富山の近代遺産3」によると、
「薬学専門学校の校舎があった場所は、現富山市奥田寿町一帯で、現在は住宅街となってい」たり、公園になったり、団地(下駄箱団地という俗称がある!)になったりしている。
「公園の一角には「富山薬学専門学校 富山大学薬学部 跡」と書かれた記念碑が建ってい」る。
 興味ある人は、「博物館だより 街かど発見!富山の近代遺産3」を覗いて読んでみてほしい。ベーブルースの話題も載っている!

 しかし、あるいは容易に想像の付くように、「やくせん」という通称の含意するものは、少なくともガキ連中の間ではそれだけに留まるものではなかった。

 確か親たちや学校(小学校)側からはその一角への立ち入りを禁止されていた。
 まあ、古びた建物であったし、壁か塀の中は雑草が生え放題になっていた。
 だから、子供が迷い込んだらもう姿形が背の高い草(…主にススキだった?)の中に埋没し、見えなくなってしまう。迷子になる。
 そんなことが云われた。

 が、ガキどもの間ではもっと話はエスカレートしていた。
 そう、幽霊が出るとか、何か怖い場所が何にあるとか、まあ、話に尾ひれが付き放題というわけである。
 お化け屋敷の巨大版とでも云えばいいのか。
 結構、敷地も広かった。
 今風に洒落て呼ぶなら、廃墟なのだろうが、廃墟と呼ぶには廃止されて間もないのかもしれない。それでも上記したように雑草がびっしり生えるには数年という歳月は十分すぎるし、木造家屋の板壁が傷んだりもしていた…ような。

 薬学の学校だが、医学系の建物の風雪に耐えてきた果てというのは、その様子を外からしか窺えないものには、神秘というわけではないが、何か謎めいて見えてしまう。何か得体の知れないことをやってきた…といったような。
 念のために断っておくが、官立富山薬学専門学校は「1948年(昭和23年)4月:男女共学とな」ったりもしたきちんとした建物である。
 あくまで門外漢の粗野な小生らが勝手に怖がったり、うす気味悪がったりしていただけである。

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→ 小林 伸一郎 (著) 『廃墟遊戯』(メディアファクトリー) (画像は、「Amazon.co.jp: 廃墟遊戯 小林 伸一郎」より) 「秘密の遊び場めいた写真集」

 小学生だった小生でもその傍は通らざるを得ないことがある。
 一人歩きの子供にとっても行動エリアの範囲内ギリギリだった。
 臆病者の小生、何となく目を背けつつ歩き過ぎていったような。

「やくせん」というと、ちょっとしたエピソードがある。
 これは小生が小学校の一年か二年生の頃だったか、体育館で全校集会があり、校長か教頭だったか忘れたが、昨日、「やくせん」の窓ガラスが全部、石を投げつけられて割られてしまった云々という話があった。
 理由は分からないが、何故か犯人は某であることがすぐに知れた(同級生の間での噂の伝わりは新幹線より早い! ← 比喩が古臭い!)。
 そいつは、初心な小生にはヒーロー的な存在で、彼には他にも忘れられないエピソードがある。
 
 別の機会にやはり体育館(化粧直しはされているが現存する!)で全校集会があり(あるいは、同じ学年だけの集会だったかもしれない)、どういう流れでだったか分からないが、何かの競争があった。
 全員が最初にまず立っている。
 で、何かの問題がクリヤーできないと座ることになる。
 ということは、長くたっているほど、優秀ということになる。
 段々、立っている生徒の数は減ってきて、とうとう最後に残ったのは二人きりになった。
 その内の一人は小生にとってのヒーローであった某である。
 決着が付かず、その二人は、体育館の壇の上の先生の指示「座りなさい」で、座ることになった。
 当然、二人とも座った。
 が、相手の一人がしっかり座ったと見るや、奴はまた立ち上がった。
 すっくと!
 そう、たった一人体育館の中で立ってみせたのである!
 小生は間近で奴を見上げていた。なんて奴だ! というわけである。
 小生には決して出来ない目立つ真似を奴は平気で仕出かしてしまう。

 その奴が、「やくせん」の建物の窓ガラスを全て石で割ってしまったのである。

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← 『TH Series (トーキングヘッズ叢書)No.25 「廃墟憂愁~メランコリックな永遠。」』 (画像は、「アトリエサード publication 既刊bTH No.25「廃墟憂愁~メランコリックな永遠。」-b」より) 「廃墟の真ん中で永遠の時間と果てしない宇宙を夢見て、メランコリーに包まれたいと思うのだ――。」

 さて、廃墟つながり(?)でついでながら書いておく。
「やくせん」の地域でのメインの通りとなる街道を挟んだ反対側には、まさに廃墟があった。
 小生が小学生の頃には、富山大空襲で廃墟と化したまま、昭和の三十年代の半ばも過ぎた当時もまだ爆撃を受け無惨な姿を晒した一角が手付かずのままにあった。
(ちなみに、官立富山薬学専門学校も「1945年(昭和20年)8月:空襲により校舎焼失」という憂き目に遭っているが、「1947年(昭和22年)4月:奥田校舎復興」と相成っている。)
 その中には不気味な穴が垣間見えた。誰だったか、あれは防空壕の跡だと教えてくれた。

 その後も、何かの折に廃墟の類いを見たりしたが、小生にとっての廃墟の原点は、廃墟と呼ぶのは無理があることを承知の上で、やはり「やくせん」と防空壕の崩れた入口の光景なのである。

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