ホームページが10万ヒット
[今朝の日記から]:
たった今(午前9時58分)、自分のホームページを開いたら、アクセスカウンターの表示がジャスト100000だった:
「銀嶺庵」(旧称:「ようこそ! 国見弥一の部屋へ」)
10万ヒット!
ワーイ、パチパチパチ……シーン。
閑古鳥が嗤ってる!
10万ヒットは目出度いが、ちょっとほろ苦くもある。
何故か。
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たった今(午前9時58分)、自分のホームページを開いたら、アクセスカウンターの表示がジャスト100000だった:
「銀嶺庵」(旧称:「ようこそ! 国見弥一の部屋へ」)
10万ヒット!
ワーイ、パチパチパチ……シーン。
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10万ヒットは目出度いが、ちょっとほろ苦くもある。
何故か。
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志治 美世子氏著の『ねじれ ―医療の光と影を越えて 』(集英社)を読了したことは既に日記に書いている。
が、読了して三週間以上も経つのに、感想文が書けずにいた。
何故か?
→ 志治 美世子著『ねじれ ―医療の光と影を越えて 』(集英社)
出版社の内容紹介には次のように:
隣の病院で始まった〈人間復興〉の闘い
今、医療の現場では何かが起きている。「そのとき」我々はどうすればよいのだろうか? 闘うことで事態を変えようとした人々を丹念に描いた第5回「開高健ノンフィクション賞」受賞作。
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「元TBS川田亜子アナが練炭自殺」というニュースが昨夜、飛び込んできた。
自殺された場所は東京・港区海岸と、小生が昔、働いていた会社のすぐ近くで、ニュース映像を見て、ああ、あの辺りだ! と思ってしまった。
自殺の理由は小生には分からない。体の不調という情報もあるが。
川田亜子さんオフィシャルブログの 『Ako's Style』には、悩んでいるのが窺える日記の文面が散見される。
健気に頑張っていた反面の悩みの深さが察せられる。
彼女は昨年四月にTBSを退社したが、TBSの経営側との意向の食い違いがあったとも(主にバラエティー番組で活躍したが、本人は報道番組がやりたかったとか)。
昨年の六月には早くもネットに「川田亜子 訴訟問題で揺れる川田亜子の元カレがネットでバラまいたH映像 画像、動画」といった題名のブログ記事が。
どんな情報であれ、若く真面目な女性には居たたまれないことだったろうとは、小生ならずとも想像が付く。
背後で誰かが糸を引いていたのだろうか。事務所には対処する力はなかったのか。
どんな「H映像 画像、動画」なのか見ていないので分からないが、プライベートな部分が徹底して暴かれ晒される(少なくとも本人はそう感じていただろう)。
大きくは仕事上のトラブルなのだろうが、マスコミで活躍する人はプライベートな部分に関しては会社や事務所などの周囲が守り対処してくれないと、どうしようもない。
ちなみに、所属事務所のコメント全文は下記の通り:
5月上旬頃から様子がおかしいと感じ、本人に直接確認したところ大丈夫だと言っていました。
体調が悪い様子ではありましたが、心配しつつも仕事はしっかりとしていたので安心していました。
今回の件につながる理由が皆目見当もつきません。
所属事務所としては、本当に驚いているとしか言えません。株式会社ケイダッシュ 広報部
今朝になって得た情報に拠ると、「川田亜子、最後の生出演は「自殺未遂ルポ」だった」とか。
これが引き金なのか。
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カードで思い出したが、図書館の本というと、昔は背表紙の裏面に貸し出しカードが添付してあった。
ビニールか紙の(いかにもそれと分かる)手製の袋に挟んである。
借りた日の日付印がスタンプで押印してある。
← 「パピルス製の巻物に書かれたエジプトの死者の書」 (画像は、「パピルス - Wikipedia」より) 「英語などの言語で紙を意味する「paper」や、フランス語の「papier」などは「papyrus」に由来する。」
昔は、小学校や中学校の時は本の貸出カードには名前を書き込んだりもしたようだが、小・中・高校と図書館の敷居を高く感じていた小生は実際にどうだったか分からない。
大学の図書館や一般の公共の図書館では、貸し出しカードには借りた日の日付印のみ押すようなシステムだったと思う。
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[在りし日の日記から]
今朝、病院に行くからと親に起こされた。
丑三つ時まで仕事で、帰宅して寝入ったのが四時過ぎだった小生は寝不足のところを叩き起こされて、まさに寝耳に水の状態。
び、病院! 何故? どうして?
