「ロダンのエロス」アップ
「ロダンのエロス」アップしました。
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過日、郷里の富山が梅雨に入ったと思った途端、いかにも梅雨にピッタリの花、紫陽花の葉っぱのことが話題になった:
「実は毒!うっかり食卓に…アジサイの葉で食中毒」(「Yahoo!ニュース」より。この記事の詳細は末尾に示す)
→ 父の体調が思わしくなく、丹精籠めて育てた多くの盆栽は枯れてしまっている。そんな中、奇跡的に鉢植えの紫陽花が一輪、健気にも咲いてくれた(以下、すべて撮影は6/28日)。
紫陽花の葉っぱの毒性については、小生にしても、「季語随筆拾遺…紫陽花と雛罌粟」(2005/05/30)の中で言及している。
調理担当者が小生の記事をちょっと眺めてくれたら、こんな事故はなかったはずなのに…、なんて不謹慎なことを書いている場合じゃないか。
上で梅雨に似合うというかイメージ的にもピッタリの紫陽花と書いているが、小生は紫陽花こそまさに日本的な花なのではないかと思っている。
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[以下は26日の日記]
帰郷して初めての体験がいろいろある。
例えば畑。
帰省の折に草むしり程度は手伝っていたのが、今は細かな作業は小生がやる…のは無理で、今年は真似事だけ。
→ 今朝(26日の朝)、ナスの漬物作りに挑戦。甕もある漬物のための重石もある。ただ、作る腕(知識・経験)がない。母に訊きながら試みたけれど、さてどうなることやら。(27日の今日になっても、まだ甕の重石はそのまま。昨夕、姉が我が家で採れ提供した初物のナス(やキュウリ)の漬物を早々と持ってきてくれたので、まず、そちらを先に食べる…。というのは口実で、要は、出来が心配なので、重石の下を覗くのが怖い ? !(27日追記))
やり方がまるでわからない。手探り。
春先に苗を植えたキュウリがこのところドンドン収穫と相成っている。父母と小生とでは食べきれないので、知り合いに大半を提供。
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「渥美清さんの173句見つかる、俳号「風天」で心情生き生き」 ( 「YOMIURI ONLINE(読売新聞)」より)という記事をたった今、ネット上で読んだ。
(記事の内容は、末尾に全文とはいかないが転載する。)
← 『風天 渥美清のうた』(森 英介, 石 寒太:解説 発行:大空出版)
渥美清さんのファンなのか、それとも、「男はつらいよ」の寅さんのファンなのか、自分でも分からない。小生は既に彼に付いて(というより彼への思い入れというべきか)は、幾つか雑文も書いている(末尾で示す)ので、本稿では彼の句の紹介に留めておく。
(「風天(フーテン)」という言葉(俳号)については、拙稿「風天居士…寅さん」にやや詳しく書いた。)
見つかった句の全貌は分からない。「発見された全句を収めた「風天 渥美清のうた」(大空出版)は、27日発売される」というから、それを待つことにする。
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本稿は、「中島らもと大麻と煙草と」を転記したもの。先ごろ、「たばこ1箱千円」にという話題が世上を少々賑わせたので掲載する。
今の小生としては書き換えたい部分もあるが、敢えて原則原文のまま旧稿を温める。
「たばこ1箱千円」については、「「たばこ1箱千円」で超党派議連 消費税アップけん制も」などを読むと、「自民党内で浮上している消費税率引き上げ論をけん制する狙いも見え隠れする」などと、やや生臭い思惑で浮上したようで、小生としては納得がいかない。
← 清水登之・画「大麻収穫」 (画像は、「清水登之氏の「大麻収穫」」より。)
何も「たばこ1箱千円」なら煙草を吸う人が減って、健康問題(伴って医療費の削減)の解決の一助になるではないか、という大上段の議論が足りないから…という意味ではない。
例えば、「たばこ1箱千円」なら煙草を吸う人が減って…という議論にしても、やや疑問がある。アメリカなどの煙草メーカーは国内の煙草の販売量が減った分以上を、日本を含めたアジアやアフリカでの販売強化で補ってきた。
日本の煙草メーカーも海外(アジア・アフリカ)での販売戦略を強化するのは歴然としている。
国内で出る臭いモノに蓋をしたら、その強烈な悪臭は後進国で思いっきりぶっ放されている、というわけである。日本(国内)さえよければそれでいいのか、という議論もあっていいはず。
まあ、ちょっとだけ変化球をひょろひょろ投げてみようかなということである。
一読すれば分かるが、焦点は煙草ではなく、大麻である。
そう、「法律の目的を記した条文はない」不思議な「大麻取締法」!
