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2008/06/13

作家名を駄洒落する ? !

 今日は旧稿を温める。
 最近、引越しやその後始末などの雑事でバタバタしていて、読み応えのある小説を腰を据えて読む機会に恵まれない。
 今は、ショーペンハウアーの『意志と表象としての世界』を読んでいるが(五回目)、一ヶ月ほどだったかの時間を掛けてようやくあと数日で読了できるところまできた。

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← 小田島雄志著『駄ジャレの流儀』(講談社文庫 ) 感想文(?)として、拙稿「小田島雄志著『駄ジャレの流儀』」があるが、参考にならない!

 この本は四部構成になっているが、本書の醍醐味は何と言っても第四部(第四巻)にある。
 そのためには第一部から読んだほうがいいのだが、すっ飛ばして四巻めだけを読んでもいい(第一巻から三巻までにもニーチェやフロイトを髣髴させる洞察やワーグナーやマンなどを啓発した音楽論などの芸術論があって見逃せないのだが、大概の人には退屈で辟易してしまうだろう哲学的議論や余談が多く、肝心の第四巻に至る前に放棄してしまうようだ)。
 半年ほど文学の大作に接していない。例年、年末年始は世界の大作家の大作を読んで過ごすのだが、今年はそんな余裕もなかった。
 そろそろ挑戦するつもり。
 その前に、慣らし運転というか暖機運転ということで、リンクの張り替えもあり、5年ほど前に書いた作家の名に絡む駄文を載せる。
 念のために断っておくが(読めば歴然としているのだが)、あくまで駄文である。


目次:
)「作家名と駄洒落
)「作家名を語呂合わせする
)「作家名を語呂合わせする(続)


)「作家名と駄洒落

 昔、埴谷雄高のエッセイを読んだ時、その中で埴谷は、雑誌・近代文学に拠る戦後派の作家たちの名前に絡む語呂合わせめいた駄洒落を紹介していた。
 誰が作った語呂合わせなのか、その名は失念した(埴谷ではない)。
 例えば:

 花田清輝については、はなはだきおってる 
 野間 宏については、のろまひどし
 埴谷雄高については、なにをいうたか

  などが紹介されていた(これは記憶で書いているので、正確ではないかもしれない)。
 そのエッセイでは、椎名麟三についても、ある作家がうまい語呂合わせをしていたのだが、忘れたと埴谷は書いていた。
 そこで小生が、代わって作ってみた。
 椎名麟三は、とっても気の小さい男だったから、小さな心臓
 あるいは、椎名麟三は、晩年、小柄な男なのだが、いつもアル中で真っ赤な顔だったから、ちいさなリンゴ、なんてのはどうだろう。

 椎名麟三というと並び称されるのが、「桜島」の作家・梅崎春夫である。
 そこで、梅崎春夫については、うめえさけあるよ、なんてのはどうだろう。

 他にも野間宏や埴谷雄高らに関係する作家は多い。武田泰淳、『死の影の下に』の中村真一郎、『広場の孤独』の堀田善衞、『塔』などの作家・福永武彦、『俘虜記』の大岡昇平、『幼年記』などの島尾敏雄、『終りし道の標べに』などの安部公房などである。
 彼らについても何かいい語呂合わせ的言い換えがないものか、追々考えてみたいものである。
                           (03/05/01)

)「作家名を語呂合わせする

 作家が自ら語呂合わせ的に名前(ペンネーム)を付けることは、昔からよくあったようだ。
 たとえば有名な例では、二葉亭四迷であろう。言うまでもなく「くたばってしまえ」から来ている。親にそんな風に言われたから、などと言われたりもするが、それは俗説。
 実際には、作家自らが、文学的理想と現実(カネのための文筆)に悩んだ上での苦悶の果ての言葉「くたばって仕舞(しめ)え」から来ている:
 「予が半生の懺悔」  二葉亭四迷
 ちなみに、二葉亭四迷の本名は長谷川辰之助である(1864年2月28日)。