→ 車椅子と踏み台を荷台に常時、積んである。踏み台は、歩行が難儀な母が車に乗り込むためのもの。
訊くと、今日は最初から病院へ行く日だった、でもすっかり忘れていたのだとか。
その前兆(?)と云えそうな騒動が昨日、あった。
日に三度、呑んでいる薬がないと大騒ぎ。
一日くらい呑まなくても死ぬわけじゃないと母は呟きつつも、やはり気になる様子。
とうとう昨日は一日、父母も小生も薬探し。
でも、あるはずの薬は見つからず仕舞い。
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読書家というのは、一日三冊、年間で千冊は読まないと、そう自称・他称することは出来ないだろう(読書の中味・質は言うまでもない)。
それでも読めるのは十年で一万冊、生涯で十万冊を読めるかどうか。この他に主要な雑誌や論文もある。現代ならネット情報(小生など、紙の本や雑誌・新聞よりネットの文章を読むほうが時間的にも量的にも多くなっている)。
← 「図書館の利用」 (画像は、「図書館 - Wikipedia」より) 小生は未だ一度も地下(?)の閉架書庫を覗いたことがない。
読める人でそうである。
まして遅読の小生だ、生涯で一万冊だって無理。
本には和書(日本語)の本もあれば洋書(欧米や韓国、中国語などの本)もある。
本を読むとは、読まない・読めない・今生接することのない世界を思い知ること、荒波逆巻く大海を手漕ぎで乗り出していくような、そんな無謀な営為なのかもしれない。
今、読んでいる本に熱中しその世界に没頭しえるとしても、その夢のひと時は本を手放すと共に余熱・微熱も何処へやら、活字の宇宙の広さ・深さに呆然とする。
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図書館に足を運ぶようになったのは、大学生になってからである。
母校(富山の人間が母校という場合、富山での最終学歴を含意していて、大概は卒業した高校を指すことが常識のようだ)にも図書館があったはずだが、記憶する限り図書館を利用したことはない。
その前に、母校に図書館があったのかどうかも分からない!
→ 古い書棚。「開かずの書棚を覗いたら」参照。
小学生の終わりごろから漫画の本だけでなく絵(挿絵や写真)より活字(文章)の面積の占める割合の多い本をぼちぼち手を出し始めたはずだが、図書館へ足を運ぶという発想は欠けらもなかった。高校に到るまで。
傍からみると、あるいは本の虫状態に見えたかも知れないが、当人(本人)は本を読むのは(漫画の本を除いて)好きではなかった。
少なくとも多少なりとも本を読んでいるとか、まして本(を読むこと)が好きだとは口にしなかった。
というより、本を読むことにどちらかというと後ろめたさのような感覚を持っていた。
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あるサイトで古本のことが話題になっていた。
書き手は田川ミメイさんでタイトル(テーマ)は、ずばり「古本」。
(田川未明さんのオフィシャルウェブサイトは、「mimedia」)
← 下段右端の参考書を除いて主に中学生の頃の蔵書。屋根裏部屋の奥にあるので整理・処分を免れてきた。
冒頭の部分だけ転記する(「ブッククロッシング・ジャパン e-news vol.34 [まぐまぐ!]」より):
「古いもの」が好きなのに、「古着」は買わない。アンティークは和物も洋物も好きだけれど、やはり買うことは滅多にない。なんとなく抵抗があるのだ。
それを持っていた人の「想い」や「人生」が、その「物」に宿っているような気がして、つい尻込みしてしまう。
それなのに、なぜか「古本」だけは抵抗がない。
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鳥のように舞うってのは、ささやかな夢。
本音では多分、決して小さな夢じゃなく、心の奥底に深く根差した夢…というより本能的な欲動・衝動なのだと、根拠なく、しかし断固(!)思い込んでいる。
→ 世界最小のヘリコプター (画像は、「Ace Craft USA - GEN H-4 - One Man Helicopter」より)
飛びたいという欲動の尤もらしい心理分析は今はさて置く。
人間は鳥のように自由に空を舞うという夢に一歩でも近付いたのか。
イカロス (Ikaros)たらんとすること。ダ・ヴィンチの夢を叶えること。
今日の朝刊(読売)に、「世界最小 ヘリ」という見出しの記事が載っていた。
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実際いかにして―-その豊かさを損うことなく――小さな少女の内部組織を描写することができるだろうか。少女は座っている。左肩を持ち上げ、腕を伸ばして、もの倦く机に身を投げ、肩や胸の筋肉の間でその顎を本能的に愛撫するのを隠して。
