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2008/04/02

梅の木の呻き?

 苔寺に限らず、日本の寺院などの庭には「苔(コケ)」が付き物である。
 時の積み重なりとこの世に時間のあることを束の間であれ忘れさせてくれる閑寂さ。
 海外はいざ知らず、日本の場合は寺社や庭園には苔のびっしり生えた風景を思わず知らず求めてしまうような。
 幽玄、閑寂、俗世からの脱却、悟り、などなど:
幽玄・静寂、苔(コケ)の世界

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→ 棕櫚の幹の根元部分。

 人によってはそんなものは期待していないのかもしれないし、まあ、ここではそうした心理の実態の如何を問うつもりもない。
 実は過日、家人に庭に咲いている梅の木の苔を取ってくれないか、そうしないと苔に木がやられてしまう、本来なら木に向うべき栄養分が、そしてやがては梅の実(果)という形で実りが得られるはずが、苔にまっで(まるで=みんな)奪われてしまう、苔の生す層の中には虫が冬眠していて、その虫たちの成長のためにも使われてしまう…、そんな話をされたのである。

 梅の木に限らず庭の樹木は母がこれまでは世話をしてきた。力仕事や難しいことは主に父が担い、近所の方のお世話にもなりながらだったようだ。
 父は仕事で外出したり田圃のこともあったから、庭木の手入れ、草むしり、畑仕事も含め、専ら母の仕事だった。
 それだけに、田畑の実り、梅の実という成果は、日頃、丹精込めて働いた成果として楽しみな(だった)のだろう。
 まして、味噌もだが、お茶漬けなどの友である「梅の実」は、母の手作りであり、味も良く、評判も良くて、母(や父)の自慢の種だったのである。
 その梅の木が苔に苦しめられている!

 恥ずかしながら、小生、梅も含め、庭の一部の樹木の幹に苔がびっしり生えていて、青っぽくなっていることにはさすがに気がついていたが、その苔が樹木に悪さをしているなどといったことには、ついぞ思いが及ばなかった。

 そうだったのか?!

 家の狭い庭のあちこちに苔がビロードの絨毯のように生えている。
 そんな庭を眺めるのは無粋な小生なれど、決して嫌いじゃない。
 ちっゅうか、好きである。

 問題は梅や松、棕櫚の木の幹にこびりつく苔である。
 小生は庭木のことも草木のことにも無知なので、幹の表面の青味がかった、苔の織り成す一種異様な光景を、それさえも風情のある眺め、点景の1つとして受け入れるべきなのかとも思っていた。
 いや、ここには若干の嘘がある。
 そこまで考えてはいなかった。
 まあ、よく言えばあるがままであり、その心はと言えば、単なる怠惰であり怠慢・無精に過ぎず、雑草さえことに寄ったら(ことによらずとも?)ほったらかしにしている、その延長上に樹木の幹の這うように蔓延る苔であって、無惨な光景に過ぎないのである。

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← 松の木の幹(根元)。

 梅や松、棕櫚の木の幹にこびりつく苔が樹木そのものを弱らせている。
 なるほど、言われて見れば分かりやすい理屈である。
 地面に這い覆う苔の類いは、取りあえずは情趣溢れる眺めなのだとしても(この点も仔細に検討すれば問題点が浮上するかもしれないが、今は脇においておく)、幹の表面を覆うコケ類は、ある意味、人間で言えば白癬菌(はくせんきん)というカビのために水虫や爪白癬、さらには体部白癬(ゼニたむし)といって「手足、股部、頭部を除いた皮膚に生じる白癬菌(はくせんきん)感染症」に罹患しているようなものなのかもしれない。

 家人にそんな話を聴いたのは昼食のあとのひと時だった。
 昼食の片づけを済ませたあと、せっかちな小生は早速、庭に出て、苔というか黴なのか正体は分からない厄介者退治を始めた。
 家人が言うには、縄などを使って幹の表面を擦ればいいという。
 但し、家人は体調が今ひとつで、実地に指導はしてくれない。
 過日の雪吊り外し同様、ヒントだけを頼りに我流でやるしかない。
 もう1つ、実際にやる際は、幹から苔を縄で擦り取る時、苔などの菌が飛散し、それを吸い込む恐れがある、だからマスクを着用しないと、という話もあった。
 が、面倒なのでマスクを使わず作業に取り掛かった。
 まずかったか。
 思えば、雪吊り外しの時もマスクをしていたら、木屑や縄の屑を吸ったりして風邪をこじらせることもなかったのかもしれない。
 なのに、教訓が生きていない。学習能力の低さが露呈した?
 あるいはただの怠慢か。