煙草を許可しているのに何故、大麻がダメなのかの理由を当局は明確に示せるのだろうか。
あるいはアメリカへの遠慮? それとも惰性?
「(前略)第2次大戦後の占領政策の中で神道との結び付きの深い大麻に対して占領米軍が危惧をもち、また当時発達しつつあったアメリカにおける石油化学産業や木材パルプ産業の意向をうけてその市場の確保という経済的思惑などを背景として、大麻の規制が行われたのではないか」というのは、歴史的背景として真実なのか。
「たばこ1箱千円」というのなら、「大麻1箱千円」ってのも、検討してみる値打ちがあるのでは。
なお、この旧稿を書き下ろした当時の事情については、当該頁の冒頭に注記してある。
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「Pete Revonkorpi 童話の世界はそこにある!」アップしました。
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「ティー・バッグ - Wikipedia」
今年はティー・バッグが誕生して百年目なのだという。NHKラジオを仕事の徒然に何気なく聴いていたら、そんな話が。
← 小生が盛んに飲んだ当時とはデザインが違うようだが、学生時代、一番、愛飲していたティーバッグ。(画像は、「日東紅茶」より。)
老婆心ながら注意しておくが、ティー・バッグである。ティーバックではない!
「ティー・バッグ(Tea bag)は、紅茶の葉か抽出物を含む小さな袋である。紅茶を抽出した後に茶こしを使うことなくお茶を飲むことができる」というもの。
紛らわしいことに、「ティー・パック(tea pack)」という「BagとPackの音の近似によって生じた誤用」の言葉も日本にはあったりする。
「ティー・バッグは1908年に紅茶の貿易商であるトーマス・サリヴァンによって偶然に発明された。商品の紅茶の葉を絹の袋に詰めて消費者に送ったところ、そういう商品だと勘違いし、その袋のままお湯につけて紅茶を煮出してしまったの」だという。
なので、「今年はティー・バッグが誕生して百年目」だというわけである。
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今朝、眠い目を擦りつつ、朝食後、何気なく朝刊(読売新聞)を見ていたら、「脊椎動物の祖先はナメクジウオ 「ホヤ」との論争に決着 」(「asahi.com:朝日新聞社の速報ニュースサイト」より)といった囲み記事が目に飛び込んできた。
取れたてホヤホヤのホットなニュースである。
「背骨をもつ脊椎(せきつい)動物の祖先はホヤでなく、ナメクジウオだった。京都大、国立遺伝学研究所が米英などの研究機関とナメクジウオの全遺伝情報(ゲノム)を解読し、ヒトやホヤのゲノムと比べた結果、進化の順番が明らかになった」というもの(記事の大よそは末尾に転記する)。
→ 『ニシナメクジウオ Branchiostoma lanceolatum』 (画像は、「ナメクジウオ - Wikipedia」より。) ナメクジウオは、「体長3 - 5センチ程度で、魚のような形態をしている」。「脊椎動物の最も原始的な祖先であると考えられ、生きた化石である。ナメクジウオの遺伝子の6割はヒトと同じである」という。また、「ナメクジウオの生物学 窪川かおる(東京大学海洋研究所)」によると、「近年は個体数と生息地が激減していて、レッドデータブックには掲載されていませんが、絶滅の恐れがある希少種と考えられてい」るのだとか。
