花びらをめぐる雑念
富山市も桜が昨日辺り一気に満開となった。
金曜日に前夜祭のあったチンドンコンクールや週末の行楽に合わせてくれた?
← 「全日本チンドンコンクール」:
富山の春の風物詩として、今回で54回目を迎える「全日本チンドンコンクール」は、富山市が戦災の焼け跡から立ち直り復興した昭和30年に、市民の心に明るさを取り戻そうと、富山商工会議所や富山市などが中心となり誕生しました。
このイベントは、プロのチンドンマンがその技とアイデアを競い合う全国唯一のユニークなコンクールです。
桜をめぐってはこれまであれこれ綴ってきたが、旧稿から一部転記しておきたい。
ややひねくれているようだが、こういう考え方もあるということと思ってもらえたらそれでいい。
→ 夫婦のスズメ? 言い寄ってる?
その上で、扱うのはツツジで時期は違うのだが、花びらの潔いというか鮮烈でもある咲き方・魅せ方・散り方をめぐっての、これまた小生なりの異見を旧稿から転記する。
花や花びらを強烈に意識する時期(但し刹那的なものに終始しがちだが)だから、敢えてこんな試みをするわけである。
尚、挿入する画像は本文とは関係ない。最近、小生が撮った写真の一部を紹介するだけのこと。
1)「坂口安吾著『桜の森の満開の下』」より
2)「日の下の花の時」より
1)「坂口安吾著『桜の森の満開の下』」より
(前略)
桜というと、「檸檬」や「闇の繪巻」、「Kの昇天」などの作家・梶井基次郎の「櫻の樹の下には」を即座に思い浮かべる方も多いだろう。小生もその一人である。桜の樹が美しいのは下に死体が埋まっているからであるという妄想のもたらす顛末。
この31歳で亡くなった作家のことは、いずれまた触れる機会があるだろう。
さて、坂口安吾の「桜の森の満開の下」も、桜の木についての、独特な想念それとも妄念が前提としてある作品である。桜の木には死の臭いが漂っている…。そうした観念は、古来よりあったのだろうが、明治以降、特に昭和の前半までは強かったようである。
それは言うまでもなく、桜が幕末の頃から武と結び付けられたからであった。咲くときはパッと咲き、満開になったと思ったら、その盛りの時期も短く、あっという間に潔く散ってしまう桜の花びら。そこに(結果的にではあろうが、命を粗末にすることに繋がってしまう軍国主義の脈絡での)武に必要な潔さを読み取ってきたのだった。
やがて明治以降は、学校の庭などに桜の木を植えていくようになった。それはつまりは日本人に桜の美(開花の美より散る美学)と共に桜の観念を植え付ける狙いがあったようである。その極が、特攻隊のシンボルとしての桜のイメージの活用であろう。「桜花」という名の人間爆弾でもあった特攻機を思い出される方もいるのではなかろうか。
本居宣長の <大和魂>を謳ったとされる『敷島の 大和心を人とはば 朝日に匂う山桜花』は小生でさえ暗唱できる有名な歌だが、神風特別攻撃隊(特攻隊)の4つの部隊にそれぞれ隊名を選択し、敷島隊、大和隊、朝日隊、山桜隊と名づけられたことも忘れてはならないと思う。
← 改装された富山城。
(中略)
桜が武のイメージを持っていることは、昭和天皇も認識していたという。
あるサイトによると、「文化勲章は、日本文化の固有の長所を確立し、時勢の進歩に応じて一層その精華を発揚し、科学、芸術などの文化の発達に関して偉大な貢献をなした男女に与えられる」ものだが、与えられる文化勲章のデザインは、淡紫色の橘である。
当初の図案では、「日本文化を表すものとして桜の花が予定されていたが、「桜は昔から武を表す意味によく用いられているから、文の方面の勲績を賞するには橘を用いたらどうか」との昭和天皇の思召しにより、橘の花に曲玉を配する図案となったという(『増補皇室事典』(井原頼明著、冨山房、昭和13年)233頁)」のだとか。
(中略)
橘については、「昔、垂仁天皇が常世国(とこよのくに)に橘をお求めになったことから、橘は永劫悠久の意味を有しており、散るという印象のある桜よりも適当であるとのことであ」り、まさに文化を顕彰するに相応しい花ということなのだろう。
戦後は、桜というと、平和日本を象徴する花ということで、戦争や、まして武のイメージとは程遠い受け止め方をされている。それでも、パッと咲き、パッと散る潔さという美学・美意識・美の観念が思わず知らずのうちに刷り込まれているということは否めないように思われる。
まして、戦前は、軍国主義そのものの象徴で、桜の木や花びらに誰もが死の臭いを嗅ぎ取るしかなかったわけである。
→ ポートラムの雄姿。
2)「日の下の花の時」より
道路上で車中などから容赦ない直射日光を浴びる街路樹やグリーンベルトの花々(ツツジ)を間近に見て、そもそも書きたかったのは、別のことだった。
緑なす葉っぱや幹などはともかく、花々に何か強烈な印象を受けていた。それは何だろうと思い返してみたら、あまりにも呆気ない理由がそこにあった。
そう、花というのは、端的に言って性器なのであり生殖器なのだということ。