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晴耕雨読の日々である。
夜は(毎日ではないが)バイトへ行く。
朝から夜にかけては家事と家の雑用(特に今は、晴天の日に限るが、生え放題の雑草の対策がメイン)。
合間を縫うように、それこそ時間を削り取るようにして、細切れな気分的にはやや慌しい読書の時間を持っている。
→ 「ラスコー洞窟の壁画」 (画像は、「ラスコー洞窟 - Wikipedia」より)
机に向って…というかロッキングチェアーに体を沈めて今はレオナルド・サスキンド著の『宇宙のランドスケープ--宇宙の謎にひも理論が答えを出す』(林田陽子訳、日経BP社)などを、寝床では横山 祐之著の『芸術の起源を探る』(朝日選書)を、それこそ就寝前に軽くワイングラスを傾けるように(?)少しずつ読み進めている。
どちらも読み止しなのだが、横山 祐之著の『芸術の起源を探る』を読んでいて興味深い記述に出会ったのでちょっとメモしておく。
(実は既に第5回「開高健ノンフィクション賞」受賞作である、志治美世子著の『ねじれ ―医療の光と影を越えて』(集英社)を連休中に読了したのだが、身につまされるものがあり感想を書くのに苦慮している。)
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それにしても、富山は文化圏としては、関西のような関東のような曖昧な領域である。富山平野の真ん中に呉羽山(小高い山の連なり)があり、その西側が関西圏であり、東側は関東圏(少なくとも関西圏からは外れがち。というより見放されがち)だったりすることが多い。
→ 一昨年の五月下旬、大田区の某所にて撮影。ある商店の軒下。お地蔵さんでもお堂でもなくて、可愛いので撮ってみた。
小生の住むのは呉羽の東側(これを呉東=ごとう、と称する)であり、関西圏には入らない(但しお袋は高岡の出身で関西圏。父は生粋の呉東の人間である)。呉羽山を境に文化圏が富山でも分かれるのは、呉羽山の西側は加賀・前田家の領地であり、東側は前田家でも支流の家の領地で、(加賀藩に搾取され)文化的にも経済的にも困窮し、そもそも文化的な僻地だった。それゆえに実利的な気風が育まれた(なのに小生が能天気なのは、何故なのだ!)
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「お地蔵さん」
田舎の我が家の前には地蔵堂があり、その中には記憶では33体のお地蔵様が祀られてある。33体という数は曖昧である。子供の頃に父か母に、それだけの数の地蔵さんが安置されてあると聞いただけで、その頃は、ふん、そう、で終わっていた。
お地蔵さんの数がこれだけ揃っているのは珍しいのだ、とも、その時に聞いたような気がするが、関心のないガキの耳は素通りするばかりだった。
← 地蔵堂と思い込んでいたが、その実…。
もう、十年以上の昔になるが、古い木造の地蔵堂は改築されてコンクリート製の立派なものになった。その際、地蔵堂の向きも、それまでは我が家に直面していたのがA家に正対する向きに変わった。
老朽化の故に改築するのは分かるとして、何故、向きまで変わったのだろうか。地元の富豪で、蔵が三つあるA家の威光なのだろうか。
それとも、単に、我が家と地蔵堂の間の道が狭く(車は擦れ違えない)、それに対し、A家と現行の地蔵堂の間の道のほうが、やや広く、車の通行量も人通りも多いからなのだろうか。
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結果から言うと、拍子抜けの感が否めない。
プラトン全集、ショーペンハウアー全集、小泉八雲関連書籍、埴谷雄高関連書籍、ユングやメルロー・ポンティ著作、マルクスの『資本論』、ドストエフスキー全集(二種類)…などなど。
思ったほど意外な本には再会できなかった。
まあ、取り留めのない読書をしていた小生のスタイルは昔も今も変わらないということか。
→ ようやく開いたガラス戸(上段)。中の雑物は取り除いて撮影。
そういった蔵書より、居並ぶ本の上や隅っこ、何故か後ろ側に隠されるようにして(?)あったその他の雑物が興味深かった。
小生が78年に仙台から上京しアルバイト生活を送るようになった、そんな時期の生活ぶりを裏書きする諸々のものが少なからず見つかった。
小生は15歳の頃から(手書きの)日記をつけていて、その習慣は今も続いている。その手書きの日記は唯一の例外を除いては一切公開したことがない(見せるに値しない)。
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家には古い書棚がある。曇りガラスの開き戸のある立派なもの。