「哺乳類や魚類など背骨を持つ脊椎動物は、5億2000万年以上前に、背骨の原形である棒状組織「脊索」を持つ脊索動物から進化したと考えられてい」て、「脊索動物には脊索が尾側にある尾索動物のホヤ類と、頭部から尾部まである頭索動物のナメクジウオ類がある」が、今回の研究の結果、「脊索動物の中でナメクジウオが最も原始的であることがわかった」のである(この節の引用は何れも読売新聞朝刊より)。
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ひと頃、居酒屋タクシーが問題になった。
詳しくは、「【主張】居酒屋タクシー 公務員に常識はないのか」(「MSN産経ニュース」より)などを見て欲しいが、要は(記事の全文は末尾で示す):
東京・霞が関の中央省庁の公務員が深夜に公費でタクシーを使って帰宅するさい、運転手から缶ビールやおつまみなどを提供される。このサービスが問題になっている。慣行化し、現金や金券(商品券、図書券など)まで受け取る役人もいた。
→ 五月の連休頃までの我が家の畑。これが畑ですぞ!(以下、本文と画像とは無関係です。)
小生は昨年末までタクシードライバーだった。
但し、個人タクシーではなく法人のドライバー。個人タクシーは試験には通ったものの事情があって断念。
そんなこんなで、今はタクシードライバーではないものの(その内、何処かで雇ってもらえるかもしれないが)、こういったタクシー関連の話題には多分、大概の人よりは関心を強く抱いてしまう。
まあ、マスコミでも散々(?)取り上げられていたし、小生がなんだかんだと非難がましいことを今更、書く必要もないだろう。
それに仮にも同業だった者が批判すると、真面目にやっているタクシードライバーが迷惑を被るとか何とか言うのがせいぜいで、ともすると売り上げの上がらない無能なドライバーの愚痴にもなりかねない。
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以下は、昨年、「空 水 海 雲 霧」などをテーマにあれこれ記事を書きまくった際、関連する記事を書こうと思って集めていた資料集。全てネットで見つけたもの。
主に小生が好きな作家・島崎藤村を巡ってのもの。
→ 6月12日の夕方、仕事の開始時間が遅れ、ちょっと時間が空いた。せっかくなので、車で遠からぬ場所にある公園へ。
これらを適当につなげて島崎藤村に関連して表題の記事を書こうと思っていたが、忙しさに紛れて失念…。
これらの資料を集めていた頃は、小生が翌年には帰郷するなんて思ってもいなかった。
落ち着いたら少しは腰を据えた文章を書きたいと思いつつも日々の雑事に追われているばかり。
以下、生のまま資料を残しておく。当時、どんな文章を書こうとしたものか…。
なお、文章と掲げた画像とは全く無関係。せいぜい、風景に関係するってことくらいかも。
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今日は旧稿を温める。
最近、引越しやその後始末などの雑事でバタバタしていて、読み応えのある小説を腰を据えて読む機会に恵まれない。
今は、ショーペンハウアーの『意志と表象としての世界』を読んでいるが(五回目)、一ヶ月ほどだったかの時間を掛けてようやくあと数日で読了できるところまできた。
← 小田島雄志著『駄ジャレの流儀』(講談社文庫 ) 感想文(?)として、拙稿「小田島雄志著『駄ジャレの流儀』」があるが、参考にならない!