が、それだけでは言い足りない。それは分かる。えげつなさ過ぎる表現だということもあるが、では何故、本来は単なる生殖器のはずの花が、少なくとも我々人間の目には美しく、あるいは可憐に見えてしまうのか。
それは、犬や猫などの動物(特にその子供)が可愛く見えるように、人間の勝手な思い入れや、長年に渡る親しみ、馴染みの故に過ぎないのか。そう、選択と丹精の結果に過ぎないのか。
(中略)
花びら 花、花芯、雌蕊(めしべ) 萼(がく)根茎(こんけい)受粉 開花虫媒花 風媒花 雄蕊(おしべ)蕾 茎 冠毛 舌状花 蜜 柱頭 花粉…。
下手なエロ小説に使いたくなる用語が花を巡って、いろいろと思い浮かぶ。
人間にとって多くの花が魅惑的であるように、あるいはそれ以上に昆虫にとっては、花(の蜜)はなくてはならないものだろう。昆虫が花に誘われるのは、両者の長い関わりがあるのだろう。
花は人間に好まれるように進化したのか。そういった花もあるのだろう。そうでなく、勝手に人間の生活圏に侵犯する植物は、たとえ可憐な花が咲くものであっても、雑草とされてしまう。
同時に昆虫に受粉させるべく進化した花もあるのだろう。人目の届くところで見受けられ愛でられる花の多くが綺麗なものなのは、分かるとして、人里離れた場所にある花であっても、美しく感じるのは何故なのだろう。単に花だから? それとも、昆虫などを魅するように進化したことが、たまたま人間の審美眼にも適ったということ?
昆虫による受粉の様子を写真と説明で。
さて、緑の葉っぱは、まさに陽光を浴びるべく進化を遂げた。紫外線に耐性を持ち、あるいは万が一、紫外線により遺伝子が損傷を受けても、修復する遺伝子も備わっていたりもするという。
それは、葉っぱだけではなく、花びらだって、そうした耐性などのメカニズムを備えているのだろうという。
そうでなかったら、そもそも咲きはしないのだろうし。
← もらったチューリップや庭に咲いていたラッパ水仙などを生けて玄関に。
しかし、実際の花々を見てみると、多くの花の命は短い。文字通り、儚い命を宿命付けられている。ということは、仮に(そして恐らくは)紫外線への耐性があったとしても、そのメカニズムは、葉っぱなどに備わる持続的な耐性(特に常緑樹)とは、自ずから違う脆弱なものである可能性も高いように思われる。
そう、蕾が開花し、満開になり、受粉、受精の時を迎え、蜜や香りなど(人間の目には美しく見える花の様子もなのだろうか)、さまざまな老獪なるテクニックを駆使して昆虫や鳥などに受粉の手伝いをさせる。その間は、植物にとっての生殖器を日のもとに晒す。生物にとってそこが損傷を受けると致命的でもあるはずの性器、生殖器を紫外線その他の危険にまともに晒してまでも、受粉受精の時を持つしかない。
蠱惑(こわく)の時、勝負の時、運命の時。束の間の装いの時。
身を誘惑と危険との極に置いてでも、次世代のために敢えて花を咲かせる。
が、役目を終えたなら、花の多くは(それとも花は全て?)呆気ないほどに散ってしまう。紫外線などによる損傷など初めから承知なのだろう。
受粉が叶わなくても、多くの花は落ち、花びらは、焼け焦げ、あるいは萎れ、凋み、地の糧、地の塵となっていく。そうすることで、次世代の安泰が確保され、本体である幹や茎や枝や根っ子や葉っぱたちが生き延びられるのだ。
花、それとも植物の奥の深さは、計り知れない。白熱する陽光の下の生きもの達のドラマは、それだけに床しい。路上で焼かれる花々を見て感動したのは、だからこそなのだと思ったのである。
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コメント
今日は。
やはりこの時期は桜が話題ですね。
桜の花に対する想いは、日本人なら誰しも色々あるでしょうが・・・
私は
散るために咲いてくれたか 桜花
散るこそものの見事なりけり
これを詠んだのは、知覧から、帰ることなく出撃していった
特攻隊の21歳の青年でしたが、切ないです。こんな桜の想い出は二度とないことを願いますね。
戦後、桜は平和の象徴のように、学校、公園などに意識的に植えられたとか。
でもほとんどは接木で、桜の木60年説
によると接木場所から細菌が感染して
昨年はあまり咲かなかったところもあったとか。
「うそ」という蕾を食べる鳥も昨年は随分被害を大きくしたとか。
今年は、こちらはもう、散り行くだけですが、とてもきれいでした。
お顔の怪我大丈夫ですか。
投稿: さと | 2008/04/07 12:18
さとさん
知覧の特攻隊、悲劇ですね。
こんな非業な死を、散る花に喩えて美化させる。
当時の軍国主義や軍部官僚の無責任な遣り口には怒りが込み上げるばかりです。
桜もいいけど、散った花には目もくれない、そんな冷たさ・無関心さも日本人的なのかな。
利用するだけ利用して、散った花はゴミ以下。
最後の最後まで看取りたいものです。
顔の怪我、お蔭さまで、だいぶん良くなりました。
投稿: やいっち | 2008/04/07 16:22