ティー・バッグ百周年 ? !
「ティー・バッグ - Wikipedia」
今年はティー・バッグが誕生して百年目なのだという。NHKラジオを仕事の徒然に何気なく聴いていたら、そんな話が。
← 小生が盛んに飲んだ当時とはデザインが違うようだが、学生時代、一番、愛飲していたティーバッグ。(画像は、「日東紅茶」より。)
老婆心ながら注意しておくが、ティー・バッグである。ティーバックではない!
「ティー・バッグ(Tea bag)は、紅茶の葉か抽出物を含む小さな袋である。紅茶を抽出した後に茶こしを使うことなくお茶を飲むことができる」というもの。
紛らわしいことに、「ティー・パック(tea pack)」という「BagとPackの音の近似によって生じた誤用」の言葉も日本にはあったりする。
「ティー・バッグは1908年に紅茶の貿易商であるトーマス・サリヴァンによって偶然に発明された。商品の紅茶の葉を絹の袋に詰めて消費者に送ったところ、そういう商品だと勘違いし、その袋のままお湯につけて紅茶を煮出してしまったの」だという。
なので、「今年はティー・バッグが誕生して百年目」だというわけである。
「紅茶の歴史」によると、「現在、世界の茶の生産の8割は紅茶」のようで、日本のようなお茶(緑茶など)は世界では少数派のようだ。
紅茶というと、セイロン、広くインドだったりイギリス、さらにはフランスなどを連想したりするが、「チャの原産地といわれるのは中国雲南省を中心とし、西はインドのアッサムにも及ぶ広い地域」なのだとか。
ちなみに、日本人が紅茶というと本場はイギリスなんて連想しがちなのは(今の人は違うかな)、日本へはイギリス人の手で紅茶が入ってきたからという理由もあるのかもしれない(「日本紅茶協会 紅茶を知る 紅茶の歴史」参照。「日本紅茶協会」で紅茶全般について知るのもまた楽しい)。
紅茶にしても、「福建省武夷山の烏龍茶を進化させて、安徽省の祁門で紅茶が生まれたようです」とのこと。
イギリスにオランダ商人の手で伝わった当初はお茶であって、紅茶ではなかった、というのも、小生にとっては初耳である。
いずれにしてもイギリスというと、本格的な形で紅茶を飲んでいる…なんて思っていたら、何年前、ラジオでイギリスでの紅茶を喫するスタイルは、ティーバッグが主流で、粉の紅茶にお湯を注いで呑む、なんてのはお客さんを持て成すなど特別の機会なのだと知って、ちょっと驚いた。
普段はティーバッグを使うのが当たり前ってことか。家庭によって違うのだろうが、お客として訪れた際は粉の紅茶で持て成してくれても、日常的な交流となるとティーバッグの紅茶でどうぞって光景が見られるのだろう(ラジオなどの聞き書き)。
要は日に一度や二度じゃなく、何度も呑むので、一々粉の紅茶を使っていては始末が面倒ということ、なのか(これは推測)。
しかも、昨夜のラジオでの話によると、ティーバッグにしても、日本で買うような綺麗な形で箱に収められているのではなく、箱の中に何十個ものティーバッグが無造作に詰め込まれているのだとか。
さらに、「「個々包装無し・紐無し」が一般的」だという話も昨夜、聴いた。
これも、イギリスでは日常的な飲み物だからこその流儀なのだろう。
(その包装の画像は、「イギリス・ティータイム事情」にて御覧いただきたい。そもそも日本は包装が過剰だったりする、そんなお国柄の違いもあるのだろう。)
小生自身、紅茶を日常的に飲んだ時期がある。学生時代…、学生になって三年目になって仙台市の郊外のアパートで一人暮らしを始めた頃だった。
友人らとは珈琲を喫することが多かったが、自宅では紅茶ばかりを飲んでいた。
最初は呑むたびティーバッグを箱から出してお湯を注いで呑んでいたが、特に夏場になったらガブガブ呑みたくなる。
となると、一々そんなことをする悠長さが面倒である。
(冬場は、それでも、お湯を沸かすのも、部屋を温める一環で、ティーポットを用意し、カップもきちんとテーブルの上に置いたりして、それなりに優雅を気取って呑んだりはする。でも、夏場は!)