この本は四部構成になっているが、本書の醍醐味は何と言っても第四部(第四巻)にある。
そのためには第一部から読んだほうがいいのだが、すっ飛ばして四巻めだけを読んでもいい(第一巻から三巻までにもニーチェやフロイトを髣髴させる洞察やワーグナーやマンなどを啓発した音楽論などの芸術論があって見逃せないのだが、大概の人には退屈で辟易してしまうだろう哲学的議論や余談が多く、肝心の第四巻に至る前に放棄してしまうようだ)。
半年ほど文学の大作に接していない。例年、年末年始は世界の大作家の大作を読んで過ごすのだが、今年はそんな余裕もなかった。
そろそろ挑戦するつもり。
その前に、慣らし運転というか暖機運転ということで、リンクの張り替えもあり、5年ほど前に書いた作家の名に絡む駄文を載せる。
念のために断っておくが(読めば歴然としているのだが)、あくまで駄文である。
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ピエール・ド・マンディアルグ著『オートバイ』(生田 耕作訳、白水社)を恐らくは四半世紀ぶりに読んだ。
一昨年の暮れ、「マンディアルグ形而上下の愛に生き」なる拙文を書いたことがある。
但し、これはマンディアルグの忌日を契機にしてのもの。
今更、感想文を書くという気にはなれない。
→ 「ハーレーダビッドソンFLH1200・エレクトラグライド ショベルヘッド」 映画や小説に登場するバイクと全く同一タイプかどうか不明。色合いも、さて。ショベルヘッドの「ショベル」とは、「ロッカーアームのカバーが「ショベル」に似ているところからニックネーム的に付けられてい」るとか。詳しくは、「ハーレーダビッドソン ショベルヘッドとは?」にて。
以下、マンディアルグ『オートバイ』の、あくまで周辺をウロウロするので、本文(駄文)に進む前に、参考になるサイトを示しておく。
例えば、下記など:
「異端者の哀しみ ~マンディアルグ『オートバイ』論~ 松浦綾夫」
映画の『あの胸にもういちど』に事寄せて:
「883R :blog [パパサンアール・ブログ] 峰 不二子と、ハーレーダビッドソン」
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昔、小生が生まれ育った町の近くに「やくせん」と呼ばれている場所があった。
それは通称で、正式な名称は別にちゃんとあるのだが、少なくともガキの頃の小生は「やくせん」という呼称以外の呼び名を知っていたとは思えない。中学か高校の頃までにはその場所の由来なども認識してきたような気がするが、やがて小生も学生となって郷里の地を離れている間に、「やくせん」のことを思い出す機会もなくなっていった。
← 「富山薬学専門学校 富山大学薬学部 跡」などと銘された碑。夕方、買物のついでに撮ってきた。
「やくせん」という名称は、「富山薬学専門学校 (旧制)」を略したもので、まさに通称、俗称である。
その通称がどれほどの地域で使われるものだったのかは、小生には分からない。
あるいは、我が町の周辺で、それとも、小学校の同級生の間でそう勝手に呼んでいただけなのかもしれない。
でも、記憶では小生の親もそんな呼称を使っていたような気がする。
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我が家の冷蔵庫が不具合を起こしてしまった。
某有名ブランドのものだが、相当な年代もの。
父に言わせたら、もう十分、元を取ったと。
← 古いが重宝している電子レンジ、不調になった冷蔵庫、まだ新しいミニ冷蔵庫の揃い踏み ? !
ただ、ちょっと元を取ったで問題なのは、我が家の冷蔵庫などの白物家電は大概は同じような頃に買い換えたり買い揃えたりしていること。
よって、自宅の多くの家電製品がこれから次々と故障したり、そうでなくとも不調になったりするだろうことが予想される。
実際、今時こんなものを使っている家庭なんてあるんだろうかと思えるほどに古い洗濯機、電子レンジ、エアコン、掃除機、(電化製品ではないが)年代モノの灯油ストーブや湯沸かし器(パロマ!)や風呂の給湯システム…。
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富山の人には目新しいニュースではないようだけど、つい先日、富山市の1世帯当たり年間のガソリン代への支出が全国一位とか、富山県の自家用車の1世帯当たりの保有台数が全国二位といった報道がテレビであった。
新しいデータを示すサイトが見つからないので、今年二月のニュース記事を参照させてもらう。
→ 先月末、庭木の手入れをしていたら、何やらひらひら舞うものが。蝶? 違った、蛾だ。ガッカリ。でもまあ似たようなものだし、撮っちゃう! 画像を見ると夜のようだけど、真っ昼間である。強制フラッシュの設定になっていることを忘れて撮影してしまったのだ。怪我の功名か、羽根の燐粉が妖しく光って見える。
「No.338-1:全国家計調査、富山市の世帯実収入が全国トップ」(「Toyama Just Now」より)だって?!
