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2008/05/19

図書館の本のこと(承前)

 図書館に足を運ぶようになったのは、大学生になってからである。
 母校(富山の人間が母校という場合、富山での最終学歴を含意していて、大概は卒業した高校を指すことが常識のようだ)にも図書館があったはずだが、記憶する限り図書館を利用したことはない。
 その前に、母校に図書館があったのかどうかも分からない!

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→ 古い書棚。「開かずの書棚を覗いたら」参照。

 小学生の終わりごろから漫画の本だけでなく絵(挿絵や写真)より活字(文章)の面積の占める割合の多い本をぼちぼち手を出し始めたはずだが、図書館へ足を運ぶという発想は欠けらもなかった。高校に到るまで。
 傍からみると、あるいは本の虫状態に見えたかも知れないが、当人(本人)は本を読むのは(漫画の本を除いて)好きではなかった。
 少なくとも多少なりとも本を読んでいるとか、まして本(を読むこと)が好きだとは口にしなかった。
 というより、本を読むことにどちらかというと後ろめたさのような感覚を持っていた。

 書を捨てよ、町へ出よ、ではないが、<現実>というのは表に、外にあるものであり、事件は現場で起きているのであって、座してノウノウと本を読んでいるなどもっての外、という、現実に目を向けていないのではないか、流れから取り残されていくばかりじゃないか、といった焦りにも似た感覚が自分の中に常にあったように思える。
 この感覚が多少なりとも和らいだのは、社会人になってから…、多分三十路頃のことではなかろうか。

 この辺りのことは、拙稿「読書という営みの果てに」参照。若干、抜粋しておく:

 読書というのは、世界を読む営み、己よりはるかに豊かな心を持つ魂を通じての、世界との親和の試み、世界との和解という夢を夢見る営み、抽象的にしか世界に繋がりの可能性を感じるしかできない者の、ある種徒労かもしれない足掻き。
 目の前にある本の彼方には、きっと<現実>がある。その現実世界には、現実の営みがある。誰もが現実の世界で現実に生きている。現実の世界で喜びを覚え悲しみに打ちひしがれ、他者と関わり合っている。

 というわけで小生の図書館との出会いは大学生になってからようやくなのである。
 大学生になって、受験勉強からも解放され、時間と行動の自由という機会を得た。
 学生時代のことは後日書くとして、本(読書)に焦点を合わせると、カネがないので新聞配達などのアルバイトをして本代を稼いだ。
 と言っても大して収入があるわけもなく(やがて中古のオートバイを買ったりしたし)、少しは本を買うけれど、知人・友人の本を借りまくったし(架すことも多かった)、そう、図書館の利用に傾いていくのは必然だった。

 大学生になって4年間に買った本は約440冊、図書館も含め借りた本は280冊ほど(書籍の題名・著者名などはすべて記録してある。図書館の中で読みきった本は分からない)。
 大学の図書館はコンクリートの立派な建物で、通えることが誇りのような嬉しいような、でも訳の分からぬ後ろめたさは常に覚えつつ、それでも中の喫茶コーナーでの一服は今思えば至福のひと時だったのかもしれない。
(ちなみに、大学の図書館内の中二階風になっている辺りで友人らと一服していた時、ふと思いついたコント(ギャグ)がある。曰く、「詩人・アルチュール・ランボーはアル中で乱暴だったので、生まれた時、父親がアルチュー・デ・ランボーと名付けた」というもの。小生が柄にもなくいきなりアルチュール・ランボーは…などと語りだすので、小生よりはずっと早熟でフランス文学通の友人(ら)が、小生如きが何を語るのかと耳目をそば立て出したのが痛いほど感じられた。なのにこの駄洒落。哄笑にも似た高笑いに終わったことはいうまでもない。)

 図書館で圧倒されたのは、蔵書の量だった。且つ、本の内容の多彩さ・奥の深さ。
 一応は学業もあるし、友人らとの付き合いもあったし(週に数回は誰かのアパートに泊まりこんで徹夜でお喋り)、アルバイトもやっていたので読書に振り向けられる時間は限られている。
 学生の頃の年間の読破数は、最初の四年間では、188冊、219冊、109冊、98冊である。3年目4年目が少ないのは、学業に身を入れたから。
 小生の読書量なんてこんなものである。

 なのに小生を威圧するかのような図書館の蔵書。
 しかも、小生が目にしているのは、あくまで開架の一角に過ぎない。
                          (続く)

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コメント

高校では図書館に行かれませんでしたか。
僕の高校は一時限目が選択授業、三時限目が必修授業で二時限目が開くと、外に出るわけにもいかないので必然的に二時限目は図書館で自習でしたね。
大学の図書館、大学自体の図書館とは別に、各学部の図書室、各学科の図書があり、借りてコピーしました。
Kant-Studienのいろいろな論文読むのも楽し。

ところで環境番組「素敵な宇宙船地球号」次回は富山湾の秘密とかー。

http://www.tv-asahi.co.jp/earth

投稿: oki | 2008/05/19 20:33

oki さん

二時限目は図書館で自習!
生徒の自主性を尊重する学校だったのですね。
生徒を信頼していたってことかな。
優秀だったんだろうなー。

大学、確かに各学部の図書室、各学科の図書がありましたね。小生もハイデガーの本を借りてコピーしたっけ。洋書は高かったからという理由だったけど。

>環境番組「素敵な宇宙船地球号」次回は富山湾の秘密とかー。
http://www.tv-asahi.co.jp/earth

情報、ありがとう!

投稿: やいっち | 2008/05/19 22:06

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