で、鍋にティーバッグを何個か入れ、お湯でグツグツ煮立てる。
そして紅茶が冷めたところで冷蔵庫に入れ、冷えたのを呑みたいときにグラスに注いで呑むわけである。
(鍋で煮立てるのは、普通にカップの中のティーバッグにお湯を注いでも、ティーバッグの紅茶の味が出切らない、勿体無い…という思いもあった。鍋でティーバッグを煮立てて、紅茶の出し殻に香りも味も残らないように使い切る…。ケチだったのである。貧乏だったという話もあるが。)
今でこそ珈琲は薄めのストレートで呑むが、その頃は、例えば珈琲にしても砂糖とミルク(牛乳)を入れるのは当たり前だった。珈琲というよりミルク珈琲である。珈琲牛乳といったほうが相応しいか。
紅茶にしても、しかり。
但し、作り置きの場合は、砂糖のみガバッと入れる。
そんな冷たい作り置きの紅茶は自分しか飲まない。味に自信がないってこともある。
といいつつ、一度、夏の真っ盛り、大学の先輩がアパートを訪ねてきたことがる(心配して)。
その際、持て成そうと、ついうっかり、冷蔵庫から作り置きの冷たい紅茶をグラスに注いで出してしまった。
もしかして、勘違いしていて美味しいもんだと思っていた可能性がある。
グラスの冷たい紅茶を一口呑んだ先輩は、思わず目を白黒…はしなかった。
が、白黒しそうになるのを、さすが年の功で露骨に不快な表情を表に出すってのは、ギリギリのところで自制したが、ほんの一口飲んだだけで二度とグラスに手は伸ばさなかった。
鈍感な小生も、先輩のギョッという一瞬の戸惑いの表情を見逃さなかった。
よっぽど不味かったのに違いない。
先輩が帰られたあと、小生、先輩の表情が気になった。あれは、どう見ても不味かったのに違いない。
で、自分で作った砂糖タップリの冷たい紅茶を呑んでみた。
不味い。
いつの間にか、砂糖の量がやたらと増えていったらしいのだ。エスカレートしたというわけである。
紅茶を日に何杯も飲むという習慣はいつの間にか途絶えていった。
珈琲についても、日に何杯も呑むのが当たり前だったのが、三十歳前のある日、気が付いたら部屋にインスタントのコーヒーさえなくなっているのだった。
どうして紅茶も珈琲も飲まなくなったのかは分からない。その時期も分からない。
珈琲を飲まなくなった自分に気が付いたのは、何年か前、帰省の折に田舎の父母の食卓にインスタントの珈琲のビンが置かれてあり、父母は毎日、日に二度ほど珈琲を飲むってことを知った時だった。
一緒にどうだと勧められても、気が進まない。
→ デザインは違うが、若い頃はティーポットは日常的に使っていた。珈琲メーカーも。必ず部屋にあるものだったのに、いつの間にか戸棚の奥に仕舞い込まれ忘れ去っていった。(画像は、「【楽天市場】 ボダム アッサムティーポット0.5リットル(プラスティックハンドル)」より。)
手が出なかったのである。
それほど、珈琲から(紅茶からも)遠ざかっている自分に気が付いた。
体質の変化があったのか、生活習慣の変化が大きいのか。心の余裕がなくなったからなのか、友人が部屋に来ることが滅多になくなってしまったからなのか、自分ではそのあたりを突き詰めて考えてみたことはない。
今年の冬の終わり(それとも春先)に帰郷した。
父母との生活が始まっている。父母が毎朝、目覚めの珈琲を飲むので、珈琲を小生も相伴に預かっている。付き合いなので薄めのストレートの珈琲と決めている。母もストレート。
父は砂糖とミルクは必ず入れる。
朝の珈琲で食事前のひと時を過ごす。
紅茶もたまにはいいなって思うけど、父母は手が出るだろうか。
そのうち、試してみるかもしれない。今度はストレートティーで。
ミーハーの小生、テレビドラマ『相棒』の右京さんの真似をしたりして。
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