総務省の平成18年家計調査で、富山市の2人以上の世帯のうち、勤労者世帯(世帯主が会社、団体、官公庁、商店などに勤めている世帯)の1世帯当たり1カ月平均の実収入が708,519円と全国1位(都道府県庁所在市別順位:以下同じ)となった。全国平均の525,719円を182,800円上回った。
(中略)
トップとなった大きな要因は、世帯主だけでなく配偶者、その他の世帯員も就業して収入を得ていることや、年金受給対象である65歳以上の世帯員の同居が多いことなどが挙げられる。多世代同居の多い富山県の世帯構成の特徴を反映したものとなっている。
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関東甲信越は今日(2日)、梅雨入り宣言が出た。
我が富山など北陸地方も間近なのだろう。
せっかくなので今頃の時期に合う話題を少し。
採り上げるのは24節気の一つ「芒種(ぼうしゅ)」である。
たまたま昨日だったか、あるサイト(「自分磨き日記「6月--芒種」」)でこの言葉を見かけたこともあり、気になっていた。
← 04年(稲作を止めた翌年!)の5月に撮影。
「芒種(ぼうしゅ)は、二十四節気の1つ。6月6日ごろ。および、この日から夏至までの期間」だという。
「二十四節気の説明(平成20年・2008年)」によると、「陰暦5月の節で、芒種の節ともいい、陽暦の6月5日か6日。芒種というのは稲や麦など穂の出る穀物の種のことをいう。種播きの時期で、農家は田植えに追われる」とあり、6月5日か6月6日ごろの「芒(のぎ : イネ科植物の果実を包む穎(えい)すなわち稲でいう籾殻にあるとげのような突起)を持った植物の種をまく頃」だという。
尤も、「実際には、現在の種まきはこれよりも早い」ようである。
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久しぶりに読書拾遺を。
ヴァルター・レニッヒ著の『サド侯爵』(飯塚信雄訳 ロ・ロ・ロ・モノグラフィー叢書 理想社)を読了した。刊行は72年だが、小生は80年版のものを入手している。
→ ジャン・ジャック・ポーヴェール著『サド侯爵の生涯(1) 無垢から狂気へ 1740~1777 』(長谷泰訳 河出書房新社 )
帰郷して書棚に並ぶ本の中から手当たり次第というわけではないが、興の赴くがままにピックアップして読んでいる。
過日も日記で書いたが、ヘーゲルの『精神現象学』(長谷川宏訳 作品社)、徳田良仁著『芸術を創造する力』(紀伊國屋書店)、若桑みどり著『イメージを読む』(ちくまプリマーブックス)、横山裕之著『芸術の起源を探る』(朝日選書)、宮沢賢治著『ポラーノの広場』(新潮文庫)、そして本書といずれも少なくとも刊行されて10年から30年を経過している。
← ヘーゲル著『精神現象学』(樫山欽四郎訳 河出書房新社 世界の大思想 12) (画像は、「大山堂書店 世界の大思想12 ヘーゲル 精神現象学」より) ショーペンハウアーが忌み嫌ったヘーゲル。近親憎悪的なほどに! ショーペンハウアーにはヘーゲル(の精神現象学)のような予定調和的世界など皆無。ショーペンハウアーは、彼の修行時代、世界を旅して回って、サドの描く世界が絵空事ではないことを目に焼きつけ胸に刻んだのだろう。相容れない立場の二人。けれど、樫山欽四郎訳のヘーゲルの『精神現象学』を苦労しつつ読みながら、『精神現象学』の根底にある種の神秘思想のようなものを嗅ぎ取っていた。ショーペンハウアーには相済まないが、二人には世界の底の闇の河という奔流のような何か通底するものがあると若い小生には感じられていたのだ。
ヘーゲルの『精神現象学』以外は再読、再々読である(但し、長谷川宏訳では初めてだが、樫山欽四郎訳(河出書房新社 世界の大思想 12)で読んだことがある。自分が若かったせいもあるのか、樫山欽四郎訳を読んだ時のほうが読み応えを感じた)。
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