 縄は、雪吊り外しの際に取っ払った雪吊りの縄を捨てずに取って置いたので、それらの半端な縄を使った。
 
 やってみると、凄い。
 何ヶ月も(あるいは、小生のようにもう数年も)風呂に入っていない体から出る「垢」のように、ボロボロと、もうゴソッという感じで青っぽい苔の塊が取れる。
 あるいは、出来の悪い垢すり屋のように、生の新鮮な皮膚というか、木肌まで無理やり削り剥がしているのではと、ちょっと心配になるほどに「垢」が取れ落ちるのだ。

 いいのかなー、これで。
 でも、誰もアドバイスはくれない。
 キウイの枝をやや刈り込み過ぎたように、あるいは健全な木肌を傷めているのかもと思われてきて、初日は梅や松、棕櫚の幹のごく表面だけ荒縄でザッと削ぎ落とすだけに留めた。

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→ 梅の木の幹。これが一番、苔に覆われていた。

 さて、である。
 大概のことはネットで調べるのに、「ウメに着生するコケ」については、粗雑ながらに作業を終えたあとになって、調べている。
 ネットが実生活に生かされていない。
 それはさておき、下記のサイトを覗いてみる:
ツツジ,ウメなどの着生コケ類」(ホームページ:「樹木の病害虫」)

 この頁に拠ると、「ツツジなどの樹木か古木になると、幹や小枝などにコケが付きます。このコケは蘚苔類(せんたいるい)あるいは地衣類(ちいるい・菌類と藻類が共生したもの)という,全く別の2種類の植物です」とした上で、「これらのコケが付くと,樹木の生育を妨げ,木を枯らすと考える人が多いようです。 しかし実際はそうではありません」と続いている:

1.幹や小枝などに付く蘚苔類あるいは地衣類は,着生植物と呼ばれ,その言葉どおり,寄生しているのではなく,単に枝・幹に着生しているだけです。そのため,ツツジなどの樹木から養分を吸収することは全くなく,木に被害を与えていません。そのため木の衰弱の原因ではありません。

 さらに対策も示してあって、下記の説明が参考になる:
3.ツツジなどの古木が衰弱する原因は,このコケではなく別に原因があることがほとんどです。木の樹齢が古くなると,枝・葉ののびが悪くなります。特に,その木がある場所の空中の湿度が高かったり,低かったりする所では,生長の低下した小枝などにコケが多く付きます。 ですから,コケを取り除くことだけ考えるのではなく,古木の生長を少しでも生長盛んにするようにしてください。 木の周りの土が硬くなると,古木は特に,生長が悪くなります。その場合,別の説明書に従って,木の周りの土を柔らかくし,同時に,良質の堆肥などを十分入れて,土壌改良も行ってください。

幹や小枝などに付く蘚苔類あるいは地衣類は,着生植物と呼ばれ,その言葉どおり,寄生しているのではなく,単に枝・幹に着生しているだけです。そのため,ツツジなどの樹木から養分を吸収することは全くなく,木に被害を与えていません」というのは、真に受けていいのだろうか。
コケと環境」によると、「コケ植物は,水や養分を運ぶ維管束が発達していません.水を吸う根もなくて,単に体を支える仮根をもっているだけです.それで,大気も水分も,植物体全体が直接とりいれます」とのこと。

 ふむ。さて、小生はどうすべきか。幹に蔓延るはそのままにしておくべきか? それとも土壌改良?

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コメント

今朝、食事の際の父母とのお喋りで初めて知ったこと。
それは、我が家の庭先にある梅の木(本稿で苔に蔽われ疲弊しているという話題の木)が、樹齢が150年ほどだという。
我が家が明治の始め頃、ある町にある本家から少々の田畑を貰って分家し、我が町(当時は村)に暮らし始めた当初に、柿の木と共に梅の木を植えたのだという。

150年!
だったら、梅が疲れてくるのも当然(なのか)?!
(ちなみに、柿の木は既に撤去されている。)

母も我が家に嫁いで来てからの60年、梅の世話をし、毎年、梅の実を収穫し、漬けの物の梅を作ってきた。
階段下には、母が漬けた最後の梅の入った甕がある。
もう、残り少ない。
(もう一つ、梅が一杯、漬けられた甕があるが、それは母の妹が漬けたもの。)
もう、母も父もミソも梅も作ることはない。
小生にもそんなノウハウもその気もない。
そもそも、梅は今年、貧弱な実しかならなかった。
それは、この数年、母はもとより父も世話する余力がなかったから、土壌も含め、梅の木が疲弊しているからなのだろう。
家の中の多くの家電製品も次々と寿命を迎え、故障が相次いでいる。
家も隙間風が凄い。
こうして一つの家が消えていく?
無能な自分が情けない。

投稿: やいっち | 2008/10/18 10:27

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