 やや古くは、「南総里見八犬伝」を書いた滝沢馬琴がいる。彼はこの「八犬伝」を28年掛けて書いている。晩年は、疲労から来た眼疾で目が見えなくなり、息子の妻に口述筆記してもらって完成したのだ。しかも、偉いのはその妻である。そもそも文字など読めないし書けないのだ。では、どうやって口述筆記したのか。興味のある人は調べて欲しい。
 さて、滝沢馬琴の本名は滝沢解(たきざわ・とく)で通称は清左衛門。彼のペンネームは、誰もが知る如く曲亭馬琴(きょくていばきん)である。
 このペンネームは、「くるわでまこと」から来ているという。ちょっと聞くと、ふざけているようだが、滝沢馬琴はれっきとした武士である。それが敢えて「くるわ」に「まこと」を求めるというのだが、相当な覚悟の上の命名なのだろう。
 詳しくは下記のサイトなどを参照:
滝沢馬琴(1767-1848)

 謎の作家というと、その筆頭は東洲斎写楽だろう。彼の本名は分からない。というより彼の正体は今日に至るも全く不明なのだ。無論、生没年も不明。「写楽」というと、誰でも「しゃらく」か「しゃらくさい」を連想するだろう。
 そもそも江戸時代に「しゃらくさい」なんていう言葉があったのかどうか、小生は知らない。だから、「しゃらくさい」から「写楽」が来ているという小生の説は、思いっきり、眉唾物である。
 まして、世にまことしやかに囁かれる「『写楽』はオランダ人『シャーロツク』の音訳である」という説は、確かめようがない:
連載第参回 東洲斎写楽

 比較的新しい作家では、映画「麻雀放浪記」の原作者でもある阿佐田哲也がいる。彼の本名は色川武大(いろかわたけひろ)という。この本名では純文学系の小説を書いている。
 一方、阿佐田哲也というペンネームでは、麻雀ものを書いている。そう、麻雀でいつも徹夜し朝を迎えたということで、「あさだ、てつや」だとしたのだという。
 彼には井上志摩夫という別名もある。この名では、時代小説を書いているらしい。この井上志摩夫という名前の由来は不明のようだ:
虚実混交 ~色川武大と阿佐田哲也 ~阿佐田党武大派

 このように自ら名前を語呂合わせにしたり駄洒落にしたり、韜晦趣味的にしたり、さまざまに工夫している作家は結構、多い。夏目漱石の「漱石」が「枕石漱流」から来ていることを知る人は多いだろう。但し、本来は、「石に枕し流れに口すすぐ」という意なのに、「流れに枕し石にくちすすぐ」と間違えて言ってしまったという中国の故事に由来する言葉である:
言葉の不思議「言葉・ジャンクション」 さすが
 
 この言葉(名前=号)は最初、正岡子規が使っていたのを漱石が貰い受けたという。
 こんなペンネームを使うなんて、さすがに頑固なる明治人らしい逸話だ。
 が、しかし、小生がここで問題にしているのは、本名か、あるいは筆名であっても、本人が真面目に付けている場合なのである。駄洒落や語呂合わせを意図しない名前なのに、敢えて、語呂合わせをしようという難行に挑戦しようというのだ。
 この崇高な使命を堅持して、今後、頑張りたい。
                       (03/05/03)

)「作家名を語呂合わせする(続)

 S氏をはじめ、H氏ら、いよいよ小生の崇高な使命に感動の輪が広まりつつあるのを実感している。こうなったら、あとには引けない。
 しかも、作家と筆名との関係やペンネームの由来についての薀蓄を傾けるというありきたりの所業ではないのだ。息を飲む思いで見守っておられるのも無理はないのである。
 江戸川乱歩が、エドガー・アラン・ポーのもじりだとか、丸木砂土がマルキ・ド・サドのもじりだなんどと、したり顔で語っても、今更誰も相手にしないだろう。 
 そういうサイトなら、ちゃんとネットでも見つかるし:
ペンネーム図鑑(近代日本文学)~解説・参考文献
 
