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2008/04/20

無言坂…早く昔になればいい

 今年、小生の大好きな歌手香西かおりさんが富山にやってくる(以下、例によって敬愛の念を籠めつつ、敬称を略させてもらう)。

Mugonzaka

→ 香西かおり『無言坂』 (CDジャケット画像は、「かおり倶楽部」より)

伍代夏子・香西かおり ジョイントコンサート~二人の美艶歌~

◆開催日  2008年6月13日(金)
◆開催場所 オーバード・ホール
◆開催時間 昼の部 午後2時開演 夜の部 午後6時30分開演

 困窮していて、読書好きな小生なのに、今年に入って文庫本を一冊買うのがやっとの始末。六月に催される伍代夏子とのジョイントコンサートも、チケットを買うなんて夢のまた夢である。
 ああ、でも、せっかくの機会なのだ…。

 当然ながら、彼女について幾つか雑文を書いたことがある。たとえば、「香西と久世と無言坂」など。
無言坂」というのは、演歌歌手の香西かおりの1993年春の曲。作詞は市川睦月(久世光彦)で作曲は玉置浩二で、同年の日本レコード大賞受賞曲である。

香西と久世と無言坂」のなかで小生は次のように書いている:

(前略)久世光彦は東京生まれのはずだが、両親は富山生れと聞いている。父の仕事の都合で彼は、若い一時期を富山で暮らすことになった。彼が富山をどんなふうに過ごしたのか、小生は知らない。住んでいたのは相生町だったとか。小生はあまり馴染みのない町。
(中略)無言坂についても、京都か東京か何処かの地名に由来するのかなと、勝手に思っていた。それとも無言になるしかない坂という歌詞の内容を象徴する名前なのか、小生は分からない。

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← 中森明菜『艶華 -Enka-』 (画像は、「中森明菜 UNIVERSAL MUSIC OFFICIAL WEBSITE」より)

 この一文を書いた当時、一応はネットで情報を蒐集・摂取したはずなのだが、香西かおりの来富(富山へ来る)を機に改めて調べてみたら、「無言坂」についての貴重な情報が幾つか散見された(ちなみに、久世光彦についても「久世光彦著『怖い絵』の周辺」を初め幾つか雑文を綴っている)。

 せっかくなので改めてメモしておきたい。
無言坂 - Wikipedia」によると、「歌詞の「無言坂」は、久世が幼少の頃過ごした富山県富山市五艘の坂をモチーフにしたものといわれている」だって!

「「むかし卓袱台があったころ」久世光彦(ちくま文庫)」読みました! 高瀬事務所なんとなくブログ」には、久世さんが「少年時代を過ごした富山大学附属小学校・中学校周辺の坂道の風景をバックに、学校帰りの夕暮れ時に坂から眼下の町の灯を見つめる久世少年の、中学時代の多感な青春の想いをつづった演歌『無言坂』は」云々とあり、さらに以下の記述がある:

 彼の作詞した『無言坂』のヒット以来そのように通称されるようになった五艘・安養坊地区の坂道は、正確には富山市民俗民芸村周辺の坂道である。

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→ 『中森明菜選曲 演歌集 -艶華-/ オムニバス』(画像は、「中森明菜 UNIVERSAL MUSIC OFFICIAL WEBSITE」より) 「中森明菜が選んだ演歌楽曲オムニバスアルバム」だって!

 調べると更に興味津々の情報の載ったサイトが見つかった:
中森明菜 「無言坂」  聖なる狂娼婦、しーちゃん」(ホームページ:「まこりんのわがままなご意見」) 
 冒頭に、「中森明菜の歌う「無言坂」を聞いた」とある。中森明菜の歌う「無言坂」は小生は聴いたことがない…と思ったら、発売が「2007.06.27」とか。じっくり聞いて見たいもの。

 意外な事実がいろいろ書いてある。
 まず、「「無言坂」は「ごろざか」と読む」という記述に驚いた:

  「ごろ」は富山の方言では「唖(おし)」の意味。もう今は廃寺となった尼寺、その最後の庵主は聾唖者だったそうだ。だからその寺に続く石ころだらけの坂道を土地のものは「無言坂(ごろざか)」と、そう呼んでいた。

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← 久世 光彦 (著)『早く昔になればいい』(新潮文庫) (画像は、「Amazon.co.jp: 通販サイト」より) 「しーちゃんは町の大きな家の娘で、二十歳を過ぎているけれど静かに狂っていた。十四歳の私は、赤い椿のようにきれいなしーちゃんが大好きだった。でもしーちゃんは、好きだと言われれば誰にでも喜んで体を開く。だからある夜、私もしーちゃんの熱い脚の間で望みを果たした。しーちゃんは次の夏、狂ったまま死んでしまった―。胸の奥底に残る甘くせつなく恐ろしい恋の記憶の物語」…。昔はこういうことが間々あったそうな。

 久世光彦の「小説「早く昔になればいい」にこの「無言坂(ごろざか)」は出て来る」という。
 以下、小説「早く昔になればいい」についての記述は、ネタバラシ(寝た晒し)になりそうなので、当該の頁を読むなり、小説「早く昔になればいい」を読むのがいいのだろう。

 約(つづ)めれば「この小説を執筆中に久世光彦は「無言坂」を作詞、それにドラマ「キツい奴ら」以来久世の友人である玉置浩二が作曲し、香西かおりの歌として93年3月発売、その年のレコード大賞の栄誉に輝いた」というだけのことの背景にこんな物語があったとは。

 但し、「無言坂」の歌詞は、こうした背景は抜きにして、恋にはぐれた悲しい女の口に出せない辛い思いが歌われているように思える。
 香西かおりはどういう思いを籠めて歌っているのだろう。

 次にこの名曲『無言坂』を聴く時は感懐も違ったものになるに違いない。

 

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