東大寺の荘園絵図見つかる
「元TBS川田亜子アナが練炭自殺」というニュースが昨夜、飛び込んできた。
自殺された場所は東京・港区海岸と、小生が昔、働いていた会社のすぐ近くで、ニュース映像を見て、ああ、あの辺りだ! と思ってしまった。
自殺の理由は小生には分からない。体の不調という情報もあるが。
川田亜子さんオフィシャルブログの 『Ako's Style』には、悩んでいるのが窺える日記の文面が散見される。
健気に頑張っていた反面の悩みの深さが察せられる。
彼女は昨年四月にTBSを退社したが、TBSの経営側との意向の食い違いがあったとも(主にバラエティー番組で活躍したが、本人は報道番組がやりたかったとか)。
昨年の六月には早くもネットに「川田亜子 訴訟問題で揺れる川田亜子の元カレがネットでバラまいたH映像 画像、動画」といった題名のブログ記事が。
どんな情報であれ、若く真面目な女性には居たたまれないことだったろうとは、小生ならずとも想像が付く。
背後で誰かが糸を引いていたのだろうか。事務所には対処する力はなかったのか。
どんな「H映像 画像、動画」なのか見ていないので分からないが、プライベートな部分が徹底して暴かれ晒される(少なくとも本人はそう感じていただろう)。
大きくは仕事上のトラブルなのだろうが、マスコミで活躍する人はプライベートな部分に関しては会社や事務所などの周囲が守り対処してくれないと、どうしようもない。
ちなみに、所属事務所のコメント全文は下記の通り:
5月上旬頃から様子がおかしいと感じ、本人に直接確認したところ大丈夫だと言っていました。
体調が悪い様子ではありましたが、心配しつつも仕事はしっかりとしていたので安心していました。
今回の件につながる理由が皆目見当もつきません。
所属事務所としては、本当に驚いているとしか言えません。株式会社ケイダッシュ 広報部
木で鼻をくくったという印象しか受けない!
今朝になって得た情報に拠ると、「川田亜子、最後の生出演は「自殺未遂ルポ」だった」とか。
これが引き金なのか。
25日の朝刊をパラパラ捲っていたら、「東大寺の荘園絵図見つかる 奈良時代中期、最古級の地図原本」(下記参照)という記事が目に飛び込んできた。
というか、「東大寺の荘園絵図見つかる 奈良時代中期、最古級の地図原本」といったニュースだけなら、古代史や考古学好きの小生、フムフムと興味深く読んで、あとはそのまま流すところだが、記事が「現在の富山県高岡市に当たる地域について」のものであり、「見つかった荘園図は「越中国射水郡鳴戸開田地図」」だとなると、富山の人間で高岡市に親戚筋のものもいる身としては、読み流すわけにはいかない。
簡単にでもメモしておきたい。
→ 発見された東大寺の荘園図。最古級の地図とみられる (画像は、「東大寺の荘園絵図見つかる 奈良時代中期、最古級の地図原本」より)
「大日本古文書 家わけ第十八 東大寺文書之四(東南院文書之四)」によると、「東大寺開田図は、奈良時代の東大寺の荘園を示した絵図であって、麻布若しくは紙に書かれてい」て、「その大部分は明治初年に東大寺から皇室に献納せられ、現に奈良正倉院に収蔵されており、他に諸家の所蔵に帰しているものも二三に止まらない」とか。
また、「約千二百年前に作られたこのような絵図の原本が、二十余点も今日に伝えられているのは、誠に世界にも類のないことと言うべきであるが、さすがにその損傷・汚染等の甚しいものもあり、殊に麻布に書かれたものは、年を追うて褪色・磨滅することは避け難い」云々とも。
この頁には、「本書に収載した諸図の略目録」が掲げられているが、その中に「参考」「越中国射水郡鳴戸村墾田地図 未詳 某氏」という項目がある。
このたび、この荘園図が見つかったということだろう。
「第1編 自然と社会 第4章 九頭竜川流域の歴史」によると:
東大寺は、天平15年(743)聖武天皇が東大寺大仏の造立を発願してから6年後の天平勝宝元年(749)5月に、東大寺寺家野占使の僧平栄や造東大寺司史生の生江臣東人を越前・越中に墾田地を求めて下向させた。このころ、造立途中の大仏の完成に目途がつき、その造立と維持費用をまかなうため、これらの地に荘園を占定しようと足羽郡の豪族である生江氏の出身で、造東大寺司の職員となっていた東人を案内人として、国司と一緒になって占定作業が進められたのである。
(中略)
東大寺の開田に関わる8世紀の古代荘園絵図は、20数面現存していて、その多くが近江国、越前国、越中国である。このことは、東大寺の勢力が近江国から北陸地方に伸びていたことを証明するものである。
越前国と併せ、富山(越中国)の礪波郡や射水郡、新川郡などの各村の墾田地図が複数残っているということは、素人考えだが、越の国が早くから中央の政権に併合されたこと、継体天皇(けいたいてんのう)の出自はともかく、「継体天皇以降、大和の勢力と越前や近江など北方の豪族の勢力が一体化し、ヤマト王権の力が国内で強くなった」こと、大伴 家持(おおとも の やかもち)が天平18年(746年)3月7月に越中国国守となったことなどとも相関するのだろう。
「正倉院宝物、失われた19点目見つかる 東大寺荘園絵図」(「asahi.com:朝日新聞の速報ニュースサイト」より 2008年05月25日09時56分):
江戸時代後期に東大寺(奈良市)から外部へ流出した奈良時代中期の絵図が見つかり、奈良国立博物館は24日、古美術商から買い取ったことを明らかにした。東大寺が所有していた荘園の利用状況が描かれた国内最古級の荘園絵図で状態も良く、奈良博は「国宝級」と評価している。
現在の富山県高岡市付近を描いた「越中国射水(いみず)郡鳴戸村墾田図」(麻布製、縦77センチ、横141センチ)。「条里」と呼ばれる区画ごとに田の状況などが書かれ、東大寺の荘園約60ヘクタールは朱色の線で囲ってある。左端には造東大寺司や東大寺僧、越中国司の署名、「天平宝字三年(759年)」の年号がある。東大寺が保存していた同時期の荘園絵図19点のうちの1点で、所有者は不明だった。越前(福井県)や近江(滋賀県)などの荘園が描かれた他の18点は正倉院宝物になっている。奈良博が今回見つかった絵図にある「越中国印」の印影97個のほか生地の質などを正倉院宝物と比較し、流出した1点と断定して昨年度に買い取った。修理後に一般公開する。
同時期の荘園絵図は他には、国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市)所蔵の「額田(ぬかた)寺伽藍(がらん)並(ならびに)条里図」(国宝)しかない。
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