 それに小生、クォークの使うハンドルネームの一つ、無精庵が、初めて経験した夢精の喜びがあまりに感激で、でも、夢精庵ではあまりに露骨だから、書き手の怠け者ぶりにちなみ、無精庵と号したなどと書いても、誰も面白がっては呉れないだろう(あああ、この話を真に受けられたらどうしよう。実際には無精庵というのは、日々の小生の怠惰な生活ぶりを素直に表現しただけなんだけど)。
 まして、みのもんたの本名が御法川法男(みのりかわ・のりお)だと言ってみたり、阿久悠が悪友のもじりだなどと書いても、そんなことは常識だよと、せせら笑われるのが落ちである。
 それに、安倍公房を世の中を斜めに見る偏屈な理屈屋だから「あべ・こーべー」なのだと言っても、誰も真に受けないに違いない。
 やはり、ここは小生らしく、独自の路線を突っ走るしかないだろう。

 ところで、上掲のサイトに、「作家は三つの人生を生きることができる。実名の人生と、筆名の人生と小説の人生の三つである」という一文があった。
 なるほど。
 ただ、謙虚で控えめな人生を送る、陰の薄い人間である小生は、その点では実は詐欺師に嫉妬する気持ちがないではない。筆名(はともかく)や小説の人生は、虚構の人生だが、詐欺師は、実名というか本名の人生もあるが、詐欺の中の人生も実の人生に他ならないような気がするからだ。少なくとも相手からしたら、実の人そのものなのだろうし。
 と、ここまできて、何もネタがないことに、ハタと気がついた(あるいは、目ざとい人は気付いているかもしれない)。掌編を書く場合も同じだが、いつも、画面に向ってから考えるという怠惰な性癖がここにも出ているのである。
 紙に向えば何とかなるだろう、が、無精庵の精神・真髄なのだ。

 さて、誰から料理しようか。
 ま、何か思いつくまでのつなぎに、作家の作品にちなみ有名な駄洒落などを披露しておこう。
 たとえば、昔、あるサイトで(残念ながらサイトを忘れた。誰か教えてほしい)大江健三郎の小説「洪水はわが魂に及び」をもじって、サイト管理人が、「洪水はわが多摩市に及び」と書いておられた。よほど、洪水に苦しめられた苦い経験があるのだろう。
 それに対抗して、我輩も何か一句と思い、苦吟の挙げ句、同作家の「河馬に噛まれる」を捩って、「馬鹿に噛まれる」はどうだ、「空の怪物アグイー」をひねって、「空の怪物アーイー」はどうだ、「見るまえに跳べ」は危ない、やっぱり「跳ぶ前に見ろ」でないとPTAが禁書にしかねないとか、「われらの狂気を生き延びる道を教えよ」は、今更、我らの時代には狂気は古い、「われらの正気を生き延びる道を教えよ」でないと現代性が感じられないぞ、「ピンチランナー調書」をもじって、「ピンチ旦那調書」はどうか、と思ったが、やや見劣りがするので、今日まで公表を控えてきた(実際、今、作ったばかりだという事情もあるが)。
 と、ここまで書いてきて、何も浮かばないので、本日はここで角質じゃない、擱筆する。
 でも、何も出さないと、ここまで読まれた方があまりに気の毒なので、ちょっとだけ。

 詩人・アルチュール・ランボーは、アル中で乱暴だった。
 作家・モーパッサンは、売れっ子で儲けたので、儲かった。
 作家・カフカは、存命中は鳴かず飛ばずだったので、可不可。
 島尾敏雄は、有名な割りには売れない作家だったので、暇を取りよ。
 柳美里は、自分を美人だと思っていて、一時、夕霧を名乗ろうとした。
 トーマス・マンは、晩生(おくて)で、若い頃は、頓馬な男と呼ばれていた。
 物理学者、大統領、歴史家を輩出したドイツの名門・ワイゼッカーは、実は、卑猥な血筋を持った一家で、猥褻家と呼ばれていた。

 以上です。念のために言い添えておきますが、これらの語呂合わせに信憑性はありません。
 続く???
                          (03/05/04)

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