別に年代物だとか値打ちがありそうだとか、そんなことじゃなく、単に古いってだけ。
その証拠(?)にそもそも扉(戸)が開かない。
← 久しく開かずのままだった書棚。特に右側は戸が全く動かなかった。何とか開けてみたら…。
読書家で本に限らず物を大切にする父が、小生が物心付いた頃にはあったから、50年ほど前(?)に買ったものらしい。
小学何年生の頃だったかは覚えていないが、その中にはエラリー・クイーンなどの推理小説など文学全集や文庫本がびっしり詰まっていた、という記憶…印象がある。
小生が郷里を離れ学生時代も過ぎた頃、父母は田圃の規模を縮小した際に、元は土間だった場所を寝所(兼書斎)に作り変えた。
父の古い書棚の蔵書の大半は、寝所などに組み込んだ書棚へ、あるいは整理・処分となったようだ。
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「葛湯から古代を想う」にて、「葛湯」「葛飾」「葛西」と、「葛(くず)」繋がりの雑文を書いたことがある。
→ 桜瀬琥姫(Kohime Ohse)『葛之葉姫』 (画像は、「桜瀬琥姫-葛之葉姫の販売、買い取りは絵画専門店アートひろばへ!」より) 「葛之葉姫」とは、安倍晴明の母。
ことに「葛飾」「葛西」の「葛」繋がりについては、以下のように書いたまま、頓挫してしまっている:
「葛西」とか「葛飾」という地名に「葛」が用いられたのは、古代において「葛」その地において印象的だったからなのだろうか。それとも、「中国では、「葛」の名前で呼ぶ」ことからして、朝鮮半島を含む大陸からの渡来人が土着した名残なのだろうか。
あるいは、「やせ地にも育ち、土砂が雨で流されるのを防ぐ働きがあるので、砂漠の緑化に使われる」ということで、「中国の砂漠に日本のクズを植える努力が鳥取大学の遠山先生を中心に行われた」というが、関東ローム層という火山灰の多い、痩せた地には葛が育ちやすかったのでもあろうか。今は根拠が何も得られていないので、ただただ想像を逞しくするしかない。いつかまた、古代や中世の葛飾近辺の「葛」をテーマとして採り上げてみたい。
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ブレーズ・パスカル(Blaise Pascal、1623年6月19日 - 1662年8月19日)の言葉に、「人間は考える葦である」がある。
「クレオパトラの鼻、それがもう少し低かったら、大地の全表面は変わっていたであろう」と共に有名な言葉である。
→ 「冬に穂が残るヨシ」 (画像は、「ヨシ - Wikipedia」より)
「人間は考える葦である」のくだりをもう少し示しておこう(前田陽一/由木康訳『世界の名著 29 パスカル パンセ』中央公論社)。
人間はひとくきの葦にすぎない。自然のなかで最も弱いものである。だが、それは考える葦である。彼をおしつぶすために、宇宙全体が武装するには及ばない。蒸気や一適の水でも彼を殺すのに十分である。だが、たとい宇宙が彼をおしつぶしても、人間は彼を殺すよりも尊いだろう。なぜなら、彼は自分が死ぬことと、宇宙の自分に対する優勢とを知っているからである。宇宙は何も知らない。
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十年来、ちびちびと読み続けてきたヘーゲルの『精神現象学』( 長谷川 宏の手になる訳で。学生の時は樫山欽四郎訳で読んだ。内容は全く理解できなかったものの、何か神秘主義の匂いのようなものを嗅ぎ取っていたっけ。いずれにしてもヘーゲルにしか書けない(創造・妄想?)できない作品だと当時、感じたっけ)もようやく読了の日が近付いている最中に「瘴気(しょうき)」なんて言葉に行き当たってしまった。
→ 野原じゃなくて、我が家の畑。
一方、「草いきれ」という言葉がある。辞書に依ると、「夏の強い日ざしをうけて、草むらから立ちのぼる、むっとする熱気」だとか。
「瘴気」とか「草いきれ」なんて言葉を持ち出したくなったのは、「帰郷して待っていたのは草むしり」で書いているように、このところ草むしりの日々が続いているからであろうと思う。
生命力の横溢、生き物の弱さと逞しさと。
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「今年は海中探検!」をアップしました。
サンバ・エスコーラ(チーム)であるリベルダージ(G.R.E.S.LIBERDADE)の「2008年浅草サンバカーニバル」に向けてのパレードテーマ(Enredo)は、「海中探検(仮題)」だそうな。
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